第116話 『暴力』の名を冠するもの
本日は二話、掲載しておりますので前話をお読みでない方はそちらからどうぞ。
♢ ??? スラム街 熊八 ♢
記憶の中に残っている古い記憶を思い起こすとき、目を覆いたくなるような凄惨な場面が必ず浮かぶ。
それが俺に残っている一番古い記憶であり、思い出したくもない最低な記憶の数々だ。
それは、真っ暗な闇の中を手探りもなしで彷徨い歩くように酷く臆病で弱弱しい様。
それは、家族を知らない己が安寧を求めるまま他者を傷つける様。
それは、自己の証明の在り方が分からず、どうすれば救われるのかを悩んでいる様。
愛を知らなかった俺は愛に飢えていた。
優しさを知らぬ俺は温もりを求めていた。
俺は一人でいるのが怖かったのだ。
だから、何度も何度も何度も──。
流れるままに生きていると、それでもたまに手を差し伸べてくれる人がいた。
しかし、愛を知らぬ者は愛の受け方もまた知らなかった。
情愛も性愛も親愛も全てを否定した。
違う、これは愛なんかじゃない、と。
よくも騙してくれたな。
だから……、俺は。
全てを傷つけた。
全てを壊した。
全てを拒絶した。
そしていつしか、俺にとある名がつけられた。
別称。
否、蔑称。
それは『 暴力 』。
根無し草のままに旅を続けた若き熊の獣人は、帰るべき場所を自ら摘み取りながら世界を少しづつ狭め、たった一人で生きてきた。
腹が減ったから襲って、強奪した。
金がなくなったから襲って、強奪した。
誰も守ってくれないから襲われる前に襲い、ついでに強奪した。
生きる為に犯罪を犯す建前と、壊す喜びを知ってしまった本音。
口答えする気に食わない奴は顔の形が変わるほど殴り倒してやった。
偉そうな態度を取る奴は全身の骨を全て折ってやった。
生意気な目を向けてきた奴は手足の爪を丁寧に剥いでやった。
関わりたくないと避ける奴は後ろから蹴り飛ばしてやった。
なんでも思い通りにしてきた。
なんでも思い通りになっていた。
始めこそ戸惑いがあれど、いつしか楽しくもなり次第に助長していき、もはや止めようという気さえ起らなくなっていた。
やがて『 愛 』という言葉すらも忘れ、ただただ自分の欲求だけを満たす畜生へと堕ちていく。
死んだも同然の生き方。
それが、俺。
【 暴力の化身 熊八 】
だが、そんな傍若無人、唯我独尊、傲岸不遜を体現したかのような生き方に終止符が打たれる。
勝手気ままに生きていたある日、全てのツケが己の身に還ってくる日が訪れた。
議会によって懸賞金が懸けられ冒険者ギルドに指名手配されたのだ。
そして、世界で自分が一番強いと思っていた日々は儚い幻想と共に散っていった。
力という絶対的なものを痛みを伴いながら骨の芯まで叩き込まれることとなる。
俺は冒険者に掴まり長い間、牢屋に投獄された。
忘れていた冷たい床。
冷めた不味い食事。
罵られる恐怖。
虐められる惨めさ。
人を傷つけるという愚かさを狭い牢獄の中で噛み締めた。
因果応報、自業自得。
寒い夜の日には、そう思う日も……あるにはあった。
だが、それでもまだ俺の心には魔物が生きていた。
ここを出たら必ず報復してやると。
この痛みをお前にも味わわせてやる、と。
少年の体で入所し、出てくるころにはすっかり大人の体に成長していた。
俺は笑った。
やっと……、やっと仕返し出来る日が来たのだと。
俺の中に住む魔物は、鳴りを潜めているだけで死んではいなかった。
復讐の炎に身を焦がし、ぶくぶくと肥大した憎しみは、よりどす黒いものへと変わっただけだった。
「……ガハハ。ハッハッハ! ガーッハッハッハ!!」
笑わずにはいられない。
これからまた自由で最高な生活が始まるのだから。
しかし、そんなときだった。
思いもせぬ人物がそこにいた──。
『 まぁだ懲りてないのか、この大馬鹿もんがぁ。付いてこい。その腐った性根、俺が叩き直してやる 』
そいつは当時の若い俺を捕まえ監獄へとぶち込んだ冒険者の男だった。
驚くことに、そいつは俺が出所するのを何年も何年も待っていたのだ。
俺は耐えた。
必死で堪えた。
今すぐボコボコにぶちのめしてやりたい衝動を抑え、人目に付かない場所で襲うために。
俺は耐えた。
牢獄に入っている間、何もしていなかったわけではない。
己の肉体を鍛え、その日が来ることだけを想い己の技術を磨いてきた。
その積年の想いを晴らす相手が目の前にいるのだ。
「……探す手間が省けたな。会いたかったぜ」
長年の恨みを……、強さを増した力を拳に乗せ、俺は戦った。
奴もまた、正面から俺を迎え撃つつもりのようだった。
決着は早かった──。
俺はボロボロに敗れた。
何一つ、あいつに見せることなく簡単に打ちのめされた。
『どうしたっ! もう、終わりか!? お前の全部、俺が受け止めてやる! かかってこい!』
倒されても倒されても起き上がり、何度も何度も挑んだ。
『お前の抱えてるもん全部、曝け出せ! お前の荷物が重いなら俺も背負ってやる!』
本気でぶつかった俺に奴は子供の手を捻るかの如く、いとも容易く返された。
そうして、立てなくなるほど何度も挑んだが、どうやっても俺は奴に勝てなかった。
受け入れたくない現実と、あまりの悔しさに身を震わせ視界がぼやける。
それでも俺が負けたという事実は変わらない。
気が付くと、俺は泣いていた。
殴られたときも。
お腹が空いたときも。
一人、孤独でいたときも。
一度たりとも泣いたことなんて無かったのに……。
初めて人前でわんわん泣いた。
恥も外聞も気にせず、ぎゃんぎゃん泣いた。
抑えようにも怒涛に押し寄せる感情は涙の底を知らないかのように止めどなく溢れ出る。
冒険者の男は、そんな泣きじゃくる俺が泣き止むまで、ただただ傍でじっと何も言わずに眺めていた。
途中から俺は何故、自分が泣いているのか分からなくなっていた。
戦いに敗れた悔しさからなのか。
ちっとも強くなっていない虚しさからなのか。
それとも……。
本当は分っていたが受け入れていいのか、怖かったんだ──。
『落ち着いたか。そしたら水を飲め。飯を食え』
そう言って渡されたのは、大量の水とデカいおにぎりだった。
いや、おにぎりというにはあまりにも歪でただお米を纏めただけの握り飯に、べたべたと海苔を張り付けただけのご飯の塊だ。
体中の水分を涙として出し切ったのではないかと思うほどに泣いたので喉はカラカラだ。
腹も減っている。
堪らず、目の前の水を飲む。
ゴク、ゴク、ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ、ゴクン。
よほど喉が渇いていたのか、あれほどたくさん入っていた水を一気に半分飲み干した。
喉が潤うと今度は腹が減る。
デカくて不格好なおにぎりにかぶり付く。
バク、バク、バクバク、バクバクバク、ゴックン。
うまい。
言葉にできないほどに美味い。
ひたすら無心で食べ続ける姿を見て、冒険者の男が聞いてくる。
『どうだ? 美味いか? 喧嘩のあとの飯は美味いだろぅ?』
ニシシと顔をくしゃくしゃにして笑う男はこれまで見せなかった優しい笑顔を見せる。
「……しょっぺぇんだよ。クソが……」
『そうか! しょっぺぇか! 俺は料理が下手くそでな! ハハハ』
ワシャワシャと毛並みも考えずに頭を撫でる手は雑ながら何故だか心地よかった。
人に触れられて心地いいと思うことなど人生で初めての経験だった。
「……触んな、クソ野郎。俺を誰だと思ってやがる。暴力の熊八様だぞ」
『そうか! お前は熊八ってんだな! いい名前じゃないか熊八! 俺はグスマン。Garrick・G・Gusmanだ』
枯れたと思っていた涙は頬を伝い、特大のおにぎりと一緒に俺の胃袋へと収まった──。
♢ ♢ ♢
『いいか、熊八。世の中ってのは悪い行いをすれば、必ず罰を受ける。反対に善い行いをすれば、幸せになれるんだ。お前はこれまでさんざん悪いことばかりしてきたから罰を受けた。だが、しっかりと罪は償った。そして、これからは善い行いをして目一杯幸せになるんだぞ!』
♢
『お前の枷は感情の昂りで開放されるようだ。これからは、お前自身の力を制御するため訓練する』
♢
『今後、お前の枷を外す時は大切なものを守る時にのみ使用を許可する。破ったらゲンコツな』
♢
『これまでのお前はもういない。今日からは新しい世界を生きていけ。そんなお前に暴力の呼び名は似合わない。お前は今日から“霹靂火 熊八”だ』
♢
『熊八、弟子をとれ! お前の腕をみんなに伝えて後世に技を残すんだ!』
♢
『熊八ぃ! みんなを頼んだぞ! 必ず、生きてギルドまで連れて帰ると約束しろっ! 分かったかぁ!!』
♢ ♢ ♢
そして、時は現在へと戻る。
「ハルシアッーーーーーーーーー!!」
アラタの悲痛な叫び声が、魑魅魍魎が跋扈する戦場に響く。
振り返ったその光景を目にした時、ぐにゃりと視界が歪んだかのように見えた。
視界の奥で赤鬼によって体に風穴を開けられ、血だらけになったハルシアの姿を見た瞬間。
かつての光景がハルシアとダブる。
そして……。
心の奥底で封印していた枷が外れた。
「ぅ、うおおおぉぉぉああああぁぁぁあぁぁぁーーーーッッ!!!」
爆発的な魔力の開放と共に、熊八の荒々しい雄叫びが全ての音を掻き消し戦場に木霊した。
「ヴゥゥ……、こ、殺すッ!!」
そこには、完全なる暴力に支配されたかつての熊八の姿があった。
【 暴力の化身 熊八 】 再臨
今年の投稿はこれで終了となります。
来年も亀更新ながら続けていきますのでよろしくお願いいたします。
よいお年を。ノシ