第103話 GGG調査チーム 二日目 不穏な気配
♢ オルバートの森 入り口 新 ♢
謎の攻撃を受け、突然現れた巨大な天玉甲蟲の襲撃を潜り抜けた俺たちはグリフォンのいる拠点まで戻ってきていた。
あれ以降、追手もなく静かな森へと戻っているが一歩間違えていれば死んでいたかもしれない。
「さっきの何だったんだよ? 土還しってのはあんなにデカくなるもんなのか?」
ガイアという星の環境であれば昆虫が巨大化していても不思議ではない。
しかし、あれほど大きく成長し群れを成しているのであれば、森の生態系は大きく変わっているはず。
話に聞いていたイグ・ボアという猪が生態系の頂点に立っているとは、にわかに信じがたい。
「あれが異常行動の一つだ。奴らは死肉や腐敗した植物を求めて集ることはあっても、生き物を攻撃して餌を確保する習性はない。餌に困ることは無いからな。それに、成熟した土還しでもあそこまで大きくなった奴は一度も見たことがない」
拠点に戻ってきたものの警戒を怠ることのない熊八は五感を研ぎ澄ませたまま辺りを見回している。
あんなものを見た後ではこの場所も安全とは言い難く、いつ虫どもが現れるか分かったもんじゃない。
それに咄嗟の出来事で回収し損ねた流し台と製氷機は虫の下敷きになったことだろう……。
あれだけでもいい値段がするのに、また新しく創り出さないといけなくなった。
「それにしても、あの水は何だったんでしょう? 少し甘い匂いもしましたし……」
ハルシアの言う甘い匂いとは最初に飛んできた水風船のことだ。
今は水分も渇き、服に染みてついて匂いもしなくなったが浴びたばかりの時は確かに甘い香りがした。
「分からねぇ。だが、土還しは匂いに導かれるように俺達に向かってきた。おそらく奴らを惹きつけるフェロモンのようなものだろう。念のため、今のうちに身体を洗っておこう」
再度、俺の能力で流し台を創り出しホースを伸ばしてノズルを装着し、簡易的な屋外シャワーを用意した。
順番に身体を清めていき、身体と服に付着した匂いを落としていく。
「絶対に覗かないで下さいよ。見たら軽蔑しますからね」
ハルシアの順番がくると、キツ目に釘を刺された。
いくら冒険者とはいえ年頃の女性であるので異性に裸は見られたくはないようだ。
間違っても見えないよう冷蔵庫や背の高い物で目隠しを作るよう言い渡され、その奥でシャワーの流れる水音が聞こえてくる。
反対側からは丸見えだが、こんな人里離れた場所ではそうそう人と出会うことは無いためハルシアも容認したようだった。
新しい服も出発前に用意していた衣装ケースを呼び出し全てを取り替える。
ハルシアがシャワーを浴びている間に、今後のことを二人で話し合う。
「これからどうする? 虫が危険なレベルまで巨大化していることを報告するだけでも価値はあるんじゃないか?」
「無論、報告はするがまだ戻れねぇ。巨大化の原因とフェロモンを飛ばしてきた奴を捕まえねぇと俺達と同じ犠牲者が出る。それと、土還しを隠している奴の特定だな」
虫は突然、湧き出るように俺たちの前に現れその後、雲隠れした。
あれだけ巨体ならば近くにいるだけで接近を察知することが出来るため対応策も取れるが、さっきはそれがなかった。
間違いなく能力による補助を受け、裏で操作している者がいる。でなければ説明がつかない。
「少なくとも二人……、もしくは三人の能力者が関与してるな。一人は土還しを巨大化させた奴。一人は土還しをどこかに隠している奴。フェロモンを飛ばしてきた奴は巨大化させた奴と同じかも知れねぇが、現段階では予測にすぎねぇ」
「そうなると敵との接触は避けられそうにないな……。言っておくが、俺は戦力に数えないでくれよ。俺の本分は支援なんだから」
自分で言うのもなんとも情けないが事実なので仕方がない。
しかも相手が平気で犯罪を犯すような危険な連中ともなれば、戦闘力も高いハズ。駆け出し冒険者であり、支援職の俺には勝てる見込みがない。
「分かってるさ。無理はしねぇ。準備が整い次第、場所を移すぞ。ここは目に付きやすい」
「ああ。そういえば、敵はどうやって俺達に気付かれずに攻撃してきたんだ? いくら虫を探すために森を歩き回っていたとは言え、広大で視界の悪い森の中では見つかりにくいんじゃないか?」
「ん~、それが分かんねぇんだ。俺も警戒を怠ったつもりはねぇんだがな。索敵が得意な奴がいるのかもしれねぇ」
「そうだとすると、かなりまずくないか? 敵は用意周到に計画を立て、実行に移している。目的は分からないが厄介な相手ということだけは分かるぞ」
姿を見せず、躊躇なく邪魔者を消しにかかる一連の行動とチームを組んで各々の役割を確実に果たす。
Bランク任務ではあるが、それ以上に難易度が上がっている気がしてくる。
と、そこでシャワーを浴び終えたハルシアが戻って来た。
「シャワーありがとうございました。外で浴びるのも悪くないですね。クセになりそうです。それで、これからの予定は決まりましたか?」
髪をタオルで拭きながら会話に参加してきたハルシアを一目見て、俺の心臓はドクンと跳ねた。
濡れた黒髪と艶っぽい顔。ほんのり紅が差した唇はいつもと違い、妙に色っぽかった。
今はそんなこと考えている場合でないことは重々承知の上だが、異性としての魅力が迸り、本能が俺の理性を惑わせてくる。
「とりあえず場所を移すぞ。いつ襲われるか分かったもんじゃねぇからな」
熊八はハルシアの湯上りを目の当たりにしても特に変化がなく、通常運転だ。
やはり熊の獣人であるからメスの熊のほうが興奮するのだろうか?
まぁ、こんなこと口が裂けても聞けないが。
その後、手早く荷物を片付けたのちグリフォンを率いて再度、森の中へと進んでいく。
幸いそれ以降、襲撃もなく新たな拠点を築いたところで日暮れとなった。
これ以上の探索は難しくなるため本日の活動はここまでとし、明日に備える。
「そういえば熊八さん。議会が最初に送り出した先遣隊から何か報告はあったんですか? 私達より三日ほど先に森へと到着しているハズですが」
今夜の野宿となる辺りに荷物を置き、新たに得た情報をキャッツのクロに伝えたハルシアが熊八に尋ねる。
「いや、そういった話は聞いてねぇな。街での様子も何ら変わりはねぇようだし」
「そうですか。無事……ですよね?」
ハルシアの言わんとしていることが容易に理解できてしまうほど状況は緊迫している。
当初、確認されていたのは生き物を襲うという情報のみだったが、こうして自ら赴いてみると情報に齟齬があることが分かる。
いや、状況は刻一刻と変化しているのか。
何者かが一枚嚙んでいるおかげで本来ならばあり得ない変化を遂げた虫たちもまた被害者なのだ。
「無事なことを祈るほかねぇさ。俺達は俺達の仕事をこなそう」
先の見えない霧の中に佇んでいるかのような不透明な先行きのなか、二日目の夜が沈んでゆく。
♢ オルバートの森 山中 ♢
「ねーねー、おじさーん。あおおにのおじさんってばー。ちょっと、キいてるー?」
夜。
月明りが射し込む深い森の中、幼い少女の声が夏虫の求愛の鳴き声に混じりながら響いている。
幼女が声を掛けた先には巨木の麓に腰を下ろし、煩わしそうに顔を向ける一人の男の姿。
その外見は顎に無精髭が生えているものの、おじさんというには些か若く、青年と言われても不思議ではないが当の本人は肯定もしなければ否定もしない。
その表情は一日中、幼い子供の相手をして疲れた父親のような疲労の色が窺え、それでも相手をしなければならないことに相当参っているようだった。
「……今度は何だ? どうでもいいことなら報告しなくていいと言っただろ」
「どうでもいいことじゃないもん! せっかく、あたらしいオモチャをみつけたからオシえてあげたのに! おじさんのバカ! そんなふうにいうなら、あたち、ヒトリでイってくる!」
男は声にならない声で「やれやれ……」と呟くと深く溜息を吐き、重い腰を上げた。
「悪かったよ。どうでもいいことじゃない。で、今度はどれくらいだ?」
「ん~とね……。こんどはイッパイいるよ。ゴジュウニンくらいかな?」
「五十人。ようやく本隊のお出ましか」
顎髭をジョリジョリと撫でながら思案していた男は思考が纏まったのかニヤリとほくそ笑む。
その目はそれまでの気だるげな表情とは違い、静かな佇まいながら瞳の奥に闘志に満ちた燃える眼をしていた。
「ねぇねぇ! すぐコロしにイくよね!? イくよね!?」
きゃっきゃと笑い目を輝かせているが、発せられた言葉はなんとも物騒な物言いである。
「ああ、もちろんだ。……今度は俺も遊べそうだな」
「わーい! やったー! キャハハハ!」
ご機嫌で飛び跳ねている幼女は空に手を翳すとその先に赤紫色の魔力によって描かれた幾何学模様のサークルを作り出し、その中から大きな翼を二対もった黒く闇に染められたかのような巨大な蜥蜴を召喚する。
その姿はさながらドラゴンのようである。
背中に飛び乗った幼女は待ちきれないとばかりに男を急かし、乗り込んだことを確認すると勢いよく飛び立ち闇夜に消えていく。
二人が飛び去ったあとには、打ち捨てられた荷物と食い散らかした携帯食料の残骸が。
更には、もともとの荷物の持ち主であっただろう人物の横たわるいくつかの人影が残されていた。
もはや、この世を去逝してから数日は経過したであろう亡骸は無残にも四肢を引きちぎられ弄ばれたかのように沈黙している。
埋葬されることもなく、家族に看取られることもなく死んでいった者たちはある任務のため森に入っていた。
打ち捨てられた荷物のなかに一枚の薄汚れた羊皮紙が千切れながらも残されている。
そこにはこう書かれていた。
『 ミーティア議会所属 特派員 先遣隊 』