第102話 GGG調査チーム 二日目
♢ オルバートの森 入り口 新 ♢
オルバートの森への調査チームとして派遣された二日目。
俺達は目的地である森まで到着していた。
ハルシアの予想通り、現着した時刻は陽が真上に昇り残暑厳しい陽射しが容赦なく照り付ける正午であった。
「うっし、そんじゃあ始めるとするか」
グリフォンから降りて大きく背伸びをしている熊八は軽い柔軟体操を終えたのち、そう告げる。
初めて足を踏み入れたその森は全てが大きく、初めて見る生態系が備に観測でき海とはまた違う一面を覗かせる緑の世界が広がっていた。
見たことのない花。
見たことのない木。
見たことのない虫。
見たことのない動物。
少年のような冒険心を駆り立てられ、まるで異国にでも来たかのよう。いや、異世界か。
乗って来たグリフォンも地面を這う小さな虫を啄むようにして楽しそうである。
「さて、まず何から始める? そもそも目標の天玉甲蟲ってどの虫なんだ?」
目を凝らせば、そこらじゅう虫だらけなので一体どれがお目当ての虫なのか見当もつかない。
名前のイメージから蚕のような益虫を連想してしまうが、人の手が入っていない森に生息しているなら産業とは無関係なのだろう。
「アラタさんは土還しを見たことないんですね。どこにでもいる蟲ですよ。例えば、この倒木の陰とかにッ!」
そう言って、朽ちて倒れていた木を軽々と転がしているハルシア。
いくら折れて腐りかけていたとはいえ、普通の女の子が転がせる大きさではない。まぁ、俺の姉弟子は普通の女の子ではないが。
薄水色の魔力を纏ったハルシアにとって、この程度の重さは全く問題ない。
ゴロンと転がった木は湿った土の匂いを巻き上げると、圧し潰されていた地面が木の形の窪みを形成しており、そこから大小様々な虫が一斉に蠢き安全な場所に身を隠すために走っている。
「あれー? いないですねー? 絶対にいると思ったんですけど」
どうやらお目当ての虫はいなかったようで手を払うように汚れを落としている。
ちなみに今、気付いたがハルシアは女性にしては虫が平気なようだった。流石、先輩冒険者なだけはある。俺は苦手な部類だが……。
その後も虫が隠れていそうな場所を手当たり次第に探していくが肝心の目標の虫は一匹たりとも発見することが出来なかった。
「う~む。どうやら土還しの異常行動は随分、進行してるみてぇだな。これだけ探しても見つからないのは変だ」
探索を続けていた熊八もあり得ないと眉を顰めて考え込んでいる。
聞いた話によると、見た目は黒褐色の甲殻をしたダンゴ虫のような虫らしい。大きさもそれなりにあるようで、居たら必ず分かるとのこと。
しかし、そのような虫は一匹たりとも見つけることが出来ない。
異常を調べるにも調査対象の個体を発見できなければ何も進まないため、いきなり問題発生だ。
「場所を変えてみるか? たまたまこの辺りにいないだけかもしれないだろ?」
「う~む、本来土還しは一箇所に固まって群れで行動するような奴じゃねぇんだけどな……。もう少し深く入ってみるか」
そうして更なる調査のためグリフォンをこの場に残して森深くへと三人で進む。
道中、危険な獣やモンスターがいないのか聞いてみると“ イグ・ボア ”という猪がこの森の生態系の頂点らしい。
だが今は数が激減し【第肆種絶滅危惧種】に登録され、そう簡単には会えないとのことなのでほっと胸を撫で下ろした。
できれば遭遇しませんように……。
それから数時間ほど森の奥へと進み探索する。
足場の悪い獣道では歩くのも困難で視界を遮るように植物の葉が生い茂り、傾斜のキツイ斜面を歩く。
更に、ここ最近雨が降ったのか、ぬかるんだ泥の地面に足を取られて歩きづらく熱帯雨林のように蒸し、肌に纏わりつく湿気が容赦なく体力を奪っていく。
次第に息も荒くなってきたが、疲労の割にはそれほど遠くまで来ていないだろう。
魔力による筋力の向上と体力の上昇がなければすっかりバテていたはずだ。これも熊八に連日、連れ回された恩恵だった。
しかし、それでも狙っている天玉甲蟲は一向に姿を現さない。
「熊八さん、いくら何でも可笑しいです。異常行動が確認されているはずなのに、一匹たりとも個体を発見できないなんて……。これじゃあ、原因を調べることも出来ないですよ」
ハルシアも疲労が蓄積しているのか火照った頬と滝のような汗を滲ませながら困惑している。
「……マズイな。どうやら俺達が想定していた以上に事は動いてるみてぇだ。ハルシア、キャッツを呼び出してこのことをニコルに報告してくれ。それと、少し休憩だ。アラタは水の用意を頼む」
師匠の指示を聞き、行動を取る。
俺はなるべく平らな場所を選んで流し台と製氷機の入った宝箱を呼び出し、専用の鍵を使って箱を開ける。
「ギフト・オープン」
眩い光を霧散させながら姿を現した流し台と製氷機はべちゃっと、ぬかるんだ地面に着地し固定する。
順番に喉を潤し水筒に水を補給して、ついでに汗ばんだ顔も洗う。
冷たく澄んだ水で洗顔したおかげで随分涼しくなり、熱を帯びた体がスーっと鎮まり気分も落ち着いてきた。水分補給をしながら座りやすい木の根元に腰を下ろし、小休止する。
やっぱり屋外でこそ俺の能力は真価を発揮するな。
文明の利器、最高!
ハルシアはというと、黒猫のクロを召喚しておりこれまでの事情を事細かに説明していた。
「わかったにゃ、御主人様! 必ず伝えるからご心配にゃく。街はいつも通りで何もないにゃ。それにしても、ここは暑いにゃ~。オーナーもアラタさんも身体に気を付けてにゃ~」
クロは暑さに弱いのか小さなピンク色の舌を出して息をし、見るからに辛そうだった。
まぁ、黒猫なら太陽光によって熱が籠るせいか致し方ないだろうが。
手短に要件を伝えた後は、街の自宅へと返還し調査チームの第一報を無事に届ける。
「これからどうする? まだ陽は高いけど帰ることも考えたらあまり遠くへは行けないぞ。グリフォンも待ってることだし」
体力的に、まだまだ余力は残してはいるが安全を考えるならば明るいうちに拠点に戻っておきたい。
無理に探索を続けるよりも一度、態勢を立て直して明日に備えるのも手だ。
けれど、時間も限られてもいる。
全ての決定権は熊八に委ねられた。
「もう少し探索を続けたあと引き返す。例え手掛かりを見つけたとしても日没前に拠点に戻るぞ」
「ああ」
と、その時だった。
突如、異変を察知した熊八が瞬時に能力を発動させ凄まじいスピードで飛んできた何かを右腕を振り抜き弾いた。
バシャッッ
「ッ!? なんだっ!?」
「大丈夫ですか!? 熊八さん!」
突然の出来事に状況が飲み込めなかったが、熊八に後れを取りながらも慌てて魔力を纏い身構える。
飛んできた何かを弾いた熊八の右腕に怪我はなさそうであったが、まるで水を被ったかのようにすぶ濡れになっており纏まった毛先から水滴が滴っている。
弾いた衝撃により近くにいた俺とハルシアまでも飛び散った水滴が全身に付着し痛みや異変はなかったものの“ 何かをされた ”という思いは拭えない。
「大丈夫だ、何ともねぇ。だが、気を付けろ。先手を打たれちまった」
熊八が弾いたものはどうやら水風船のようなものだったらしく、衝撃を加えると予め破裂するよう仕組まれていたようだ。
中に何が入っていたのか? どのような効果があるのか? 依然として分からないが俺たちは何者かから攻撃を受けてしまった。
「すまねぇ。対処を誤ったせいで、お前さんたちまで被っちまった」
「何言ってんだ! 俺なんか飛んできたことさえ気付けもしなかった!」
「そうですよ! これが何にせよ、フザけた真似をした相手をとっ捕まえて袋叩きにしてやりましょう!」
姉弟子のハルシアがなかなかに物騒なことを言っているが、同意見だ。
すると、僅かに付着した水滴からほのかに甘い香りが漂ってくる。
「この匂い……、何だったか……?」
匂いが気になりながらも水風船が飛んできた方角に注意を向け、森の茂みに遮られた視界の奥に目を凝らす。
すると、森の向こう側から大木をなぎ倒し、バキバキとへし折る音を響かせながら地響きが起き始めた。
確実に俺たちのいるところへ向かってきていたそれは、視界を遮っていた最後の木をへし折ると、いよいよ姿を現した。
それは……、
──黒褐色の光沢のある外甲殻。
──頭から生えた二本の触覚。
──腹部から覗く無数の手脚。
初めて目にした個体であったが瞬時に理解する。
紛れもなく探していた目標、<天玉甲蟲>であった。
だが、異様なのはその大きさ。
話に聞いていた大きさは直径三十cmほどであり、大きい個体でも一mが関の山であったはず。
しかし、目の前に現れた虫はゆうに直径十mは越している。
まるで電車の一車両が猛スピードで突進してくるかのような圧迫感。
それも一個体だけでなく何体もの虫が木をへし折りながら眼前へと迫ってきていた。
「う、うわぁぁああぁぁーーーー!!」
そのあまりの速さから、もはや全力で走っても到底逃げられそうにない。
直線上から逸れようにも、後ろを追随してくるいくつもの群れが逃げ道がないことを突き付けてくる。
ぶつかるっ! と身を強張らせた直前。
バチッッ
と音をたて、身体が持ち上がる浮遊感を感じた。
虫とぶつかる恐怖からギュッと目をつぶってしまっていたが、恐る恐る目を開くと眼下に鬱蒼と生い茂る深い樹海が目に入る。
「このまま離脱するぞ!」
頭上から熊八の声が聞こえ、全てを理解した。
どうやら右腕で抱えられるように持ち上げられ、常人ならざる脚力とスピードで森の樹木を突き抜けるほどの高さまで飛び上がっていたようだ。
俺の反対側には左手で抱えられているハルシアの姿もある。
ようやく状況を把握してくると、『ヴヴヴ』という、蜂が耳元で飛んでいるかのような羽音に近い音を鳴らしている熊八の姿を捉え、その能力によって九死に一生を得たようだった。
森には天玉甲蟲が通った後がハッキリと分かるほどの道標ができている。
不自然なのは、遠くから続いていた一本道ではなく俺たちのすぐ目の前から突如、湧き出てきたかのように木々が倒れている光景だ。
「考えるのは後だ! 今は引くぞ!」
熊八に抱えられながら身を任せ、木を足場にして風のように拠点へと引き返す。
ふと、振り返るとあれだけ地響きを鳴らしていたはずの音や木々の揺れはピタリと収まっていた。