プロローグ―絶望の始まりについて―
この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などは一切関係ありません。
子供のころは、どんな願いでも叶うと思っていた。
家族がいて、楽しく笑って過ごすそんな日々を。
「親友」とは大人になってもずっと一緒にいる日々を。
そんな毎日を。そんな日常を。
それは当たり前だと思った。
それは本当に、当たり前だと思っていた。
「ねぇ、理人」
「…………」
「ねぇ、聞いてるの理人ってば」
「うん?」
「あのね、私たちさ……」
「…………」
「大人になっても……その私たちって、ここから出ても、ずっと一緒にいられるかな……?」
薄暗く手入れがされていないコンクリートの一室。そこにはオレンジ色の電気が天井に埋まっていて、弱々しく光を放っている。部屋に備え付けてあるのは簡易式の鉄製のベットとトイレだけ。
一言で表すならテレビで見かけるような独房だった。
隣にいる赤いリボンを頭に結んだ少女が不安げにそう尋ねてきた。
彼女はあまりにも近すぎて、その息づかいが伝わってくる。僕は彼女の声が好きで。彼女の鼓動が好きで。彼女の優しさが好きで彼女のすべてが好きだった。
だけど僕は、彼女の顔を見ずに答える。
「……出来るわけないよ」
「どうして?」
彼女の声は少し、震えている。
この会話はいつも、寝る間際にいつも繰り返されている。だけど、僕が言う言葉は同じだ。
「わかるだろう?」
「この、状況のせい?」
「……そうだよ、ここで俺たちは生き残る為に名前も知らない人間を殺し続けた。普通の生活のように生きれるわけがない、だから……」
「でも、でもそんなの関係……」
「あるよ」
と、僕は遮るように言った。
すると彼女は静かになった。いや、泣いているのかもしれない。
彼女も、理解しているから。本当は、痛いほど理解しているから。だから、彼女の息づかいが少し乱れ、僕の手を強く、強く握っている。そして、彼女の反対側の手はスカートの裾をつかんでいた。これは、彼女が怒っている時にする仕草だ。
その時、遠くで声が響き始めた。
「もうすぐて全てが決まるのだ!」
「だが、あの二匹は殺し合えるのか?」
「出来なければ両方処分すればいいですわ、手駒になれる道具はいくらでも補充できるのだから……」
そして、電子音と共に三人の大人が入ってきた。
僕は、怒りのこもった顔を上げる。
「お迎えだ」
透き通った橙色の髪をしている少女に、そう告げた。
少女はやはり、泣いていた。目にいっぱいの涙を溜めながら、泣いていた。
なのに、僕の手は今までより強く握ったままで、
「私……理人と離れたくないよ」
「……早く離れろ」
「私……、私……」
しかし、そこで少女の声は聞こえなくなった。でもそれは、少女が声を出すのをやめたからじゃない。
少女が、殴られたのだ。
大人が、渾身の力で殴り始める。まるで生命を蔑ろにするように殴り始めた。
「やめろぉおおおおおお」
そう叫ぶが、大人たちには届かない。
「立場がわからないクソガキが!」
「ここまで生き残っていなければ、殺しているところだ! わかっているのか!」
「おい、検体六号。さっさとこっちに来なさい」
そう言って殴られ続ける。
殴られながら、僕は泣きじゃくっている少女を見ていた。いや、見ることしか出来ない。大人の力に子供の自分が勝てるはずがない。それでも検体六号は力いっぱい足掻く。意味がないとわかりながら、足掻く。
優姫という名の、優しい少女を。
灰宮家という弱い獣から生まれた僕にとっての、太陽をー―護る為に。
「やめろ! これ以上しないでくれ! お願いだから……」
そこで、少女が強く殴られ、地面に倒れていく。
優姫の口から、血を吐いているのが見えた。
見えているのに、近づくことさえできない。たった、たった一人の大人に押さえつける自分。
子供のころは、どんな願いでも叶うと思っていた。
家族がいて、楽しく笑って過ごすそんな日々を。
「親友」とは大人になってもずっと一緒にいる日々を。
そんな毎日を。そんな日常を。
それは当たり前だと思ったのに。
それは本当に、当たり前だと思っていたのに。
薄暗く手入れがされていないコンクリートの一室で彼女と同じ色の光が、弱々しく世界に広がる世界。そこは絶望の色そのものだった。
『……力が』
と、僕は少女から離されながら思う。
拳を強く握り、
『……全ての願いを叶えるにはあまりにも手に入れるだけの力が、……とても足りない』
顔を、ゆっくりと上げる。
すると、彼女は泣きながら、こちらを見ている。
そして一言、ごめんなさいと言っているようだった。
私のせいでごめんなさい。
彼女は何も悪くないのに、
悪いのは、力のない、弱い獣として生まれてしまった、僕なのに、
「…………」
僕はそれを見つめ、手を伸ばした。
それは光に向けて、
優しい心に向けて、
優姫に向けて、
この日より前から、灰宮理人は自分がいかに無力な存在なのかを嫌になるほど教え続けられた。
だから、もう二度と大切なものを絶対に失わないためにはどうしたらいいかを。
何度も、何度も、考えた……。
身体中の血が沸騰しているかの如く思考を回し続ける。
そして、一つの結論にたどり着いた。