陰ながら
私が派遣されてやって来たのは、丘の上にある屋敷の敷地内にオマケのように建っている小さな稲荷神社だった。
私は楓。
稲荷連合組合から、ここの稲荷神社に派遣するよう命じられて以来、ずっとここにいる。
個人の屋敷の敷地内にあるから、やって来るのは主人や使用人達だけ。
何やら商売をしているらしく、商売繁盛を祈っていく。
私はその願いを上に届ける。
そうして長い間、過ごしてきた。
ある年の冬。
遠く離れた地にある、神社の神主を名乗る男がやってきた。カイドウという、私に近いモノだ。その男の土産である酒を飲み交わしながら、色んな話をした。
「近い内に、ここの屋敷で珍事が起こる。赤子が生まれるんだが、それがちっと普通じゃない。俺達に近しい人の子だ。多分、ここの主人からは疎まれる存在になる。そこで、頼みがある。お前さんが陰ながら守ってやってくれ」
別れ際に放った言葉は、彼らしくない真摯な態度と共に私の心に深く深く残った。
はたして、その冬にその子は生まれた。
冬らしからぬ、満開の桜と共に。
密かに易者が呼ばれたようだ。
確かにチカラはあったようだが…「忌み子」などと告知したのが許されない。
私の見立てはその逆だというのに。
その子が身の回りの事を自分で出来るようになると、巫女のような服装をさせられて私の元にやってくるようになった。
カイドウ言った通り、子どもは私たちにほど近い位置にいる人だった。
私に向かって屈託のない笑顔を見せては、色んな話をしていく。
「今日は母さんに会ったんだ」
「楓は他の所には行かないの?」
でも、時々無表情な顔をして何も話さない事がある。
そんな時はいつも彼の祖父から巫女紛いの事をさせられて、良くないモノを内に潜ませて浄化させた後だ。
子どもは「闇喰らい」だった。
闇を纏うモノを文字通り「喰って」体内に取り込み、それを浄化する。
それの代償は己の精神の一部だ。命、と言っても過言ではない。
そんな時、私は子どもの着ている小袖の袂に楓の葉を入れてやった。
稲荷神社の傍に植えてある楓は、そのままでも多少なりご利益があるが、私はそれに加えて私のチカラを込めておく。
微力ながらも子どもを守ってくれる。
早く笑えるように。
早く澱みがとれてくれるように。
そう願う。
でも…大惨事は免れなかった。
今までの比ではない、悪しいモノが屋敷に運び込まれてしまった。
子どもは全ての記憶を引き換えにして、それを浄化させた。
悪しいモノの余波が彼の祖父を狂わせた。
私は稲荷神社に一度派遣されると、容易には離れられない。
稲荷連合組合からカイドウに連絡してもらい、此の度の惨劇を伝える。
私にはこんな事しか出来ない。それが堪らなく悔しい。
ああ、子どもが早く元気になって、また私と笑える日が来て欲しい。
その後、屋敷は人手に渡り、丘はそのまま放置された。
人の来ない、忘れられた稲荷神社などはもう要らないだろうと、稲荷神社は取り壊され、私は稲荷の国に戻った。
子どもに会ったのは、子どもが十を超えた頃。
子どもは私の事を忘れていたけれど、あの屈託のない笑顔を見せてくれた。
それで…私はとても嬉しかったのに、何故だか景色が歪んで堪らなくなってしまった。