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チュンチュン…
「ん、あさ…」
射し込む朝日に顔を顰めながら菜美の意識は浮上した。
「あれ…?」
ぼんやりとした意識ながらも菜美が捉えたのは見たことのない天井だった。
菜美の家は一般の中流家庭のごく一般的な一戸建ての家だった。
父の稼ぎはそんなもので収まるものではなかったが、母はそれ以上の家を良しとはしなかった。
決してこんな真っ白で綺麗な天井ではない。
するり、とすべった手のひらには上質な質感を伝えるシーツが広がっている。
確かにベッドに横たわった記憶はあるが、それは決してこんなキングサイズのベッドではない。
そして慌てて自身の格好を見てみれば、それは昨日風呂あがりに着替えた馴染みのパジャマだった。
右手が自然と自分の右頬を掴んだ。
「いひゃい…」
夢ではないらしい。
ガチャリ
遠く見える大きな扉が開き、古風なエプロンドレスを纏った女性が姿を現し、優雅に一例する。
「おはようございます」
栗毛に緑の瞳のその人の発した言葉の意味がするり、と頭で理解できた。
「お、おはよう…ございます」
挨拶は大事だと母にしっかりと仕込まれてきたが、しかしこれは挨拶の前に聞くべきことがあるのではなかろうか。
女性はにっこりと笑う。
「では、申し訳ございませんが、早速お着替えを」
その言葉を合図にしずしずと入ってきたエプロンドレスの女性達。
全く現状を理解できないまま、菜美はあれよあれよという間に磨かれ、本やテレビでしか見たことのないドレスへと着替えさせられ、ようやく我に返った時にはそれこそN◯Kでたまに見るような大広間に立たされていた。
「女か…」
周りからはザワザワと不穏なざわめきと共に冷たい視線が突き刺さる。
「静粛に」
厳かな声にざわめきがピタリと止む。
前方を見やれば整えられた髭に王冠をかぶった男が玉座に座り、彼女よりも高い位置から感情のない青い瞳でもって見下ろしている。
何もかも現実からかけ離れていた。
だから王様を絵に描いたような男の厳かな台詞を菜美は全く理解できなかった。
「よく来た。勇者よ」
「へ…?」
「そなたは勇者として選ばれここに居る」
光栄に思え
そんな尊大な言葉の裏に貼り付けられた意味にじわり、と反発心が湧き上がる。
「我はエクセアル国国王である。勇者よ、名は何と言う?」
全く知らない国の名前だった。
『いいかい、ナミ。知らない人から名前を聞かれても、決してバカ正直に答えてはいけないよ。相手が知らない国の王様なら特にね』
父のおとぎ話に夢中になれるくらい幼い時分の言葉をふいに思い出す。
『お父さんにそんな事を言われたの?もし知らない国に連れて行かれて、王様に名前を聞かれたら?素直に答えてあげるといいわ。だって、嘘をついてもすぐバレるもの。人間正直が一番よ』
何故、今そんな事を思い出したのだろう。
「桐島 菜美です」
ざわり
辺りがざわめき、国王の顔が強張った。
「せ、静粛に」
国王の声に波が引くように静けさを取り戻す。
「そなたの所縁に…いや、そんな筈はない…第一、戻って来れる筈がないのだ…」
ひとしきりの独り言の後に国王は一つ咳払いの後に口を開いた。
「そなたには、先代の勇者の成し得なかった、魔族の殲滅をエクセアル国国王の元、命じる」
おおっ!!
周囲から感嘆の声が上がり、菜美は呆気に取られた。
「ちょっと、王様!!」
話はここまでとばかりに玉座から立ち上がった国王に、菜美は慌てて声をかけた。
「貴様!無礼であるぞ!!」
側に控えていた兵が菜美に槍を突きつけ、反対側の兵が同じく槍でその背中を押さえつけた。
「魔導師長よ」
「御意」
国王の声に別のくぐもった声が答えた。
瞬間
菜美を中心に幾何学模様の光が浮かび上がり、模様は解け蔦のように四肢に絡みつき、ちりりと痛みを残すとふわり、宙に溶け消えた。
「な…に…今の…?」
「たった今、そなたの名を以ってその身を縛った。これでそなたは儂と国王に逆らうことができなくなる」
ゆらり、と黒いローブを目深に被った老人が進み出た。
「作法すら知らぬ野蛮で無礼な小娘には十分過ぎる温情よ」
老人が嘲る姿を菜美は呆然と見つめる事しかできなかった。
じわじわと言葉の意味が頭に浸透するにつれ、奥ぞこからフツフツと怒りが湧き上がる。
言い返そうと口を開いた瞬間、麻布を無理矢理引き裂いたような悲鳴が響き渡ったかと思うと、先程までの威厳を何処かにかなぐり捨てたらしい国王が菜美の隣に転がりこんできた。
「何事か!?」
カツー……ン…
響き渡ったのはヒールの靴音。
それにローブの老人の身体が強張るのがわかった。
カツー……ン…
「ひぃいい!!!!」
顔色をなくした国王が再び悲鳴を上げた。
「ちょっと」
突然聞こえた女の声に菜美は顔を上げ、ぽかん、と口を開けた。
「無作法で野蛮で無礼なのはどちらかしら?国王サマ?」
その女は菜美の良く知ったものであり、この場にはとてつもなく不似合いな姿。
意思の強い瞳、腰まで届いた髪はさらりと流し、控え目ながらもメリハリの付いた肢体を黒いタイトなスーツに身を包み、右手にはハンドバッグを持った女は薄化粧にもかかわらず、紅い唇に艶然とした笑みを浮かべて立っていた。
菜美は現状すらも忘れて呆然と呟いた。
「お母さん…」




