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菜美は自分の容姿が嫌いだった。
不細工ではない。
顔のパーツや配置具合は悪くないと思うのだ。
菜美は母親が嫌いだった。
華やかなオーラを纏う父に対して母はこれでもかと言う程地味だった。
そんな両親の馴れ初めを聞けば、父の猛アタックに母が白旗を上げたのだとか。
一体母のどこが良かったのか?と訊ねれば、「彼女の全てが僕を魅了して止まなかったんだよ」
と、これまた、町内の女と付く生き物全てを魅了して止まない笑顔で答えられた。
最初こそ納得行かなかったものの、人は自分にないモノを他者に求める事から、極端に派手な父は極端に地味な母にそれを求めたのだろうと無理やり納得した。
そんな二人の子供なんだから、間を取ってちょうどいい塩梅に生まれたかった娘としては、己の容姿にはこれでもかと言うくらい不満を抱いた。
即ち、母の遺伝子を色濃く受け継いだ彼女は母には劣るものの、地味だった。
母よりマシだったのは、父の遺伝子による処が大きいだろう。
父には負けるものの、母も地味ながらも容姿は悪くはない。しかし、不自然な程の地味なオーラが母の美点を覆い隠しているのだ。
授業参観の折、友人に「あんたのお母さん、来なかったの?」と言われ、「ちゃんと来てたよ」とその時の容姿を説明すれば、「ごめん、居たのは理解したけど、地味だったって事以外覚えてないわ」と苦笑いで返された。
次いで、「さすがあんたのお母さんだわ」と褒められているのか貶されているのか、分かりづらい評価もいただいた。
兎に角、菜美はそんな母が嫌いだった。
世界的な手品師で、月の半分しか家に居ない父に菜美はべったりだが、残りの月の半分は母と二人だけになると会話らしい会話はない。
何かと菜美を気にかける母に対して、菜美自身、それがひどく鬱陶しく感じてしまう為、一方的に会話を打ち切る事は茶飯事だった。
その気配に気付き、眉を顰める父に対し、母は「反抗期なのよ」と父にそっと耳打ちするのを菜美は苛立ち半分で聞こえないフリをしていた。
「昔はあんなにお母さんにべったりだったのに」
という父に対し、
「昔は昔でしょ!」
と思わず声を荒げ、背を向けた菜美は興味本位とどこか冷めた瞳を向ける父には気づかなかった。
部屋に戻り、ベッドにダイブした菜美は枕に顔を埋めた。
確かに幼い頃は物の道理には煩いが、優しい母が大好きだった。
その頃の父の記憶が曖昧なのは、恐らく母がその時の自分にとって、大きな位置を占めていたからだと思う。
地味だとか、そんな事は全くどうでも良かったのだ。
そんな大好きだった母と、幼い頃盛大に喧嘩した。
今思い返せば一方的な癇癪だったようにも思う。
原因は些細なことだったので思い出せないが。
兎に角それが切っ掛けで母との間に徐々に自分が溝を築いていったのだと思う。
母の態度は昔と全く変わらない。
こちらが無視しようと、そっけなく返そうと母は傷付いた風でも怒るでもない。
(怒ると言えば…)
ふと、幼い日のある一場面が思い出される。
まだまだ小さな菜美は珍しく父の膝に乗せられ、キラキラしい父と向かい合わせに座らされていた。
何らかの訳のわからない前置きの後に父はどこか怖い笑顔を浮かべて言った。
『いいかい、ナミ』
菜美ではなくナミ、と父は呼ぶ。
『お母さんを困らせても笑わせてもいいけど、絶対に怒らせてはいけないよ。この国がなくなってしまうからね』
菜美は父の発した内容よりも迫力に負けて何度も頷いた。
そして生じた疑問が口をついて出た。
「もし、なみがお母さんを泣かしたらどうなるの?」
「うん、そしたらお父さんが怒るかな」
ははは、と爽やかな笑いで父は締めた。
それだけ母は父に愛されている。
けれど、父の言うところの「照れ屋な母」は娘を産んでなお続く父の熱烈な愛のアピールを受け取るでもなく、いなし続けている。
「なんでお父さんがお母さんの事好きなのか、わかんない…」
枕に顔を埋めたまま、菜美は深い眠りに落ちた。
*
「ナミ」
「…あい」
父の膝の上で菜美は小さく震え上がり、俯いたまま返事をした。
もうすぐ4歳になろうという娘は父に一向に懐く気配すら見せなかった。
そんな娘に父は苦笑する。
「お母さんの昔の話を聞きたくないかい?」
小さな身体がわかりやすいくらい反応した。
「お母しゃんの?」
恐る恐るだが、ようやくこちらと目を合わせてくれた娘に父は機嫌を良くしたようだった。
「お母さんはね、昔はモテモテだったんだよ」
「もてもて!?」
娘の瞳がキラキラと輝く。
「そう、プリンスにナイトに国一番のマジシャン、そして、世界一のマジシャン」
「お母しゃん、モテモテ!!」
娘はきゃっきゃと無邪気に喜んだ。
「ナミはモテモテのお母さんと世界一のマジシャンの子供なんだよ」
恐らくは周囲に比喩的表現で呼ばれる人達がいたのだろう。
菜美の通う学校にも本人達は真っ向否定しているが、プリンスやナイトと呼ばれるイケメン達がいる。
が、それらを知ったいまだから言える。
「ないわー」と。
顔もろくに覚えてもらえない地味な母が、ラノベや乙女ゲーでもあるまいに、逆ハーレム構築とかありえない。
父の法螺噺は母の容赦ない一撃で沈むまで続いた。
父が倒れたあと、母は口元に人差し指を立てて、「ひみつね」と茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
その微笑みに胸をドキドキさせながら幼い菜美はこくこくと何度も頷いた。
それを幼い娘の前で否定しなかった母はきっと、父と人見知りする娘の仲が良くなる切っ掛けであればと思って放置したに違いない。
でなければ、ファンタジーのファの字すら真っ向否定し、逆ハーレムすら鼻で笑う母が笑うだけで留めるなどない事だったから。