人暦2180年
幼子リュッセルとの旅は、"彼女"の孤独を徐々に癒してはいた。しかし、"彼女"のあてのない旅は続いていた。
竜や亜竜の襲撃の話は何処からも聞こえ、人の世は国家と言う器を失い混沌と化しており、安住すべき地を見付けるのは困難だった。ましてや、"黒き民"――黒き森に棲む蛮族――らしき女性と、亜人の血を引く幼子の二人連れを暖かく迎え入れる所なぞ見付かりはしなかった。
そんな旅ではあったが、その間"彼女"は、リュッセルに一度も本来の姿を見せてはいなかった。その様な中で、その事件は起こった。
その日の二人は、泊まる宿もなく郊外に立つ木の傍らで野宿をしようと、その準備をしていた。
火を起こし、食事の用意を始めようとした"彼女"達は、突如として現れた何者かによって囲まれた。焚火の明かりによって映し出されたその姿は、竜人族のそれであった。その瞳は、血に飢えた獣の如き色合いを帯びている様に感じられた。
"彼女"は咄嗟にリュッセルを木の傍に導き、庇うように立って有鱗の者達と対峙した。
「何者です!? ……私達に何用があるのですか!」
"彼女"の放った言葉に、"彼女"達を囲んだ竜人族の者達は一瞬怯んだ様子を見せた。しかし、気を取り直した彼等は、何処か開き直るような声色で"彼女"の問いかけに答えを返した。
「見て分かるだろう……俺達は竜人族だ。貴様等を殺して喰らうつもりなのさ……」
顔に禍々しい色合いを浮かばせ、そう答える竜人族の言葉に、"彼女"の内心で何かが切れた。
「…………それが……それが、神竜に仕える者のすることかっ!!!!」
"彼女"の裂帛の叫びを聞き、その怒りは竜人族の者達へと伝播する。
「汚らわしい人間の分際で、そんなことを口にするか!」
「……公竜や竜戦士の方々が出来ぬことを、我等はやっているだけだ!」
「だいたい、人間等はこの世界から滅ぼし尽くせばよい歪みでしかないのだからな!」
口々に罵りの言葉に、彼等が"暴竜"と化した竜人であることが察せられた。そして、その言葉は、"彼女"の怒りを激しく燃え上がらせることとなった。
「貴様等こそ……滅び去るが良い!!」
そう叫んで竜人族に跳びかかった"彼女"は、角と翼を手折られた黒鱗の半竜の姿に変じていた。
闘いはあっけなく終了した。
手負いのままとは言え、竜の匹敵する力量と認められた竜戦士にして、竜の血を色濃く受け継ぐ半竜の"彼女"に、数を頼んだとは言え、一介の竜人では相手にはならなかった。
地を裂き押し潰し、心を闇で蝕む……爪で切り裂き、牙で噛み砕き、尾で打ち倒す……黒鱗の神竜魔法と竜闘術を振るう"彼女"によって、十人に満たなかった竜人族の者達は瞬殺と呼んで差し支えない状況で討ち滅ばされていた。
怒りに身を任せて力を振るっていた"彼女"は、怒りの火が消えて行くにつれ、周囲の状況が視界に収められて行く。容赦なく引き裂かれた竜人達の骸と、その血を浴びた"彼女"の身体…………そして、それを怯えた瞳で見詰める一人の幼子の姿を……
「…………リュッセル……」
「…………」
我に返った"彼女"は恐る恐る幼子を呼びかけた。その声に、リュッセルは一瞬身に緊張を走らせたが、逃げ去る素振りは見せなかった。「……正体を隠していてご免なさい……あなたとは、もうお別れした方が良いのかも……」
そう囁いた"彼女"の元に、リュッセルは駆け寄った。そして、彼女の腕に抱き付く。
「……リュッセル!? …………」
泣きながら、血に塗れた漆黒の鱗に覆われた腕を掻き抱くリュッセルを見下ろし、"彼女"は空いた手で幼子の頭をただ黙って撫でたのだった。
それ以後、リュッセルは"彼女"のことを、「黒い母様」或いは「黒鱗の母様」と呼ぶようになった。
無自覚に“暴竜”した者達との遭遇戦となった話……
まぁ、“暴竜化”ってのは大抵無自覚にそうなるものなのでしょうけど……