人暦2157年
そこは西方大陸の東部に拡がる森林地帯――"黒き森"――そのほぼ中央に位置する場所であった。そこは、この森の主と称される二柱の存在の一柱――"黒竜王"ノルザリーンの鎮座します地だ。
"彼女"の眼前には、巨大な……そう形容しても不足に思える、生ける山岳の如き漆黒の巨竜が座している……この方こそが、"黒竜王"ノルザリーンである。
"彼女"は、この漆黒の竜王の元へ進み出た。竜王の傍らには、漆黒の衣を纏った二つの人影が待っていた。両者は黒髪の人間に似た姿をしながら、その頭部からは六対の漆黒の角が伸びている。一人は暗い肌の逞しい体躯の青年であり、もう一人は端正な女性の姿をしていた。
"彼女"は、この二人の正体を知っていた。彼等の正体……その青年を"深闇公"――"いと深き暗闇の公爵"、そして女性を"麗夕姫"――"麗しき夕闇の姫"と称される存在……それは即ち、黒鱗の最高位の公竜である。
"彼女"は、自らの崇める三柱の神々を前にして、粛々として跪き、頭を垂れた。
拝跪する"彼女"は人間ではない。"彼女"は、人間に似た体躯を持ちながら、漆黒の鱗に覆われ、長くしなやかな尻尾に、竜に似た顔をしている。そう……"彼女"は竜人族、それも黒鱗の者と呼ばれる種族の女性だ。
そして、"彼女"はただの竜人ではない。その頭部から伸びる角は一対ではなく二対四本であり、その背には竜の皮翼を持っている。それは、"彼女"が半竜である証であった。 半竜とは、竜人族の中でも、特に竜の血を色濃く示して生まれた者をさす称である。有翼で、並みの竜人族に比して生命力・膂力・魔力は遥かに優れし者達・・・竜人族の上位種とも呼べる存在である。
拝跪する"彼女"に向け、女性の声で言葉がかけられる。
「……面を上げなさい。」
面を上げた"彼女"は、眼前に人の姿をした三柱の存在を見ることとなった。
それは、眼前に立つ存在の顔ぶれが変わった訳ではない……一柱の神がその姿を変えたのだ。即ち、二柱の公竜の背後に座していた黒竜王が、その姿を人型へと変じたのだ。
その姿は、"麗夕姫"と共通した黒髪・黒衣の女性の姿をしていたが、その身からは絶対的な威厳と大いなる慈愛の気を漂わせていた。それは、この世界に満ちる闇と大地に関わる力を司り、黒鱗の竜族全てを統べる存在たるに相応しいものと言えた。
その威に打たれた"彼女"は、面を上げたままの状態で硬直していた。そんな彼女に厳かなる声がかけられる。
「……、……」
その言葉が"彼女"の名を呼ぶ声だと気付くのに、暫しの時が要した。それに気付いた"彼女"は、慌てて再び頭を垂れる。そして、"彼女"に向けて厳かなる言葉が続く。
「其方の力量を認め、我が竜戦士に叙し、"優しき影闇の戦士"の号を与えよう。」
「……ありがたく……お受け致します。」
頭を深く垂れて拝跪した"彼女"は、恭しく返礼の言葉を紡いだ。頭を垂れた彼女に向け、優しき別の女声がかけられた。
「……貴女の力が正しく振るわれますように……」
「そうだな……近いうちに、力を振るうことになるであろうしな……」
「……!?」
「……兄上……」
女声の後に続いた男声の不機嫌さを聞き、"彼女"は驚きに顔を上げた。見上げた"彼女"の目は、黒竜王の前に立っていた公竜の男女が諍う様子を映していた。
「……お前も知っておろう! 人間の奴等、我等が森の北端を切り崩し、混沌魔力の炉を建ておったこと・・・混沌魔力は、この世界を蝕む。それを奴等は分かっておらぬのだ! この地が母上の膝元だからこそ、大事に至ってないと言うことを……」
「兄上……何もこの様な席で話さずとも……」
「…………そうかしれんな……」
「…………」
憮然として口を閉ざした漆黒の公竜の言葉が、"彼女"の耳に離れずにいた。