そのろく
「おかあさん、来週から部活で遅くなるから。後、朝も早いからよろしくね」
「決めたのか?部活」
仕事で遅い父を除いての夕食時。珍しく早く帰ってきた兄と帰りの電車で一緒になった慎兄が揃っている中、義母に声を掛けると、返ってきた兄の声に、思わずそっちを睨みつけた。
「そう、サッカー部のマネージャー」
「へぇ」
「…ちょっと待て桐子、サッカー部って古賀がいるところか?」
ふいに慎兄が顔を上げて、私に聞いてきた。
「そう、慎兄古賀君知ってるの?」
慎兄に晩御飯――カレーライス――を差し出すと、大きな溜息を吐かれてしまった。なんだ、そのわざとらしい仕草は。
「知っているも何も…同じ学校に来ている奴に、泣きつきに来た後輩が居た」
「…情け無い」
呟いた私に、慎兄が再び溜息を吐く。まぁ、慎兄の行った高校を考えると、わかる気がするけどね。
「ちょっと待て、話が見えん」
「待ちなさい匠。慎司くんも桐子ちゃんも」
弟用に別に作った甘口カレーとともにやってきた義母がにっこり笑顔を作る。
「とりあえず、ご飯にしましょう」
笑顔一つ(少々怖かったけど)で周囲を黙らせるとは。やっぱり、ご尊敬申し上げます、義母上。
「一年と三年が喧嘩?」
「そして、勝者が一年…古賀が率いるグループだ」
二年前に建て直した我が家は、二階に私と兄の部屋、そしていずれは弟の部屋と物置がある。「向こう」の家の建て直しは、私が中学のときだったから、ここも時期がずれているなぁ、とそのときは思った。まぁ、内装や部屋の配置も、実母と義母の趣味の違いがあちこちで現れているけどね。
で、何故か兄の部屋ではなく私の部屋で三人集まっていた。
「言っておくけど、仕掛けてきたのは先輩たちだからね。お兄ちゃんたちが卒業して押さえがなくなったから矛先が後輩に向かってきたんだもん」
そのくせ、兄貴たちがいればとか、なんとか笑っちゃうけど。
「そんなに悪くなっているのか?」
「まぁな、お前の所の高校よりうちの高校のほうが情報は入ってくるからな。特にそういう話は」
兄貴は近隣でも有名な進学校に進んだけど、慎兄は別の目的があって違う高校に進んだ。中学の先生たちは、別の高校に行って大学でその勉強をすればいいって説得したんだけど、決して首を縦に振らなかったらしい。
正直レベルはそんなに高くない高校だけど、専門課程でこの辺りでは一番いい環境と設備を有している。
でも、割と「不良」と呼ばれる人たちが多いのも確かだ。慎兄はそっち方面でも有名なので心配はしていないけれど、過去のトラウマがうずいたのは確かだ。…とはいえ、あの「世界」の慎兄は、色々な事情で進学を止めていたから、当然色々な意味で「ズレ」は生じている。
「入学したばかりの新一年生に絡んで、カツアゲしようとしたのよね。そこに丁度古賀くんたちが居合わせたってわけ」
「カツアゲの話は聞かなかったな。ま、上の学年からの情報なら自分たちに都合の悪い話はしてこないだろうけどな」
「言っておくけど『裏』はとってあるからね」
実はその場には、古賀君のグループ以外にも目撃者はいたんだけど、先輩たちに目を付けられてはいけないと、表には出していないらしい。
騒ぎを聞きつけた先生たちがやってきたときには、その場にへたり込んでいる先輩たちと、それを静かに見下ろしている古賀君たちらしかった。理由を聞くと、先輩たちは「部活の入部試験」と言い張り、古賀君たちは「先輩がそういうなら」と微妙に言葉を濁したらしい。けれど、真実は一部始終を見ていた人たちによって口コミで広がっていった。
それがサッカー部だったというわけだ。
「で、どうしてお前がサッカー部のマネージャーって話になるんだ、というか、その古賀って奴とは友達なのか?」
「小5、小6と同じクラスだよ。古賀君の友達の須本君の弟は尚志の友達だし」
尚志は弟の名前だ。ちなみに、「向こう」でも弟はいたけど名前は違った。こんな所も流れが変わった一つだな、と思ったものだ。その弟を幼稚園に迎えに行ったとき須本君と顔を合わせて、お互いに驚いた。何度か迎えに来たこともあるし、尚志の事も知っていたけど、私の弟だとは思わなかったらしい。まぁ、私も人の事は言えないけれどさ。
「古賀」「佐野」「須本」苗字でもわかるように出席番号の近い私たちは、日直とか一緒になったりしたのだけどどちらかというと硬派系の彼らは、多くしゃべるタイプではなかった。その上、上級生とけんかして勝った、とかそんな噂があったので、どちらかというと女の子は遠巻きにしていたと思う。
けど、「向こう」で苛められていた私は、彼らが決して弱いものに手を出さないことを知っていた。確かに関わりになることは無かったけれど、苛められた事はなかったし、彼らが自分たちの学年や後輩に手を出した、という話も聞いた事がなかった。
本人が苛められたと感じたらそれは虐めである。
そんな定義は、この先30年近く経ってからの代物だ。この頃は、それがどんなに理不尽なものであったとしても苛められる側にも問題がある的考えが主流だった。だから耐えるしかなかった。こことは異なる次元での遠い未来に起こる様な陰湿なものも非道なものも考えられなかった時代ではあるが、それでも傷は残る。
何にしろ、こちらでの私は積極的、とまでいかなくても古賀君達とと関わることをためらいはしなかった。その物怖じしない態度が彼らとの距離を縮めたのかも知れない。私に言わせれば、自分が今被害にあっていないだけで「虐め」は確かに存在しているのだ。
それを庇いもせず静観している自分も加害者には違いないと、そう思いながら。
展開が速くなります、日常多少飛びます。
ご了承下さい。




