そのにじゅうはち
私の言葉に、目を丸くした古賀君は、ハンドルに顔を伏せて肩を振るわせ始めた。
「…笑いたきゃ笑えば?」
途端に始まる大爆笑に、本気で車から降りようかと考える。
「悪かった…兎に角ドアを閉めろ」
キーを回してエンジンを掛けた相手に、唇を尖らせながらもドアを閉め、シートベルトをする。
走り始めた車に、流石高級車と思ってしまった。乗り心地いいわ。
大学に入って、免許を取りたいと言った私に、兄貴はいい顔をしなかったけど「履歴書に書けるでしょ」といったら呆れていた。
これ以上、資格を取ってどうするんだ、って言われてもね。あって邪魔になるものじゃないでしょう。車はお母さんと共用させてもらっている。時々乗らないと忘れちゃうもんね。ミッション車は尚の事。向こうでオートマばかりに乗っていたら、ギアチェンジやクラッチ…特に半クラのやり方なんて忘れちゃったもんね…あはは。
「いや、久しぶりだと思って」
先程の台詞ですか?確かに古賀君相手によく使っては居たと思うけど、笑うほどの事でしょうか。しかも、まだ笑ってるし。
感情を余り表に出さない古賀君だけど、当然笑いもするし、怒りもする。そういえば、高校のとき石田君に「キリと一緒だと古賀の表情が豊かになる」と言われたことがあったけど…それでも、一般的な同世代と比較すると、乏しいわよね。
しかし、何時に無く上機嫌の古賀君に、有る意味不気味さを感じる。竜司君経由の情報じゃ、結構荒んだ日常を送っているって事だったけど、何かあったのかな?さっきのことが未だにうけているとか…ヤメテクレ。
「何か、飯でも食いに行くか?」
「家に何も言っていないんですけど」
憮然として言うと「ほれ」と指差されたのが自動車電話。…ああ、こういう時代だったわね。今更「ナニサマ」と訊く気にもなれん…オーナーお兄様でしたわよね。請求、そっちに行くんじゃない?いいけどさ。
家に電話すると、義母に「頑張ってね」と言われた。けれど、一体何を頑張ればよろしいんでしょうか、オカアサマ。
入った先は、ファミリーレストラン。まぁね、下手な料亭やフレンチなんかに連れて行かれたらどうしようかと思ったよ。Gパンにオーバーブラウスだったしね。古賀君も似たような格好だけどさ。
少し早い時間なので、比較的店は空いているけど、案内に来たウエイトレスさんは、先程からちらちら後ろを振り返るし、通り抜けていく席に居る女のコ達は、ひそひそと囁きあっている。此処暫く、こういった事が無かったからなぁ、精神状態よろしくないわ。突き刺さる視線が鬱陶しい。
席について、メニューを広げ一息つく。やれやれ。
グラタンが美味しい季節になってまいりました。視線を感じて顔を上げると、楽しそうな顔をした古賀君がいる。本当に何があったんだ?正直怖いです。
ただ、周囲には普通に見えているんだろうな、この男。あくまで当社比であって、知らない人が見れば、友人同士がご飯を食べている、みたいな。いや、事実なんですけど。
「本当に久しぶりだ」
さっきの話の蒸し返しか?違うって分かっていてボケてみました、はい。
「卒業以来だから半年以上?」
「ん」
ふ、と古賀君の表情が緩む。すると後ろからがちゃん、という音と同時に周囲から溜息とも何とも吐かない気配が漂ってきた。
兄貴たちと一緒だと、素の状態で周囲がこうなるから、めったに外食に行けないんだよね。あの二人だと、歩いているだけで周囲を破壊する。カップルの女の子だけでなく、男の子すら目を奪う…我が兄弟ながら頭が痛い。
そういえば、一度冬馬先生にご飯に連れて行ってもらったことがあったけど…あれは酷かった。一緒に行った鵜飼先生ですら、「冬馬くんとは二度と外食しない」と宣言したもんなぁ。あの時の冬馬先生の様子が、捨てられた子犬みたいで、一緒に行ったみんなと「これは、もしや」と思ったもんね。在学中は、進展無かったけど…一応、図書委員関係の後輩たちに指令は出してあるのだ、なんちゃって。
「も、申し訳ございませんっ!」
誰に言うともなく、ウエイトレスのおねーさんが落としたコップを拾い上げ、慌てて去っていった。別の、今度は男の子がモップを持ってきて、毀れた水を拭いていく。…無理も無いね、私ですら見惚れちゃった古賀君の笑顔。何時以来だ、と記憶を探る。
少なくとも高校在学中に一度くらいは見たはずだけど…駄目だ、思い出せない。
ちなみに、さっきの爆笑と、この『笑顔』の意味合いは、似ているようで違う。
「珍しいね、やたら機嫌良いじゃん。良いことあった?」
「ああ」
今日はその「笑顔」の大判振る舞いですか?何故だろう、嫌な予感しかしないわ。
古賀君の前に出されたのはハンバーグのセット。兄貴たちや尚志見ていて思うんだけど、ホント男の子って食べるの早い。
私の倍近くあるだろうと思われた量を、こっちが食べ終わる前に完食して、なおかつ食後のデザート頼んでいるもんね。
言っておくが、こちとらこれ以上入らないぞ。
古賀君は、基本食べ物に好き嫌いは無い。甘いものも辛いものも何でもいける。それと同時に、特別な好物、というのも無い。あえて言うなら肉類だけど、そこまで執着しない。
「食うか?」
ファミレスによくあるタイプのチーズケーキ。すみませんねぇ、甘味に関しては義母の影響で口が驕っているんですよ。義母の絶妙とか、絶品としか言い表せないベイクドチーズ。
…今度作って貰おう。
カフェオレを飲みながら、目の前の男を見る。ケーキ食べている、というより食事の足らない分を補っているってカンジ。それでも粗野にならないのは、やっぱり育ちが良いせいなんだろうな。
お支払いは奢り。普段なら割勘主張するけど、今回は大人しくごちそうになろう。
いや、妙に上機嫌な古賀君が怖いなんて、言いませんわよワタクシ。口に出しては。
しかし、本当に何の用だ?こいつ。




