そのじゅうご
古賀サイド。回想的なものです。
佐野 匠という上級生がいることは知っていた。女子たちが「凄くかっこよくて頭が良くてスポーツ万能」と騒いでいたからだ。
そして、その妹が同学年にいることも噂で知っていた。ただ、兄貴の噂がいろいろあって、正直どういう奴かわからなかった。まぁ、別に自分にかかわりが無ければそれでいいので、気にもしなかった。
そいつが、5年のクラス替えで俺の隣に来たときも、「こいつか」と思うくらいで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
「嫌だよ。自分で行けば」
掃除の時間、聞こえてきた声に俺と隼人はそちらを向いた。
「え~なんでぇ、バケツの水変えにいくんでしょう?ついでに雑巾洗ってきてって言っているだけじゃない」
思わず、隼人と顔を見合わせる。その女は3,4年と一緒のクラスだったが女王様気取りで他の奴に用事を言いつけたりする奴だった。仲のいい子への友達の証だかなんだかと、色々持ってきていたみたいだが、俺も隼人もそういったものは一切受け取らなかったけれど、貰って、良いように使われている奴も少なくなかった。いわゆる「取り巻き」といった連中だ。
「自分の仕事でしょう?怪我しているわけでも病気でも、他に仕事をやっているわけでもないのに、何で私がやらなきゃいけないの?」
そういって、さっさと教室を出て行こうとする佐野に「待ちなさいよ」とヒステリックな声が掛かった。
「何よ!生意気ね。佐野さんの妹だかなんだか知らないけど、全然似ていないじゃない、このブスっ!」
そうすると、周囲の奴の取り巻きたちも一緒になって騒ぎ出し、気が付いた先生がそこのやってきた。
「何事なの?」
「先生、佐野さんが酷いんですっ」
わざとらしく、涙を浮かべて先生の下へ駆けていく。流石にあきれたが、下手に首を突っ込むととばっちりが来るような気がして黙ってみていると、先生が不思議そうに周囲を見渡した。
「佐野さんが、どう酷いのかな?」
「だって、雑巾を持っていくのを嫌がるんですよ」
「そう、でもどうして嫌がるのかな?その雑巾を使っていたのは誰?」
先生はにっこり笑顔のままだけど、どこか嘘を言わせない迫力があった。
「先生が見ていないと思った?」
その言葉に、真っ赤になると、ぷい、と横を向き教室を出て行く。慌てて取り巻きどもも後を追うがなんていうか、このままあいつら掃除をさぼるんじゃないか?
「ごめんなさい、先生」
頭を下げる佐野に先生は苦笑いする。
「いいのよ、彼女の行動は先生方の間でも問題になっていたから。でも、いつものアナタなら、適当に流していたでしょう?どうしたの?」
「…なんだか、見ていて胸が痛くて。あんなふうに人気取りしなきゃ人が集まらない、っていうか人の注目を集めたいのかなって」
そんな佐野に先生は少し寂しそうに笑うと、顔を上げ残っていたオレ達に掃除を続けるように言って教室を出て行った。
きっかけといえば、それがきっかけかもしれない。
佐野 桐子という女は、基本頼まれたことを断るタイプではなかった。とはいえ、それは相手に正当な理由があるときに限り不当な理由や本人が出来ないことは、決して引き受けない。それが先生からの依頼でも同様だった。
たまたま何かで俺と隼人が算数で行き詰っていたとき、丁寧に解りやすく教えてくれたのも佐野だった。
そうこうする内に、日直を一緒にやるときも重なって、俺と隼人は佐野と仲良くなっていった。
自分たちから喧嘩を仕掛けたことは無いけれど、俺と隼人は負け知らずだった。そのせいか、女子たちからは遠巻きにされていたが、佐野は普通に話しかけてきたし、色々な仕事をサボろうとすると、注意してやらせようとする。
俺たちを怖がることも特別扱いをすることもしない、唯一の女子、といっても良かった。宿題が解らなかったりすると辛抱強く教えてくれたし、馬鹿をやっていても黙って見ているが、人の迷惑になりかけると止める。
けれど、あくまで「教えてくれる」だ。丸写しはお断り、とは本人の台詞で「いいじゃないか」と、言ってきた相手に、にっこり笑って答えたのだ「先生に聞かれたとき、応用問題を答えれる自信があるんならいいわよ」と。
ここで、「出来る」と答えれる奴は居なかった。言えば、やってみろと返ってくるのは解りきっていたからだ。そして、二度と彼女から教えてもらう事もできなくなる。頭のいい奴に適う訳がない。
言いつけられた仕事は責任を持って最後までやるが、自分から何かアピールすることはしない。無理は言わないし、本人も無理はしない。助けを求められれば、できる範囲で助けてくれるが、自分から動くことも、必要以上のこともしない。
一緒にいて居心地がいい相手というのは、親兄弟と隼人以外初めてだった。
男女の仲がいいと色々五月蝿く言ってくる奴もいるが、佐野も俺たちも相手にさえしなかったので、その内噂は立ち消えた。隼人に彼女が出来たとき、俺と佐野はどうだ?と聞かれたが、残念な事にそういう対象にあいつを見ることが無かった。
もし、あいつに彼氏ができたら…と、考えた事があったが、別に何も思わなかったし、そうなると今までの様に頼みごととかできないなぁ、と思ったくらいだった。
例の女と取り巻き連中は、何かと難癖を付けようとしていたみたいだが、俺や隼人が傍にいることと、先生たちの絶対的な信頼をあいつが持っていたので、大きな事件とかは起こらなかった。
後に、あいつが笑って「教師の信頼は勝ち得ておくものよ」と、笑ったときには、その背中に黒いものが垣間見えた気がしたが…まぁ、いいだろう。それも今となっては『あいつらしい』とさえ思う。
そして、俺や隼人は、気が付いたら仲のいい連中と同じようにアイツのことを「キリ」と呼ぶようになっていた。
そう、仲はいい。それは認めよう。しかし、恋愛感情というものとはまったく別の場所に俺たちは位置している、そう思った。
まぁ、あいつが30位になって行き遅れていて、俺にも彼女がいなかったら、嫁に貰ってやってもいいかな。




