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私の理想の天使様  作者: ROSE


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7.天使様と堕天使の絵

 ようやく仕事を終え、一日寛いだときにはやはり開放感があった。刺繍の出来は満足の出来る仕上がりだ。両親も、特に母が珍しく褒めてくれたことはローラにとって特別だった。

 大仕事が終わったので三日ほど自由に使える時間が出来た。最初の一日はゆっくり休んで、少し本を読んだりサリエルを着替えさせたりなどして過ごした。

 そして二日目。勢いよく窓から飛び込んで来たアンリを居合わせた父が叱る。

「アンリ、玄関から入ってきてくれ。窓は出入りする場所じゃないよ」

「あいつに先を越されるのは嫌だ」

「よし、外出は中止だ。ローラ、今日は家族でのんびり過ごそうか」

 まだ腕が治っていない父は穏やかに、そしてどこかアンリも我が子として見ているように見える。

 またなんだか落ち着かない。どうも近頃のローラはなにかがおかしい。今までは全く気にならなかったのにざわざわと胸の奥が騒ぐ。

「おはよう、ローラ、準備は良いかな? 美術館の側に新しい喫茶店が出来てね。一番人気のケーキを予約しておいたよ」

 いつもより更に煌めいたフェイが現れたとき、一気に仄暗いもやのようなものが消えた気がした。

「はい。サリエルも準備万端です」

 今日は紳士の装いをしたサリエルはお嬢さんをエスコートしそうな雰囲気だ。

「うわぁ、サリエルかっこよくなったね。よし、サリエルの席も用意しよう。ローラ、馬車は平気?」

「はい」

 生まれてから片手で数えられる程度しか乗ったことはないけれど、引っ越しの時立派な馬車に乗せて貰った時は楽しかった覚えがある。見慣れた街並みも馬車から見ると少し違うものに見えるから不思議だ。そう言えば、あの時は父の友人から馬車を借りたと言っていたけれど……。

「お引っ越しの時の馬車は天使様からお借りしたのでしょうか?」

「うん。フェイはたくさん持ってるからね。飾り付けるのも好きだし。馬車の座席を張り替えると言ったら快く貸してくれたよ」

 父は爽やかに答える。

「そうそう。ジョージィすっごいかっこよくしてくれてさ。俺は普段あんまり選ばない配色だから気に入っちゃって、来賓用にすることにしたよ」

 フェイは嬉しそうに答えた。

 やっぱり、ローラは彼が父と話す時に本当に嬉しそうな顔を見せるところが好きだ。彼は心から父を好いてくれているし、父もまた彼を大切な存在だと思っているだろう。信頼だとかそう言った言葉だけでは言い表せないような強い絆を感じる。

「フェイ、七時までにはローラを戻してね。夕食は食べてきてもいいけどそれ以上はまだだめ」

「わかってるよ。アンリも一緒だしね。あー、俺ローラとデートしたかったのに……レオのやつあっさりアンリのお守り押しつけてきて」

 フェイは不満そうに溢す。表情がよく変わる。そして父が居ると彼は子供に戻ったように見える。

「あんまり子供っぽいところばっかり見せたらローラに幻滅されるよ?」

「え? それは困る。いや、でも、かっこ悪いところ含めて俺だって……まぁ、ローラにはしっかり品定めして貰わないといけないからね。欠点を隠したい気持ちはあるけど、後からバレて返品されるよりは先に知られた方が……」

 やっぱり根は真面目な人だ。

 父が思いっきりフェイの背を叩く。

「俺がうっとうしいからそういうのやめてくれる? フェイはうざったいくらい自分大好きで自信溢れてる方がいいって」

「ひど、俺の事うざったいって思ってるわけ?」

「いや、かっこいいよ? ほら、かっこいいフェイくんさっさと娘達を美術館に引率してやって。ローラ昨夜からすごく楽しみにしてたんだから」

 子供のようにそわそわしていたことを暴露されてしまいローラは気恥ずかしくなってしまう。

 素敵な作品と作家名を漏らさないように筆記用具と、出来れば冊子や記念品も少し購入できないだろうかとこつこつ貯めていたお小遣いをいつもよりかなり多めに用意している。

「ローラ、欲しいものがあったら買ってやるぞ」

「お小遣いは用意しています」

 アンリはすぐに散財したがる。高価なものでもぽんぽん買おうとしてしまうところがローラには少し苦手な部分だ。

 彼女は仮にも王族なのだ。財力はある。更に、軍人として相当収入がある。金遣いは豪快だ。

「ついでにアレックスの土産も選んでやろうかな」

「それはいいですね。一部の作品は購入できるようですよ」

「へぇ。アンリはあんまり絵のことはわからないが、彫刻は嫌いじゃないぞ」

 どうやら彼女は立体物の方が好きらしい。

 父に見送られ、三人一緒に豪華な馬車に乗る。見たときは驚いたけれど、フェイも貴族なのだから立派な馬車を持っていても不思議ではない。馬車には天使の飾りがついていて彼に良く似合うと思った。

「この馬車ローラが喜ぶと思ってさ」

「え?」

「いやぁ、職人に乗せられちゃったけどまさか使う日が来るとは……」

 フェイは笑う。彼はおだてに弱い部分があるから、きっと彼と取引をするような相手はおだてていろいろ買わせようとするのだろう。

「この天使像が俺にそっくりって上手いこと言ってくれちゃってね。ついでに天井も天使画なんだけど、普段乗るにはちょっと気恥ずかしいっていうか……でも、ローラなら喜ぶかなって」

 言われて天井を見れば、確かに彼に良く似た天使が描かれている。

「まぁ……素敵な絵ですね」

 本当に彼を描いたのではないかと言うほど、その絵が放つ神聖さは時折彼が纏うものと似ていた。これを描いた職人は本当に素晴らしい腕なのだろう。

 うっとりと見つめていると、アンリに小突かれた。

「ローラ、天井ばかり眺めるな」

 彼女は拗ねているようだ。やはり注目が自分に向かないのが嫌なのだろう。

「ですが素晴らしい絵ですよ?」

 そう微笑めば、頬を膨らませて子供のように拗ねてしまう。

 結局アンリは美術館に到着するまでずっと拗ねたままだった。




 美術館の前でまず視線を奪われる。ローラを二人重ねたよりも大きな天使像が二つ入り口の両隣にそびえ立っているからだ。右側はフェイに、左側はまた別の誰かによく似ているように見える。

「左の方もお知り合いなんですか?」

 思わず訊ねればフェイは苦笑する。

「当時有名だった俳優がモデルだよ。けど、これ作った作家は俺の方がお気に入りだったみたい。いや、あの役者、料金が高すぎるからだったかな」

 なるほど。役者にとってはお小遣い稼ぎみたいなものだったのだろうか。フェイならばおだてればただでモデルをしてくれそうだと芸術家たちも考えたのかもしれない。

「お前、昔から厚化粧なんだな。像にも厚化粧な空気が現れているぞ?」

 アンリがからかうように言う。しかし立体物は彼女のお気に召したようだ。

「生意気にも剣を構えているじゃないか」

「昔はそこそこね。流石にそろそろ年齢的にきついけど」

 アンリの標的にされそうになったフェイは笑いながら回避を試みているように見える。確かにアンリの体力にとことん付き合えと言われれば大抵の人は避けたがるだろう。

「年齢を理由にするのはずるいだろう。アンリはまだお前を叩きのめしていない」

「いやいやいや、こないだ勝たせてあげたでしょ」

「加減をするなと言っている」

 ローラは一応相手をしていたのかと少しだけ驚いたが、フェイのあの性格からして強く言われると断れなかったのだろうと推測する。

 じっともう片方の天使像を見上げると、フェイとはまた少し違う美しさがある。フェイが自信に満ちあふれた光り輝くような美だとすれば、もう一つの像は静かにそっと佇むような余韻に重点を置く印象の美とでもいうのだろうか。どちらも美しいけれど、右は剣を左は天秤を持っている。芸術の理論的な部分は理解できないローラにはどちらも美しいという真実さえあればいいように思えた。

「そっちの方が好み?」

 フェイの声で現実に引き戻される。

「そこまで考えませんでした。どちらもとても美しい作品だと」

「そこは嘘でも右が好みと言って欲しかったなぁ。まあ、こっちの俳優も美形だけど」

 フェイもまた左の像を見上げた。

「モデルになった俳優はジャンという当時はかなり人気だった俳優だよ。最近はあまり名前を見なくなったけど引退したのかな? 見た目は繊細そうだけど口を開けば結構きついこともずかずかいう男でさ。俺の化粧ぼろくそに言われた……うん。やめとこう。思い出したら泣く……」

 一体どれだけ酷いことを言われたのだろう。好奇心が無いと言えば嘘になってしまうがローラはそれを飲み込んだ。

「入館料は支払ってあるから中に入ろうか。天井画も凄いよ」

「あ、入館料は自分で」

「いいって。このくらい。こういうときは年上に甘えるんだよ。アンリの分も払ってるから一緒一緒」

 さあ行こうと背を押されてしまうとそれ以上はなにも言えなくなってしまう。

 なんというかこういうときのフェイは貴族らしくない。彼は下町の少し年上の男性というような気楽さを持っている。少し強引なところがあるけれど、嫌ではない感覚。そしてそれがアンリとも近い物に感じられる。

 ローラはフェイに好感を抱いている。そのことは自覚している。けれどもそれがアンリに抱く好感と同じものなのか、それとも違う感情なのかわからないまま、ただ今の距離を心地よいと感じてしまっている。こんなのは誠実じゃない。ローラ自身わかっている。けれども心の整理がつかないのだ。

 館内に入ると受付や売店の他に似顔絵や作品を売っている人が目立つ。若手の芸術家達らしい。大きな物から小さな物まで、絵画、彫刻だけではなく手作り感溢れる装飾品まで売られていて思わず視線を奪われてしまう。

「そこのいけてるお兄さん。似顔絵はいかが?」

 温かみのある声が、気安くフェイを呼び止めた。

「リオ、毎度毎度そう言って俺に絵を買わせようとしてるでしょ」

「うん。でもフェイは毎回買ってくれるでしょ? 親友を助けると思って、ね? イケメン貴族様~」

 リオと呼ばれた彼は異国風の肌と髪の持ち主だ。よく日焼けしたと言えばそれまでだが、少し東の方の人はあんな雰囲気だと聞いたことがあった。癖の強い黒髪を撫でながら、リオはまるで踊りにでも誘うように足を動かしながらフェイに絵を売り込んでいく。

「こっちは僕の新作。ヴィーナス。こないだ街で見かけた素敵な女性をモデルに描いたんだ」

「へぇ……ん? え? これって……ローラ、ちょっと来て」

 聞き流そうとしていたフェイが驚きを見せつつ手招きをする。

「どうかなさいましたか?」

「いや、この絵……やっぱりローラと似てるなって……。リオ、これ買う。あと彼女の肖像描いてくれたら今日売ってる絵の総額の倍出す」

 絵とローラを見比べた後のフェイは随分早口だった。金額も見ずに買い物を決めてしまうと、売主のリオの方が呆れを見せる。

「……フェイ、僕のヴィーナスと知り合いだったの?」

「本当にローラがモデルだったんだ。うん。俺の親友のお嬢さんで俺が今求婚してる真っ最中の女性。品定めして貰ってるところだよ」

 いつもの冗談のような響きのくせに、フェイの瞳だけは冗談を言っているようには見えない。

「流石に歳が離れ過ぎじゃない?」

「年齢は言わないで。俺マジでローラに惚れてるんだから」

 どうやらリオは相当フェイと親しいようだ。とても気安い関係のようでローラは少し居心地の悪さを感じてしまう。友達の友達と会う時の微妙な気まずさだ。ローラはお世辞にも社交的とは言えないから変なことを言ってしまってフェイに迷惑を掛けてしまわないか心配になってしまう。

 緊張していることを見抜かれてしまったようで、リオがにこやかに話しかけてくる。

「僕はリオ。フェイとは長い付き合いなんだ。一度街で君を見かけてね。勝手に絵の題材にさせてもらったよ」

 気安く親しみやすい印象のリオに少し安堵する。

「ローラです。アンダーソン洋品店で両親を手伝っています」

 声が震えていないか心配になりながらも答える。

「ああ、ジョージィのところだね。お嬢さんの部屋の天井画を描かせてもらったのだけど君がそのお嬢さんだったなんて驚いたな」

「まぁ……。素晴らしい天井画をありがとうございます。毎日眺めています」

 あの美しい天使様を生み出した画家に会えるなんてと感激していると、今度はフェイの方が居心地が悪そうだ。

「リオはなにかと俺をモデルに描きたがるんだ。天使画を依頼されるとすぐに俺を描く」

「そりゃあもう手癖でフェイになってしまうからね。この顔凄く描きやすいんだよ。なにより描いていて楽しい」

 リオはじっとフェイの顔を見る。

「うん、今日の色合いもいいね。アイシャドウ変えたでしょ? どこの?」

「え? ああ、パルファンから取り寄せた新作だけど」

「こっちの方がフェイの肌に合うね。うん。フェイはいろんな化粧するから楽しいよ。それでも出会った時から眉毛の形だけは変わらないね」

「この形が気に入っているんだ」

 どうやらリオは化粧の話もできる男性らしい。

「リオもお化粧をするのですか?」

「たまにね。楽しいよ。でも、口紅は嫌いだな。唇が重くなる」

「指で軽く乗せれば良いんだよ。ぼかしながら。がっつり塗ると重くなるし濃くなり過ぎる」

 フェイが化粧の指南まで始めてしまうのでローラは大人しく絵を見ていることにした。

 人物画が多い。貴婦人や有名な俳優の絵が多いけれど、それに混ざって動物の絵もある。風景画は片手で数えられる程度しかなかった。そして、一枚の絵を見つけてしまう。

「……綺麗……」

 とても見覚えのある光景。

 黄と赤の中のに光り輝く存在。記憶の中の鮮烈な天使そのものだった。

「あの、この絵、おいくらですか?」

 ここに並んでいると言うことは売り物なのだろう。そう思って訊ねる。

 並べられたリオの作品は手頃な価格なものが多いがこの絵はローラの部屋の窓の半分ほどの大きさだ。並んだ他の絵よりは高額だろう。手持ちの小遣いを考えれば、前列に並んだ絵を六枚買える程度だ。

「んー、これ? そうだなぁ」

 リオは考える仕種を見せる。手前に並んでいる絵には価格がついているが、その絵は値札がない。もしかすると売り物ではなかったのかもしれないと思い、ローラは恥ずかしくなる。

「フェイ、いくら出す?」

「え? 俺? いや、まぁ、いくらでもいいけど。ローラが欲しいならなんだって買ってあげるし」

「いえ、自分で買います。えっと……お小遣いが足りれば欲しいなと……」

 お財布の中身と、サリエルの鞄の中の小銭をかき集める。ごめんね。サリエルと心の中で謝って、トレイの上に手持ちのお金を全て並べた。

「これで足りますか?」

 訊ねれば、リオは困ったような顔を見せた。

「参ったなあ……僕の絵をこんなに欲しがってくれる人が居るなんて思わなかったよ。いや、凄く嬉しい。お金をもらえるならもっと嬉しいけど、君からこんなには貰えないな。うん。底の絵二枚分の代金でいいよ」

 代金を受け取らないのも失礼だと考えたのだろう。リオは小銭を数え、それから多すぎた分をローラに手渡す。

「でも、この絵、結構古いよ? いいの?」

「はい。お部屋に飾りたいです」

「ありがとう。嬉しいな。ついでにこれも貰ってくれると嬉しい」

 リオが差し出したのは本くらいの大きさの天使画だった。これもまたフェイによく似た雰囲気の絵だ。

「よろしいのですか?」

「うん。手癖で描いたけれど、この表情いい感じになったなって。ローラ僕の絵を凄く気に入ってくれたみたいだから、君に持っていて欲しい。未来の侯爵夫人なら今のうちに媚びておいて損はないしね」

 一瞬、彼の言葉の意味を理解できずに硬直してしまったが、冗談だとわかるとほっとした。

「リオ、あんまりローラをからかわないでよ。あー、館内を見て回るから、帰りまで絵を預かっててくれる?」

「うん。ついでに帰りにフェイにもなにか買わせるように考えておくよ」

 リオは大きな天使画を布で覆う。そして売約済みの札を付けた。

「商魂逞しそうに振る舞っているけどあいつ本当に商売っ気ないんだ。気に入った人にはすぐに絵をあげちゃうからさ。ついでにリオが駆け出しの頃からの付き合いだから結構気楽な関係なんだ。ローラも、欲しい絵があったら頼んだら良いよ。きっと喜ぶし、相手に合わせて金額変えてくるから手頃な価格で描いてくれると思うよ」

「あの絵はあの値段では安すぎると思いました。なんというか、お金を受け取らないと失礼だからとりあえず受け取るという印象でした」

「うん。そんな感じ」

 じゃあ次に行こうかとフェイが手を差し伸べた瞬間、大声が聞こえる。

「だからこれを売れと言っている。金ならある」

「ですからこちらは非売品です」

「アンリはこれが気に入ったと言っているだろう。金は出すと言っている」

 最早脅迫のようになっている。何事かとアンリに近寄れば、相手の男性が呆れた顔を見せている。

「ジャン、どうしたの?」

 どうやら彼もフェイの知り合いだったらしい。フェイが穏やかに訊ねれば、ジャンと呼ばれた男性は困ったように笑う。

「いや、このお嬢さんが彫刻を売れと言って聞かなくてね。けど、これは力作で手元に残したいから非売品だと言っているのだけど、参ったよ」

「アンリ、あんまりわがまま言ってジャンを困らせないでくれ。レオにも大人しくしろって言われてるだろう?」

 フェイの言葉にアンリは不満そうに頬を膨らませる。

「作品を気に入ったと言っているのに売らないこいつが悪い」

「なら、新作を作って貰えばいいだろう? ジャン、それが売れないならアンリの為に新作を作る位出来るだろう?」

 フェイの言葉にジャンは困ったように笑う。

「作れることは作れるが……俺は作るのに時間が掛かる方だから」

「アンリ、ジャンの作品は出来が良い。良い物を待つ時間って最高に楽しいと思うけど、どうかな?」

 そう言われ、アンリは考え込む仕種をする。

 一体どんな作品で駄々を捏ねたのだろうと、ローラは少し背伸びをして彫刻を見る。

 とても強そうな軍の女神の像だ。これはアンリが気に入るかもしれない。何より少しアンリと似た雰囲気だ。

「素晴らしい彫刻ですね」

 アンリに声を掛ければ、なぜか自分のことのように胸を張り「ああ」と答えられた。

「口元がアンリに似ているから気に入った」

「なるほど。では、軍神様の像を新作で依頼してはどうでしょうか?」

「そうだな。もっとアンリらしく、強く怖い女の像がいい。金はいくらでも払うぞ」

 どうやら新作で納得するらしい。

「……フェイ、このお嬢さんは知り合いなのか?」

「……ああ。アンリだ。一応出自は高貴な身分ってことだけ覚えておけばいいと思うけど、凄くわがままで手を焼いてるよ。でも、根は素直なんだ。えーっと、彼女の伯父さんに頼まれて今日は一日お守りなんだよ」

 フェイは困ったように笑いながらジャンに告げる。どうやらアンリの身分については隠すつもりらしい。

「確かに良い作品が出来そうなモデルだけど……あまり貴族とは関わりたくない」

「え? 俺も一応貴族なんだけど? だめ? ってか芸術家は貴族に作品売らないと生活出来ないでしょ」

「フェイが買ってくれるからそこそこ生活は出来てる」

 ジャンは疲れたように笑う。たぶんどこかで揉めたりしたのだろう。

「貴族の気まぐれに振り回されるのはうんざりだ。俺が知る限り、フェイは貴族じゃない。あんな高慢で俺たちを人間と思わないような連中とは違う」

 ジャンが真剣な目で言うと、フェイは困ったように笑う。

「あー、ジャンもいろいろ大変だったんだね。あ、ローラ、ジャンはローラのお気に入りの天使像を作った彫刻家だよ。ほら、俺が手で仰いでたやつ」

 話題を逸らしたくなったのか、フェイに呼ばれ、驚く。

「まぁ、あの素晴らしい像を作った方なのですね。はじめまして。ローラと申します」

 挨拶をすれば、ジャンは少し照れた様子を見せた。

「ジャンだ。ただのジャン。なにもつかない。えっと……宗教的な作品が多いから……」

「ジャンは人見知りなんだ。でもいいやつだよ」

 フェイは笑ってジャンの背を叩く。

「ローラはジャンの天使像がお気に入りなんだ。いやぁ、流石にそろそろ恥ずかしいからあれ買い取りたいんだけど反対されちゃってさ」

「良い出来だろう?」

「まあそうなんだけど……そろそろ俺をモデルに天使像作るのやめて下さい」

 フェイは急に落ち込んだ様子を見せる。

「評判はいい。それに、創作意欲が湧く」

「……うーん、リオも同じこと言ってたけど……年齢的にそろそろ恥ずかしい」

 フェイは本当に恥ずかしいようで、黒いレースの手袋をつけた両手で顔を覆ってしまう。

「あんまり年齢の話ばかりしていると年寄りになるぞ」

 アンリが呆れたように言う。

「いや、実際俺ももうすぐ四十代に片足突っ込んでるって言うか……」

「大丈夫だ。まだ三十代前半に見える」

 ジャンが励ませば途端に元気になるフェイ。

「だよね? 俺まだ若いよね? うん。元気出た」

 本当に沈んでもすぐに元気になる人だ。ローラは羨ましく感じてしまう。

 それから、アンリはジャンに彫刻の依頼の話を始めたので、ローラは美術館の中を見て歩くことにした。

「あ、ジャン、アンリがまた困ったことを言い出したらすぐ呼んで」

 一応今日は保護者だからと言い残し、フェイがついてくる。

「よろしいのですか?」

「今日はローラと過ごしたかったから」

 そして二人分の冊子を手に取り、一冊をローラに渡す。

「作品解説があるとより楽しめるよね」

「はい」

「実はジャンの作品とリオの作品も展示されてるんだ特にリオのは凄いよ。制作期間半年の大作。壁一面の大きさの油絵だよ」

 作品を見て回る間、フェイはたくさんの作家について教えてくれた。どうやら大半は彼の知り合いらしい。作品自体よりも作者の人柄についての話が多く、彼がどの作家もとても好きだと言うことがよくわかる。フェイという人は誰かを嫌ったりすることがないようだ。むしろどんな人も良いところを探しているように思える。

「この作家は中々筆が速いけれど、リオは別格。あいつは化け物だよ。ここに展示されてる画家全員を合わせるよりたくさん絵を描いてるから」

 特にリオは彼のお気に入りらしい。他の作家の話をするときも度々リオの話が出てきた。

 そして、また、一枚の絵が視線を惹く。

 ローラの好きな天使画とは対極と言えるほど、暗い画面。けれども視線を逸らせなくなる鮮烈な絵だ。とても美しい人が描かれている。いや、人に見えるけれど人ではない。そして、その絵もまたフェイであることに気がついた。

「堕天使の絵だね。この絵は……うん。俺はあまり見たくないな」

 疲れた笑顔を見せられる。

 絵の中の堕天使はとても美しい。人を惑わす瞳で口元に笑みを浮かべているのにどこか冷たい印象に思えた。彼の手には血塗られた剣が、そして足下に首が転がっている。

 おぞましいのに美しい。そして視線を逸らせない。

「……これ……」

 よく見れば、足下の首もまたフェイだ。いつもの煌びやかな空気のフェイが首を刎ねられてしまったのだろう。

「これも、リオの作品だよ。でも……なんか、ちょっと怖くて俺は苦手だな」

 それは自分の首を刎ねられた絵なんて見たくないだろう。

「どっちも俺なんだよ。悪い俺と善人の俺が戦って悪い俺が勝ったところだって」

 静かな声で、それでもその響きはローラを揺さぶる。

「最初見たときはなんて酷い絵を描くんだって思った。でも、自分と向き合わなきゃいけないって思う。から……迷ったときはこの絵を見に来るんだ」

 その言葉に驚く。

 フェイは、自分の弱さと向き合う覚悟を持っている。

「……天使様は……やっぱり天使様ですね」

「そお? でも、うん。ローラが信じてくれるなら、きっとそうだよ」

 彼は優しくて、少しうぬぼれやで、臆病で、でも勇敢。おだてに弱いけれど明るくて、人を楽しませる天才だ。

「天使様を見ていると、私も強くなれる気がします」

 そう、口にしたのは本心だ。

 彼のことがとても好き。

 この感情は憧れなのか親しみなのかまだわからない。

 ただ、ずっと一緒に居たいと思う。

 それが今のローラにとっての真実だった。

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