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ある砂漠のおはなし

小夜啼鳥のおはなし

作者: 烏十ヰ
掲載日:2026/01/31

 夜が更けてきて、ランプを消す。

 そうすれば、小夜啼鳥が窓際で御伽噺を聞かせてくれる。それが少女の日常で、安らぎだった。

 ところが、この小夜啼鳥が最近はめっきり啼かなくなってしまったのだ。


 少女が廊下を歩いていると、庭の隅で何かがかさりと動いた。見ると、鼠が一匹、蛇に食われそうになっている。

 少女は側にあった石を投げて蛇を追い払い、鼠を助けてやった。

 鼠は少女に感謝し、自分の毛を一本抜いて渡した。

「命を助けてくださってありがとうございます。何かあった時にはこの毛を燃やして僕を呼んでください。すぐに助けに来ますから」

 そう言うと鼠は塀の穴の下に姿を消した。少女は首から下げたお守り袋に鼠の毛を入れた。

 その日の夜、少女は窓際のランプの火に、鼠の毛を放り込んだ。

 油の上に浮かんだランプの小さい炎から、とても細くて小さな煙がついと上った。

 すると、チュウと小さな声がして、いつの間にか足元に昼間の鼠が現れた。

「お呼びですか、命の恩人のお方」

「お話をしてほしいの。そうしないと眠れなくて」

 鼠は栗色の毛を前足で擦った。

「僕は王様の納屋から黄金を取ってくることだってできるんですよ。ほんとうにそんなお願いでいいんですか」

「いいの。私にとっては今日小夜啼鳥がお話を聞かせてくれなくて、眠れないほうがよっぽど大問題なの。それに、盗みは悪いことだわ」

「はぁ、そうですか、命の恩人のお方。それじゃあ、僕の知ってるいちばん面白いお話をしてあげましょう」

 鼠はこほんと小さな咳払いをすると、話を始めた。それは悪い魔人に捕まって、食べられないために毎晩面白いお話をする、一人の話の上手なお姫様のお話だった。

 少女はその話を聞いたことがあった。彼女が飼っている小夜啼鳥が話してくれたのだった。

 小夜啼鳥がこのお話をしてくれたのも、こんな暗い夜のことだった。鼠の話をぼんやり聞いているうち、少女には甲高い鼠の声がだんだんと小夜啼鳥のそれに聞こえてくるのだった。


「そんなにお話しをせがまれたら、そのうちお話しは尽きてしまうわ。王都の魔術師の作った小夜啼鳥と違って、わたしは金銀やルビーの宝石でできてはいないのよ」

 少女が眠れないと急かすと、決まって小夜啼鳥はため息をつくのだった。

「あら、魔術師の作ったぜんまいじかけの小夜啼鳥は、同じお話しか話せないと聞くわ。あなたは違って、いつも違うお話しを聞かせてくれるでしょう。だから飽きないの。わたし、もっとお話しが聞きたいのよ」

 小夜啼鳥のため息はふるふるとか細くふるえ、月の光から生まれた鈴のようだった。

「どんなに大きくても、枯れない川はないのよ。でも、いいわ、あなたがそう言うなら、もう少しお話しをしてあげる。その代わり、昼間はちゃんといい子にしているのよ。約束してね」

「ええ、するわ、とびきりいい子にする。だから、楽しみにしているわね」

 そう言うと、少女はランプの明かりを吹き消した。


 こうして、くる晩もくる晩もお姫様はお話をし続けて、ついには魔人もこのお姫様を食べることが惜しくなり、二人は仲良くなりました。

 それから、それから、

 それからどうなったんだっけ。

 なぜだか、忘れてしまったわ。


 次の日、少女が中庭で掃除をしていると、猫の唸り声が聞こえてきた。見ると、昨日追い払った蛇が、庭に入り込んできた猫に襲われている。

「まぁ、昨日の英雄が今日の物乞いとはよく言うけれど、本当のことなのね」

 少女は憐れに思って、落ちていた木の枝で蛇を安全なところへよけてやった。

 蛇は少女に感謝し、自分の鱗を一枚渡した。

「感謝いたします、人間のお嬢さん。なんと命拾いしたようだ。危険が迫った時にはこの鱗を火にくべて私を呼んでください。いつでも助けに参りましょう」

 そう言うと蛇は木の上へと去っていく。少女は首から下げたお守り袋に蛇の鱗を入れた。

 その日の夜、少女は窓際のランプの火に、蛇の鱗を放り込んだ。

 油の上に浮かんだランプの小さな炎から、ちりりと爆ぜる煙がゆっくりと立ち上った。

 すると、部屋の隅の暗がりから、音もなく昼間の蛇が足元に現れた。

「お呼びですか、命の恩人の方」

「お話をしてほしいの。そうしないと眠れなくて」

 蛇は長い舌をちろちろと伸ばした。

「私は屈強な戦士でも恐れる牙があり、どんな名医にも治せない毒を持っているのですよ。もう少し考えてお願いをしてほしいものだ」

「いいの。私にとっては今日小夜啼鳥がお話を聞かせてくれなくて、眠れないほうがよっぽど大問題なの。それに、誰かが毒や牙で死んでしまうのは嫌だわ」

「呆れたお嬢さんだ。そんなにお話が聞きたければ、よろしい、私の知る限りもっとも知恵にあふれた話をしてあげましょう」

 蛇はシューと息を吸うと、お話を始めた。それは、知恵を絞って困難と海を何度も乗り越える商人の話だった。

 少女はその話も聞いたことがあった。これも彼女の小夜啼鳥から聞いたのだった。

 小夜啼鳥からこの話を聞いたのは、格子窓から疎らな陽が降り注ぐ、昼間のことだった。少女には蛇の不思議な調子の抑揚が、だんだんと小夜啼鳥のそれに聞こえてくるのだった。


 普段の落ち着いた抑揚の鳴き声に慣れたぶん余計に、こんなに驚いた小夜啼鳥の鳴き声を聞くのは初めてだった。

 昼間の小夜啼鳥はあまりさえずらない。少女はいつもこの繊細な小鳥をおどかさないよう、気をつけて隣を通るのだが、この日は部屋の掃除をしている最中に、誤って小夜啼鳥の寝ている鳥籠にぶつかってしまった。

 小夜啼鳥は銀の食器のように甲高い声を出すと、鳥籠の中を何周か飛び回り、やがて落ち着いたのか止まり木に戻って羽繕いをした。

「ごめんなさい」

 少女は床に落ちてしまった羽根を拾い上げると、小夜啼鳥の元に差し出した。

「これ、返すわ」

 けれど小夜啼鳥はその羽根を一目見ると、また羽繕いに戻ってしまった。

「いいのよ。わざとじゃないんだし、羽は抜けるものだわ。あなたさえ良ければ、それ、あげるわ」

 少女は抜け落ちた羽根を首から下げたお守り袋に入れた。

「その羽根が、あなたを幾たびの困難から救ってくれますように。わたしはあなたのお母様があなたに残してくださったものだけれど、籠の外には行けないし、大きい音が苦手だし、羽も落ちるわ。ほんとはずっと側にいられればいいのだけど」

「うん、わかってる。私もおんなじ気持ちよ。起こしてしまってごめんなさいね」

「ええ。それ、大切にしてね」

 小夜啼鳥は羽繕いを終えて、に戻ろうとした。しかし、ふと頭を上げると、少女に向かってこう言った。

「そういえば、わたしの眠る時にもお話が必要じゃない? たまには、あなたからもお話を聞かせて頂戴な」

「だめよ。私、あなたから聞いたお話しかできないの。全部あなたの知っているお話になっちゃう」

 少女は首を振った。小夜啼鳥は呆れたと言うように、羽をすくめて見せた。

「じゃあ、私が私にお話をするしかないようね。自分のためにお話するなんておかしいけれど」

 そうして眠たげに紡がれるお話に、少女は耳を傾けた。


 こうして、勇気と知恵のある商人は、幾度の船旅を乗り越えて、たくさんのお宝を手に入れました。

 それから、それから、

 それからどうなったんだっけ。

 なぜだか、思い出せないわ。


 次の日、少女は格子窓から町の往来を見下ろしていると、台所から何者かの悲鳴が聞こえてきた。急いで見に行くと、昨日追い払った猫が、水瓶の中に落ちて溺れている。

 少女は驚いて猫を水瓶の中から取り出し、布で体を拭いてやった。

 猫は少女に感謝し、自分のひげを一本渡した。

「いやはや助かりました、あなたがいなければどうなっていたことか。何か怖いことがあればこのひげを炎に投じて吾輩を呼んでくださいな。どこにいてもすぐに駆け付けますから」

 そう言うと猫はするりと勝手口から外へ出て行った。少女は首から下げたお守り袋に猫のひげを入れた。

 その日の夜、少女は窓際のランプの火に、猫のひげを放り込んだ。

 油の上に浮かんだランプの小さな炎から、一塊の黒煙がゆらりと上った。

 すると、暗闇の中に二つの金色に光る眼が現れ、たちまち昼間の猫が足元に現れた。

「お呼びですか、命の恩人の方」

「お話をしてほしいの。そうしないと眠れなくて」

 猫は前足を上下して顔を洗った。

「吾輩の魔法は宮廷の占星術師でも慄くほど。そんなお願いよりもっといいものをたくさん差し上げられますよ。本当に後悔しませんかな」

「いいの。私にとっては今日お話が聞けなくて、眠れないほうがよっぽど大問題なの」

「なんとも欲のないお嬢さん。そんならここはひとつ、吾輩の知る中で最も愉快な話をして進ぜましょう」

 そうして猫は自慢げにひげをしごき、お話を始めた。お姫様を助けるために魔法の力を借りて国々をまたぐ大冒険をする王子の話だったが、少女はそのお話も聞いたことがあった。やはり小夜啼鳥に聞いたのであった。

 少女はとうとう猫の話を止めた。

「もうやめて。知ってるお話はもうたくさん。私は知らない話を聞きたいの」

 話を止められた猫はおどろいて、まん丸な瞳をもっと丸くした。

「はて無欲かと思ったが、これまたずいぶんと強欲のよう。聞いたことのないといいますと、物珍しい話、ということですかな?」

「小夜啼鳥がしたことのないお話よ。私の小夜啼鳥が、お話をしてくれなくなってしまったの」

 少女は小夜啼鳥のことを猫に話した。猫はゆらゆらと尻尾をランプの闇に揺らしながら、しばし思案する様子だった。

「ははあ、なるほど、小夜啼鳥のせいで困っておいでというわけさね。どうです、吾輩なら力になれましょうぞ」

 その言葉に少女は目を輝かせた。それこそ少女の一番の望みだった。

「本当に。いったいどうすればいいの」

「吾輩は小夜啼鳥がなぜ啼かないのかを知っている。それをあなたに教えてあげてもよい。けれども、また啼いてくれるかどうかはあなた次第。なぜなら、小夜啼鳥が啼かなくなったのは、あなたのせいでもありましょうからな」

 猫はあくびを一つすると、少女に魔法をひとつ教えた。


 それから、それから、

 そうだ、思い出した。

 王子様は王様に。助けたお姫様はお妃様に。

 そうして二人はずっと幸せに暮らしました。

 じゃあ、小夜啼鳥は?

 わたしの小夜啼鳥も、ずっと幸せに暮らせたのかしら?


 次の日、少女は言われた通りに、街外れの砂丘のてっぺんへとやってきた。もう使わなくなった古い布や乾燥した枝や葉、それに家の屑籠を持ってくるのに、寂れた砂の丘への道を何度も往復しなければならなかった。

 風が止むのを待ってから火を起こすと、それに枝や葉、それから布切れ、屑籠の中身を順に焚べた。最初はとてもか細かった煙はだんだんと黒い塊になり、小さな焚き火は勢いよく燃え盛りだした。

 少女は首から提げていたお守り袋を外した。猫に教わった通り、袋の中から小夜啼鳥の羽を取り出し、火の中に放り込む。羽は見る間に黒く焦げ、炎へと変じていく。炎はぱちぱちとはじけ、真っ白い煙を空へとくゆらせた。

 すると、その煙がみるみるうちに集まって、一つの影が現れた。

 それは間違いなく、少女の飼っている小夜啼鳥の姿だった。

「どうしたの、愛しいご主人」

 小夜啼鳥は月の光でできた鈴のような声で囁いた。

「やっと話してくれたわね。あなた最近、まったくお話をしてくれなかったじゃない」

 少女が口をとがらせる。小夜啼鳥は炎の上で漂ったまま答えた。

「あら、そんなことないわ。鼠と蛇と猫が代わりにあなたにお話をしてくれたでしょう」

「そうじゃないわ。わたし、あなたのお話が聞きたいのよ。あなたは鼠とも蛇とも猫とも、ぜんまいじかけの鳥とも違って、私の知らないお話をしてくれる。それに、鼠や蛇や猫のお話は、いつも聞けるものじゃないわ」

「そう」

 小夜啼鳥はしばらく炎の上を羽ばたきながらさまよった。

「けれど、わたしのお話もいつまでも聞けるわけじゃないわ」

 小夜啼鳥は降りてきて、少女の目の前にしゃんと止まった。

「わたしはあなたのお母様が残してくれたただ一つのものだけれど、ただの小夜啼鳥。わたしがお話をできなくなったのは、あなたのお母様が昔わたしに、いいえ、あなたに聞かせてくれたお話を、もう全部話してしまったから。あなたがだんだんと、お母様のことを忘れていっているから。泉の水はいつかは尽きるもの。それだけよ」

 少女は無言で、小夜啼鳥の宝石のような澄んだ瞳を見つめている。

 私の小夜啼鳥。いつもお話を聞かせてくれる、お母様に似た、優しい声の、小夜啼鳥。

「子守唄は先にあって求めるべきものではなく、後ろにあって常に背中を支えるもの。その証拠に、ちゃあんとあなたの中に、残っているでしょう? 大事にしてね、愛しい子」

 小夜啼鳥はそう言うと、再び地面から飛び立った。

 火の勢いがだんだんと弱く、煙も細くなってきた。もうすぐ火は消えるだろう。それと呼応するように、小夜啼鳥のさえずる声も段々と細くなっていく。

「忘れることはいけないことじゃないわ。前に進むのは後ろめたいことじゃないわ。過去の夢の中をいくら彷徨っても、新しい物語には出会えない。だから、わたしの役目はこれで終わり。わたしのお話はここまで」

 少女は空になったお守り袋を火に焚べて、少しでも火を絶やすまいとした。炎は小さな袋を飲み込んだが、残り少ない時間を繋ぎ止めはしても、永遠にするには足りなかった。

「それでもあなたに消えてほしくない」

 小夜啼鳥は段々と小さくなる声で優しく笑った。その笑い方は、生きていた頃の母様にそっくりだった。

 少女は、目から熱いものが一筋伝うのを感じた。それでも、声を上げて泣きじゃくりたいのをなんとかこらえて、言葉を絞った。

「わがまま言うの、これで最後にするから。もう一度だけ、あなたのお話を聞かせて頂戴」

 小夜啼鳥はしょうがない子ね、とでも言いたげに小さくさえずった。それから柔らかい、星の雫でできた絨毯のような声で、ゆっくりと語り始めた。

 それは、毎晩お話をする小夜啼鳥が、飼い主である女の子と何度も喧嘩したり、困った時にお話を聞いてあげたりしながら、寿命を迎えて冷たくなるまで、幸せに暮らす話だった。

 小夜啼鳥の声は、だんだんと遠く、小さくなっていった。

 お話の終わりの一句がさえずられた時、最後の煙がふわりと空に溶け、小夜啼鳥の姿も蜃気楼と消えた。

 鈴の残り香のような余韻だけが後に残った。それだけが砂の上に、少女の耳の中に、残り続けていた。

 やがて少女は立ち上がり、焚き火の跡に砂をかけると、振り返ることなく砂丘を後にした。

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