表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/19

13.孤児院

 目を開くと、見慣れない光景が広がっていた。


 天井が高く、家具や内装の装飾も一級品のものばかり。ベッドはふかふかで寝心地がいい。公爵家の屋敷も十分に満足できるが、この場所は遥かにそれを凌駕していた。これほどまでに豪華絢爛の場所は国内で王宮しか考えられない。


 結愛は自分がなぜ王宮内のベッドで寝ているのかを考えていた。


 ――確か、私は王太子と話をして、昼食が中止になって中庭を第2王子に案内してもらうことになって……。そうだった! あの怪しげな男!!『お前は私に気があるのか?』だなんて!! どの口が言ってるのよ。私があんな名前も名乗らない失礼な男を好きになるわけないじゃない!!! 本当っに腹が立つわ!!! 一体、あいつ誰なのよ!「中庭に不審者がいた」って王宮の人に話した方がいいよね? でも、口は悪いけど悪人には見えなかったなぁ……。


 結愛が黒ずくめの男のことを考えていると、ドアが開いた音がしてそちらに目をやると水を溜めたタライを持つ第2王子が室内へ入ってくるのが見えた。


 第2王子がユナに気づくと、小走りに近づいてきた。


「ユナ嬢! 良かった。なかなか目が覚めなくて心配していたんだ! 体調はどうだい?」


「第2王子殿下、私は大丈夫です。あの……ご迷惑おかけしてすみませんでした。私はなぜここへ?」


「あぁ! ユナ嬢が中庭で倒れていて、ここへ運んだんだよ」


「では、殿下が私をここまで?」


「あぁ、私が席を外していたばっかりに申し訳ない」


「いえいえ! とんでもないです。私の方こそ運んでいただいてすみませんでした」


「ファビアン様が発見してくださって幸いでした」


「ファビアン様?」


「あぁ、ユナ嬢は倒れていてお会いしていませんでしたよね。ファビアン様がユナ嬢が倒れているのを最初に発見してくださって、ここまで運んでくださったのです。ファビアン様はこの大陸で唯一の大賢者様です。実はユナ嬢との食事中に席を外したのはファビアン様がお越しになられたからなんです。ファビアン様は大陸中を転々とされており、なかなかお目にかかれない方で、お待たせすることもできず、席を外させてもらったのです。ユナ嬢の体調の変化にも気付かず、大変なときにそばにいられず申し訳ない! 許してくれ」


 レオリオに事情を聞くと、どうやら倒れたユナを助けたのはあのいかにも怪しげな黒ずくめの男ことファビアンだったのだ。


 ファビアンは大陸中の王家で知らぬものがいないほど優れた頭脳と豊富な知識をもつ大賢者だった。大賢者はあらゆる分野の知識や技術に長けており、各国の王家から重宝されている存在だ。王家の悩みを聞き、即座に適切な解決策を導き出してくれる。


 今はアスティア王国に滞在しており、今日ようやく王宮へ出向く段取りがついたとのことだった。ファビアンの訪問は前触れもなく突然で無礼な行為だが、大賢者は大陸中で特別な存在。突然の訪問があれば、どの国でも歓待を受けていた。


 レオリオがユナとの食事で席を立ったのは、まさにファビアンが王宮を訪れたためだった。本来なら国王がファビアンと会うはずだったのだが、風邪を引いて寝込んでしまった。王太子は公務で隣国との交渉のために王宮を離れていたため、第2王子であるレオリオに白羽の矢が立ったのだ。


 王宮へ訪れるはずのファビアンがなぜ中庭へ行ったのかは不明だが、そのおかげでユナは倒れてすぐに貴賓室へ運び込まれたのだった。


「そんな、殿下。お顔を上げてください! 私は大丈夫ですから」


「ありがとう、今日はここに泊ってゆっくり休んでいてくれ」


 ――ちょっと待ってよ。私はユナじゃなくて結愛だから、このままここにいたら本当のユナじゃないってバレちゃうかもしれない。それはまずいわね。何とか公爵家に帰らなくちゃ。


「殿下、お心遣いに感謝します。でも、私は大丈夫なので今日は帰りますね」


「……、そうか。ユナ嬢がそこまで言うなら、私の一存でここに留めておくことはできないな。では、馬車を用意しよう。少し休んでから公爵家に送るよ」


「殿下、ありがとうございます」


 レオリオの申し出を何とか断ることができた結愛は、王宮の馬車で無事に公爵家別邸の帰路につくことができた。


 自室に戻った結愛はベッドに横になり、王宮の中庭で会ったあの黒ずくめの男のことを考えていた。


 ――あの怪しげな男は大賢者だったなんて。でも、かなり性格が悪いと見たわ。あんな人が大賢者だなんて、世の中おかしいって! 第一、私が何をしたっていうの? 最初から悪印象しか感じなかった。ユナの外見は申し分ないし、公爵令嬢と言ったら地位も名誉もある家柄でしょ? 何が気に食わなかったんだろう? ちょっとくらいイケメンで高身長で名誉も地位もあるからって……! ちょっと待って、私何褒めてんのよ。あんな男最低じゃない。女子の気持ちまったく分からない奴なんだから!! でも、第2王子が、実はあの男が私を貴賓室まで抱きかかえて運んでくれたって言ってたっけ。あいつが私を?


 結愛は頭をぶんぶんと揺らして、嫌な記憶を消し去ろうとするができるはずもなく、その代わり両手で両頬をバシバシっと2~3回叩いた。


 ――そんなことはいいわ。重要なのは結愛の記憶のこと。私、いつの間にか本当のユナを演じきっていたよね。こっちの世界に来てから徐々に結愛としての記憶が思い出せなくなっていって、いつしかすっかり忘れてしまっていたんだった。どうしてだろう? それに、なぜ今になって突然結愛の記憶を思い出したんだろう? 思い出す?……! そういえば、結愛の記憶を思い出したのはあのファビアンっていう男と話しているときだったような……。


『そなたは生き延びねばならない。そして、そなたの幸せを見つけるのだ』


 確かに、あの男はそう言っていた。そして、意識が無くなりかけたときに聞こえたあの言葉。


『案ずるな。私がついている』


 あれは、あの男が? なぜなの? なぜあの男は初対面の私にそんなことを言ったの? なぜ私の目の前に現れたの? 分からない……。


「……! もしかして! 私がユナじゃないってことをあの男は知ってる? それなら、私が元の世界に戻る方法を知ってるのかもしれない! けど、そうでなかったら? いいえ、他に方法はないし、あの男に会わなくちゃ! まだ王宮にいるのかな? でも王宮には招待もなく勝手に行けないし……」


 そのとき、ドアをノックする音が聞こえた。


「は~い」


「お嬢様……? お加減はいかがですか?」


 専属メイドのメアリが心配げにユナの顔を覗き込んでくる。


「わ、私は大丈夫! このとおり、ね!」


 結愛はユナを演じようと、上半身を起こしたまま両手でガッツポーズをして必死に元気さをアピールした。


「お嬢様? 何だかいつもと違うような? やはり、どこか具合がよろしくないのでは?」


「そんなことないよ。全然平気! それより小腹が空いちゃった。何か軽食を頼める?」


「はい! 分かりました。お嬢様の好物をすぐに用意してもらいますからね! ちょっと待っててくださいね」


 メアリはユナのおかしな言動に疑いを持ちつつも、体調が悪いせいだと納得したのか、ユナの軽食を準備するために元気よく部屋を出て行った。


「ふぅ~、お嬢様を演じるのも大変ね。それにしても、最初の頃は貴族令嬢らしい言葉遣いだったのに、今は結愛そのもの。なんでだろう??? まぁ、いいか。『腹が減っては戦にならぬ』と言うもの! まずは腹ごしらえしてから、ファビアンを探す方法を考えようっと」


 数日後、朝食をとってお腹が落ち着くと、メアリを呼び止めて1つの提案をしてみた。


「ねぇ、メアリ。ちょっと気分転換したいから街まで付き合ってくれない?」


「お嬢様! 街ですか? ぜひ! お供します」


 メアリは王都の街が気に入ったようだ。それもそのはず、片田舎にある本邸にも街はあるけれど王都とは比べ物にならないほど小規模だ。数時間あれば街の隅から隅までを散策できる。


 一方、王都の街は1日あっても足りないくらい店の種類が多く、いつも人で賑わっている。


「では、すぐにお出かけの準備をしましょう!!」


 メアリは張り切ってユナの身支度を整え、自分も外着に着替えてきた。


「お嬢様! 早く行きましょう!! 今日はどの地区に行かれますか?」


 王都は東西南北と中央の5つの地区に分けられており、地区ごとにお店の色も異なる。王宮は中央地区にあり、王宮を囲うように4つの地区が存在する。


 国の宰相である公爵は毎日王宮へ通う必要があり、国王の呼び出しがあればすぐに行けるよう王宮のある中央地区に住まいを構えている。


 中央地区は職人が多く集まる地区で、飴細工職人や鍛冶職人、時計職人、デザイナーなどあらゆる分野の技術者が店を構えている。王宮や上位貴族は中央地区の職人にドレスやスーツ、内装などを注文することが多い。


 北地区は農場が広がる地域から近く、毎朝採れたての野菜や果物が手に入りやすい。新鮮や野菜や果物を使った飲食店も多数ある。


 西地区は港町のため、新鮮な海産物が毎朝市場に並ぶ。交易の場でもあることから、外国から輸入した特産品や国内では珍しい品が定期的に入ってくる。ユナがレナートへの手土産に花茶を購入したのも西地区だった。


 南地区は王族や上位貴族の別荘地が多い地区だ。森林や湖が所々にあり、休暇を楽しむセレブたちの地区と言っても過言ではない。


 東地区は貧困層や複数の異民族が暮らす地区。戦で親を失った戦争孤児や生活が回らず捨てられた子どもが集まっている。いわゆる口減らしというものである。東地区に孤児や捨て子が集まるのは王都で唯一の孤児院があるためだ。


 しかし、孤児院があることをいいことに、子どもを捨てる親が絶えない。国王も王妃も実情を知って王太子に改善を指示しているが、捨てられる子どもは増える一方で根本的な解決が必要だと頭を悩ませている。


 ユナこと結愛はメアリを連れて街へ出かけた。


 結愛は中央地区の市場のそばで馬車を降り、御者をその場に待機させてメアリと市場内へ歩いていく。


 中央地区は王宮のお膝元で、常に警備隊が巡回しているため治安は良かった。そのため、警護を付けなくてもメイドと2人だけで外出できるのだった。


 結愛はメアリに声をかけた。


「メアリ、あなたはいつも頑張ってくれているから、ご褒美をあげる! これでゆっくり買い物でも楽しんできて」


「お嬢様~!! 本当にいいんですか?? 私、感動ですぅ~!!!」


 メアリは涙目になりながら感謝の言葉を繰り返す。


 ユナはメアリにお小遣いを渡すと、「じゃあ、お昼の鐘がなったらあそこの噴水広場で待ち合わせね」


「はいっ!! でも、お嬢様お1人にしてしまって不便ではありませんか?」


「大丈夫よ。私も久しぶりに1人でゆっくりしたいから、気にしないで楽しんできてね」


「分かりました! では、鐘がなるまで楽しんできます!!」


 メアリはお目当ての店があるのか、ユナにぺこりと一礼すると一直線に走って行った。


 ――メアリはきっと、あの化粧品ブランドの店に行ったのだろう。数日前にメアリから何でも王都で人気の化粧品があると、ずっと話を聞かされていたもの。きっと年頃になって顔のそばかすが気になっているはず。化粧品の話と一緒にエマの顔みたいにそばかすがない顔が良かったとしきりに話していたのよね。


 結愛はそれを知って思いついたのだ。


 実は今日街へ来たのはメアリにご褒美をあげるためでも、のんびりするためでもない。本当の目的はファビアンに関する情報を集めるためだった。


 エマは賢く、ユナのそばを絶対に離れようとしないため、あえて幼く欲にまっすぐなメアリだけを連れて街へ出かけたのだ。もちろんメアリにご褒美をあげたのは、本当に頑張ってくれているという本心からだ。


 だからこそ、騙しているようで罪悪感が拭いきれないが、メアリと一緒に行動するとなればファビアンの存在や探す理由を打ち明けなければならないし、ボロが出て本物のユナではないと思われかねない。それならば1人で行動した方がいいという結愛の判断で、今日その策を決行したのだった。


「ファビアンは大賢者。大賢者って王族相手にしかしないから、どうやって情報収集すればいいんだろう? ひとまず中央地区の中心街に来てみたけれど、情報ギルドみたいな場所ってあるのかな?」


 そのとき、なぜかふと、ある2階建ての古びた建物が目に入った。そこには看板がなく、人気もないようだった。何のお店なのか気になって街の人に聞いてみると、まさに結愛が探していた情報ギルドだった。


 情報ギルドという名ではないけれど、情報を売り買いしている場所らしい。


 ――どんな人がいるのかな? もしかして厳つい顔の強面のおじさんとか、ならず者とかでいっぱいってことはないよね? でも中央地区は常に警備隊が見回ってるし、治安もいいから大丈夫だよね……。よし! ファビアンの行方を知るためだ!! ちょっと怖いけど行ってみよう。念のため、これを武器にして逃げればいいかな。


 結愛は道端に転がった石をいくつか拾ってドレスの空いている方のポケットに潜ませた。


 情報屋から情報を買うための資金はたすき掛けしたポーチに入れている。


 ――どうか、ファビアンの情報が手に入りますように! 無事にあの建物から出てこれますように!!


 結愛は心の中でそう願うと、情報屋がいるという2階建ての建物に入った。


 ドアを開けると、チリンチリンとベルの音が室内に鳴り響いた。室内を見回すと、大人3人が立てるくらいのカウンターが1つだけあり、奥には2階へ通じる階段が見えるだけ。


 情報屋がいる場所といえば酒場のイメージが強かったため、怪しそうな雰囲気はあるものの強面の男たちに睨まれるなんて事態にならないことが分かり、ホッとしていた。


 すると、カウンターの奥から1人の男が顔を出す。


「なんや~、お嬢ちゃんかぁ。なぁ、ここはお嬢ちゃんが来る場所じゃーない。お兄さんは大事な仕事をしているんだから邪魔しんといてや~」


 似非関西弁のような雰囲気で話す若い男が結愛を追い出そうとしていた。


 結愛はその男が情報屋なのか怪しく思ったが、他にファビアンの情報を得られる場所を探しようにも心当たりがなかったので、その男の言葉は気にせずに本題を切り出した。


「私、情報を買いに来たんです! ほら、お金もちゃんと用意しています」


 結愛はポーチからお金を入れた巾着袋をカウンターの上に置く。巾着袋は小さいが、カウンターに置いた瞬間チャリンチャリンと金属がこすれる音がした。


 その音を聞いた男の目の色が変わった。


「へぇ~、お嬢ちゃんお金持ちなんね~。分かった! お兄さんは普段子ども相手に情報を売ることはないんだけど、お嬢ちゃんのその本気と勇気に免じて話を聞いてやろう。情報を売るかどうかはお嬢ちゃん次第だ。いいな?」


「分かった。それでいいから」


「よし! じゃあ、ここで話すのも何だから2階へ行こうか」


「……あの、ここで話すんじゃダメですか?」


「どうした? あぁ~、まさか俺がお嬢ちゃんに悪さすると考えているのか? あぁ~ないない! 俺の好みはこう体のラインが……」


 その男は胸やお尻の大きさを強調するようなしぐさをする。


「分かったから! もういい、それ以上は言わないで……!」


「分かってくれたならいい。じゃあ話は2階で聞く。モリ―!! 後は頼むな~」


 姿は見えないけれど、若い女性の声が聞こえた。


「はいよ~」


 ――何だ、女性もいるのか。それなら万が一何かあっても大声を出せば何とかなるかな……。


 結愛は同性の声を聞いただけで身の危険が薄れた気がして安堵した。


 2階に着くと、いくつかの個室があり、ドアが開いたままの部屋と閉まっている部屋があった。ドアが開いたままの部屋には人気がなく、空室であることが分かった。


 若い男は階段を上って一番手前の空き部屋に入って行った。


 結愛は狭い個室に見知らぬ男と2人きりになることを警戒したのか、無意識にゴクリと唾を飲みこむ。


「お嬢ちゃん、早く入ってドアを閉めてくれ。ほらほら、そこへ座って」


 その男はこちらが警戒しているのをよそに、『忙しいから早くしろ』と言わんばかりの態度だ。結愛は客に対する態度が気に食わず、腹を立てたが怒っている時間がもったいないので、黙ってその男の言うとおりにドアを閉めて指定された椅子に座ることにした。


「それで、お嬢ちゃんはどんな情報を知りたいんだ?」


「あなたは大賢者のことを知っている?」


「大賢者だって? お嬢ちゃんこそ、あの方のことを知っているのかい?」


「えぇ、つい最近だけど偶然会ったの」


「へぇ、あの方がお嬢ちゃんとね~。それで、あの方の何を知りたいんだ?」


「大賢者に会いたいの。だから、どこで会えるのか知っていることは全て教えてほしいの」


「お嬢ちゃん、あの方は名前を呼ぶことすら畏れ多い大賢者様だ。お嬢ちゃんが会いたいと言ってすぐに会えるようなお人ではないんだぞ」


「分かってる。でも、あの人と会わないとダメなの。あの人にしか聞けないことなの」


「う~ん。それなら俺にその話とやらをしてみないか? 俺は情報屋だ。この国のことはもちろん、この大陸中の情報を集める情報網を持っている。俺が本気になればどんな情報でも見つけてやれる。もちろん、その分こっちは弾んでもらう必要があるがな」


 その男はにっこり笑顔でそう言いながら、親指と人差し指で円を作り「報酬次第」と言いたげだった。


「たぶん、あなたじゃダメだと思う。だから大賢者の居場所を教えて」


「……」


 男は「ふぅ~」とため息をつくと、静かに話し始めた。


「お嬢ちゃんがあの方に会いたいという気持ちは分かったよ。だがな、あの方は神出鬼没だからな~。そういや、お嬢ちゃん、あの方に会ったと言ったよな? どこであの方と会ったんだ?」


「それは……」


 結愛は自分が公爵令嬢ユナであることを明かすべきか悩んでいた。余計なことを言って公爵家や本物のユナに迷惑をかけるのは嫌だったし、目の前の男が信用に値する人間かまだ判断できずにいた。


 身分を明かさずにどうやってファビアンと出会ったのかを説明するのは至難の業だ。思い悩んでいると、男は結愛が身分を明かしたくないと気付いたのか、1つの提案をしてきた。


「仕方ない。それなら、俺から1つ提案だ。あの方の居場所は教えられないが、目撃情報が多い場所なら教えられる。金貨1枚でどうだ?」


 ユナは公爵令嬢であるにも関わらず、慎ましやかな生活をしていた。もちろん社交の場や普段着用するドレスは公爵家で用意するため、ほとんどと言っていいほど私用にお金を使うことはなかった。


 強いて言うなら、専属メイドにお小遣いとしてポケットマネーから出すくらいだ。そのため、毎年ユナに配分される資金はほとんど使われず、貯蓄に回されていた。


 大金を貯蓄に回していたのは理由があった。


 それは専属メイドのエマとメアリが嫁ぐ際の嫁入り道具や支度金を用意するためだった。結愛はユナが使用人の将来を見据えて無駄遣いをしていないことをユナの記憶から知り、見た目だけでなく人柄も素晴らしい令嬢だと感心していたものだ。


 だから、金貨1枚を自分のために使っていいのか悩んだが、きっとユナなら許してくれるだろうと思い、男の提案を呑んだのだった。


 結愛は情報屋の店から出ると、貧困層や異民族が多く暮らすという東地区へ向かった。


 情報屋の話によると、ファビアンは定期的に東地区に出没するという噂があると言う。情報屋もファビアンのことは知っているものの、実際に見たことがある人はいないようだった。


 だからこそ結愛がファビアンと会ったと聞いて、情報屋の男はファビアンがどのような容姿か、性別は男か、年齢はいくつ位だと聞いてきたが、ファビアンの個人情報は今後の取引材料になると考えて、詳しくは話さなかった。


 東地区は情報屋の建物から5分ほど歩いた場所にあり、人や店で賑わう中央地区と違って人気が少ない。東地区の入口には門番がおり、中央地区の治安維持のため厳重に警備されている。


 結愛が入口の門に差し掛かると、門番の1人が声をかけてきた。


「やぁ、お嬢ちゃん。東地区に用があるのかい?」


 声をかけてきたのはまるで大黒天のようにふくよかな顔で、やさしい笑顔のおじさんだった。


 もう1人は微動だにせず、仮面のように無表情で正面を見続けている。そちらの男は若いようだ。どうやら、若い男の方は民を怖がらせそうな雰囲気をしているから、声をかけるのはおじさんの役割と決まっているのだろう、と結愛は1人納得していた。


「はい、今日は孤児院に寄付をしにきました」


 結愛がそう言うと、おじさんは「そうかい。若いのに偉いねぇ~。1人で大丈夫かい?」


「はい、大丈夫です」


 そう答えると、おじさんと若い男が門から一歩横にズレて結愛が通るスペースを作ってくれた。


「ありがとう」


「お嬢ちゃん、気を付けて行くんだよ~」


 結愛は門をくぐって、孤児院のある方向へ歩いて行く。


 ――ふぅ~。良かった~。情報屋のお兄さんのアドバイスを聞いておいて良かった。


 実は、情報屋を出る前に情報を売ってくれた男からアドバイスを受けていたのだ。


『東地区の入口には門番がいるから、用もなく行けば中へ入れてくれないだろう。お嬢ちゃん1人で行くなら、何か理由を考えておくといい。そうだなぁ~、例えば孤児院に寄付に行くとか』


 情報屋の男の言うとおりだった。


 結愛はどこから見ても貴族令嬢にしか見えない。貴族令嬢なら孤児院に寄付しに行くと言えば、怪しまれないだろうと見込んだ上で情報屋の男は提案をしてくれたようだ。おかげで怪しまれずに済んでホッとしていた。


 10分ほど歩くと、少し離れた場所に大きな建物が現れた。


 建物はやや古いが、新しい木材で補強されているようだった。敷地は鉄の柵で囲われており、近づくごとに子どもの遊び声が大きくなる。


 門の前に着くと、子どもの頭の大きさ位の鐘があり、紐を引っ張ることで鐘が鳴る呼び鈴のような役割があるものだと分かった。結愛は紐を引っ張って鐘を鳴らした。


 鐘の音を聞いた子どもたちは鐘の鳴る方へ走り寄って来た。子どもたちはまだ幼く、幼稚園から小学生低学年位の年齢だと推測される。


「わぁ~、おねえちゃんのドレスきれい~」


 1人の女の子が結愛が着るドレスが気になったようだ。


「ほんとだ~、おねえちゃんいっしょにあそぼうよ~」


「あそぼ~」


 次々と子どもたちが結愛に声をかけてきた。すると、後ろから大人の女性の声がした。


「まぁ! どこのお嬢さんかしら」


 その女性はやさしい笑顔で門を開けて、結愛を温かく迎え入れてくれた。


「はじめまして、ユナと申します。事情合って身分は明かせないのですが、今日はこちらに寄付のために来ました」


「まぁ! お嬢さんが寄付に? とてもうれしいわ! でも、ご両親はご存知ですの?」


 貴族の令嬢とはいえ、子ども1人で孤児院を訪ねてきたことを不審に思っている様子が伝わってくる。


 ――ここで追い返されてしまったら、元も子もない。何とか話だけでも聞かせてもらわなきゃ。


 結愛は目の前の女性が安心できるように、思い付く限りの言い訳をしてみた。


「両親は寛大ですから、事後承諾で構いません。あの、でも両親も日頃から寄付の大切さを聞かせてくれているので……。それに、咎めたり寄付したものを奪い返したりする心配はありません」


 結愛の言い訳が功を奏したのか、その女性はにっこり笑顔で扉を開けて中へ入ることを許してくれた。


「そうですか、分かりました。では、お嬢さん。中へどうぞ」


「はい!」


 子どもたちは結愛のそばから離れず、建物の中まで一緒に入って来た。


「トーマス、悪いけれど。こちらのお嬢さんと大切な話があるので、この子達の面倒をみてくれないかしら?」


「はい、ミセスリード。さぁ、お前たち、僕と一緒に外で遊ぼう!」


 トーマスと呼ばれた少年はユナよりも年下のように見えたが、しっかりお兄さんの顔で子どもたちを外に連れ出した。


「ここにはお嬢さんくらいの若い訪問客はほとんどいらっしゃらないので、あの子たちはお嬢さんに興味を持ったのでしょう。お時間が許すなら、一緒に遊んであげてほしいのだけれど……」


「はい、もちろん。でも、今日は別の用事も兼ねて出かけてきたので、また日を改めて顔を出させてもらいますね」


「まぁ! うれしいわ。ありがとうございます」


 ミセスリードは母娘くらい年齢が離れた少女に対して深々とお辞儀をした。


「いえ、ミセスリード! 頭をお上げください。そんなに大したことはしていませんから!」


「いいえ、あの子たちの輝くような笑顔を見たのは久しぶりです。実は、最近までお嬢さんくらいの年の女の子がいたのだけれど、養父母が決まってここを去ったばかりなのです。あの子たちも『おねえちゃん』と慕っていたので、去ってしまった後はみんな寂しくて泣く日々が続いていたのです。先ほど子どもたちを外に連れ出したトーマスが何とか明るく振る舞って元気付けてくれていたんですよ。あの子たちはお嬢さんが来て、去ってしまった子の面影を見たのかもしれないわね……」


「……そうでしたか。私、必ずまた来るので!」


「ありがとうございます。こんな素晴らしいお嬢さんがいらっしゃるとは……。きっとご両親もご自慢のお嬢さんでしょうね」


 ミセスリードと結愛は微笑み合った。


 結愛は寄付金をミセスリードに手渡し、ユナとだけサインをした。


「ユナさんですか。とても素敵なお名前ですわ。そういえば、あの方のお知り合いも同じ名前だった気がするわ」


 結愛は聞き覚えのある二つ名『あの方』という言葉を聞き、胸が高鳴った。


「あの方? あの、ミセスリード、『あの方』とは?」


「えぇ、この孤児院の支援者の1人ですわ。お名前は明かせないとおっしゃられていたのですけれど、孤児院の修理やら資金集め、お金のやりくりなど、豊富な知識を持たれている方で、時々様子を見に来てくださるのです」


「その、その方は『ユナ』という人のことを何て言っていたのですか?」


「えぇ~と、そうね。はっきりは覚えていないのだけれど、『放っておけない娘』と言っていたかしら?」


「あの、もしかしてその人って黒ずくめの服に長い黒髪、漆黒の瞳をしている人では?」


「そうです! ユナさんはあの方をご存知なのですか?」


「1度会っただけなのですが……。その、その方は今度いつ来るのでしょうか?」


「う~ん。そうですね~、毎月1度は顔を出してくださるのだけれど、いつとは決まっていないのです」


「ミセスリードは次にいつ来るのか、大体の目安は分かりますか?」


 ミセスリードは結愛の真剣な表情に気押されながらも、どうしても『あの方』に会わなければ行けない事情があるのだと勘付き、結愛の質問に対して正直に答えた。


「はっきりとは申し上げられませんが、おそらく今日か明日当たりだと思いますわ」


「こちらから聞いておいて失礼だと思うのですが、その根拠を教えていただけますか?」


「はい、今日か明日だと予測した理由は2つあります。1つは前回来た日から1カ月経つからです。もう1つは来週に大雨が降るからです」


「大雨ですか?」


「えぇ、孤児院は一部の貴族や商人の方々の寄付で運営されています。それでも修繕費や維持費、子どもたちの食費、外部から教師を招くための費用など、蓄えできるほどの資金はほとんど残りません。まだ修繕が必要な箇所がいくつもあって、大雨の前になると必ずと言っていいほど『あの方』がいらっしゃって、雨漏りしそうな箇所を直してくださるのです。『なぜ大雨が降ると分かるのか』と聞いたことがあるのですけれど、空を観察していると分かるのだとか。最初は半信半疑でしたのですけれど、それから毎日子どもたちと空を観察していると、段々と大雨が降る予兆のようなものが分かってきたのです。だから、3日後大雨になりそうなので今日か明日にはいらっしゃるだろうと推測したのですよ」


「そうでしたか、では今日待っていれば、もしかして……」


「ユナさんは『あの方』を探していらっしゃるのね?」


「はい、実はそうなんです。私にとってはとても重要なことなんです。どうしてもあの人に聞きたいことがあって……。でも、私のような者が簡単に会える方ではなくて……」


「そうでしたの。それならば遠慮なく、ここでお待ちになっては?」


「いえ、そんな。寄付金はお渡ししましたし、ご迷惑はかけられません」


「そんなことありませんわ! 大したお構いもできません。ですが、暇つぶしにでも子どもたちと遊んでゆっくり待たれてはいかがですか?」


「あぁ! それなら、ぜひ!」


「それでしたら、ユナさんに1つお願いがあります」


「お願いですか?」


「えぇ、最近までいた子の話をしましたよね? 実はその子は読み聞かせするのが得意で、子どもたちがせがんでくるのです。私やトーマスも読み聞かせをするのですが、『声が違う』と言ってあまり喜んで聞いてもらえないのです。もしかしたら、ユナさん位のお嬢さんの声なら、子どもたちも喜んで聞いてくれるかもしれません。無理強いするつもりはありませんが、ご迷惑でなければ読み聞かせをしてあげてくれませんか?」


「はい、もちろんです! 私も弟が1人いて、幼い頃は読み聞かせをしてあげていました。あの子たちが喜んでくれるのか分かりませんが、やるだけやってみますね!」


「まぁ! 良かったわ。ユナさん、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いしますね」


 結愛が絵本を読み聞かせると子どもたちは大いに喜び、何冊も絵本を読まされていた。ずっと読みっぱなしで疲れていたものの、素直で明るい子どもたちと触れ合う時間は結愛にとっても楽しい時間になった。


 子どもたちが疲れて昼寝をし始めると、ミセスリードが結愛に紅茶とお菓子を用意してくれた。


「ユナさん、読みっぱなしで疲れたでしょう。どうぞ大したおもてなしはできないのですけれど、良かったら召し上がってください」


「ありがとうございます」


 お礼を言って紅茶の香りを楽しんでから一口味わった。


「とてもいい香りです。このクッキーも美味しいです」


「良かったわ、お口に合って。クッキーは昨日子どもたちと一緒に焼いたものなんですよ。よくできているでしょう?」


「はい、とっても。子どもたちが作ったクッキーなんですね。とても美味しいです」


「ユナさん、せっかく待ってくださったのに、『あの方』はいらっしゃらなかったですね」


「ご迷惑でなければまた来てもいいですか? 明日も来れるかは分からないのですけど……」


「えぇ、もちろんですとも! ユナさんなら、いつでも大歓迎ですよ。子どもたちも喜びますから、近くへ居らしたときにはぜひ顔を出しに来てくださいね」


「はい! もちろん」


 ユナは明日もう一度孤児院に来れるか、考えていた。そのとき、ふっとメアリの顔が浮かんだ。


「どうしよ!」


「ユナさん、慌ててどうかなさったの?」


「私、知り合いとお昼の鐘が鳴る時間に待ち合わせをしているのをすっかり忘れていました! もう日没が近いですね。早く戻らないと!」


「まぁ! それは大変。お知り合いの方は今頃ユナさんを探していらっしゃるかもしれませんね! そうだわ! トーマス!」


「はい、ミセスリード」


「トーマス、ユナさんを中央地区まで送ってあげてくれないかしら?」


「中央地区ですか?」


「お知り合いの方と待ち合わせをされているそうなんです」


「あの、でも、申し訳ないので……」


「トーマスはこう見えても乗馬が得意なのですよ。トーマスの馬で行けばあっという間に中央地区へ戻れますよ」


「ユナさん、俺がしっかり送り届けるから心配しないで!」


「トーマスもこう言っていることですし、ね」


「分かりました。トーマスさん、どうぞよろしくお願いします!」


「俺のことはトーマスでいいよ! 俺たち年も同じくらいなんだから」


「じゃあ、トーマス。お願いします」


「はいよ! じゃあ、馬の準備をしてくるから門のそばで待っていて!」


「うん、分かった」


「ユナさん、今日は寄付も頂いた上に、子どもたちの笑顔を取り戻してくれて本当にありがとうございました」


 ミセスリードは年下の娘にもかかわらず、再び深々と頭を下げてお礼を言った。


 ユナはミセスリードの誠実な気持ちを無下にするまいと、黙ってその礼を受け止めることにした。


「こちらこそ、今日は楽しい時間を送れました。また遊びに来させてもらいます。ではここで失礼します」


「どうぞお気を付けて! ユナさん、またいらっしゃるのをお待ちしていますね」


 結愛はミセスリードに大きく手を振り、門の方を向いて歩き出した。


 トーマスは馬の準備をすでに終えていたようで、門の前で結愛が来るのを待っていた。


「トーマス! もう馬の準備を終えたの? 早いのね!」


「実は、こんなこともあるんじゃないかって考えていて、念のため馬の準備を粗方終わらせていたんだ」


「まぁ! あなたってとても賢いのね!」


「俺が賢いって? まさか! そんなこと、始めて言われたよ。いや、ミセスリードには言われたこともあったかな……」


 トーマスは照れくさそうに言うと素早く馬に乗り、結愛に手を差し伸べる。結愛はトーマスの手を取ると、あっという間にトーマスの前に座っていた。同じ年頃なのに、まるで紳士のような振る舞いに驚いていた。


「じゃあ、しっかりと手綱を捕まっているんだぞ! 振り落とされるなよ」


「えぇ、分かったわ!」


 トーマスのおかげで、数分足らずで中央地区に戻ることができた。


 市場内は人が多く、馬で移動するのは難しいため少し離れた場所で降ろしてもらった。トーマスにお礼を言い、「また遊びに行く」と告げてメアリと待ち合わせ場所の噴水広場へ向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ