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12.ファビアン

 黒ずくめの男は無言でユナのもとへ歩み寄る。


 ――なぜかしら、目の前にいるこの怪しげな男に警戒心を抱いていてもいいはずなのに……。初対面のはずなのに、どこか懐かしいような温かい気持ちになるなんて。この人は誰なんだろう?


 その男はユナの目の前に来ても何も語らない。顔は無表情のままで何も語らず、ただじっとユナを見ていた。


「あの、どこかでお会いしたことが?」


 沈黙を破ったのはユナだった。


 男は眉一つ動かさずにユナの質問に答える。


「そなたとは初対面だ。見知らぬ男に自分から声をかけるなど言語道断だ」


「……そんな! それを言うなら、見知らぬレディの前に挨拶もせずに近づいてくることの方が無礼なのでは?」


「ふん! お前ごときに私の名を教えるわけはなかろう」


「そ、それはいくら何でも失礼ですわ!」


「相手の名前を聞く前に、まず己から名乗れと公爵に習わなかったのか?」


「……! それは……」


 ユナは公爵令嬢としての振る舞いについて痛い所を突かれ、何も言い返せなかった。いつものユナであれば、冷静に対処しているものの、この男の前ではなぜかそれができなかったのだ。


 頭に血が上っていたが、その男の言葉で冷静さを取り戻し、小さく深呼吸をしてからドレスの両端を指で掴み上げて公爵令嬢らしい挨拶をした。


「大変失礼いたしました。お初にお目にかかります、公爵家長女のユナでございます。あなた様のご高名をお教えいただけますでしょうか?」


「二度も言わせるな。なぜお前に名を教えねばならぬのだ。ふっ、さてはお前、私に気があるのか?」


 男はやはり表情一つ変えずにユナをじっと見て、反応を観察しているようだった。


「……! な、何を……。わ、私はあなたなんてタイプじゃありません!!」


「ふははは……」


 先ほどまで眉一つ動かさない無表情だった男は、ユナの反応が面白かったのか突然笑い出した。


「くっくっく……」


「なぜ笑うのですか? あまりにも失礼ではございませんの?」


 ユナが反論すると、男は再び無表情に戻り、冷めた目つきでユナを見下ろした。すると突然、男は目を瞑った。


 ――ちょっと、あまりにも失礼じゃないの! こんな無礼な人に会ったのは初めてだわ。それに名を明かさないなんて、おかしいわ!! どうしたのかしら、腹が立って仕方ないわ。もうこの人と関わるのはやめた方がいいわね。ここは王宮でレオリオ殿下の特別な場所なのに、なぜこの人はここに来たのかしら? このままここに居るのを許していいのかしら? レオリオ殿下はまだ帰っていらっしゃらないし、どうしたらいいの。それにメイドも戻ってくる様子がないわね。一体どうなっているのかしら?


「……!」


 そのとき、ユナの脳裏にいくつものイメージがもの凄い勢いで流れ出した。


 ――これは一体……? あの子は誰なのかしら? 見たことのない風景……。あれは私? でも、そんなはずはないわ。おかしな服装で、レディなのに殿方の前で足を見せているなんて! はしたないわ。なぜかしら? 私は知っているわ。あの風景……。ここではない別のどこか……。


『お姉さん、このままだと短命で人生が終わってしまうよ』


『たん……めい? 人生が終わる……?』


『宿命で定められている寿命もあるけれど、お姉さんの場合は運命というだけだから、未来を変えられる余地があるよ』


『私はどうすればいいんですか? 何をすれば運命を変えられるんですか?』


『先に言っておくけど、この方法は運命を100%変えられる保証があるわけではないんだ。場合によっては命の危険に晒されることもあるかもしれない。そして、たった1人で立ち向かわないといけない。……それでも試してみたい?』


『命の危険が……? お願い! 運命を変える方法を私に教えてください!!』


『お姉さんに教える方法は満月の夜にしかできないんだよ。だから今日すぐには教えられないんだ。満月は明日だから、明日の夜8時前にもう一度ここに来てくれる? くれぐれも遅れないでね。』


『私の運命を変えてください。私の運命を変えてください。私の運命を変えてください……!』


『結愛、いつになったら孫の顔を見せてくれるの?』


『私は、結婚なんてしないから……!』


『結婚しないって、1人でどうやって生きていくの!!』


『お姉ちゃんはいいよね、独身だから自由でさ』


『私だって……!』


『結城さんって陰薄いっていうか……何考えてるか分からなくない?』


『そうそう! この前、廊下ですれ違ったときにぶつかって結城さんが持っている書類をぶちまけちゃったんだけど、向こうが「すみません! すみません!」って謝ってきてさ~。超ネガティブモンスターじゃない?』


『それってさぁ~、わざとぶつかったんじゃないの?』


『えぇ~! ちょっとやめてよ。あんな根暗な子と関わったら、こっちまで幸薄くなりそうじゃない?』


『あぁ~! 確かに!!』


『あははは……!』


『結城君、この仕事今日中によろしくね』


『あの……』


『何だ? 君ならできるだろう? 頼んだよ』


『……』


『結愛、自由に生きるというが、これからは全てのことに責任が伴うんだぞ? もう一度よく考え直しなさい』


『私は……! いえ、分かりました』


『ねぇ、結城さん』


『ちょっと、やめときなよ』


『大丈夫よ。結城さん、ちょっと話があるんだけど』


『う……ん』


『結城さん、もしかして花井君と付き合ってるの?』


『えっ? ううん、付き合ってない』


『そっかぁ! だよね!! それならさ、協力してくれない? この子が花井君のこと好きなんだよね。』


『えっ?』


『彼サッカー部のエースだし、勉強もできるもんね。それに顔がイケメンだし!!』


『そうそう! イケメンの彼氏が欲しかったんだよね~。ねぇ! 結城さん、花井君と席が隣でよく話してるでしょ?』


『それは、まぁ……』


『ねぇ! 協力するの? しないの? どっちなの?』


『でも、私は……』


『はぁ~! もういいよ!! ほんっとに鈍くさい。話してるとイライラする!!』


『もう行こうよ~。だから言ったじゃん! どうせ無理だって』


『きゃははは』


『……』


『ゆうなちゃん、ぼくの妹をいじめないでよ!』


『ゆうな、いじめてないもん!!!』


『だけど、ゆめがゆうなちゃんに叩かれたって言ってたよ!』


『ゆうな、叩いてないもん!!!』


『結愛、あなたはおねえちゃんなんだから、小さい子にやさしくしてあげなきゃダメよ』


『結愛、お土産を買って来たぞ~』


『また、ぬいぐるみ? もっと他にあるでしょ』


『何だ、俺のやることに文句があるのか?』


『あなたっていつもそうよね! 本当にイライラするわ!!』


『何だと! 俺は家族のために働いて稼いでいるんだぞ!! お前こそ家で楽してるだけで、もっと夫を立てたらどうなんだ!!』


『私が知らないと思ってるの? 知ってるのよ! あなたが仕事と言って誰と会っているのか!!』


『……! だからなんだって言うんだ! こんな息が詰まる家に帰ってくる俺の身にもなってみろ!!』


『わぁ~ん』


『うるせぇ! 早くあっちに連れて行け!!』


『あなたの方がうるさいわよ!!』


『わぁ~ん』


 ユナの目から涙が溢れ出る。


 ――心がズタズタにされたように苦しい。この感情は一体? 彼女は私なの? まるで自分の記憶のように感じる。家族も、幼馴染みも、同級生も、同僚も、なぜみんな私に冷たく当たるの? 私はただ穏やかに過ごしたいだけなのに! 何もしていないのに、なぜ私を嫌うの? どうして、そんなにひどい言葉を簡単に吐けるの? みんな、みんな消えちゃえばいいのに!! 私も消えたい……! これは……私の記憶。そうだ、私の本当の姿だ。


 ユナの脳裏に流れたイメージは結城結愛として生まれてからこの世界に来るまでの全ての記憶だった。いつしか結愛としてでなく、ユナとして日々を送るようになっていた。


 これまでの辛く暗い過去の記憶が全て蘇り、胸が苦しくなる。溢れ出る涙は止まりそうにない。


 ――そう、私は占い師の男の子に短命で終わると言われて、教えてもらった方法を試したら、公爵令嬢のユナになっていたんだった。最初は元の世界の記憶があったはずなのに、いつの間にかすっかり忘れていてユナ本人になりきっていたんだ。どうして忘れちゃっていたんだろう? それに、どうしたら元の世界に戻ることができるの? 私は一生をここで過ごさなきゃいけないの?


 結愛はどうしようもなく不安でいっぱいになり、胸が押しつぶされそうになった。


 そのとき、目の前にいる男が静かに口を開いた。


「そなたは生き延びねばならない。そして、そなたの幸せを見つけるのだ」


 男の声を聞くと、フッと全身から力が抜けて目の前の視界が大きく歪んだ。ぼやけて何も分からないが、不思議と恐怖や不安は一切感じなかった。むしろ温かさを感じ、ゆっくりと瞼が閉じていく。


 意識が薄れていく中で、どこからか誰なのか分からないが、声が聞こえた。


「案ずるな。私がついている」


 結愛の意識は完全に途切れた。

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