10.レナート王太子
今日は、ユナがレナート王太子殿下と会食をする日だ。
ユナは普段よりも気を遣って身支度を整えていた。
「メアリ、今日は左に流すように1つに髪を編んでくれるかしら」
「はい、お嬢様。承知いたしました! 髪を1つに編むのでしたら、こちらの花をモチーフにした髪飾りを散りばめてはいかがでしょうか?」
「えぇ、素敵ね。お願いするわ」
「はい! お任せください!!」
メアリは自分の提案がユナに受け入れられて、一段と張り切っている。
「エマ、先日買った手土産の準備をお願いね」
「はい、ユナお嬢様。こちらに用意してございます」
「ありがとう、いつも手際が良くて助かるわ。エマ」
エマは次期メイド長と言われるだけあっていつも冷静だが、ユナから労いの言葉をかけられて今日は特段うれしそうだ。
「エマ、珍しいね。今日はとてもうれしそう!」
「コホン。そうかしら?」
ユナはメアリとエマの会話を聞きながら、やさしく微笑んで見守っている。心は落ち着いているが、王太子と2人きりで会うことに少し緊張を感じていた。緩くなった表情を引き締め、王太子とどのように向き合えばいいのかを考えていた。
――レナート王太子殿下とは先日のパーティーでご挨拶させてもらったけれど、失礼のないように注意しなくちゃ。レオリオ様もクレイド様も最初は私に対して好意的な態度ではなかったけれど、じっくり話してみるとお2人ともご自身の将来を見据えた明確な考えを持たれていたわ。王太子殿下ともなれば、将来国王陛下になられる御方ですもの。きっと王太子妃というよりも次期皇后に相応しいレディかどうかを見定めるおつもりだわ。私はとてもじゃないけれど、皇后には相応しくないわ。家柄やマナー、所作、知識という点では他の令嬢たちに負けない自信はあるけれど、それだけでは足りないと思うのよね……。努力が必要なことなら惜しまない。でも……。
1人で思考を巡らせていると、突然ユナを呼ぶ声がした。
「お嬢様! お嬢様ったら……何度もお呼びしたのですよ!どうしたのですか?」
「あら、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて、呼ばれたのに気付かなかったみたいだわ」
「ユナお嬢様、何かお悩みが?」
「いいえ、心配はいらないわ。ただ、今日お会いするのはレナート王太子殿下でしょ。ちょっと緊張してきたみたい……」
「お嬢様! 大丈夫です!! 王太子殿下もお嬢様の美しさはもちろん、お人柄も気に入って下さるはずです!!! ねぇ! エマ、あなたもそう思うでしょ!!」
「そうね。私もメアリの言うとおりだと思います。ユナお嬢様はどのご令嬢よりも美しく、知的でやさしいレディです。相手が誰であろうと、お気に召さないはずがありません」
「うふふふ。2人ともありがとう。2人のおかげで元気が出たわ! さぁ、そろそろ出かけましょうか」
ユナとエマは馬車に乗り込み、メアリに手を振ると馬車が進み出した。
「お嬢様~! いってらっしゃいませ~!!」
メアリは今日も屋敷でお留守番だ。王宮へ行けないのに上機嫌なのは、昨日ユナから街へ散策する許可を得たからだった。
「ユナお嬢様、メアリを1人で街へ行かせて大丈夫でしょうか?」
「大丈夫よ。首都での生活も慣れてきた頃だし、暗くなる前に帰るよう伝えてあるから」
「何もないといいのですが……」
「エマ、あなたって案外心配性なのね」
「ユナお嬢様! だって……いえ、メアリですよ。私はメアリの指導役ですし、何といってもあの性格です。感情的になって問題を起こさないか心配なのです。あの子が傷付くのを見たくありませんし……」
「えぇ、分かっているわ。私もエマと同じ気持ちよ。でも、メアリだっていつまでもエマにおんぶに抱っこというわけにはいかないわ。いつかは1人立ちさせなければね……」
「……!」
エマはユナの言葉の裏にある意図に気づき、ハッとしていた。
「ユナお嬢様、私は少し過保護になり過ぎていたようです……。私はメアリを1人立ちさせる機会を与えようとしていませんでした」
「エマ、誤解しないでね。あなたを責めているわけではないの。ただメアリを成長させるのにいい機会だと思っただなの。それに、お目付け役がいるから安心してちょうだい」
「お目付け役ですか? まさか!」
「えぇ、トンプソンよ。だからメアリが危険なことに巻き込まれる心配はないわ。でも、メアリには内緒ね!」
「ユナお嬢様! さすがです!! トンプソンさんが一緒なら安心です」
トンプソンは公爵家別邸の雑用係で、ユナたちとそう変わらない年齢だ。だが、天才的な能力を持っており、情報収集から裁縫、庭の手入れまで、何でも器用にこなす逸材である。武術にも長けており、護衛隊員にも劣らない。
そんな有能なトンプソンをメアリのお目付け役にするのはもったいないが、ユナにとって、メアリは妹のように大切な存在であるため、トンプソンにお願いしたのだ。
「トンプソン、お願いがあるのだけれど」
「……! お嬢様、まさか……! 私にアレの子守りをしろと言うのではありませんよね?」
「うふふふ、トンプソンは話が早くて助かるわ。今回は一緒に出かけなくてもいいから、陰でそっと見守っていてほしいの」
「はぁ~、お嬢様。俺の能力を見誤っていませんか?」
「そんなことないわ。トンプソンだからお願いしているのよ。だってあなたは失敗しないでしょ? 私にとって妹のような大切な存在だから、信頼できるあなたにお願いしたいの。あっ、そうだわ。すっかり忘れていたわ」
ユナはそう言うと、ドレスの後に隠していた1冊の本をトンプソンの目の前に取り出して見せた。
「お、お嬢様……それは! かの有名なあの方の本ではないですか!!」
その本には「神代史の研究」と書かれている。神代と呼ばれる超古代の歴史の研究に関する書物である。
著者は世界で名高い歴史研究家のファビアン・リーヴェルト。歴史研究家の他にも、天文学から医学や騎士道にも精通する博識者として知られている。
トンプソンはファビアンと面識はないが、人生の師として仰いでいた。ベルナルドの仕事を手助けした際に受け取る報酬の一部を貯めて、尊敬するファビアンの書物の購入費用に充てていた。
「えぇ、この間王太子殿下への手土産を探しているときに偶然この本を見つけたの。気になって読んでみたのだけれど、私には難しくって……。貴重な本だと店主が言っていたから処分するのは止めようと思っていたのよ。そういえば、トンプソンはこの手の本を読むのが得意だったと思い出して持ってきてみたのだけれど……」
「お嬢様!! 我が師の書物を最後まで読まずに処分するなんてとんでもないですよ! 本棚の肥やしになるのなら、どうか俺にその本を譲ってください」
トンプソンはそう言うと、今にも泣きそうな表情でユナをじっと見つめていた。
ユナがニヤリと笑顔を返すと、トンプソンの表情はみるみる変化し、泣きそうな表情から「やられた……!」と言いたげな表情に変わっていた。
ユナが本を手渡すと、トンプソンがようやく口を開いた。
「お嬢様、俺があの方を尊敬しているのを見越して本を用意していたのですね……! すっかり騙されるところでしたよ。はぁ~、分かりました。メアリのことはお任せください。お嬢様は心置きなく王太子殿下と会食をお楽しみくださいませ!」
「まぁ! さすがトンプソンだわ。物分かりの良い優秀な人材が公爵家に居て、私は本当に幸せ者だわ~」
ユナが大げさに言うと、決まりが悪そうな表情をして、それ以上言い返すことはなかった。
――トンプソンとのやり取りは、エマには内緒にしておこう。エマはトンプソンを兄のように慕っているものね。トンプソンはエマにはやさしいのよね。きっと頼もしい兄として接したいのだわ。
ユナがそんなことを考えているうちに、馬車はあっという間に王宮の見える近くまで来ていた。
「ユナお嬢様、王宮が見えてきました」
「えぇ、そうね」
そう言うと、緩んだ表情を引き締め、背筋をピンと伸ばしたのだった。
王宮に入り、ユナが馬車を降りると、レナートの補佐役オヴェールがすでに待機しており、レナートのいる所まで案内してくれるという。
王宮内は天井が高く、廊下にはふかふかの赤い絨毯が敷かれており、ヒールのコツコツという足音が響きにくく歩きやすい。オヴェールはユナの歩調に合わせてゆっくり歩いてくれたため、早歩きをする心配がなかった。
しばらく歩くと、オヴェールは重厚感のある大きな扉の前で止まり、ユナに振り返って「王太子殿下はこちらにおられます」と言い、微笑んだ。ユナがうなずくと、オヴェールは扉をノックする。
室内から「あぁ、入ってくれ」と返事が聞こえる。
オヴェールは扉を開き、先に室内へ入ってレナートに声をかけた。
ユナは扉の前でレナートの返事を待っている。
「殿下、公爵令嬢のユナ様をお連れいたしました」
「あぁ、入ってもらってくれ」
「はい。ユナ様、中へお入りください」
「はい、失礼いたします」
オヴェールに促され、レナートのいる部屋へ入室した。
室内の装飾や家具の配置から、すぐに王太子の書斎だと分かる。レナートは多忙なのか、ユナが入室する際もこちらを見ず険しい表情のまま、山のように机の上に置かれた書類を確認している。
レナートの様子を見たオヴェールは、ユナに書斎前のソファに座るよう促した。
「ユナ様、殿下はこのとおり多忙を極めておられるため、しばしこちらのソファでお座りになってお待ちください」
「はい、分かりました」
ユナは最低限の返答をしてからソファに座り、姿勢を正したままレナートから声をかけられるまで待つことにした。
王太子の書斎は広く、書斎机からユナが座るソファまで数メートルの距離がある。
通常なら客人が来るとお茶でもてなすのが礼儀だが、ユナがソファに座ってもオヴェールはお茶の用意をする素振りもなく、王太子の斜め後ろで立って待機している。
――殿下は本当に忙しい御方なのね。普通ならお茶の一つはもてなされてもおかしくないけれど、何も出てくる様子がないわね。気性が激しい令嬢なら、嫌みの一つや二つはすでに言っているかもしれないわね。もしかすると殿下は私がどのような人間なのかを試しているのかしら? それとも結婚を断る口実を作ろうとしているのかしら? どちらにしても陛下の手前、一度は殿下とじっくりお話しなければ……。当然待っている間の言動を観察しているのでしょうから、ここはじっと動かずに待つことにしよう。
ユナがソファに腰を掛けて30分が経過しようとした頃、ようやくレナートは椅子から立ち上がり、今日初めてユナを見た。
ユナはじっと前を見たまま凛とした姿でソファに座っている。
レナートはユナをじっと見て何か思いを巡らせているようだ。顔から険しさがふっと消え、穏やかな表情に変わる。顔は笑顔だけれど、王宮パーティーのときにユナが感じた作り笑いのような笑顔だ。
レナートはユナが座るソファに近づき、声をかけた。
「ユナ嬢、待たせてしまい申し訳ない。今日はよく来てくれた」
ユナはすぐさまソファから立ち上がって横にずれて丁寧な挨拶をする。
「レナート王太子殿下にご挨拶申し上げます。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」
ユナは長い時間待たされたのにもかかわらず、何もなかったかのように振る舞ってみせた。
「さすがだな。公爵が大切に育てた令嬢なだけある。長時間待たせたにもかかわらず、不愉快だと怒りを露わにせず、じっと待っておられた。私への挨拶も落ち着いておられたな」
レナートは、ユナをわざと待たせて試したことを包み隠さず話した。
ユナは心の内をすんなりと見せてきたレナートに驚いたが、すぐに落ち着きを取り戻して口を開いた。
「とんでもございません。殿下は多忙を極めておられます。私ごときが口を挟めるわけがございませんわ」
「そうか、よく分かった」
「そうでしたわ、殿下のお口に会えばよろしいのですが、異国の珍しいお茶をお持ちしました」
ユナは先日、街で購入した異国のお茶の包みを手荷物から取り出して見せた。
レナートは笑顔のままオヴェールに目で合図する。オヴェールがユナの手からお茶の包みを受け取る。
「殿下、せっかくですから、今日はこちらのお茶を召し上がってみてはいかがですか?」
「そうだな、用意してくれ」
レナートがそう言うと、オヴェールは静かにうなずいて書斎を出て行った。
レナートはユナにソファへ座るよう促すと、急な仕事が入ったためユナとの昼食ができなくなったと告げた。
しばらくすると、オヴェールがお茶のセットが並べられたカートを室内に引いてくる。
レナートとユナの前にあるガラスのテーブルの上に、湯の入っていないティーカップが2つ並べられた。ティーカップにはユナがレナートへの手土産に持ってきた異国の花茶が入っている。オヴェールが手際よくお湯をティーカップに注ぐと湯気が立ち、乾燥した花がほどよくふやけていく。
レナートは「珍しいお茶だ」と言うと、花が開いていくのを静かに見つめていた。
数分後、ティーカップの中に青い花が開いた。オヴェールは花が開くのを確認すると、再び書斎を出て行った。
「青いお茶は初めて見た。どこの国のお茶なのだ?」
「このお茶は東国のアシアン大国の『花茶』と呼ばれるものです。数年に一度しか咲かないという希少な花を乾燥させて作られています。香りも良く、爽やかな青い色が珍しく、味わうことができた人は幸せになれるという噂もあるようです」
「幸せになれる……」
レナートはティーカップを顔に近づけると、目を瞑って香りを楽しみ、目を開けて一口お茶を口に含んだ。
「香りはフルーティーだが、さっぱりした味わいで飲みやすい」
「はい、味わい深いですわ」
レナートは二口、三口とお茶を味わうと、ティーカップをテーブルに置く。ティーカップの中の花を見つめていたが、視線をユナの方へ向けて静かに心の内を話し出した。
「ユナ嬢は話の分かるお人だ。私はこのとおり多忙を極めているし、無駄なことはしたくない性分だ。だから、最初にはっきりさせておきたい」
ユナはレナートをじっと見て、次の言葉をじっと待っていた。
「私は将来、アスティアを束ねる国王になる。当然私の横に座る者は国で最も高貴な女性だ。ユナ嬢は見目が良いだけでなく、所作も美しく博識だと聞いている。私はあなたのことをよくは知らないが、数回会って好印象を受けた。私があなたを娶れば、将来皇后としてこの国に貢献してくれるだろう。だが、正直なところ、私はあなたを娶るつもりはない」
ユナは表情を変えず、じっとレナートの話を聞いている。
レナートはユナの様子を見て、話しを続けた。
「私があなたを娶らないのは、決してあなたに不満があるわけではない。王族に嫁ぐということは一見、名誉なことではあるが、その実、己の幸せよりも国の安寧や民の幸せを第一に選択しなければならない。己の幸せは二の次になるのだ。子を産んでも己の手で育てることはできない。何より王宮に一度入ったら二度と出ることは許されないのだ。まるで籠に捉われた鳥のように……」
レナートはユナの斜め後ろにある大きな窓を見ながら、遠い目をしている。
「私の運命は生まれた瞬間から決まっていた。王太子であることから逃れることは許されないのだ」
レナートは再びユナの方に向き直り、ユナの目をじっと見て話しを続けた。
「私に嫁ぐということは、己を犠牲にすること他ならないのだ。ユナ嬢、そなたにその覚悟はあるか?」
レナートは真剣な表情で、ユナに結婚の意思と覚悟を問う。
ユナは少し俯いて考えたが、すでに答えは決まっていたためすぐに顔を上げて穏やかな表情で答えた。
「殿下がおっしゃりたいことはよく理解しました」
レナートはユナの返答を聞くと、表情が少し和らいだ。
「そうか……」
ユナはレナートの瞳に、わずかに切なさが揺らぐのを感じ取った。そして、レナートに向かって続けて話した。
「殿下、1つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「あぁ、何でも聞いてくれ。答えられることなら」
「ありがとうございます。あくまでも私一個人の考えとしてお聞きいただけますと幸いでございます」
「非礼があっても許そう、ここには私たちしかいない。思うことがあれば今、率直な意見を言ってほしい」
「では、無礼を承知でお伺いします。国の平和や民の幸せと殿下や王太子妃になられる御方の幸せを両立できる方法は本当にないのでしょうか?」
「……」
レナートは想定外の質問で驚いた表情を見せたが、ユナが話すのを静かに聞いていた。
「殿下は国の平和と民の幸せを一番に願い、己を犠牲にして一生を王宮で過ごすとおっしゃっていました。ですが、民もまた国王陛下や殿下には幸せで居てもらいたいと願っております。私のような者に国を背負う陛下や殿下の責任の重さやお心を計り知ることはできませんが、誰かの幸せのために誰かが犠牲になるというのは間違っていると思うのです。それに、自分が幸せであるからこそ、誰かを幸せにできるのではないでしょうか……?」
「……」
レナートは表情を変えず、少し俯いて考えを巡らせている。
ユナは自分の主張を述べると、レナートの返答を静かに待った。
「うむ、ユナ嬢の言うことにも一理ある。しかし、今すぐに答えは出せそうにない。少し時間をくれないか?」
「はい、分かりました。私のような者の言葉を最後まで聞いてくださり、感謝いたします。殿下、無礼な振る舞いをお許しください」
ユナがドレスの裾を両手で持っておじぎをする。
「ユナ嬢、顔をあげてくれ。私は気にしていない。私の方こそ率直な意見を言ってくれたことに感謝する。時間は短かったが、有意義な話ができて良かった。私は公務に戻らねばならないが、時間が許すなら中庭を見て回ってから帰るといい」
「ありがとうございます。ですが、レオリオ第2王子様から中庭を案内してくださると約束しているので、またの機会に回らせていただきます」
「レオリオが? そうか、それなら尚更中庭へ行くといい。ちょうどレオリオが中庭で過ごしている時間だ。今なら会えるかもしれないぞ」
「そうなのですね。では、お言葉に甘えて中庭を拝見させていただきます」
「あぁ。オヴェールは居るか」
「はい、ここに」
書斎の外で控えていたオヴェールが静かに入室する。
「ユナ嬢をレオリオの元へ案内してやってくれ」
「はい、かしこまりました。では、ユナ様こちらへどうぞ」
「殿下、お忙しい中お時間を作っていただき、ありがとうございました。またお会いできることを楽しみにしております。では、失礼いたします」
ユナはレナートとの歓談を終え、オヴェールの案内で急遽レオリオのいる中庭へ向かった。




