6.クレイド第2騎士団副団長
レオリオとの初対面から1週間後の今日、第2騎士団のクレイド副団長が公爵家を訪問する予定だ。
クレイドは第1騎士団団長の嫡男で、いずれは大公爵の爵位を父から世襲することが決まっている。大公爵は現国王の従弟で、王族の血筋を引いている。王位継承権は王太子、第2王子に次ぐ第3位。
容姿端麗で口数が少なく、レオリオとは正反対の生真面目な性格で知られている。幼い頃から父の背中を見て育ち、「いつか自分も騎士団の団長に!」という熱い思いを心に秘めている。女性の前では口を開かず冷淡な表情で対応するため、社交界では女性嫌いと噂されている。
王族の血を引くことから、王宮主催のパーティーには必ず出席しているが、誰とも親しくすることなく、顔を出してすぐに帰ってしまう。まさに、一匹狼という名前が相応しい。
しかし、幼い頃から同じ環境で育ったレオリオとは仲が良く、唯一心を開ける相手である。仲の良い友人というよりは、構ってくるレオリオにクレイドが大人な対応をしているというのが傍目から見た印象だ。
ユナはクレイドと会うのは今日が初めてだが、先日のレオリオとの対面で自信をつけたのか、当日になっても不安を感じることはなかった。
「お嬢様、今日はどのようになさいますか?」
「そうね……、今日は乗馬をする予定だから髪を1つに結い上げてくれるかしら?」
「はい、かしこまりました。お嬢様」
「ユナお嬢様、乗馬服がたった今届きました!」
「間に合って良かったわ! エマもありがとう」
最近エマが忙しくしていたのは、ユナの乗馬服を大急ぎで用意するためだった。
「いえ、私は何も……。全てマダムソフールのおかげでございます」
「そうね、ソフールにお礼の手紙を送らなくてはね」
「そうだわ! マダムソフールから言伝を預かっていました」
「何かしら?」
「結婚式のドレスのデザインを考えているそうで、希望があれば言ってほしいとおっしゃっていました」
「まぁ! ソフールったら、気が早いわ。まだどなたと結婚するのかも決まっていないというのに……うふふ、でもソフールらしいわ」
「ウェディングドレスは女性の憧れですもの!」
メアリが目を輝かせて、ウェディングドレスの素晴らしさを力説する。
「メアリ、あなたではなく、ユナお嬢様が着るのよ」
「わ……分かってますって……! でもエマだって憧れているでしょ?」
「それは……」
「ほらねっ……! お嬢様はどんなドレスがお好みですか?」
「2人とも気が早すぎるわ。でも、そうね……。フリルは少なめでシンプルなデザインがいいわ。その代わり、キラキラした素材をドレスに縫い付けるの。光が反射してドレスが輝いているように見えるのよ」
「まぁ! お嬢様とても素敵です!! ねぇ、エマもそう思うでしょ?」
「えぇ! ユナお嬢様のセンスは本当に素敵です!」
「もぅ、2人とも褒めすぎよ。ほら、着替えするのを手伝ってちょうだい」
「はぁ~い」
マダムソフールが仕立てたばかりの乗馬服に袖を通すと、いつもの女性らしい印象とは違った、凛とした姿に仕上がった。ユナは姿見で全身を確認すると、満足そうに正面の自分に笑顔を見せた。
「ユナお嬢様、クレイグ副団長をお迎えするのに、ドレスでなくてよろしいのですか?」
「えぇ。これでいいわ。さぁ、2人とも行くわよ」
「はい! お嬢様~」
メアリが元気に返事をして部屋のドアを開けると、ユナは颯爽と歩いて行き自室を出て行った。
エマはユナが何を考えているのか分からず、少し不安な気持ちになっていた。
「でも、ユナお嬢様のことだから、きっと何かお考えがあってのことなんだわ……」
これまでもユナの決断に間違いはなかったのだから、と主の言うことを信じることにした。部屋を出ようとしたとき、ユナのグローブと鞭が目に入った。
「メアリったら、また忘れているわ……。困った子だわ……」
メアリはいつも明るく元気が取り柄のユナの専属メイドだ。
先輩メイドのエマが指導役になって1年が経つ。エマから見て、メアリはユナへの忠誠心が厚く、信頼に値する人物であるものの、おっちょこちょいで忘れっぽく感情的な性格が不安要素だった。
ユナはやさしく大らかでメアリを叱ることがない分、「自分が厳しく接しなくては……」と考えていた。しかし、ユナ以上にユナのことを心配して泣いたり、怒ったり、悲しんだりと感情をぶつけてくるメアリをかわいく思い、ついつい甘やかしてしまっていた。
今も、忘れっぽいメアリを注意しなければと思いつつも、うれしそうにユナのそばを離れないメアリがかわいくて仕方がなかったのだ。
「今日はユナお嬢様にとって重要な日だから、他のことで波風を立てるのは良くないわよね……」
メアリの明るさは、ユナが落ち込んだ気分になったときでも明るくしてくれこともあるため、第2騎士団の副団長と初対面をするユナにとってメアリの明るさが救いになることもあるかもしれないと考え、メアリを叱るのをやめにした。
ユナが応接間に着くと、ちょうどクレイド副団長が到着したとの報告が届き、公爵夫妻とユナ、メイドたちは足早に外へ出て副団長を迎える準備をした。
外で副団長を出迎える一同の前に、馬に乗った1人の青年が颯爽と現れた。その青年は黒髪で長い髪を後ろで1つに束ね、濃い紫の紐できつく結ばれている。瞳はどこまでも続く闇のような漆黒で、顔には感情が欠落したかのように無表情だった。
馬を降りた副団長は公爵家の使用人に手綱を渡し、公爵夫妻と挨拶を交わす。
「公爵、公爵夫人。お出迎えいただき、ありがとうございます」
副団長は表情を変えず、淡々と挨拶をする。
ベルナルドとレリアナはクレイドの表情を気にすることなく、それぞれが挨拶をした。
「クレイド副団長、本日はようこそおいでくださいました」
「いえ、久しぶりに愛馬と遠くまで走ることができて、むしろ感謝しています」
「クレイド副団長様、遠路はるばるお越しくださり、ありがとうございます。まぁ、副団長様は本当に馬がお好きなのですね」
公爵夫妻と副団長の挨拶が終わり、ベルナルドがユナを紹介する。
「クレイド副団長、娘のユナです」
ユナは副団長の前に出て、淑女らしく丁寧な挨拶をする。
「クレイド副団長様、お初にお目にかかります。ユナでございます」
「第2騎士団副団長のクレイドです」
クレイドはユナの服装を見て、何か言いたげだったが、何も言わずにベルナルドの方に向き合った。
ユナはこのとき、「やはり乗馬服で出迎えて正解だったわね」と心の中で今日の服装のチョイスが間違っていなかったと確信していた。
ベルナルドは落ち着いた様子で、クレイドを屋敷の中へ案内しようと口を開いた。
「クレイド副団長、長時間の乗馬でお疲れでしょう。まずは中に入ってお茶でも飲みましょう」
「はい。お言葉に甘えさせていただきます」
レリアナとユナも2人の後に着いて屋敷の中へ入っていく。レリアナが応接間に入ろうとしたとき、ユナは着替えてくるとレリアナに伝え、自室に戻っていった。
ユナは自室に戻ると、エマとメアリを呼んで急いでティータイム用のドレスと身支度を整えるよう指示する。
「お嬢様、乗馬をされるのではなかったのですか?」
メアリが乗馬服で迎えたのに、ドレスに着替えることを不思議に思い、ユナに質問した。
「乗馬服で副団長様をお出迎えできたから、これでいいのよ。さすがにティータイムを乗馬服のままで過ごせないから、ドレスに着替えるわ」
「乗馬服でお出迎えする意味があったのですか?」
「メアリ、そのうち分かるわ」
「お嬢様、でも……」
メアリは納得できず、ユナに再び質問しようとしたとき、エマがメアリの言葉を遮った。
「メアリ! ユナお嬢様にはお考えがあるのよ。私たちメイドはお嬢様を信じてただ従うだけよ。口を動かさずに手を動かしなさい。ほら、この間あなたがユナお嬢様にぴったりだと言っていた髪飾りを持ってきてちょうだい」
「……! あの髪飾りですね! 分かりました~、すぐに取って参りま~す」
メアリはエマに注意されて落ち込んだが、それは一瞬のことだった。ユナが所有する髪飾りの中でも一番推している髪飾りを今日付けることがうれしくて、注意されたことをすっかり忘れていた。
「エマ、ありがとうね」
「ユナお嬢様、メアリが失礼いたしました。私の指導不足でございます」
「そんなことないわ。ただ、そうね……、もう少し落ち着きがあるといいわね。でも、それがメアリの長所だわ。そばにあなたという立派な先輩メイドがいるのだから、そこまで心配していないわ。それに、あなたもよくやっているわ。これからもメアリのことをよろしくね」
「ユナお嬢様! まだまだ至らない点は多いですが、私精一杯お嬢様にご奉仕させていただきます。もちろん、メアリは妹のような存在ですが、先輩メイドとしてしっかり指導いたしますので、お任せくださいませ」
「えぇ、頼りにしているわ」
着替え終わると、ユナは1人で応接間へと向かった。
応接間の方からは笑い声もせず、人気が感じられない。
「あら、お父様の声もお母様の声もしないわね……」
応接間の前には使用人が1人おり、ユナが近づくと「ユナお嬢様、旦那様と奥様、副団長殿は旦那様が剣術の鍛錬をする広場へ向かわれました」
「お父様の広場へ?」
「はい。奥様が、ユナお嬢様がこちらへおいで次第、広場へ来るようにとおっしゃっておりました」
「分かったわ、ありがとう」
ベルナルドは本邸にいる間、毎朝中庭の一角にある開けた場所で剣術の稽古をしている。今、その広場にベルナルドとレリアナ、クレイドの3人がいると知ったユナはなぜそこに向かったのか疑問に感じた。
中庭の通路をさらに奥へ進むと、ザワザワと人が感嘆する声が聞こえてきた。広場に近づくと、金属がぶつかり合う音が耳に入ってくる。カキーン、カキーンと、金属同士が激しく何度もぶつかっている。
「何かしら? まさか……!」
ユナの予想通り、公爵家直轄の騎士たちが横1列に並び、ベルナルドとクレイドが剣を合わせている姿を見て歓声を上げていた。その中に、1人ドレスを着た女性を見つけ、その女性がレリアナだとすぐに気づいた。レリアナのそばへ行き、現在の状況を説明してもらったのだった。
「お母様、これは……?」
「ユナ、来たのね。実はクレイド副団長様からベルナルドに手合わせをお願いされて……、この通りよ」
「そうだったのですね……! しかし、副団長様はお疲れではないのかしら?」
「実はね、首都の別邸ではいつもの光景なのよ」
「えっ! 別邸でも、お二人が手合わせを?」
「そうなの。ベルナルドは昔第2騎士団の団長をしていたから、ぜひ指導を受けたいとおっしゃられてね。副団長様が16歳になった頃からだったかしら……」
「そうだったのですか。初めて伺いました」
「そうだったかしら?」
レリアナはユナに状況を説明すると、ベルナルドの雄姿に見惚れていた。
「うふふ。ユナ、お父様とても素敵だと思わない?」
「えぇ、とても素敵です。ですが……」
レリアナはベルナルドに夢中で、それ以上会話にならなかった。ユナは仕方なく、黙ってベルナルドとクレイドの手合わせを静かに見守ることにした。
しばらく激しい剣の打ち合いが続いたが、剣術に疎いユナの目から見ても、2人の剣の技術は互角のようだった。
「クレイド様、腕を上げましたな!」
ベルナルドの声を皮切りに、手合わせは終了した。
「ベルナルド公爵、お手合わせいただき、ありがとうございました」
クレイドは上官と接するように、ベルナルドに向かって礼をする。ベルナルドもクレイドに向かって、礼を返した。
「クレイド様、ゲストルームに湯を準備しておりますので、晩餐までゆっくりお過ごしください」
「えぇ、遠慮なくゆっくり過ごさせてもらいます」
「ユナ、クレイド様をゲストルームへ案内して差し上げなさい」
ベルナルドはユナに案内役を指名した。突然のことで焦るところだが、何とか冷静さを保ち、ユナはベルナルドに返答する。
「はい、お父様。クレイド副団長様、こちらへどうぞ。ゲストルームまでご案内いたします」
「……あぁ、頼みます」
クレイドは一貫して素っ気ない態度で接しているが、ユナは気にせずゲストルームへ向かって歩き出した。
ゲストルームは2階の中央階段を上がり、右側の角部屋にある。中庭の花壇を眺められる位置にあり、寝室の隣には浴室やトイレ、洗面室まで完備されているため、部屋を出ずとも身支度を整えることができる。
中央階段へ向かう途中、ユナはクレイドに話しかけてみることにした。
「クレイド副団長様、首都でも父と剣の手合わせをされていると聞きました。恥ずかしながら、父が騎士だったことを先ほど知りまして……」
「……ベルナルド公爵は我が国で3本の指に入る剣術の天才とも言われる御方だ。そのような方と手合わせできる機会はそう多くはない。私はもっと強くなりたいのだ……」
「そうでしたか……。クレイド副団長様はとても真面目な御方なのですね」
ユナはクレイドの1歩前を歩いていたが、歩くスピードを緩めて横に並び、クレイドに微笑む。クレイドの表情はぴくりとも動かず、「真面目か……」と言い放つと黙り込んでしまった。クレイドが「もう話すことはない」というオーラを放っていたため、それ以上話しかけるのを控えることにした。
中央階段を上り、右に曲がるとゲストルームの豪華な装飾が施されたドアの前で止まる。
「クレイド副団長様、こちらがゲストルームになります。奥の扉を開けますと浴室がございます。晩餐までお時間があるので、ゆっくりお寛ぎください。晩餐の準備が整いましたら、お声がけさせていただきます」
「あぁ……、わかった」
「では、私はこれで……」
クレイドがドアを開けて室内へ入ろうとしたが、その足が止まった。
「……」
「何かご用でしょうか?」
「いや、何でもない……」
「では、晩餐でお会いしましょう」
ユナが中央階段の方向へ歩き出すと、後からゲストルームのドアを閉める音が聞こえた。
ユナは応接間に戻り、ベルナルドとレリアナに案内を終えたことを報告し、自室に戻った。エマとメアリは晩餐の支度を手伝っていて、部屋にはユナ1人だけだった。
「副団長様、私に何か言おうとしたみたいだけど、何だったのかしら? それに、顔がほんのり赤くなってらっしゃった気がしたのだけど、私の気のせいかしら?」
クレイドが公爵家に到着して以来、終始一貫してユナとは会話が弾まない。これではクレイドがどのような人物なのか、理解できないと頭を悩ませていた。
「これは思っている以上に、副団長様は女性がお嫌いなのだわ。困ったわね。相手のことを何も知らないまま結婚相手を選ぶなんて、とても失礼な行為だわ。何とか私のことを少しでも知ってもらえたらいいのだけど……」
クレイドは今夜ゲストルームに宿泊し、明日の午前中に公爵邸を立つ予定だ。公爵家本邸から首都まで約50㎞もの道のりがあり、馬だと半日はかかると言われている。クレイドの生真面目な性格から、朝食後すぐに立つ可能性がある。
そうなればクレイドと話せるチャンスは晩餐の時間だけだ。何とかクレイドと話すきっかけを作りたいと思うものの、具体的な策は思い浮かばなかった。
「本当はお茶を飲んで休んだ後に、乗馬に誘う予定だったのだけど。お父様と剣の手合わせが始まってしまって予定が崩れてしまったわ……。これからどうしたらいいのかしら?」
そう、ユナが乗馬服でクレイドを迎えたのは、クレイドが無類の馬好きであるという情報を得ていたからだ。
ベルナルドもレリアナも結婚相手はユナが選ぶべきと言い張り、一切関与しようとしなかったのだ。当然、クレイドの事前情報はなく、自分で情報を収集しなければならなかった。そこで頼りにしたのが首都にいる同い年の友人アメリアだった。
アメリアは以前、首都に遊びに行ったときに両親が遊び相手として紹介された伯爵家の末娘だ。伯爵はベルナルドと古くからの親友で、本当はお互いの子どもを結婚させたかったようなのだが、伯爵家には娘ばかりで結婚の約束は果たせそうになかった。
ユナの弟のセバスチャンはまだ11歳で年が合わなかったため、伯爵家の長女・次女・三女はすでに婚約者が決まっている。
アメリアもユナと同様に結婚相手を決める年頃になり、文通で近況報告や首都と郊外で情報交換をしていたのだ。アメリアからは首都で起こった出来事や同年代の令嬢たちの間で流行っていること、恋の噂話、日常のあれこれを手紙で伝えてもらっていた。
ユナは郊外での暮らしぶりやアメリアからの相談事に対するアドバイスなどを中心に手紙を書いていた。もちろん、3人の男性の中から結婚相手を決めることについても密かに相談していたのだ。本来なら、王族との婚姻に関わる情報は王宮の公式発表を待たずに外部へ漏らしてはいけない。アメリアはユナにとってそれほど信頼に厚い友人なのだ。
アメリアも口が堅く、自分の家族にもユナの事情を話すことはなかった。受け取った手紙を読み終わると、鍵のかかった木箱へ入れて厳重に保管するほどの慎重な性格だ。
ユナたちは、手紙の内容が外部に漏れるとことへの対策をしっかりしていた。それは、2人だけが分かる隠語を使用していることだ。万が一、手紙が流出しても2人以外は分からないように細工されているのだ。
時を遡ること、クレイドが公爵家に到着する3日前。ユナの元にアメリアから手紙が届いた。
その手紙にはクレイドに関する情報が書かれていた。ただ、クレイドは滅多に公の場に現れず、女性嫌いで有名な人物のため、アメリアも情報を得るのに苦労したようだ。
アメリアからの手紙にはこう書かれていた。
――親愛なるあなたへ
あなたに頼まれたあの一件だけれども、情報が少なくてとても苦労したのよ。今度首都に来たときには、美味しいものをたくさんご馳走してもらうわね!
それはそうと、さっそく本題に入るわね。偉そうに「ご馳走してもらうわね!」なんて威勢のいいこと書いたけど、本当はあまり情報は得られなかったの。あなたの役に立つ情報をたくさん得られれば良かったのだけど、ごめんなさいね。
私が聞いたのは、あの方の趣味が乗馬ということだけなの。時間があるときはいつも愛馬に乗って郊外近くまで走らせるみたい。
一度、郊外の近くで偶然あの方を見かけた令嬢の話なのだけれど、愛馬に乗っているときは仮面と鎧を脱いだようにやさしく穏やかな表情をされていたそうよ。
それほど馬が好きだということかしらね?
あとは大したことのない噂話ばかりだわ。
念のため伝えておくけど、噂は噂だし、あまり当てにしない方がいいわ。きっとユナのことだから、噂を聞いても色眼鏡で相手を見ることはないと思うけど。
首都で飛び交っている噂には、女嫌い、根暗、仮面男、男色など……。
本当に失礼な人達よね。気分を害してしまったら謝るわ。
あとは家族構成だけど、お父上は同じ職務を全うされている方のようよ。その中でもトップの地位におられる方で、とても厳格な方らしいわ。お母上はすでに他界されていて、兄も幼い頃に病気で亡くしていたの。
お父上が再婚されて年の離れた弟と妹がいるわ。兄弟仲はとても良いのだけど、両親との関係が複雑なようね。継母は社交界に滅多に顔を出さない方だから、よく分からないわ。
ただ、本人がどのような方なのか分からない分、悪い噂が絶えないようよ。
そういえば、思い出したのだけど、数年前に社交の場であの方をお見かけしたんだったわ。そのとき、継母と何か言い合いをしていたみたいなの。少し離れたところにいたから、どんな話をしていたのかは分からないわ。
私があなたに教えてあげられるのはこれくらいかしら。この手紙があなたの役に立たなくても、きっとあなたならあの方と打ち解けられると信じているわ。落ち着いたら詳しく教えてね。
それじゃあ、頑張って~!!
――愛を込めて私より
アメリアからの手紙は、クレイドの情報が全くなかったユナにとって貴重な情報源になった。
まず馬が好きなこと。好きなことを話題に挙げれば、会話の糸口を見つけられそうだとユナは考えた。
また幼い頃に実母を亡くし、父は厳格な性格とくれば、きっと苦労を重ねたに違いないことも想像できる。もしかすると、クレイドの性格がねじ曲がっている可能性すらある。
ただ、手紙には悪い噂が多いけど、誰かを無暗に傷つけたという話やトラブルもないようだ。首都で何かトラブルがあれば、噂好きの貴族たちの格好の獲物にされるだろう。そうした噂もアメリアの耳に入っていないのだとすれば、それほど性格に難があるとは考えにくい。
何より国王陛下が結婚相手の候補として選んだ1人なのだから、その点は心配しなくてもいいだろうとユナは考えた。
そこで思いついたのがクレイドを乗馬に誘う策だ。馬好きなら、きっと愛馬に乗って公爵家を訪れるはず。乗馬服で出迎えれば、乗馬を嗜んでいることを服装だけで伝えられる。万が一、会話を交わすことが難しくても、他の令嬢とは違った一面があることを知ってもらえるかもしれない。
女性嫌いのクレイドに配慮しつつも、相手の趣味で会話の糸口を見つける。これがユナの考えた作戦だった。
今となっては全て水の泡だ。父が気を回してクレイドの案内役を指名してくれたが、せっかくのチャンスもうまく生かせることができなかった。
晩餐の後にクレイドと会うのは難しい。やはり晩餐中が勝負だと、改めて心を決めた。
「私はできることをやるだけ。それでダメなら、また別の機会を作るしかないわ!」
そして晩餐が始まった。クレイドは騎士服から貴族らしい服装で晩餐の席に着いた。もともと無口なため、ベルナルドが中心で話をしており、時折、ユナも勇気を出してクレイドに話しかけていた。
しかし、クレイドは無表情のままうなずいたり、「えぇ」「はい」「そうです」などと一言返事をするくらいだ。とてもじゃないが、楽しい会話など期待できなかった。
そのまま晩餐の時間が終わり、ユナが「クレイド副団長様、夜の庭園をお散歩されてはいかがですか?」と散歩を促してみたが、返ってきた言葉は模範的な断り文句だった。
「大変ありがたいお申し出ですが、長時間馬に乗った後にベルナルド公爵と剣の手合わせをして疲れてしまいました。明日の出立に備えて今夜は早く休もうと思います」
「……そうですか。そうですわね。疲れが残ってしまったら、明日の帰路に差し仕えてしまっては大変です。配慮が足りず、申し訳ございませんでした。今日はゆっくりお休みください」
「はい、お言葉に甘えてそうさせてもらいます。今日は素晴らしい晩餐でした。お先に休ませてもらいます」
表情が沈んだユナに変わって、ベルナルドがクレイドに声をかけた。
「クレイド様、ゆっくりお休みください。何かご用があれば使用人をお呼びください」
「ありがとうございます」
「副団長様、おやすみなさいませ」
「公爵夫人、ありがとうございます」
クレイドは食堂を出て、1人ゲストルームへ消えていった。
「ふぅ……」
ユナは小さな溜息をついた。
「ユナ、今日はご苦労だった。お前も疲れただろう。今夜は部屋でゆっくり休むといい」
「はい、お父様……」
「ユナ、おやすみなさい」
「おやすみなさい。お母様。では私はこれで……」
クレイドとの関係を何も進展させられなかったことに、意気消沈してしまった。
疲れた表情の娘を見て、ベルナルドもレリアナもそれ以上声をかけられなかった。
ユナは自室に戻り、鏡台の椅子に座って今日1日を振り返っていた。
「相手に関心を持ってもらうことが、こんなに大変だとは思わなかったわ……」
レオリオと打ち解けられた経験が自信になっていたけど、その自信は今日1日で砕けてしまった。ユナにはもう打てる策は1つも思い浮かばなかったため、何もできなかった自分が情けなく思えてきて、暗い表情をせずにいられなかったのだ。
そのとき、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「お嬢様、今よろしいでしょうか?」
ノックをしたのはメアリだった。
今頃、メアリは晩餐の片付けに駆り出されているはずなのに、今ユナの部屋の外にいる。不思議に思いつつも、ドアに向かって返事をした。
「えぇ、どうぞ」
「お嬢様、お休みのところ失礼いたします。」
「メアリ、どうかしたの?」
「あの……、その……」
メアリは何かを伝えたげな表情でユナを見つめている。ユナからどうしたのかと聞かれて、ますます何と言えばいいのか分からなくなったようだ。そして、くちびるにギュッと力を入れたかと思うと、突然何かを覚悟した表情に変わっていった。
「お嬢様、元気出してください!」
メアリは晩餐後ユナが落ち込んでいる表情が気になり、晩餐の片付けを抜け出して励ましにきたという。
「メアリ、ありがとう。あなたに励まされて元気になったわ! そうよね、いつまでも落ち込んでいても仕方ないわね。やることはやったから、悔いはないわ」
「そうですよ! お嬢様は乗馬服で出迎えたり、晩餐で話しかけたり、副団長様に誠意を十分に見せました。それでも副団長様は……」
「メアリ……! 今、言った言葉をもう一度言ってちょうだい」
「お嬢様は副団長様に誠意を見せましたと……」
「その前に言った言葉よ」
「えっと……? お嬢様は晩餐で話しかけたり、乗馬服で出迎えたり……」
「メアリ、それよ! その手があったわ!!」
「お嬢様……?」
「メアリ、ありがとう! 明日、もう一度乗馬服を着るわ!! これが最後のチャンスだから」
身支度、荷造りをし終えたクレイドはゲストルームを出て、応接間に入った。応接間にはベルナルドとレリアナがおり、やさしい表情でクレイドを迎え入れた。
「クレイド様、ゆっくりお休みになれましたか?」
「はい、ベルナルド公爵、とても寝心地のいい部屋をご用意いただき感謝します」
「それなら良かった。私たちは来週に首都に戻る予定です」
「そうですか、ベルナルド公爵にはまた手合わせをお願いしたい」
「もちろんです。私で良ければいつでもお相手させていただきます」
レリアナはクレイドにやさしい微笑みを向けながら、2人の会話を少し後ろで見守っていた。
ベルナルドはユナを待たずに、外へ移動しようとクレイドに告げた。
「そろそろ外に移動しましょう」
屋敷を出ると、外にはクレイドがすぐに愛馬へ乗れるように使用人が手綱を持って待ち構えていた。
そのとき、中庭と逆方向から馬が駆けてくる音がして、その場にいた公爵夫妻とクレイド、数人の使用人たちはそちらへ顔を向けた。音がする方向にはユナを乗せた馬がこちらへ駆けてくる姿が見えた。
「あらあら、そういうことだったのね」
レリアナはベルナルドにだけ聞こえる声でつぶやいた。
ベルナルドはユナが馬に乗って現れることに勘付いたようで、レリアナに顔を向けて笑顔を見せた。
「クレイド副団長様! もう出立されるのですか?」
ユナは素早く馬から降りて、クレイドの前に立つ。
「……えぇ、早めに首都へ戻りたいので」
「奇遇ですわ! 私もこれから愛馬と出かけるところだったのです。せっかくなので、途中までご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
「……」
ユナの提案に無言で返したクレイドを見て、すかさずベルナルドがユナに助け舟を出した。
「クレイド様、それはいい! ユナは幼い頃から馬が好きで、よく1人で愛馬と一緒に遠出しているのですよ。よろしければ途中まで娘と一緒に行かれてはいかがかな?」
「……、ベルナルド公爵がそこまでおっしゃるなら……分かりました」
ベルナルドの申し出はさすがにクレイドも断れず、受け入れざるを得なかった。そして、クレイドは馬から降りたユナに顔を向けて、観念したかのような表情で1つだけ約束してほしいと告げる。
「ユナ嬢、馬で駆けるのは公爵家領地内までと約束してください」
「もちろんです! ありがとうございます、クレイド副団長様!!」
ユナは少し緊張した表情をしていたが、クレイドに自分の提案を受け入れられて顔がぱぁっと明るくなった。
そのとき、ユナはクレイドの口角が少し上がったのを見逃さなかった。クレイドの笑った表情を見られて、強引な作戦だったけど実行して良かったと初めて思えたのだった。
クレイドは再び公爵夫妻と挨拶を交わし、首都で会う約束をして愛馬に跨った。
ユナもクレイドに遅れは取らぬと言わんばかりに、すぐさま愛馬に跨ったのだった。
「では、お父様、お母様、行って参ります!」
「あぁ、気を付けて行ってくるんだよ」
「ユナ、帰りは遅くならないようにね」
「はい! 分かりました」
ユナが公爵夫妻と挨拶を交わしたのを確認してから、クレイドはユナに話しかけた。
「では、行きましょう」
「はい、クレイド副団長様!」
「……」
クレイドの表情は変わらず無表情のままで、何を考えているのかユナには分からなかった。さきほどの笑った表情は、見間違えたのではないかと思うくらいだ。
2人はしばらく無言のまま、馬を走らせていた。
――副団長様、やけにゆっくり走られているようだわ。このペースだと首都まで半日以上かかってしまうと思うのだけど……。お父様と一緒に走るときはもっとスピードを上げていたもの、現役の騎士様ならもっと早くてもおかしくないわ。……もしかして、私に合わせてゆっくり走ってくれているのかしら? そうよね、副団長様は私が乗馬に慣れていることを知らないのだから、気を遣ってくださっているのね。それなら、私から……!
「クレイド副団長様、私に気を遣われてゆっくり走っていただいているのでしたら、お気になさらず!」
ユナはクレイドに声をかけると、大きな声で「ハッ!!」と言って馬の腹を軽く圧迫して馬の推進力を高めた。馬は勢いづいて走るスピードが一気に加速した。
少し前を走っていたクレイドの愛馬に追いつき、追い抜く瞬間にユナはクレイドに「さぁ、行きましょう!!」と声をかけてから勢い良く追い抜いて行った。
「……? ユナ嬢!!」
一瞬の出来事でクレイドはキョトンとしてしまったが、すぐに状況を把握してすぐさまユナに追いつこうと愛馬の腹を軽く蹴って一気に加速した。クレイドの愛馬はすぐにユナの愛馬に追いつき、横並びで走り続けている。
しばらく走った後、クレイドは「馬を休ませよう」と言い、2人は湖のそばで馬を降りた。馬たちは湖で水分補給をし、辺りの草をムシャムシャと食べている。
クレイドは持参した水入れから残った水を地面に流し捨て、湖のそばまで行くと空になった水入れに水を入れた。
ユナはクレイドのそばに立ち、自分で用意していた水入れの蓋を開けて口に流し込む。乾いた喉がみるみるうちに潤っていくのが分かった。口から水がこぼれて、空いていた右手で口元を拭うと、横から「クックック……」という笑い声が聞こえてきた。
ユナが笑い声がする方を見ると、クレイドはすでに水入れに蓋をして腰のベルトに紐で縛ってぶら下げていて、両手でお腹を抱えて声を殺すように笑っていた。その表情はこれまでの無表情なクレイドと大きく印象が異なっていた。
ユナはクレイドがなぜ笑っているのか不思議に思いつつも、初めてちゃんとした笑顔を見られたことがうれしくて、穏やかな表情でクレイドを見つめていた。
クレイドは笑いが止まると、赤面しながら「コホン」と咳払いして落ち着きを取り戻そうとしていた。
今度はユナがクレイドのコロコロと変わる表情の変化がおかしくて笑ってしまった。
「うふふふ……」
クレイドがもう一度咳払いすると、ユナは笑顔のままクレイドに顔を向ける。今ならクレイドとちゃんとした会話ができそうだと考えたユナは、クレイドに話しかけてみることにした。
「クレイド副団長様、何がおかしくて笑っていたのですか?」
「いや、……。クックック……。頼むから、笑わせないでくれ……。クックック……」
「……?」
クレイドの笑いはなかなか止まらなかったので、ユナはしばらくクレイドの笑いが止まるのをじっと待っていた。
「すまなかった……! こんなに笑ったのは久しぶりだ」
「クレイド副団長様、どういうことなのか分かるように説明してくださいませんか?」
「いや、あぁ。そうだよな。私はユナ嬢の意外な一面に驚いていたんだ。私は始め、ユナ嬢は私の愛馬のスピードには着いて来れないと思い込んでいた。君が言うとおり、首都に到着する時間が遅れるのを知りながら、遅いスピードで走っていたんだ。だが、君は私の想像を遥かに超えていた……。まさか私の愛馬のスピードと同等に走れる令嬢がいるとは思いもしなかったよ。君が私を追い抜いて行ったとき、とても驚いた。第2騎士団の騎士でも私の愛馬のスピードに着いて来れる者は数えるくらいしかいないからね。女性に尊敬の念を抱いたのは初めてだ。あぁ、いや、誤解はしないでほしい。私は女性を見下しているわけではないのだ」
ユナは突然クレイドから胸の内を明かされて、どう反応していいのか分からず黙り込んでしまっていた。ユナが何も言わないのも気にせず、クレイドは話を続ける。
「私は君に謝罪しなければならないな……」
「そんな……! 謝罪だなんて、クレイド副団長様が謝られるようなことは何もございませんでした!」
「いや、私の君への態度は無礼極まりなかった。君が私の態度に怒ることなく、何度も話しかけてくれたのに私は失礼な態度を取ってしまった……。本当にすまなかった、ユナ嬢。愚かな私を許してほしい」
クレイドは謝罪の言葉を述べると、深々とユナに頭を下げたのだった。
「クレイド副団長様! 頭をお上げください!!」
ユナはクレイドに頭を上げてもらおうと必死に伝えるが、クレイドは一向に頭を上げようとしなかった。クレイドの律儀な性格を考えると、ユナが謝罪を受け入れるまで頭を上げないと思い、ユナはクレイドの謝罪を受け入れると伝えた。
「クレイド副団長様、分かりました! 謝罪を受け入れます。ですから、頭をお上げください!!」
ユナが謝罪を受け入れると言うと、クレイドはようやく頭を上げた。クレイドの表情は無表情とは違う、真剣な眼差しだったが、ユナの顔を見るとふっとやさしい表情に変わっていた。
「ユナ嬢、私のことはクレイドと呼んでくれて構わない」
「えっ……! あの、ですが……。はい、分かりました。これからはクレイド様とお呼びしますね」
「あぁ、そうしてくれ」
そう言うと、湖のそばの地面に座り出し、湖面をじっと見つめていた。
ユナも少し距離を開けてクレイドの横に座る。そして、クレイドの顔を覗き込むと、晴れ渡った青空のようにすっきりとした表情をしていた。
クレイドがユナの方を向くと笑顔を見せ、再び話し始めた。これまでの無表情だったクレイドは、もうそこに居なかった。
「ユナ嬢には申し訳ないが、正直なところ、私は生涯結婚をするつもりがないんだ。私には陛下やこの国を守るという使命がある。もちろん騎士の中には妻子を持つ者も多い。だが、私は結婚というものに心が引かれないのだ……。だから、中途半端な気持ちでユナ嬢に期待を持たせるくらいなら、最初から嫌われればいいと思ってあのような態度を取っていたのだ。今振り返ると、愚かなことを考えていたと思う。私の独りよがりで君を随分傷付けてしまったことだろう……。最初からこのように君と話をしっかりしていれば、君を傷付けずに済んだのに……」
「クレイド様、そんなことをおっしゃらないでください。私はこのとおり、大丈夫ですから。たしかに、落ち込んだときもありましたけど、今はこうやってクレイド様と向き合って話しをすることができました。そして、クレイド様の本音を直接聞けてうれしいです。話してくださってありがとうございます」
「ユナ嬢……」
これまでの誤解が溶け、2人は微笑み合っていた。それは恋心でもなく、友情でもなかったが、人として尊敬し合う新しい関係が構築された瞬間だった。
こうしてクレイドの胸の内を知ったユナは、結婚相手の候補者として会うことはないと心の中で誓った。
「ユナ嬢、私の見送りはここまでだ。ここからなら暗くなる前に公爵邸へ戻れるだろう。私たちはここで別れよう」
「はい、クレイド様。分かりました。首都までお気を付けください。クレイド様がご立派に使命を果たされることを祈っております」
「あぁ、ありがとう。ユナ嬢。君も元気で! 首都で見かけたら声をかけてくれ」
お互いに挨拶を終えると、2人はそれぞれの愛馬に跨り、自分の戻るべき場所へ駆けて行った。




