第9話 剣聖エルンスト ③
王からの命令を受けたエルンストは、喜び勇んで王城へとやってきた。
憧れの王女にして聖女リーリアと結ばれ、そして、勇者の父となることができる。
魔王には、勝てずとも、魔王に勝つための勇者の父となるのだ。
だが、リーリアはエルンストに対して蔑みの目を向けるだけだった。
「何の話? 何を勘違いしているのか知らないけれど、わたくしがあなたを選んだなんて事実はないわ」
「父王からは何も命じられていないわ。聖女と剣聖の子? ご冗談を。あなたの不敬で不快な発言は、聞かなかったことにします」
「……馬鹿なの?」
「聖女が産んだ子が勇者となるなんて、誰が決めたの? 誰が確かめたの? そんなもの、根拠のない単なる希望のようなものよ。魔物に滅ぼされようしている人間が、勝手に妄想したことに過ぎないわ」
「皆が信じているから、それが真実? 多数決で世の中は決まるの? 全員が願えば叶うと言うのなら、何故魔王は生まれ、人族は全滅の危機に瀕しているの?」
「できないことをやれとは命じないわ。そんな無駄なことをするくらいなら、わたくしが魔王の元へ赴き、このわたくしと引き換えに、人族の助命を願ったほうがマシというもの」
「そもそも、わたくしが聖女だと言うのも神の啓示ではない。わたくしが、治癒のまねごとをして、それをありがたがった人々が、わたしをそんなふうに称して……。そして、お父様が便乗した。民に、兵に、希望を持たせるためだとね」
「わたくしが聖女ではないのだから、わたくしが孕んだところで生まれてくる子は勇者ではない。勇者たれと命じられ、剣技を磨くことを強要され、死地に赴かされるだけ。きっと、あっさりと魔王に殺されるでしょうね」
リーリアから告げられたのは、辛辣な言葉の数々。
不機嫌に去っていくリーリアに、声もかけられなかった。
与えられた客間で金属鎧を脱ぎ、身を清め、着替えをして。
そして、カイエンに呼ばれるのを待った。
呼び出しがあったのは、それほど遅くはない時間。
だが、謁見に間に辿り着いて、カイエンに一礼をする間もなく「付いてこい」と言われた。
何の説明も、何の話もなく、カイエンの後に付いて、王城の廊下を歩いて行く。
そして、奥向きにある部屋の、扉の前でカイエンは止まった。
その扉の前には年若い侍女が控えていた。
「リーリアは?」
カイエンが、低い声で尋ねた。
「私の淹れましたお茶をお飲みになり、そして、そのまま……」
侍女が扉を開け、カイエンがさっさと部屋の中に入っていった。
エルンストもその後に続いて寝屋の中へと入れば、そこにはソファに寝そべったまま、穏やかな寝息を立てているリーリアがいた。
「エルンスト、リーリアを寝台に運べ」
「は、い……」
柔らかなリーリアの体を持ち上げて、エルンストの心臓が早鐘を打つ。動悸が、カイエンにまで聞こえてしまうのではないかと思うほどに。
寝台に、リーリアの体をそっと横たわらせる。と、同時に、カイエンが重々しく言った。
「剣聖エルンスト。リーリアを抱き、孕ませろ」
エルンストは目を見開いた。
婚儀を行い、神に祝福されたのちに、子を成すのではないのか……。
そのような問いかけは、できなかった。
騎士として、寝ている女性の体を勝手にすることはできません。
それも言えなかった。
眠っているリーリア。その柔らかな体に、エルンストの喉が、ごくりと音を立てた。
「王命だ。お前ができないと言うのなら、誰でもいい。できる者に、リーリアを抱かせる。聖女が孕めば、相手は誰でも構わんのだ」
重々しく響く、カイエンの声。
エルンストは、かしこまりました……とだけ、答え、リーリアに覆いかぶさった。
***
行為を終え、客間に戻ったエルンストは、眠ることができなかった。
してはならないことを、してしまった。
そんな息苦しさで。
行為の最中、リーリアは穏やかな寝息を立てているだけで、エルンストの行いに何の反応もしなかった。人形を、抱いているのかとさえ、思った。いや、思いたかった。
次にリーリアに会ったときに、何を言ったらいいのか。
また、蔑みの目で見られるのか。
それとも怒りに満ちた目で見られるのか。
泣かれるのか。
喜ぶ姿など、考えもつかなかった。
エルンストは、自身の両腕を見た。
リーリアに治癒をしてもらったからこそ、動くようになり、そして、剣を握り、魔族も倒せた。
恩人とも言えるリーリアに、今、自分は何をしたのか……。
だが、あそこで、リーリアを抱かねば、リーリアは別の誰かに……。
それを思えば、抱かないという選択肢はなかった。
言い訳に、言い訳を重ねているような気がした。
そのまま、朝を迎え、そして、リーリアに会いたいと、リーリア付きの侍女に伝えはしたのだが、リーリアからの返事はなかった。
当然だ。リーリアは、泉に赴き、結界を張り、そして石像のように固まったのだから。
もはや、言い訳をすることもできなかった。
エルンストは、リーリアの蔑みの目つきを思い出した。
告げられた辛らつな言葉も。
繰り返し、死の間際まで、何度も。
リーリアが石化してから。
人族は急激に力を失った。
希望は無くなった。
もう、魔族に勝つ望みなどはない。
それでもエルンストは戦場に戻った。戻らざるを得なかった。力なく、剣を振るい続けて、そして。魔王からラッセルと呼ばれた魔族の男に殺された。
「申し訳ございません、姫様……」
倒れたエルンストを、月の光だけが照らしていた。
第三章 魔王に続きます