第8話 剣聖エルンスト ②
一兵卒でしかなかったエルンストは、めきめきと力をつけ、台頭していった。
魔族を倒し続け、そして、二十五歳になった時、王から剣聖の称号を得た。
叙勲式には王はもちろんリーリアもやってきた。
七年ぶりに見たリーリアはもう幼いとは言えないほどに成長していた。
頭には小さめのティアラを載せ、着ている服は金糸で刺繍が施されている白いドレス。細い腰と凛とした立ち姿。それでいて、どこか儚いと言うか、庇護欲を誘うような可憐さも併せ持つ。
エルンストは、ああ……と、感嘆のため息を吐いた。
幼き聖女が成長され、立派な王女へとなった。
この姫を守るために、エルンストは剣聖となったのだ……と。
残念ながら、エルンストが直接リーリアと話せる時間はごくわずかだった。
「これからもあなたの活躍に期待をします」
「はい! リーリア姫様のために、尽力いたします!」
交わした言葉はたったこれだけ。
だが、叙勲式の後も、ずっとエルンストはキラキラと輝いた目でリーリアを見つめ続けた。
その様子は、人々の話題に上った。
どうやら、若き剣聖は、美しく成長した姫君に恋をしたようだ。
ああ、そういえば、お二人は、あの避暑地襲撃事件の時に会っているのではないか。
王妃様が不幸にもお亡くなりになってから、王は後添えを得てはいない。お子は、リーリア姫ただ一人。
となると、姫様のお子が、次期の王となる。
お子の父親として、剣聖は似合いではないか。
ああ、そうだ。聖女と剣聖のお子であれば。
もしや、勇者が……。
そうだ、お二人のお子は、勇者となり、魔族を打ち滅ぼすかもしれない……。
ひそひそと、ざわざわと、そのような声が、あちらこちらから上がる。
その声を、耳に入れたエルンストは、夢を見た。
自分が、リーリアの夫となり、そして、リーリアの産んだ子が、勇者となる。
勇者を育てた父として、剣聖として、エルンストの名は、人族に語り継がれる……。
夢想。
独りよがりの夢。
夢に酔っていたからこそ、エルンストは気がつかなかった。
他でもない、リーリアがそのひそひそとした話に顔を顰めたこと。
ぼそりと「わたくしは、聖女なんかじゃないわ……」と、呟いたこと。
エルンストは全く気がつかないままでいた。
***
叙勲式が終わった後、エルンストは前線へと戻り、魔物を倒し続けた。
未来は明るいと思い込んでいた。
だが、ある時を境目に、調子よく魔物を倒すことが出来なくなった。
おかしい……。そう思いながらも、魔物と対峙し続けた。
そして、エルンストは出会った。
圧倒的な力を持つ、魔王という存在に。
長い黒髪を後ろで三つ編みにした、小柄で生意気そうな表情の少年。
そう、少年だ。
耳の形が人族とは異なり尖ってはいるが、それ以外、翼があるわけでも、長い爪があるわけでもない。
例えば王都で、すれ違っても、特に気にしない程度の、ごく普通の男の子ども。
それが、戦場にいきなり現れたのだ。
しかも、エルンストの目の前に。
少年はしばらくじっと、その金色の瞳でエルンストを見つめ、そして言った。
「なんだ、剣聖などという大げさな称号を持つ者だから、どの程度かと思えば」
実につまらなそうに、肩をすくめながら。
身長はエルンストのほうが遥かに高い。初めて会ったときのリーリアよりも、はるかに小柄な少年。
だが、エルンストは動けなかった。
ドラゴンに見下ろされたような、圧迫感。
息もできないまま。
冷や汗すらかけないほど。
「興味も持てない。どこかに去れ」
エルンストは声を発することもできなかった。
代わりにというわけではないが、少年の後ろに立っていた、紫みを帯びた濃い青色の髪を持ち、左目に黒色の眼帯をつけた男が言った。
「ちょっと魔王様。これ、剣聖ですよ。後々のために、ここでさっさと殺しときましょうよ」
魔王。
これが。
エルンストの喉の奥が、ひゅっと鳴った。
「オレが手にかけるほどの者じゃあないだろ。ラッセルが処分すれば?」
「私の仕事は魔王様のお世話です。人族を殺すのは職務外です」
もちろん襲われれば返り討ちにしますけど……と、ラッセルと呼ばれた眼帯の男はつけ加えた。
「じゃあ、いいや。ほっとくか」
魔王はエルンストに背を向けて歩き出した。
エルンストは動けなかった。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいって、魔王様! あーあ。もうっ!」
ラッセルは魔王を追いかけつつ、ちらとエルンストを振り返った。
が、魔王と呼ばれた少年は、振り返りもしなかった。
「なあ、ラッセル。夕飯って何?」
「はあ? 夕飯ですか⁉ お腹すいたんですか? その辺の人族の肉でいいですか?」
「人族ぅ? マズいからヤダ」
魔王は、うげぇとばかりに舌を出した。
「好き嫌いしていたら、大きく育ちませんよ! ただでさえお小さいと言うのに」
「チビで悪かったなあ! まだ生まれて数年しかたってないんだから、仕方がねえんだよ! 今に見ていろ、百年後には、ラッセルよりもでっかくなってやるからな!」
「はーい、はいはい。じゃあ、牛とか馬とかドラゴンですかね。血の滴るレアステーキなんかいいですよ。お肉をいっぱい食べたら大きくなれます」
「……それ、切るだけ、だろ」
「まあ、そうとも言います」
「せめて焼いてくれ。できればソースかけろ。付け合わせも……」
「面倒ですね。テキトウな人族の屋敷でも襲って、食べ物、盗んできますか?」
それでいいと魔王が言って、そのまま二人の姿はふっと消えた。
エルンストは、へなへなと、その場にしゃがみ込んだ。
***
あれが、魔王。
リーリアに出会い、剣聖との称号を受けて以来、高揚していたエルンストの気分は冷え込んだ。
とてもではないが、倒せるとは思わない。
それどころか、歯牙にかけてすら、もらえなかった。
どうでもいい。
手にかけるほどの者ではない。
魔王の、その言葉に、屈辱を覚えることもできない。
相対したのに。
目の前に、魔王という存在が、あちらから現れたのに。
動くこともできなかった。
剣を持ち、そして、魔王を殺していれば。
人族の勝利は確実だっただろうに。
圧倒的な力の差を感じさせられただけだった。
「無理だ……。魔王を、倒すなど……」
剣聖、エルンスト。
王から直々に、その称号を得た自分が、魔王には見向きもされなかった。
魔物も、魔族も、倒せる。誰よりも多く、倒してきた。
あの襲撃事件から、剣技を磨き、高みを目指し、リーリア姫を守るのだと、仲間たちと共に、全力を尽くしてきた。
だが……。
魔王は、違う。
圧倒的な、彼我の差。
エルンストと魔王。その差は、鼠とドラゴンほどの違いはある。
そう、感じてしまった。
だが、剣聖が、倒せないのなら、誰が、魔王を倒す?
エルンストの目の前は、真っ暗になった。
「聖女の産む……、勇者……」
それしかない。
リーリア姫に、勇者を産んでもらうしか、もう、人族が生き延びる手段はない。
しゃがみ込んだまま、立てずに。エルンストはそう結論付けた。
魔王とその部下と相対したエルンストの様子は、当然、その戦場にいた者たちの多くが目撃した。
剣聖が、魔王に、負けた……のではない。
負けることすらできなかった。
剣聖は魔王に見向きもされなかった。
それは、当然、王城にいるカイエンにも伝わった。
もしかしたら、剣聖が魔王を倒すかもしれないと希望を持っていた者たちのところへも。
そして、次第に。
人族の犠牲ばかりが増えていくことになっていった。
魔王は、気まぐれで、戦場に出てくることは少ない。
例えば、人が、蟻を潰す。
魔王が人族を殺すというのは、それとおなじような手間でしかないのだ。
「お前らでやっとけよ。負けそうなら、オレが薙ぎ払ってもいいけどさ。あ、あと、人族の兵士が野営とかで、美味そうなモン食ってたら、即座に報告しろ。ラッセルに盗みに行かせるから」
「まーおーうーさーまっ!」
「あ、ラッセルがオレに美味いモン食わせてくれたら、その分働くでもいいぞ」
魔王は、人族をせん滅するよりも、日々の食べ物のほうに興味があるようだった。
その余裕は、やる気になればいつでも人族など殲滅できるからだ。
「人族との戦い? まあ、テキトウにやっとけば?」
食べて、眠る。
魔王がそんな態度でいるからこそ、人族は生き延びられている。
戦場からの、そんな報告を受けたカイエンは、憤り、憎しみを募らせた。
だがしかし、現状、人族に打つ手はない。
人族の兵の中で、最も強いと思われていたエルンストさえ、魔王には手も足も出ないのだから。
勇者。
それしかない。
カイエンだけではなく、人族のほとんどの者が、勇者に希望を持った。
そうして、カイエンは、戦場にいるエルンストを王城に呼び寄せた。
「剣聖エルンスト。聖女リーリアと婚儀を結び、聖女に勇者を産ませろ」と……。