第7話 剣聖エルンスト ①
第二章 剣聖エルンスト ① ② ③ 本日投稿いたします
時折、エルンストは夢を見る。
それは、過去の記憶。
剣聖などという称号を受けることは予想もしなかった頃。
当時、十九歳だったエルンストは、王都郊外の避暑地で警備兵として配属されていた。
戦うための兵ではなく、避暑にやって来る貴族に不都合がないようにと、街中の警備をしているだけ。
最前線で魔族と戦う兵に比べれば、ある意味気楽な職務のはずだった。
その避暑地に、王妃とまだ八歳の王女、それから複数人の高位貴族の夫人たちが、侍女や使用人たちをぞろぞろと引き連れてやってきた。
平民の男は魔族との戦いに徴兵されるのに、お貴族様のご夫人やご令嬢たちは、避暑地にやってきて、のんきに社交か……と、口には出さなかったが、呆れていた。
だが、その避暑地に、突然魔族からの襲撃があった。
戦いの場は、遥か山の向こう側。
まさか、王都近郊に、いきなり魔族がやって来るはずはないとの油断もあり、あっという間に街は破壊され、人々は混乱に陥った。
王妃や王女の護衛たちはもちろんいたが、魔物と直接戦ったことなどはない。
指令系統も何もなく、ただ、逃げ惑うしかなかった。
襲撃から五日後、王直属の騎士団が避暑地に辿り着いた。
交戦することなく、魔族はあっさりと撤退していった。
街を蹂躙することに飽きたのか、それともさすがに騎士団が来れば、魔族たちのほうが危ないと思ったのか……。
その時既に、避暑地にいた八割の者たちが死に、そして残りの二割も無事ではなかった。
騎士団の者たちは、戦いではなく、負傷者の救護、死者の埋葬を行っていった。
まず、負傷者。
避暑地の中心部にある教会の、その祭壇前に並べらえている長椅子をベッド代わりにして、どんどんと運ばれていった。ただし、息をしている間は、であるが。死ねば、教会の裏手の地面の上に安置だ。
死者の中には王妃もいた。さすがに王妃だけは、他の死者たちとは一緒にはできず、司祭の部屋の一つを王妃の遺体の安置場所とはした。
野戦病院さながらの教会。
負傷者が痛みに呻き、罵り……。
エルンストは、運よく生き残った。
だが、戦って、生き延びたのではない。
兵として、それなりに訓練をしてきたはずなのに、魔族の襲撃時には、何もできなかった。腰に下げていた剣の存在すら、忘れていた。呆然と、突っ立って。蝙蝠の翼と鷲の足と蛇の尾を持つ魔族が、エルンスト目がけて飛来してきた時も、ただ、両腕で顔の前を防いだだけ。
それで、エルンストの両腕は、魔物の爪によって抉られ、柘榴のように赤い肉をはみ出させた。
その後、どうやって生き延びたのか、エルンストには記憶がない。
気がつけば、教会の祭壇近くの壁に寄り掛かって、座り込んでいた。次々と運び込まれる負傷者をぼんやりと眺め、彼らのうめき声を聞くともなしに聞く。
そんなエルンストの前に、すっと一人の幼い少女がしゃがみ込んできた。
銀色の髪。薄紫の瞳。
エルンストは無感動に、少女を見た。
「痛みますよね」
少女が言った。
「ごめんなさい。完全には治せませんが……」
少女が、エルンストの手をぎゅっと握った。
不思議な、ふんわりとした温かさを感じて、痛みが半減した。
「デイヴ、この人の腕を洗って、包帯を巻いて。アダムはわたくしに付いてきて。次の怪我人を治します」
少女は立ち上がると、長椅子に横たわりながら呻いている別の男の元へと向かった。
デイヴと呼ばれた男に包帯を巻かれながら、エルンストは少女を目で追った。呻き声をあげている男の、その声が少しだけ小さくなる。
「わたくしができるのはここまで。あとは痛み止めを……、アダム、痛み止めはまだある?」
「申し訳ございません、姫様。痛み止めはもう……」
「ないのね。じゃあ、後はこの方の回復力に任せるしかない……。完治させるほど、わたくしの力が及ばなくてごめんなさい。でも、あなたは死なないわ。痛いけど、痛いのは生きている証拠。どうかがんばって」
そう言って、少女は次々と、負傷者を癒していく。
デイヴが、立ち上がり「では」と短く告げて、少女の元へと向かって行こうとした。
「ま、待ってください。今の少女は……姫、様?」
デイヴは頷いた。
「はい。リーリア姫様です。弱い力ではありますが、治癒の魔法を使えますので」
「か、仮にも姫君が、こんなことをしなくても……」
人族の王の娘。姫君。
それが、血や土で汚れた負傷者の治癒を行なうなど……。
「まあ、高貴なご令嬢は血を見ただけでお倒れになりますが、リーリア姫は違います。ご自身ができることには限りがあるが、できることはやると。姫様は御年八歳でいらっしゃいますが、王女としての責任感をしっかりと自覚していらっしゃいますからね」
自慢げに胸を張ると、デイヴはリーリアの元へ行き、負傷者の治療を手伝い続けた。
エルンストは、ぼんやりとリーリアたちの様子を見続けた。
休むことなく治癒魔法をかけて、それでも、治癒しきれなかった部分に関してはデイヴやアダムが薬を塗り、包帯を巻く。
エルンストは治療を施され、包帯を巻かれた自分の両腕を見た。
完治はしていない。痛みはある。だが、後遺症が残ることはないだろう。時間が経てば、また、剣を握ることもできそうだ。
エルンストは、じっとそのままリーリアを見つめ続けた。
休みもせずに、汗にまみれ、それでも負傷者に治癒魔法をかけ続けていく……。
「聖女様……」
ぼそりと、誰かが、リーリアに向かってそう言った。
「聖女だ」
「リーリア姫様は、聖女様だ」
いきなり魔族に襲われ負傷した衝撃、混乱。ほとんどの者が死んだほどの凄惨な現場。だが、リーリアの存在により、皆の気持ちが落ち着いて行く。
エルンストも、そうだった。
ああ……、きっと、リーリア姫様がいらっしゃれば、聖女様がいらっしゃれば、人族は、魔族などには負けない。必ず、神様が救って下さる……。
襲撃の後、リーリアが王城に帰った後も、人々のリーリアへの信仰にも似た想いは残り、広がり続けた。
民は、兵は、王妃を魔物によって失った悲しみよりも、リーリアという聖女が降臨したことに喜んだ。
しばらくの後、王からの宣下があった。
王女たるリーリアは、聖女である。避暑地が魔族に襲われ、王妃が亡くなり、大勢の犠牲者が出たが、我ら人族には、聖女であるリーリアがいる。魔族に負けることなどない……。
王からの宣下と、生き残った民や兵が語るリーリアの様子。
特に、リーリアに治癒を施してもらったものは、信仰するかの如く、リーリアを敬った。
エルンストもそうだ。
傷が完治したのち、エルンストは配属変えを申請した。避暑地の警備のような楽な仕事ではなく、魔族を直接倒せる前線に送ってほしい。そこで、一匹でも多くの魔族を倒す。リーリア姫をお守りするためならば、魔族と相対することも恐ろしくはない。
エルンストのように、リーリアの行いに感銘を受けて、リーリアを聖女と慕い、魔族との前線に立とうとするものが増えた。
一時的にではあるが、魔族のほうが劣勢となり、人族が優勢となるほどに。
「リーリア姫様のために!」
「聖女様のために!」
兵たちは、口々に、そう唱え、戦い続けた。