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第2話 聖女リーリア ②

 背後から近寄ってきたのは、剣聖エルンスト。金属鎧を身に纏い、腰に長剣を下げた騎士である。

「……なぜ、あなたがここにいるの?」

 魔族との戦いの最前線。そこで兵を率いているはずのエルンストが、何故、王城にいるのか。

 訝し気な視線をリーリアから向けられて、エルンストは赤茶けて毛先の跳ねているくせのある髪を掻いた。

「カイエン王に呼ばれまして。本来でしたらきちんと身を清め、姫君への花束でも用意してから、お会いしたかったのですが」

 お目汚し、ご寛恕ください……と、薄く笑うエルネストが、リーリアには不快だった。

 人族が滅びに瀕しているときに何が花束だ。それに、兵たちの陣頭に立ち、多くの魔物や魔族を倒す騎士が、戦場を後にして、わざわざ城に戻ってくるとはどういうことだ。戦況の報告ならば、別の者に行わせれば良いだけだ。エルンストが戦線から離脱すれば、それだけ戦力は低下するというのに。

 だが、リーリアはそんな思いは口には出さなかった。

 じっと黙っているリーリアに、エルンストは笑顔を向ける。

「姫様、ありがとうございます」

 いきなり感謝の言葉を告げられて、リーリアは眉根を寄せた。

「聖女たる姫様のお相手に、この剣聖を選んでいただいたこと、恐悦至極に存じます」

 金属鎧を纏ったまま、エルンストは優雅に一礼をした。

「聖女と剣聖の子は、必ずや勇者となり、魔王を、そして魔族を亡ぼすことでしょう!」

 上機嫌さを隠しもせずにぺらぺらと喋るエルンスト。大げさに、大仰に、喜びを告げる様子は騎士というよりも舞台上の俳優のようだった。

「何の話? 何を勘違いしているのか知らないけれど、わたくしがあなたを選んだなんて事実はないわ」

 嘔吐する直前のように、胃から不快感が競り上がってくる。

 不快さを隠すことなく、リーリアが言う。

 エルンストは、きょとんとした顔になった。

「父王からは何も命じられていないわ。聖女と剣聖の子? ご冗談を。あなたの不敬で不快な発言は、聞かなかったことにします」

 謁見室で、殴られることなく、リーリアが大人しくしていれば。

 今頃、カイエンからエルンストと婚儀を結べと命じられたかもしれない。

 だが、命じられる前に、リーリアは退出した。

 カイエンの思惑がどうであろうとも、リーリアはエルンストと婚姻を結べとも、エルンストの子を孕めとも、聞いてはいない。

「お前が勇者を産めば、我らは魔族に勝つ!」という妄言を告げられただけだ。

 王女である以上、本当に父王から「エルネストの子を産め」と命じられれば、拒否することは難しい。聞かないうちに退出してよかったと、リーリアは思った。

 とはいえ、リーリアは別にエルンスト個人を特別に嫌っているわけではない。他に好いた相手がいるわけでもない。

 むしろ、剣聖と呼ばれるほどに剣技を極めた点に関してだけは、尊敬に値するとさえも思っている。

 だが……。

「姫様」

「……何かしら」

「唯一の姫君にして聖女たるあなた様と、この剣聖の子は、必ずや勇者となり、魔物たちの王を打ち滅ぼすだろうと、民も、兵も、皆、期待をしているのです」

 キラキラと輝くエリンストの赤茶色の瞳。

 聖女が勇者を産み、その勇者が魔王を倒すと信じ切っている。

 剣聖と呼ばれたほどの男でさえ、この妄信。

 それが、正直、気持ち悪い。

「聖剣エルンスト。あなたもお父様と同じなのね」

「は?」

「聖女が産んだ子が勇者となり、魔王を倒す……なんて。ねえ、そんな嘘か本当かわからない伝承にすがってどうするの?」

「姫様ともあろう方が! 何をおっしゃるのですか!」

「騎士ともあろう者が。兵たちを鼓舞するための手段として使っているのではなくて、伝承が本当だなんて、信じているの?」

 カイエンにそれを問えば、殴られた。

 では、剣聖たるエルンストはどんな答えを述べるのか。

 リーリアは淡々と聞いた。

「あ、当たり前です! 勇者は必ずや魔王を打ち倒し、人族の繁栄を導きましょう!」

「……馬鹿なの?」

 聞くだけ無駄だった……と、リーリアは白けた顔をエルンストに向けた。

「聖女が産んだ子が勇者となるなんて、誰が決めたの? 誰が確かめたの? そんなもの、根拠のない単なる希望のようなものよ。魔物に滅ぼされようしている人間が、勝手に妄想したことに過ぎないわ」

「妄想ではありません! 確かな言い伝えです!」

「だったらその根拠を示してちょうだい。誰が言いだした言い伝え? その誰かは信用に値する人間なの? 確かと言い切れるのはどうして?」

「そ、それは……、ですが、誰もが信じて……」

「皆が信じているから、それが真実? 多数決で世の中は決まるの? 全員が願えば叶うと言うのなら、何故魔王は生まれ、人族は全滅の危機に瀕しているの?」

 エルンストは答えられない。

 自身が憧れの姫君と結ばれ、そしてできた子が勇者となり魔王を打ち滅ぼす……。そんな夢に酔いしれて、のこのこと、呼ばれるままに王城までやってきた無様な男には。

「それに、聖女と剣聖の子? 仮に生まれたところでその子が剣を持って、魔王の元へと赴き、対峙できるまで何年かかると思っているの? 十年? 二十年? そんな長い間、人族が生き延びられると思っているの?」

 魔族には魔王が生まれた。日に日に魔族の勢力は増している。

 人族に勇者はいない。

 剣聖と呼ばれているエルンストは王によって城に呼ばれている。

 今、戦っている兵たちなど、既に魔王によって、全滅させられているのではないか。

 その程度のことにさえ考えも及ばず、姫と婚姻し、勇者を産ませるなどと、喜び勇んでやって来る男。

 愚かとしか言いようがない。

 リーリアに指摘されたことが理解できたのか、それでも、エルンストは何度も口を開け閉めしてから、ようやくのことで、言った。

「ゆ、勇者が生まれ育つまで、この剣聖が、人族を、姫を守りますとも!」

「勇者が育つまで……ね」

 リーリアは冷笑を返した。

「十年、二十年、魔族の進行を食い止められるというのなら、いっそ、お前が魔王を倒せばいいのよ。剣聖と呼ばれるほどに、お前は剣技に優れているのでしょう? 生まれるかもわからない勇者に希望を託すよりも、自分の手で成し遂げたらどうなの?」

「……無理です。私程度の腕では、魔物は倒せても、魔王は倒せないでしょう」

「その程度の腕で、どうやって、勇者が育つまで、わたくしを、人族を、守るの? できもしないことを言わないで」

 俯いて、答えることもできないエルンストに、リーリアはいった。

「できないことをやれとは命じないわ。そんな無駄なことをするくらいなら、わたくしが魔王の元へ赴き、このわたくしと引き換えに、人族の助命を願ったほうがマシというもの」

「ひ、姫様⁉」

 思わず、目を見開き、リーリアを凝視したエルンスト。

「そもそも、わたくしが聖女だと言うのも神の啓示ではない。わたくしが、治癒のまねごとをして、それをありがたがった人々が、わたしをそんなふうに称して……。そして、お父様が便乗した。民に、兵に、希望を持たせるためだとね」

「姫様……っ」

「わたくしが聖女ではないのだから、わたくしが孕んだところで生まれてくる子は勇者ではない。勇者たれと命じられ、剣技を磨くことを強要され、死地に赴かされるだけ。きっと、あっさりと魔王に殺されるでしょうね」

 これ以上話していても時間の無駄。

 リーリアはそう判断し、エルンストに背を向けて、さっさと歩きだした。




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