第14話 魔王レオ ⑤
魔王とラッセルと過ごす日々は穏やかに過ぎていった。
リーリアは、最初は困惑していたが、次第に慣れていった。
魔王もラッセルも、言った通り、リーリアに何かを強いることはなかった。
ただ、同居しているだけでの友人のように、寝て起きて、共に食事をとって、そして、夜になれば眠る。
ぼんやりと、リーリアは過ごしていった。
だが、ぼんやりできたのは、わずかな期間。
「う……」
込み上げる吐き気。
「どうしました、リーリア」
いきなり口を押えてしゃがみ込んだリーリアを、ラッセルが支えた。
だが、リーリアは答えることができなかった。
へなへなと、体から力が抜ける。
もし、この腹に、既に赤子が宿っていたとしても。
それは、リーリアが石化する前から考えていたことだった。
もしも、赤子が宿っていたら。
勇者。
いいや、それは迷信だ。
根拠などない。
だけど。
石化から解かれて、魔王とラッセルと共に過ごして。
穏やかに、毎日を送っていた。
このときがずっと続けばと思うくらいに。
だけど。
腹に、子が、いる。できて、いた。
しかも、人族の迷信とはいえ、勇者は、魔王を倒す者。
「もしも、迷信なのではなくて、本当に、勇者が魔王を倒すのであれば……」
この腹の子を、産んではいけないのではないか?
「リーリア。落ち着いて。大丈夫ですよ」
「ラッセル様……」
「怖いことはもうないんです。あなたは自由です。望むままにしていいんですよ」
「だけど……!」
願いを叶えてもらって、石化も解いてもらって。
恩ばかりがあるのに、仇を成すかもしれない子を産むのか……。
ラッセルの声が優しいから、申し訳けなさだけが、増える。
「それに、魔王様を倒す? 無理ですよ。何せ人族の王城だって、蹴っ飛ばして破壊するような存在なんですから」
「え……」
「あ、後、本当にリーリアが勇者という存在を産んで、それが迷信の通りに、魔王様に匹敵する力の持ち主であれば」
あれば、どうなのか。
リーリアは、不安な気持ちで、続きを聞いた。
「魔王様、喜びますよ」
「は、い?」
くすりと笑ったラッセルに、リーリアは混乱した。
魔王を、打ち倒す、人族の、勇者。
それを、魔王が喜ぶとはどういうことだ。
一瞬、吐き気を忘れるほどに、混乱したリーリア。
「魔王様~」
気楽に、ラッセルは魔王を呼んだ。
「おう! 飯できたのか? あ、あれ? リーリア、顔色悪いぞ。大丈夫か?」
「あのですねえ。人族の迷信の勇者ですけど」
「あ? 勇者がどうした? そんなもんよりリーリアの体調悪いんだろ? 休ませないと」
「ああ、吐き気がって……、リーリア、それ、もしかして、つわりとかいうものですか?」
つわり。
ラッセルの問いかけに、リーリアは顔を青ざめさせ、魔王はきょとんとした。
「つわりって……何?」
「人族の女の人は大変なんですよ。腹に赤子がいるとですね、産まれるまで……、えーと、そうじゃなくて、安定するまででしたっけ? 気持ち悪くなったり、吐いたり……」
「え、え、え? つまり、あれ? リーリアの腹に勇者がいるってこと? うわっ!」
「それでですね、魔王様。もしもリーリアが産む赤子が、迷信とかではなく、本当に魔王様を亡ぼすような勇者だったらどうします?」
あっさりと尋ねるラッセル。
そして、魔王もあっさりと答えた。
「一緒に遊べる相手ができるってことだろ? ラッキー!」
軽く答える魔王。
ラッセルは「ね、気にすることないですよ、リーリア」と笑顔を向けた。
「で、でも……、迷信だとわたくしは思ってますけど、でも、本当に、だったら……」
混乱しているのはリーリアだけだった。
「だってさあ、オレとまともに打ち合える相手なんていないんだよ。あ、ラッセルは強いけど、オレとラッセルが真面目に全力で戦ったら……」
「疲れた、飯! と言われましても、私も疲れてしまって食事が作れなくなりますからねえ」
「そうそう。だから、強い相手なら大歓迎!」
思ってもみなかった答えに、リーリアの思考は真っ白になった。
何も、考えられない。
「男の子でしたら、魔王様と遊んでもらえそうですね。あ、でも女の子だったら、魔王様の嫁にしてもいいかもしれませんよ?」
「嫁!」
「よ、嫁⁉」
魔王もリーリアも、思わず叫んでしまった。
「リーリア似の美人になるんじゃないですか? 楽しみですね」
ラッセルの楽しみと言われたリーリアは、そこで初めて、腹の中の子の誕生を楽しみにしていいのか……と、思った。
そっと、腹に手を当てる。
誰かと愛し合った結果などではない。
望んだわけでもない。
その逆だ。
薬で眠らされて、知らぬ間に、純潔を奪われて、そうして、産めと強制されたようなもの。
だけど、誕生を喜んでいい。
いいのだ。
それが、魔王を亡ぼす勇者と迷信とはいえ言われている子であるとしても。
「リーリアが、産みたいなら、産めばいいんですよ。言ったでしょう、自由に生きていいんです。あなたを縛るものは、もうとっくに私たちが滅ぼしたのだから」
リーリアは、口をはくはくと開けて閉めて。
そして、言った。
「ありがとう」
伝えたい気持ちはたくさんある。
それを、今のリーリアには、その気持ちをどう言葉で表現していいのかわからない。
正直に言えば、腹の子を、うまく愛せるのかどうかも分からない。
だけど。
自由に、生きて、いい。
「ラッセル様、魔王様。ありがとう……」
過去も、全部飲み込んで。
たとえ、自分の願いが人族を滅ぼしたとしても。
自由に、心のままに、生きてみよう。
ようやくそう思えた。
そうして、それからしばらくして。
リーリアは、女の赤子を産んだ。
第四章 勇者に続きます