97話 謎の集団
「このまま進めい! 荷は下ろすなよぉ、辛抱せえ!」
少し迷ったが、ガストンは隊列をそのまま進めた。
変に迂回して待ち伏せを食らうのもバカらしい。それならギーたちが確保している地点のほうが安全だと判断したのだ。
(ふむ、武装はしとらんな。物売りや野盗ではなさそうじゃ)
謎の集団は男ばかりで7人、初老から青年までおり武装はしていない。
粗末な衣服を着て、何ら抵抗せずにうずくまっている。
「ギー! コション! なんぞ変事か!? コイツらはなんじゃ!!」
ガストンが声を張り上げると謎の集団はビクリと身を震わせ、さらに深く這いつくばった。
特に初老の男は身も世もないと言わんばかりに「ああーっ!」と泣き出して震えている。意味が分からない。
「へい、よく分からねえのですがコイツら降参してきたのです」
「降参? こんなナリで野盗か?」
「いやあ、どうも違うような……錆び槍どころか、棒きれも持っておりませんです」
先に接触したギーも説明に困っているようだ。
泣きわめき震える男たちを見て、ガストンは「たまらんのう」とため息をつく。あまり親しみを持てそうにない集団である。
「ま、俺が事情を聞くしかあるまいな。ギー、全員に休憩をとらせるから指揮を頼むわ。荷を下ろして飯にせぇ、見張りを立てろ」
「へい、承知しやした」
指示を受けたギーはすぐさまテキパキと見張りを出し、隊列全体を開けた土地に移動させた。
この働きを見たガストンも『ようやっとる』と納得顔だ。
クード川を渡れば目的地の修道院跡はすぐそこである。
本当は休憩など挟みたくなかったが、このような不慮の事態は仕方がない。
「俺はビゼー家中のガストン・ヴァロン。ほんでオマエさんらは何者だい? なんぞ小戦でも起きて焼け出されたのか?」
「ああーっ、ああ、荒縄の、荒縄の……お許しを、お許しを」
ガストンは這いつくばる集団に気安く声をかけたつもりだが、まったく話にならない。
くたびれ果てた様子から戦災かと当たりをつけたが、許しを請うあたり間違っていそうだ。
「この……この、この老いぼれめが悪いのでございます。どうかくびり殺しは私めだけで、息子たちは私がだまして連れ出したのでございます」
「親父、何を言うか! 荒縄の殿様、わ、私めを、私めに、罰を、罰をお与えください!」
なにやら初老の男と、息子らしき日焼けした男が芝居じみたやりとりを始めたが、ガストンにはまったく理解ができない。
なにやら罪を犯したような口ぶりではあるが、別にガストンは犯罪捜査をしているわけでないのだ。
正直に言えば早く目的地に向かいたい。
「おいスカラベよお、コイツらに乾燥豆か堅焼きパンでもふるまってやれい。落ち着かせにゃ話にならんぞ」
「へっへっへ、ポスカも作らせようか?」
「おう、なんなら事情を聞いといてくれい」
ちなみにこの『ポスカ』とは、水に酢や香草を(はちみつや塩を入れる場合もある)混ぜて安全性を高めた水である。
軍の維持には安全な飲料水が不可欠だが、これを移動中に十分確保するのは難しい。
しかしながら、ビール樽やワイン樽を大量に輸送するのは現実的ではないし、煮沸消毒もコストがかかりすぎる。
そこで生水を安全に飲む方法として普及したのがポスカである。
酢には殺菌効果があるし、香草には消臭や風味づけなどの効果をもたらしたようだ。
なにより酢を入れることで『飲みにくく』なり『安全になった』とプラセボ効果が働く。
安価で作りやすく、軍隊ばかりでなく水を保管する時にはよく用いられた。
現代人から見れば不十分な安全性だろうが、この世界の軍隊からすれば欠かせない健康飲料と言えるだろう。
(まあ、俺よりはスカラベの方が向いた仕事じゃな)
このポスカと乾燥豆をふるまいながらスカラベは言葉巧みに謎の集団と会話を始めた。
ガストンにはない能力である。
(人も木もおんなじだわな。マツやトウヒはよう燃えるし、カシは堅い。ブナは木目が素直で使いやすい。色々だわ。俺ができない仕事もスカラベにゃ向いとるわけだ)
先ほどのギーもそうだが、最近のガストンの心中には妙な割り切りが生まれ、可能な限り家来や部下に仕事を振るようになった。
なにごとも我武者羅に立ち向かってきたガストンではあるが、それだけの気力体力がなくなってきたとも言えるし、指揮官として円熟味が増したとも言える。
この辺りは評価の別れそうなところだ。
「ほんでなあ、逃げてきたのはいいが、兵隊がたくさん来たから捕まえに来たと思ったんだとよ。しかも登場したのが名うての豪傑、荒縄のガストン様と知って魂を潰したってわけさ」
「なるほどのう、逃散(農民が領外へ逃亡すること。大抵の場合は犯罪である)かい」
スカラベによると、この集団はビゼー伯爵領の農民だったらしい。
生活苦に耐えかねて逃散し、雨風をしのぐためにリーヴ修道院跡に住み着いていたのだとか。
そこに軍が迫ってきたために『自分たちを捕らえにきたのだ』と勘違いし、女房子供を逃がす時間を稼ぐため男衆は囮となって降参したのだ。
たしかに大勢での逃走は目立つし、軍隊に追撃されて逃げるのは難しい。かといってバラバラに散っては生活は維持できない。降参は無難な判断といえる。
荒縄ガストンに怯えて前後不覚になったのはご愛嬌だろう。
(ふうん、女房子供を助けるために、か)
この辺り、最近親になったガストンには刺さる事情ではある。見逃したい気持ちもないわけではない。
さらに捕らえて護送となれば人手を割かねばならず、その分の工事が遅れる。
見なかったことにするのがラクだ。
だが、逃散というのは領主――つまり、ビゼー伯爵の財産を損ねる犯罪でもある(領民は領主の財産である)。
これを許すのは伯爵家の家来として筋が通らない。
「難しいとこだの。これを見逃しちゃ筋が通らねえが、捕らえて人手を割くのも惜しいわ」
「ならば吊るしちゃどうですかい。成敗したら話は早え」
ガストンの独り言に応じたのはドニだ。
この一言に集団が悲鳴を上げたが、これは仕方ないだろう。
「やめねえか。どれほど重くても逃散で全員が死刑はおかしいわ。ほうだのう、オマエさんたちは修道院跡を直して暮らしとるのだな?」
ガストンが訊ねると集団は怯えて縮こまってしまう。
これにはガストンもイラつくが、泣きわめくよりはマシかと思い直し、怒鳴りつけるのを辛抱した。
「へい、そのう……いくつか屋根が壊れてねえ建物がありまして、そこを使っとります」
「おお、そりゃいい報せだ。食い物や水はどうだ?」
「へい、水は井戸が使えまして、食い物は釣りをしたり、猟をしたり、小さな畑も作りまして」
「畑は麦か?」
「いえ、そのう、カブとかホウレンソウを」
「ああ、なるほど。カブもホウレンソウも育ちが早えからな。そりゃええ思案だのう」
ちゃんと話をしてみると、彼らは意外なほどリーヴ修道院跡を活用して生活しているようだ。
女子供ふくめ総勢で4戸22人らしい。村落というほどではないが、ごく小さなコミュニティとしては機能しているようだ。
(ふうん、これなら使えるかもしれんのう)
ガストンは「よう分かった!」と大きくバァンと手を鳴らした。
「たしかにビゼーの殿さまから逃散するのは不届きなことだわ」
ガストンがそう告げると、集団は悲鳴を上げてうずくまった。
だが、ガストンは気にもしていない。
「だが俺たちはオマエさんたちが住む修道院跡を直しに来たんだ、そこが直れば家来の俺たちが住む。伯爵領と変わらねえ理屈だ」
ガストンが「分かるか?」と聞くや集団はガクガクと震えるように何度も頷く。
あまり分かった様子ではない。
「だからな、オマエさんたちが修理を手伝うというのなら、それはビゼーの殿さまへの奉公じゃ。逃散にはならんから目こぼししてえが、どうだ? 承知か、不承知か? 不承知なら逃散でとっ捕まえるぞ」
ガストンが突きつけたのは交渉ではなく命令である。そもそも対等ではないのだ。
確認の体裁ではあるが、これを断ることはできない。
「まあ、城ができたら麓に移ってもらうかもしれんが、そこは手伝うから安心せえ。城を直す領民に無体なまねなどするものはおらん。手伝え、ええな?」
ガストンが念押しすると、この集団は比喩ではなく涙を流して喜んだ。許されたと考えたのだろう。
人は危害を加えられると思った相手から恩恵を与えられると、必要以上に恩義を感じるものだ。
ガストンが意図したものではないが、集団はまさにそのような状態にあるらしい。
今回は『なんとなく』全員が納得する結果となったが、本来、人里のないリーヴ修道院跡周辺は一種の空白地帯であり、この地でガストンが法を執行する根拠などないのだ。
これは『空白地帯にてビゼー伯爵から派遣された騎士が軍隊を率いて法を執行した』ことになり、かなり強い政治的なメッセージとなるのだが……これはガストンをはじめ誰も気づいていない。
(まあ、人手が増えたと考えりゃええだろ。スカラベに世話をさせるとするか)
本人もこの程度の認識である。
ともあれ、ガストンはこの新たな領民とでも言うべき集団を先行させ、修道院跡に入る。
見れば城門や柵は破壊されているものの、人が生活していたためか荒れた雰囲気は薄い。
ガストンも『これなら』と胸をなで下ろした。
川を渡るだけで1話…