96話 戻りは独り
ガストンが率いる百人隊は戦闘員が61人――これはガストンや他の十人長などの私兵も含む数である。
これに大工や荷運びをあわせて総勢140人強。これはかなり多い数だが、それだけリーヴ修道院跡の調査や修復に人手が必要だと判断したのだ(調査とはいえ、修復できなければ別の候補地に陣を構築する予定なので人手や資材は必要なのだ)。
普段の剣鋒団とは違い、資材を運搬する人足の足は遅い。
出陣とは思えぬゆるやかな足取りで軍は進み、リュイソー城にたどり着いた。
「おうおう、リュイソーのお城じゃ。変わらんのう」
ガストンが懐かしさのあまり言葉を発するが、応じるものはいない。
同じくリュイソー男爵に仕えていたマルセルは百人長として別働隊を率いているし、弟のジョスはバルビエ騎士家に従騎士として仕えている。
この場に思い出を共有する者はいないのだ。
「あんときゃ3人でビゼーのお城に向かったんじゃ。その道を戻るときゃ独りか。お前さんもあの時は知るまいなあ」
ガストンは仕方なしに愛馬のオングルに馬上から話しかける。
実際には独りどころか軍勢を率いているのだが、そこは心持ちの話というものだろう。
ちなみに愛馬に語りかける騎士は多いのでガストンの行動を怪しむ者はいない。
(偉くならんだら、いまでも3人で馬を並べて……いや、出世せなんだら馬に乗っておらぬか。そもそも嫁ももらえとらんわな)
ガストンは「ままならんものだのう」とボヤきつつリュイソー城へ入城した。
リュイソー城では男爵に仕える騎士アロイス・カルメル(16・58話)に迎えられ、ガストンは主塔にて男爵の応対を受けた。
「久しいなガストン、当家から出た兵士が軍を率いてもどってくるとは私も嬉しく思うぞ」
「ご無沙汰をしとります。なんとかビゼーの殿様には辛抱して使ってもらっとります。今日は手紙がございますで、お渡しをいたします」
挨拶もそこそこにガストンは3通の手紙を男爵へ差し出した。
ビゼー伯爵、騎士テランス、騎士ドロンが、それぞれの立場でリュイソー男爵へ協力をお願いする内容だ。
ガストンらがクード川対岸へ拠点を築くとなると、物資や食料などの集積地としてリュイソー領が機能することになるだろう。
それは余録もあるだろうが、負担も多い。
だが、手紙を読んだ男爵は「ありがたいことだな」と何度もうなずいた。
当代のリュイソー男爵は旗幟の定まらぬ横の国の領主としては珍しく、一貫してビゼー伯爵に忠誠を誓う存在だった。
これは彼なりの処世術ではあったろうが、結果として常に伯爵領の西側を守る最前線に立たされていた。
男爵にしてみればドロン男爵および剣鋒団が川を越えて守りを固めるのは望むところなのである。
「ブーブリル卿(騎士テランスのこと)の手紙によると、リーヴ修道院跡を拠点とするようだな」
「へい、使い物にならんほど荒れ果てとれば別に陣砦(防備を固めた陣地、簡易的な砦)を構えるつもりですが、まずはそこを直そうかと考えとります」
「うむ、あの修道院跡の近くには村落もなく廃城となっているが戦で使われることも多い。その度に手は加えられておるから問題はなかろう。そこで1つ提案があるのだが聞くか?」
男爵がガストンにニヤリと笑うが、ガストンには是も非もない。ただ「お願いします」と言うのみだ。
男爵はまるで家来を扱うように「よろしい」と口にするが、ガストンは旧臣でもある。これは仕方ないだろう。
「リーヴ修道院跡は小山を利用した構造ではあるが、本来は城塞ではない。ゆえに入り口の構造は単純で人を阻む造りではない。そこに手を加えることができれば難攻の堅城となるだろう。工夫することだ」
ガストンは古い記憶を思い出しながら「たしかに」とうなずいた。
リーヴ修道院跡の門は馬出しこそ備えられていたが直線的で広い。さらには櫓の位置も死角があり良くない。
それに現地で指揮を執った男爵の言葉である。その言葉はガストンの腹にすとんと落ちた。
「それは気がつきませんで。よい知恵をいただきました」
「うむ、それ以外は良いと思うがな。あの門の造りだけはもったいないと思っていたのだ。水は湧いているが、拠点として長く使うなら溜める工夫がいるだろう」
男爵は「私なら」と口にし、何かに気がついたように「いや、このくらいにするか」と苦笑した。
どうやら熱くなりすぎたと自制したようだ。
「廃城は山賊野盗が潜むことも多い。思わぬ不覚をとるなよ」
「へい、承知しました」
ガストンと男爵は視線を合わせ、どちらともなく「ふっ」と薄く笑う。
仕えていた時にはさして親しみを感じなかったが、リュイソー家から離れて親しく会話を交わすのは人の世の小さな不思議かもしれない。
その後も現場レベルで物資の輸送などを打ち合わせ、ガストンらはクード川を渡る。
思い返せば、ガストンという男がこの川を渡った時は常に負け戦であった。
●
ガストンはクード川の手前で「止まれーい!」と隊列を止めた。
「ギー、組下を連れて川を渡れい! 油断せず瀬踏みしろっ! 2番手はコションだぁ! 次に俺が人足と渡る! 殿はボネ! 遅れるやつを助けてやれいっ!」
ガストンは大鐘のような声で部下に指示を飛ばす。
渡河というのはただでさえ事故が起こりえるし、軍勢が無防備になる危険な状況だ。
ここで用心をするのは当然の心得である。
「一番乗りだぞ! 声だせえーッ!!」
先手のギーが組下を励まし「エイエイエイ」と声を出しながら川を渡り始めた。
川の水深や流れを読みながら進む瀬踏みは危険であり、ぶら首のギーにふさわしい勇士の役目である。彼の先導で全体が続く大役に、ギーも張り切っているようだ。
続いて2番手に呼ばれたコションとは、百人長に昇格したマルセルの代わりに補充された十人長のことである。
フルネームはブリス・コション、この豚というユーモラスな家名は彼が豚飼いをしていたことに由来するらしい。
まったく身体を洗わない奇癖以外は気のいい男で、少々体臭がキツイが戦になれば真っ先に飛び出す命知らずの荒武者でもある。
コションは慣れた様子でギーの組とは距離をあけ進む。
こちらも危なげない。
「ようし、野郎ども! 声出して息を合わせろーっ!! 急に深くなっても慌てて転ぶなよぉ!」
ガストンは簡素な指示を何度も繰り返して人足たちに指示をする。
物慣れた兵士たちからすれば『口うるさい上司だ』と閉口するが、ガストンからすれば何度も聞かせなければ安心できない。何度聞かせても簡単な指示を無視する者は後を絶たないのだ。
「ほれそれ、ほれそれ、声を出せぇ! 息を合わせろぉ!」
ガストンは騎乗のまま川を進むが、手綱は馬丁のイーヴ・サドルに預けている。
武装した騎士が騎乗のまま馬を泳がせる馬泳という技術もあるが、これはかなり高度な馬術でありガストンは習得していない。
馬丁のおかげで、こうして隊列に目を光らせることができるのである。
(川の流れってのは怖いもんだ。鎧を着たまま溺れるのはマズいからのう)
水利に恵まれた沢の村出身のガストンは水の恐ろしさも理解している。
人足たちからすれば怖い顔の上司が馬の上から絶え間なく怒鳴りつけてくるのだからたまったものではないが、そこは溺死よりマシだろう。
「お頭っ、先に渡った部隊がおかしい! 戦支度だ!」
ガストンが川を半ば以上渡ったころ、前を進んでいたドニが慌てて声を上げた。
見ればギーの十人隊が慌ただしく動き、コションの部隊は急進している。異変があったのは明らかだ。
「慌てんなっ! ギーが逃げねえのなら大した相手じゃねえ!! 俺たちはこのまま進む、ドニはヴァロンの衆を引き連れて先に進めい!!」
ガストンは落ち着いて下馬し、指示を出す。
先の動きが陽動の場合は思わぬ方向から矢石が飛んできても不思議ではない。馬から下りるのは狙撃に備える心得である。
「前の騒ぎに慌てんなよぉ! 慌てて荷物を濡らすようなヤツはゲンコツじゃ済まねえぞ! このまま進め!!」
ガストンの命令一下、集団は淀みなく前進を続ける。
人足たちも前方で騒ぎが起きたことは察しているが、視認できない敵よりも目の前のガストンのほうが恐ろしい。
なにしろ噂では『常に人を吊るす縄を身体に巻いている』と噂される残忍な伯爵の暴力装置なのだ(あくまで評判である)。この大男の機嫌を損ねれば面白半分に吊るされる、と信じ込んでいる者もわりといる。
(むう、敵襲ではなさそうな……? だめだ、ここからじゃ分からねえ)
指揮官としてガストンが焦りや恐怖を表に出すことはないが、内心では状況が読めぬ現状は不安そのものである。
速度は変えず、だが背筋が泡立つような緊張感をもってガストンは川を歩いた。
幸いにしてガストンの背丈であれば首が流れに浸かることはないし、手に持つ槍が歩行を助けた。
(うん? どうもおかしいのう。なんじゃアイツらは?)
ガストンから対岸がハッキリ見える頃、そこには不思議な光景が広がっていた。
みすぼらしい集団がギーたちに両膝をついているのである。