92話 ルポン市の落日
ランヌ城を出てより、ガストンらの行程は驚くほど順調であった。
なにせランヌ城から先触れが出たのだ。行く先々で「軍が通りますよ」と軍使を立てる必要がない。
それに剣鋒団は伯爵子飼いの精兵である。前もって通ることが分かれば機嫌を損ねたくないと休憩所に井戸を貸したり、兵糧を差し出したりする村まであった。
(困るのう、あまり楽をしてはマルセルの修行にならねえ)
順調な行程にガストンはやや面白くない心持ちである。
兵の休憩に安全な場所を探したり、糧食の補給は百人長の大切な職務なのだ。ここで苦労をせねばいざという時に役に立たない――ガストンは本気でそう信じている。
実際にはマルセルの統率は良くもなければマズくもない、ほどほど程度のものであろう。
初めて軍を率いたことを考えれば十分及第点である。
今でもマルセルは隊列の最後尾で目を光らせ、脱落や脱走に気を配っていた。
要は隊列の後方から指揮を執るタイプの指揮官なのだが、これも常に先頭を駆けるガストンからすれば『生ぬるい』と感じるところである。
「先生、なにか気になることでも?」
ガストンの側に控えていたジャンが声をかけてきた。
最近のジャンはガストンを『先生』と呼び敬意を表している。
少々違和感はあるが、育ての父と呼ぶにはジャンは年を重ねすぎているし、主従でも師弟でもない関係としては無難だろう。
ジャンもガストンに養われている身である。彼は彼なりに気を使っているようだ。
もっとも、ジャンはガストンの妻であるジョアナのことは『亜母殿』(母に亜ぐ人、母の次に慕う人)と呼び懐いているらしい。ずいぶんと夫婦で扱いに差があるものである。
「いや、大したことねえ。あまりに行軍が楽だと兵が油断して良くねえのだわ。天気が悪くなったり、盗賊の影くらいあってもええのだがのう」
「油断、なるほど。そうしたものか」
「うん、軍にはわりと泥棒があるでな、盗賊だけじゃねえぞ。油断したらそこらの百姓でも兵糧やら駄馬やら泥棒するもんだ」
「それはどのように防ぐのだ?」
「そうだなあ、色々あるが――この場合は兵が緩んで士気が落ちるのが問題だわ。鬨の声でも上げちゃどうかのう?」
騎乗のガストンとジャンは視線が近く、退屈な行軍中はなんとなく会話が増える。
これが口うるさいガストンの『お守りをする』形となり、マルセルがのびのびと指揮を執るのだ。なんとも奇妙なバランスでなりたつ集団であった。
「ちょいとマルセルに助言してくるかい」
「いやいや、平時から先生が助けては修行にならんでしょう」
こうしてジャンに諌められるガストンなのである。
そうした行軍が続くこと数日。
一行は危なげもなくルポン市へとたどり着いた。
(ふうん、でけえ町だが城壁は低いのう。だが塔が多いしまあまあの守りだわ)
ルポン市は橋を起点に生まれた大市である。いくら城壁を高くしても真ん中に川が走る以上、防備に大きな弱点を残す構造だ。
城壁を固めず避難場所になる塔を増やすのは、ある意味で合理的な設計なのかもしれない。
「おうい、マルセルーッ! 小頭に任せてコッチに来てくれえっ! 大将が遅れて入っちゃカッコがつかんぞぉ!」
城が近づくや、ガストンは大声でマルセルを呼びたてた。
マルセルも満更でもない様子で「そらそうかっ!」と馬を飛ばしてガストンとジャンに並ぶ。
マルセルも騎乗の身分となり、ずいぶんと立派な軍装を新調したようだ。
若駒にまたがり、鏡のように磨き抜かれた兜はキラキラと陽光を弾く。ジャリジャリと音を鳴らす古風な鎖帷子はいかにも頼もしげで、その姿はそんじょそこらの豪族騎士に引けをとるものではない。
ガストンから見て『かなりムリをしたのではないか』と心配になるほどの武者姿だ。
「先頭に騎士が3人、こりゃ大したもんじゃねえか、ええ?」
マルセルは得意満面、鼻を膨らませてジャンに軽口を叩く。
出自の卑しいマルセルにとって、男爵家の子弟であるジャンと駒を並べるのはなによりも誇らしいことだろう。
ジャンも苦笑いを浮かべるのみで特に迷惑には感じてないようだ。
こちらもずいぶんと丸くなったものである。
城門に近づくと、すでに出迎えの者らが視認できた。
ここでのガストンは主君の代理であり、ないがしろにされることはない。
「ヴァロン様、こちらでございます。すでに両家ともに広場に集っております」
こう案内してくれたのはマクレ家とトロー家からの出迎えだ。
ランヌ家からの先触れも同行しているが、こちらは身分が低いためか後ろに控えている。
ガストンも出迎えを受けて下馬し、愛馬のオングルを馬丁長のイーヴへ預けた。騎乗のまま城門をくぐらぬのは作法である。
「お出迎えかたじけない。我らは広場に向かうのですかい?」
「左様です。橋のこちら側はマクレ領、こちら側はトロー領になりますが、軍勢が集まれる場となりますとマクレ領内にある広場になります」
どうやら市政の中心はマクレ側にあるようだ。マクレ家の案内が自慢げに話すと、トロー家の案内は「ハッ」と小バカにしたように鼻を鳴らした。
「それは元の役場がマクレ側にあったからです。実際の市域はトロー側が7割6分も占めているのですよ」
トロー家の案内は「市域の大半はトロー側」と言いたいらしい。
両家ともにルポン市の主導権で張り合っている様子が見てとれる。
(なるほどのう。ここまでは聞いた通りだわ)
騎士ランヌの弟より聞いていた通り、ずいぶんと拗れているようだ。
だが、両家がいかにガストンにアピールしたところで伯爵の裁定は下っているのである。
(ま、今さら俺に言うても、どうにもならんわな)
揉め事を事前に知っていたことと、裁定が下りている現状がガストンの心に余裕を生んだ。
さらには軍の差配をマルセルに任せている気楽さもある。
鎧を着込んだ大男のガストンが落ち着いた様子で進めば貫禄十分、周囲を圧する雰囲気があった。
先触れを受け、広場にはすでにマクレ卿、トロー卿ともに家来を率いて控えていたようだ。さすがに武装はしていない。
「ご両名様ともにご大義様にございます。ガストン・ヴァロン、我が主よりの書状を持参いたしました」
ガストンが小さく頭を下げると、年嵩のマクレ卿は「ご大義にござる」と如才なく挨拶し、中年のトロー卿は無言で会釈をした。
両者ともに元は伝統派の幹部であり、ガストンとはあまり交流がない。
マクレ卿は初老に差し掛かった小柄な騎士だ。
なぜか耳の穴から白髪まじりの毛がもじゃもじゃと生えており、頭髪や立派なヒゲと一体化している。異相といってよいだろう。
一方のトロー卿は中年の脂で鼻の頭や額がピカピカと輝き、見るからに精力的な印象だ。
戦傷だろうか、口の右端が大きく欠損しており歯がむき出しになっている。無口なのは発声に障害があるのかもしれない。
両者ともにガストンから見れば目上の存在ではあるが、彼らから見てもガストンは主君の名代である。
互いに遠慮をする微妙な関係だ。
「お揃いの様子、早速ながら書状を代読もうし上げまする」
ガストンに続き入城した剣鋒団が整列すると、ガストンが早速とばかりに本題を切り出した。
本来はそれなりの様式はあるのだが、そもそもガストンが代理なのだ。略式で問題はない。
ガストンが書状を広げ「マクレ家ぇ当主っ、トロー家ぇ当主ぅ、なぁらびにルポン市のぉーっ諸氏に告ぐぅ! 両家ぇ相争う儀ぃ、まぁことに遺憾にぃ存ずぅ」と独特の節回しで朗読するや、両騎士は家来衆とともにかしこまって頭を下げた。
あまりの奇妙さにマルセルなどは笑いをこらえきれず吹き出しているが、これは不躾というものだろう。
書状の内容は『両家の争いは大変遺憾であり、改めて川の東岸をマクレ家の所領とし、西岸をトロー家の所領とする。これ以上の揉め事は許さない』程度のことだ。なんら難しくも面白くもない。
「――これによってぇー、おのおのっ、争いをぉ慎みっ、領地を治めぇ、領民を安んじぃ、忠義の道に励むべしっ! もぉし、この沙汰をぉ軽んずるものあらばぁ、厳たる処罰を以てぇ臨むものと心得るべしぃ! 右、しっかとぉ申しぃ達すぅ!」
ガストンが唸るような朗読を終え「ビゼー伯爵、ご署名ッ!」と主君である伯爵直筆の署名を両騎士に見せつけた。
本来ならばこれに両騎士が応え、和睦の証として互いにハグをして終了する流れだ。
しかし、今回はそれでは終わらない問題が残っていた。
騎士マクレが「ご使者殿、確認したい儀が」と申し出たのだ。
これにはガストンも眉をひそめる他はない。
「む、何かご不信がありましたかい?」
「いや、和睦や所領の儀については異論はございませぬが――」
騎士マクレが言うには領地の裁定は納得しているものの、川の上――つまり、橋の権利について両家で争っているらしい。
これにトロー家の家宰も加わり(やはり騎士トローは発声に難があるらしく代理である)、両家ともに「行政府のあったマクレ領のものである」「いや市域の大きなトロー側に権利がある」と譲らない。
橋などは戦略上の要衝であるし、関銭などもバカにならない。
両家ともに退くことは難しいだろう。
「ふむ、今の橋がどちらのものか揉めとるわけですか」
ガストンが訊ねると両騎士は「左様」と頷いた。
やはり騎士トローは発音が不自由らしく、短い言葉ですら顔をゆがめている。唇を使う発声が一切できなくなっているようだ。
(なんでえ、立派な騎士様がそんなことで揉めとるのかい。バカバカしい)
ガストンはそう思うが、これは仕方がないことなのだ。
隣り合わせの領主は互いにライバルであり、少しでも弱気を見せれば次々と譲歩を迫られる可能性がある。
これが元伝統派を互いに争わせる策謀ならば、ビゼー伯爵は大した知恵者と呼べるであろう。
「それならば、それがしの判断にて橋を沙汰してよろしいか?」
「それが公正ならば従いましょう」
ガストンの言葉に騎士マクレが了承し、騎士トローも頷いた。
これで文句は言いっこなしである。
(とは言ったものの、どうしたもんかのう……できればあいこに持ち込んでやりてえが)
もし、ここでモタつき仲裁ができなければ伯爵の面目は丸つぶれである。
ガストンとて子どもの使いではない。何日もかけて使者を往復させ、主君の判断を仰ぐことはできない状況だ。
名代として派遣されたからにはそれなりの判断分別が求められるのは言うまでもない。
ガストンもアゴに手を添え「むうん」と唸るが、大して学のないガストンに妙案が湧き出ることはなさそうだ。
(あいこ、あいこか……そうか、ケンカのタネをなくしてやろうかい。なあに簡単じゃねえか、下っ端が戦利品でケンカしたなら小頭は取り上げるもんだ)
ガストンは「よし」と頷き、両騎士に向かう。
マクレ卿はその迷いのなさに鼻白んだ様子だ。
「今の橋はぶち壊しまする。橋が欲しけりゃ自前で架けなされ」
ガストンの沙汰はあまりにシンプルで乱暴で愚かな解決策だった。
ルポン市の橋は橋脚が石造りの立派なものだ。これを再建するのは労力も資金もかなりのものだろう。
だが、公平には違いない。平等に皆が損をするだけである。
「マルセルッ! 橋をぶっこわせ!!」
ガストンが指示をするや、マルセルは『待ってました』とばかりに勇躍した。
ここは阿吽の呼吸、マルセルに躊躇はない。
「野郎ども! 橋をぶちこわせぇーッ!!」
マルセルの号令一下、剣鋒団の荒くれ者は歓声をあげて橋の破壊を始めた。
上司公認の破壊活動だ。面白くないわけがない。
マクレ卿、トロー卿ともに抗議の声をあげたようだが、突然の凶行になすすべもない。
普段着の彼らが完全武装の剣鋒団に太刀打ちができるはずがないのだ。
またたく間に橋は完全に破壊された。
これによってルポン市は完全に分断され、東西で別の都市となる。
発展の起点を失い、両岸は各々で城壁を固め、物流は停滞した。
つまりルポン市は廃れた。
ルポン橋の破壊はビゼー伯爵の暴政の1つとして記録されるのだが、これに関しては完全に冤罪である(ガストンを起用した責任はあるが)。
少し先の話をすれば、橋が元の姿に再建されるには実に40年の歳月を必要とした。
1つの大市が2つの小市に分裂し、経済規模が縮小したうえ、ことあるごとに両家の対立も続き、再建は遅れに遅れたのだ。
ルポン市では長くビゼー伯爵とガストンへの怨嗟で満ちた。
この後、ガストンもビゼー伯爵や上役の騎士テランスから叱責されたようだが、それ以上に罪を問われたりはなかったようだ。
沙汰は公正であることが第一であり、その点においてガストンの判断にケチのつけようはないのだ。
それに『ガストン・ヴァロンは何をしでかすか分からない』という評判は、伯爵からしても悪いことばかりではない。
領内に揉め事があれば『ガストンをけしかけるぞ』と脅しの種になったようである。