90話 平和の使者
お久しぶりです
完膚なきまでに伯弟をうちのめし、集権化に成功したビゼー伯爵は周辺の勢力に圧力を加え始めた。
それは硬軟織り交ぜたものであり、時に外交的に、時には軍で威圧するのだ。
戦続きのビゼー伯爵ではあるが、この男の攻撃性は緩むということがないらしい。
圧を加えられる領主騎士や小豪族らは戦々恐々としていることだろう。他を頼りビゼー伯爵の圧をかわすか、それともビゼー伯爵の下につくか……この手の悩みは小領主の宿命である。
このビゼー家中の動きの中で、ガストンも大いに働いた。
徴税人としてももちろんだが、ビゼー伯爵がマラキア市から分捕った新領地にもよく派遣される。
領主が代わった土地というものは、領民の反発、境界争い、その他の利権に関する揉め事、とにかくトラブルがつきものなのだ
「それがしが調停……調停と申しますと、つまり仲直りのお使いですかい」
「うむ、我が君の名代である。大任と言えよう」
ある日、騎士テランスから呼び出されたガストンは思わぬ命を下された。
なんと新領地の領主同士で起きたいさかいを調停せよと言うのである。
いかにもガストンに不向きな政治的な任務だ。
「オヌシは百人隊を率いる。しかし使者であるゆえ、実際の指揮はマルセルに任せるのがよかろう。アヤツも馬に乗る分限なのだ、慣れれば百人長を任せたい。育てよ」
「へい、そのう……それは願ってもねえ話ですが、それがしは、その、調停というものがイマイチ分かりませんで」
「ふむ、そうか……いや難しいことはない。すでに我が主は裁定をし、書状をしたためてある。それを両人の前で読み上げ、互いの和を見届けるのだ。オヌシならば問題なかろう」
どうやら難しいところはすでに終わり、最終的な合意を主君の名代として立ち会うのみのようだ。
それはそうである。現地を知らないガストンに公正な政治判断などできるはずがない。
「オヌシも主君臨席で――たしかタイヨン家だったな、和睦したではないか(46話)。思い出せ、似たようなものよ」
「ははあ、あの時は俺たちは控えており、殿様の沙汰がありました。その後で和睦の証に抱き合ったので」
「そうだ、形式はどうでもよい。肝要なのは槍自慢のオヌシが荒くれを率いて『これ以上の揉めごとは双方ともにタダではおかぬ』と睨みを利かせることだ。得意であろうが」
どうにも騎士テランスはガストンの忠誠心は認めつつ、根っからの乱暴者だと思いこんでいるフシがある。
実は最近のガストンが宮中の外ばかりで働くようになったのは騎士テランスの進言があったようなのだ。
『ガストン・ヴァロンは猛犬のような男です。家に入れれば家人に噛みつくばかりの厄介者、しかし外で用いれば優れた番犬にも猟犬にもなりましょう』
これを人づてに聞いたとき、ガストンは怒るよりも『上手いことを言うものだなあ』と妙に感心したものだ。
もともと師であるペルランから犬を躾けるように散々に殴られて育てられたガストンである。
それにビゼー伯爵に命じられるまま他者に迷惑をかけた自覚はガストンにもあった。不満はない。
(まあ、俺が城におっても役立たずなのはビゼーの殿様がよう存じておるわ。殿様の遊び相手しか仕事がねえものな)
実際にガストンが城外に派遣され通しなのを考えれば、ビゼー伯爵も騎士テランスの言葉を是としたのであろう。
あれだけ側近として寵愛していたガストンを何のためらいもなく外で使う決断をしたのはテランスの諫言を合理的な思考で受け入れたゆえか、はたまたガストンへの興味が薄れたか、それとも徴税人として働くガストンに新たな適性を見いだしたか――それは伯爵本人にしか知るよしはない。
だが、あまり機転が利かぬゆえに愚直に命令を遂行し、頑固さゆえに懐柔もされず、さらに勇敢であり危険を恐れない。
こうした気質のガストンが伯爵の便利な手駒であることは間違いない。
「では従わぬ場合はうるせえのをやっつけてやるので?」
「よほどの場合はそうなろうが……ふむ、なるほど。従わぬ場合もあるか、だがそれは上手くない」
騎士テランスは少し考え込む。
普通に考えれば領地を与えられたばかりの騎士が主君に反抗することは稀であろうが、世の中は論理的な人物ばかりでもない。
「オヌシはランヌ卿と懇意であったな?」
「へい、まあ、懇意と言われるとおこがましいですが、同陣してより仲良うしていただいとります」
「うむ、何よりだ。オヌシの手に余らばランヌ卿を頼るのだ。知恵を借りるが良い」
「ははあ、なるほど。ランヌ城より近しい場所なので?」
「うむ、その通りだ。俺からもランヌ卿に一筆したためるゆえ、少し待て」
通信機器が無い世界のことである。
軍勢を率いる責任者には大きな裁量があり、トラブルがあれば解決することも求められる。
現地におもむき『トラブルが起きたので相談に戻りました』では子供の使いと変わらない無能と判断されるだろう。
とはいえ騎士テランスからすればガストンに一任するのも不安なところではある。
こうした時に使える人脈から『お前ら友達だろう? 助けてやれよ』はわりとある手なのだ。
「これは助かります。ランヌ殿(騎士ランヌは領主だが、ガストンとは気安いので殿と呼んでいる。こうした場合、現代風にすればランヌくんが近いかもしれない)は知恵者ですで、まず挨拶に寄ってから――はて、俺はどこに向えば良いので?」
「この粗忽者めが、務めの内容も聞かぬうちからランヌ卿に頼ろうとは厚かましい」
「へえ、恐れ入りやす」
「ふん、嫌味を申すな。先に内容を伝えなかったのは俺の落ち度よ。マクレ卿とトロー卿の調停である。現場はルポン市というそうだ。どうやら土地の境界争いのようだな。ランヌ城へ向かうのなら、ついでに道案内を用意せよ」
どうやら騎士テランス、ガストンに指示の不備を指摘されたと勘違いしたようである。
不機嫌そうに地図を広げて「ここがマクレ卿」「これがトロー卿」といちいち指し示した。
双方ともに切り取った旧マラキア領であり、騎士ランヌの領地からさほど離れてはいない。
(うーむ、マクレ様にトロー様かい。あまり話したこともねえが、ランヌ殿を頼れるのなら心強え話だのう)
この2人は先のマラキア戦役の結果、領地を与えられた従騎士たちだ。
当然、ガストンとは面識があるがイマイチ気心は通じていない。宮中では同僚から敬遠され続けたガストンなのである。
「とは言え、先に伝えたようにオヌシは我が主の裁定を伝えるだけだ。内容は先方にも前もって知らされるであろうし、さらにはランヌ卿の介添もある。問題はなかろう」
「へい、俺は殿様の手紙を読めばよし、承知しました」
こうしてガストンは『難しい話は知恵者のランヌ殿に任せとけばええか』と気楽に構え、出立することとなる。
だが、思い通りにならないのが世の常というもの、この後にすぐガストンは失意のため息をつくこととなるとは当人に知るよしはない。