87話 少し難しい話
ビゼー伯爵軍およそ1900人(号して8000人)とマラキア・バシュロ連合軍2000人あまり(号して10000人)はわずか数キロの位置で陣を張り、にらみ合った。
すぐさま開戦とならなかったのは、王使が中に入り和平交渉を行ったからである。
こちらもアルベール3世『無能王』の横死よりリオンクール王国の権威は失墜し、こうした家臣間での調停で存在感を示そうと必死なのだ。
王使の主張はマラキア市の主張に添うもので、端的に言えば『伯弟ジェラルドを引き渡すからマラキアの領土を荒らした賠償金を払って帰れ』である。
こんな主張が通るわけはないが、交渉のスタートとはこうしたもので、ここから互いの主張をすりあわせるものだ。
だが、良識にも常識にも従わないビゼー伯爵はそれを許さなかった。
『優勢の自分は和平など望んでいない』
この一点張りで王使を無視し、いきなり連合軍に攻撃を仕掛けてしまったのだ。
さすがに鎧袖一触とはいかなかったものの、この攻撃で士気の上がらないバシュロ軍は後退し、マラキア軍は近くの城塞まで退却を余儀なくされた。連合軍は事実上解散してしまったのだ。
王使の面目は丸つぶれである。
本来ならば王の意向を無視し、和平交渉を破綻させたビゼー伯爵の暴挙は反乱とほぼ同義である。謀反人として処罰されてしかるべきだろう。
だが、運命はここでもビゼー伯爵の味方であった。
当代の王であるバリアン7世(後の賢王)は若干16才であり、やりたい放題の親族との関係に四苦八苦しているのが現状で、遠征軍を興す力などなかったのだ。
仮にリオンクール北部諸侯に討伐を命じても、今の状態では無視されるのが関の山だろう。そうなればさらに王家の威信は低下を免れない。
つまり、リオンクール王は現時点で『詰んで』いた。
これならばビゼー・マラキア紛争を黙殺していたほうがマシだったかもしれないが……その場合は遅かれ早かれ多くの諸侯が頼りない王家に愛想を尽かし独立したかもしれない。進むも凶、退くも凶、これはどちらの凶をとるかという話であった。
ビゼー伯爵とマラキア市の和平交渉は降伏条件をまとめるものとなり、マラキア市は伯弟ジェラルドの引き渡しおよび占領地の多くの割譲を受諾することとなる。
国内で軍事行動を起こし、王家の干渉をはねのけたビゼー伯爵のタガはすでに外れたといってよい。ビゼー伯国とでも呼ぶべき半独立状態となってしまったのだ。
なにしろ本人は神の加護があると信じているのだからやりたい放題である。
本来ならばこのような『ならず者』は安全保障の脅威として周囲から袋叩きにされてしかるべきなのだが、そこはビゼー伯爵が並外れた戦上手であることが大きい。
ビゼー伯爵は下手に触ることもできない一種のアンタッチャブルになりつつあった。
こうなってしまえば他の有力諸侯も『あれが許されるなら』と身勝手を始めるのは道理だ。
この時点で、リオンクール王国は完全に諸侯の統制を失ったのである。
好き放題をする王族、言うことを聞かない諸侯、それらに対処することができない王。もはやリオンクール王国の運命は絶え果てたかに見えた。動乱の時代だ。
遠い未来の話をすれば、バリアン7世はリオンクール王家において中興の祖とも呼ばれる明君となるのだが――それはまだ、長い長い時を待たねばならない。
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一方そのころ、ガストンはというと――いまだにカルフール城で油を売っていた。
本来ならばラメー男爵と共に出撃し、ビゼー伯爵と合流するか、敵軍を挟撃するかというのが常道である。
しかし、カルフールの守兵はそれができない状況に陥ったのだ。
主将であるラメー男爵の急死である。
その日、ラメー男爵の行動や様子に不審なところはまったくなかった。ガストンも午前中にジャンの様子を尋ねられ、異変を感じ取ることはできなかった――これは間違いない。
男爵はいつも通り怠惰に過ごし、夕刻に差し掛かるころ執務室で冷たくなっているのが発見された。
重い糖尿病を患っていたことを考えるに脳梗塞か心臓発作が考えられるが、そこは病理解剖をせねば分からぬところであろう。
当然暗殺も疑われたが、戦陣にあって外傷は不思議なほどなく(そもそも男爵は陣頭指揮などとっていない)、調べる限りでは毒物の痕跡は皆無だった。
これは頓死ということになり、遺体に防腐処理を施しラメー軍は引き上げることとなった。
こうなれば手勢が50人強ほどの(負傷者など戦闘で消耗している)ガストンでは城は維持できない。やむなく騎士ランヌが守る城へと引き上げることにした。
これは和平交渉さなかの出来事である。
つまり、ビゼー軍はカルフール城の占領維持に失敗し、完全撤退となったのだ。
結果としてガストンらの奮戦もムダとなり、これにはマルセルがさんざんに悪態をついていた。
そして問題はもう1つ――ジャンの扱いである。
「おい、ジャンよ。修行を頼まれた男爵が亡くなったのだ。ここらで切り上げて、叔父御の遺体につき添って帰るのも良いのでねえか?」
ガストンが尋ねると、ジャンは「いえ」と目を伏せた。
「私は……その、叔父上の息子たち、従兄弟ですが、折り合いが悪く……戻ったところで、その」
これを聞き、ガストンは「ああ、そうか」と思い至った。
今でこそ、ガストンに殴られ続けて若干角が削れてきたジャンではあるが、元の性格で男爵の息子らとは折り合えないだろう。
息子らにとってみれば、父親に猫かわいがりされる性格の悪い従兄弟など邪魔でしかなかったのだ。
つまり、絶望的なほど次の当主に嫌われている。戻りづらいのは容易に想像がつく話だ。
「ならどうする? 剣鋒団におってええのか?」
「私は……叔父は、自らの死期を悟ったのではないかと、考えました。このまま、ラメー家に居続けることができぬゆえ、私を、その……その、外に出したのではと、生きる場所を与えたのでは、と」
さすがにジャンも『捨てられた』などと恨み言は漏らさぬらしい。ここ数日だけでずいぶんと肝が練れたようだ。
この言葉にガストンは感心しきりである。
(なるほど、そう考えることもできるのう。甘い甘い男爵は最後までジャンを心配しとったのか)
ガストンは「親心だのう」と頷いた。
男爵の真意はすでに知り得ないが、そう信じることでジャンの心は軽くなるだろう。
「なら気張って1人前になってみい、強くなって叔父御に墓参せえ。どこかに土地を拓いてお父、おっ母、兄いを弔う教会をおっ建てろ。それが叔父御に報いる道だわ。うんと強くなれ」
ガストンが優しく声を掛け、バンと肩を叩くとジャンは涙を流しながら頷いた。よく泣く若者である。
これはカルフール城での一幕、ガストンもこれだけの話で終わるつもりではあった。
だが城へ戻り、騎士ランヌにカルフール城でのいきさつを説明すると風向きが変わった。
「ゴホ、ヴァロン殿、これは……少し難しい話になったかもしれませんよ」
「難しい、ですかい?」
「ン、そうです。ラメー男爵は伯爵に『事後承諾をとる』と言ったのでしょう?」
「まあ、そう……ん?」
「ゴホ、ゴホッ、お気づきになりましたか。ラメー男爵は伯爵に承諾を得ていないのです。このままではルモニエ殿は剣鋒団に入団できないのでは?」
ガストンは「アッ!」と小さく悲鳴を上げ、ペチリと自らの額を叩いた。
これは大変なことだ。1人の若者の未来を預かった身としては大失態である。
「こ、こりゃしまった! ランヌ殿、何か知恵はありませんかい!?」
「ンンッ、これは伯爵やブーブリル卿(騎士テランスのこと。テランス・ニュウズ・ブーブリルが彼の本名である)に相談するしかないでしょう」
「殿様におねだりするのですかい! そ、そりゃとてものことで……」
「ふむ、ならば」
騎士ランヌは言葉を溜め、チラリと悪戯気にガストンの顔色をうかがった。
ガストンは良くも悪しくも感情を隠せない男である。それが騎士ランヌには好ましく感じるものらしい。
「ヴァロン殿、あなたが養うしかありませんね」
騎士ランヌは穏やかに微笑み、ガストンは天を仰いだ。