81話 態度の悪い使者
「ランヌ殿、なにやら急ぎの報せが来たとか」
ガストンが入ったのは兵舎の1つ、主塔がない城での仮本部である。
「ンッ、お出かけでしたか」
「いやいや、ちょうど新しく拓いた道を歩いておりましてな。間の悪いことで」
さすがのガストンも走り詰めて大汗をかいているが、息は乱していない。
これは不意の事態に備えた戦場の心得だが、スカラベが不心得というよりは年のせいだろう。
「ンンッ、こちらがカルフール城ラメー男爵をからのご使者、ルモニエ殿です」
「カルフール、城からですか……ご大儀様にございます」
どうやら使者はビゼー伯爵からではない様子だ。しかし、カルフール城とは聞き覚えのない地名である。
そしてラメー男爵とは伯爵に仕える領主貴族であるが正直、目立つところはない存在だ。古くからの名家で分家親戚も多く、兵力はそこそこあるのでそこを見込まれた起用だろう。
ガストンが挨拶をすると、使者は不快気に顔をしかめて無言で頭を下げた。ずいぶんと若い、まだ20才になるやならざるやと思わしき男だ。
軽装の鎧を身に着けているが兜は礼儀として脱いでいる。頭頂部に角のような突起が1本生えた、なかなか立派な鉄兜だ。
まず馬に乗る身分であろうが、供がいない。どこかチグハグな印象である。
(はて、知らん顔だが……ま、俺に恨まれる心当たりなど山ほどあるしのう)
そう、今までガストンが直接手にかけた敵だけでも数十人に及ぶだろう。
その一人ひとりに友人や家族がいたのだ。ガストンを仇と恨む者がどれだけいるか想像もできない。
見知らぬ相手から嫌悪感を向けられるのは気持ちが良いものではないが、これも戦場稼業の常ではある。
「ゴホッ、申し訳ありませんが先にお話をうかがいました。何度も繰り返させては失礼ですし、私がお伝えしましょう」
ガストンと若い使者の間に流れた微妙な雰囲気を察したか、騎士ランヌが会話を取り持ってくれるようだ。この辺りの機微はさすがに慣れている。
「ンンッ、こちらをご覧ください」
「ふむ、マラキアの地図ですな」
「ン、ンンッ、ここがカルフール城。話を聞く限りビゼー勢は軍をいくつかに分けて周囲の拠点を攻めているようですね」
騎士ランヌは地図の上に石を置き、カルフール城やビゼー勢の位置を示していく。
それを見るにカルフール城はかなり本隊より先行しているようだ。
現代日本人から見れば戦力を分割するなど愚かしく感じるかもしれないが、インフラが未熟な世界の遠征で軍を維持をするのは難しい。
ある程度の分割をするのは敵地での補給(略奪)の問題もあるのだろう。決着を急ぐビゼー伯爵は大胆に軍を分割して運用しているようだ。
「ほう、カルフール城……マラキア市はここでしょう? 進みすぎて危なくねえですかい?」
「ゴホッ、そうですね。わざと突出しているのではないでしょうか」
騎士ランヌが言うには、決戦を急ぐビゼー伯爵はわざと別働隊を先行させているらしい。
カルフール城はその交差点の名が示す通り交通の要衝。バシュロ軍が援軍を送るにも、マラキア軍が合流を狙うにも通過する絶妙な位置にある。
つまりここを維持すれば間違いなくバシュロ軍、マラキア軍をおびき寄せ、足止めすることができるのだ。
そこを伯爵の本隊が攻撃し、決戦に及ぶ――これが騎士ランヌの予想である。
カルフール城に兵を送り陥落させた強攻策は、自らの武運に絶対の自信があるビゼー伯爵らしい強気の軍略といえた。
「ゴホッ、そのカルフール城にバシュロ軍が迫っており、我らに援軍の要請をなされました」
「ふむ、援軍」
チラリと使者を見ると、神妙な様子で頷いている。
騎士ランヌの戦況分析に感じ入った様子だ。
「ゴホッ、ゴホッ、ンンッ……失礼。さて当城が命じられたのは占領地の拡大と維持」
「うーん、援軍となると誰を送るのか難しいところもありますわな。これ以上、剣鋒団を割るのは上手くねえ」
「ンンッ、バシュロ軍は伯弟の手伝いをしているマラキア市のさらに手伝い戦ですから、そこまで力の入った動員はしておりますまい」
ガストンと騎士ランヌが相談をしていると、若い使者は露骨に舌打ちし、ヒザを揺すり始めた。
明らかにイラだっているが、ガストンも騎士ランヌもチラリと視線を向けただけで改めて地図に向う。
(なんじゃ、若いのにややこしそうなやつだのう。あまり触らぬでおくか)
ガストンもいちいち他人の無礼を咎めていてはキリがないし、他の家中と揉めたくはない。おかしなヤツにはなるべく触らないくらいの配慮はガストンにも備わっている。
「ンンッ、ン、幸い周辺は落ち着いております。こうなれば手を広げなかった判断は正しかった」
「行くなら俺が率いる60人ですわな。城が空っぽじゃ殿さまの命に背くし、ランヌ殿が留守番なら間違いもねえでしょう」
これを聞き、使者が「バカな!」と声を荒げた。
「これはラメー男爵の下知である、出し惜しみなど無礼でありましょう。もしやバシュロを恐れているのではありますまいな?」
この言葉はさすがにムチャである。
ガストンも騎士ランヌもラメー男爵とは主従でもないし、指揮下に入っているわけでもない。
わずかでも兵を出す判断をしたのだから礼こそ言われても怒鳴られる筋合いなどないのだ。
だが、世の中には理屈が通じない者はわりといるのも事実である。
貴族やその身内であれば目下を人とも思わず自由に使えると思いこんでいる者も……いないでもない。
「そう申されましても、こちらにもやりくりがございましてのう――ルモニエ殿でしたか」
「下郎め、何が『殿』だ! 無礼であろうがっ!」
ガストンがなだめようと声をかけるや、若い使者は声を荒げた。
目を三角に吊り上げ、いかにも逆上した様子だ。
「私はキサマを知っているぞ、下賤の身から主君にへつらい成り上がった下郎であろう!! 戦に出るのが恐ろしいならば兵をよこして引きこもっておれ!!」
ここでガストンは騎士ランヌに目配せし、騎士ランヌも軽く頷いた。
ガストンや騎士ランヌは小なりとも城を守る責任者なのだ。いわれなき暴言を吐かれて泣き寝入りでは率いる兵たちに示しがつかない。
ここは兵舎であり、人払いもしていない。声は外にも届いているだろう。
平時ならばまだしも、今は戦陣である。ラメー男爵との関係よりも兵士たちの誇りを優先する場面だ。
(そうかい、はじめから嫌な顔をしとったが、成り上がりの俺のことが気に食わんかったのか)
卑しい出自のガストンを嫌う者は珍しくない。だが、ビゼー伯爵お気に入りのガストンにここまで露骨に言うものは最近では滅多にいなかった。
この若い使者は怒りっぽいにしても少々異常である。
(ま、犬のしつけと同じだわな)
ガストンはスッと目を細めると、無言のまま飛びかかり使者を張り倒した。
そしてそのまま髪をつかんでムリヤリ屋外に引きずりだす。
唐突の暴力であり、使者は「何をする」だとか「やめろ」などと騒いでいるが、ガストンに頭を振り回されるのでロクな抵抗ができない。人は髪をつかまれると無力化するのだ。
使者は佩剣を抜こうと試みたが、ガストンに腕を拗られ取り落とす。
この若者にどれほど実力が備わっているかは分からないが、ガストンほどの心得ある大男に不意を突かれて抵抗できる者は稀だ。
「ひゃあ、大頭がケンカしとるぞっ!」
「見たことねえ面だな!」
「あんな細っこい若造がガストンに敵うはずねえわ」
「おい、どっちに賭けるか? 俺は大頭じゃ!」
「あの調子で賭けになるかい、バカタレ!」
外に引きずり出された使者は必死でもがくがどうにもならない。
集まってきた兵士たちが喜んで囃し立てているのが悔しいらしい。
「下郎め! 離せ、離さぬかっ!!」
「坊ちゃまはそんなに離してほしいのかい? ほうれ、そっちに行くぞおっ!」
ガストンが力任せにぶん投げると、使者はたまらず地に叩きつけられた。
だが、これはガストンからすれば制裁である。これで許すはずもない。
さらにアゴを踏みつけ、身動きができなくなったところで自らの剣を抜く。
「オメェさん、生まれが良いかもしれんがバカじゃねえのか? ここでオメェを1人殺しても『そんなヤツは来ちゃいねえ』と誤魔化すことはできるのだぜ」
ガストンの剣先は脅しではなく、わずかながらも使者の首筋に食い込み血を流す。
「やめろ! やめてくれ!」
「嫌だね。俺が成り上がったのはなあ、気に入らねえやつをぶち殺してきたからよ」
使者はガストンの足の下からすがるように騎士ランヌに視線を送る。
しかし騎士ランヌは穏やかに首を振るのみだ。
「ゴホッ、若いあなたはご存じないかもしれませんが、このヴァロン殿は騎士を殺してビゼー伯爵から放逐されていた人ですよ」
「そうじゃそうじゃ! コイツはなあ、騎士に馬乗りになって死ぬまで殴りつけたのよ! 剣で死ねるとは運の良いガキじゃのう!」
悪ノリをして野次馬していたマルセルまで囃したてる。
すると周囲の兵士たちも「そりゃおっかねえ!」「殴り殺しはごめんだあ!」と騒ぎ始めた。
もうこうなれば若い使者は顔を真っ青にして震えるしかない。
ここで自らを助ける者は1人もいないと悟ったようだ。
「おい、貴族の坊ちゃまは悪さをしたらどうするのだ? うまく謝れたら許してやろうかい」
「謝罪をする。ゆ、許してくれ……」
ガストンに促され、使者は蚊の鳴くような声で謝罪をした。
だが、ガストンは「聞こえんなあ!」と足の力を強めていく。これにはたまらず、使者は「謝罪する! 許してくれっ!」と音をあげた。
「た、助けてくだされ! この通りだ!」
「……ふん、下郎にも素直に謝れるじゃねえか。オメェは長生きするぜ」
ガストンが解放すると、マルセルが「なんじゃ殺さんのか解散じゃ解散」と大げさに兵士たちを散らしていく。
これはこれで気を使っているのだろう。
「ゴホッ、ゴホッ、お二人ともお疲れ様でした。戦陣にケンカ騒動はつきもの、ここまでにしましょう」
騎士ランヌが使者を抱き起こし、再び兵舎へといざなった。
如才なく場をとりもつ騎士ランヌの存在感が頼もしいのだろう。若い使者も素直に従った。
「ンンッ、ああヴァロン殿。伝え忘れましたが、ルモニエ殿は伯爵に滅ぼされたルモニエ男爵の三男ですよ。今はラメー男爵の客分のようですが」
これを聞き、ガストンは「アッ」と小さく声を上げた。
ルモニエ城、それはかつてガストンとマルセルが出世の端緒をつかんだ城である(25話)。
(俺を知っとると言っておったが……ま、仇と恨むなら殿さまだろう。そりゃ、その子分の俺に援軍を頼むのも面白くはねえか)
使者であるルモニエはまだ若い。
家が没落した戦に参加はしていないだろう。
ガストンとて下っ端として参加した戦のことを咎められても筋違いだと言うしかない。
(しかしのう、あんな風に育っちまったのは俺のせいも……ちょっとはあるのかねえ)
同じ戦で成り上がる者もいれば落ちぶれる者もいる。
己の立身出世は、誰かが没落したからなのだ。
その巡り合わせの恐ろしさにガストンは軽く身震いした。