69話 知謀の騎士
ガストンらが入ったヌシャテル城は平和であった。
兵士や雑兵がまれにケンカ騒動や逃亡を起こすことはあってもそれだけである。
数日内に来襲が予想されたダルモン軍など、いまだに影も形もない。
城代の騎士ドロンもしきりに偵察を出したが何も発見できず、さすがに10日たち半月も過ぎれば『これはおかしい』となる。
ガストンは知るよしもないが、実はこの時点でダルモン王国は分裂の危機にさらされていた。
事件の発端は当代のダルモン王モーリス1世『偏狂王』だ。
この王は1人の男としても王としても『なんとつまらないことをするヤツだ』と後世から酷評された暴君である。
モーリス1世はそのあだ名の通り病的な偏執狂で、黒色を好み宮殿中に炭を塗らせたり、家臣の髪型が気に障ると拘束して髪を抜いたり、王妃の目鼻が気に入らないホクロの有無が気に入らないと7回も離婚と結婚を繰り返したり、赤カビが霊薬であると妄信したあげく本当に食べて死にかけたり――と奇行の記録は枚挙にいとまがない。
そのくせ妙に勘が鋭いところもあり、自身に対する暗殺計画やクーデターを何度も防いだともされる(大半が冤罪だとされているが)。
その王が、今回の大勝で被害妄想に囚われた。
今回のダルモン軍の総大将ジャン・ド・ダルモンは庶流であるが王族である。
無名の騎士であった彼を総大将に起用したのはモーリス1世の治世の中でも誇るべき英断であったことは間違いない。だが、この勝報を受けてモーリス1世は『ジャン・ド・ダルモンが王位を狙い反乱を起こす』と思い込んだらしい。
なぜそう考えたか余人にはまったく理解できないが、とにかくモーリス1世は『ジャン・ド・ダルモンを拘束せよ』と軍に命令した。
もちろん、このような命令が実行されるはずがない。
ジャン・ド・ダルモンは怒り狂い、王使を殺害した。
そして旗下の軍勢を取って返し、旧都を攻撃したのだ――こちらもこちらで短慮という他はない。
味方に急襲されたダルモン旧都はなすすべもなく陥落し、ジャン・ド・ダルモンは即位を宣言。ダルモン王ジャン2世を僭称した。
しかしながら衝動的に反乱を起こしたジャン・ド・ダルモンの軍も一枚岩ではない。
あっという間に空中分解したのはある意味では必然であった。
ある者は統制を失い旧都で略奪の限りをつくし、ある者はどさくさ紛れに政敵を暗殺。またある者は王族同士の争いに失望して領地に引きこもった。
悲しいかなジャン・ド・ダルモンには武技の冴えと戦術のひらめきはあっても、それ以外の才能や能力は持ち合わせていなかったのだ。
モーリス1世はジャン・ド・ダルモンに対し何度も軍事行動を起こしたが、それはすべて失敗した。
しかし、ジャン・ド・ダルモンはその都度仲間を減らし、モーリス1世に対して決定的な一撃を加えることが出来ない。
この奇妙な均衡は2年後にジャン・ド・ダルモンが不審の事故死をするまで続き、ダルモン王国の威信を大いに失墜させることとなった。
恐るべきはビゼー伯爵の幸運というべきか。
優れた戦術家であるジャン・ド・ダルモンが数千の軍を率いてリオンクール王国に逆侵攻すれば、真っ先に狙われたのはビゼー伯爵領だったのは間違いない。
そしてそれは軍の統制を失っていたビゼー伯爵では対抗しえなかっただろう。
それが天から降ったような幸運でまぬがれたのだ。
この頃からビゼー伯爵は『自分は神に愛されている』と思い込んだふしがある。だが、それも仕方がないだろう。
敵対者が自ら勝手に崩れるのだ。並の武運ではない。
この戦争が契機となり、ビゼー伯爵の暴君的な性格は歯止めが利かなくなったようだ。
こうなるとたまったものではないのが、ビゼー伯爵に愛想をつかして軍から離脱した領主たちである。
彼らは少なくともビゼー伯爵がダルモン軍と交戦することを計算に入れて動いたのだ。残忍な伯爵と独力で争うことを強いられた彼らは非常に苦しい立場に追いやられた。そして、彼らには伯爵のような天から与えられた幸運はない。
周囲の激動の中、ガストンらはヌシャテル城でポツンと取り残された。
敗戦で王が戦死し揺らぐリオンクール王国と、唐突に内乱が勃発したダルモン王国に挟まれた横の国は一種の真空地帯となったらしい。
なんとも締まらないかたちで防衛に成功した騎士ドロンは『偽兵をもって敵を撃退した』『高く士気を保ち敵を近づけることはなかった』『知略を駆使して敵を足止めした』などと盛りに盛った報告を何度も繰り返したようだ。
だが、戦果とは誇張し報告されるものである。そこは問題にはならない。
猜疑心の強い伯爵だからこそ、自らのために命がけの防衛を名乗り出た騎士ドロンを評価したのは間違いないだろう。
騎士は名望社会である。嘘や誇張でも『言ったもの勝ち』なところはある。特に今回は異議を唱える者がおらず、騎士ドロンの言いたい放題となった。
騎士ドロンは『知将』としての評判を獲得し、未来に向けて大きく道を拓いたと言えるだろう。彼は命を賭け金にした博打に勝ったのだ。
●
籠城から半月を過ぎたころ、ガストンの元へ家来のドニが馳せ参じた。
従士マソンは無事に手紙をバルビエまで届けてくれたようで、ドニはヌシャテル城までガストンの消息を探りに来たのだ。
しかし、そのドニの話を聞くや、ガストンは大いに天を仰ぐことになった。
「うへえ、それでジョアナはアレかい?」
「へい、もうコレで」
ドニは気の毒げな顔で両手の人差し指を自らの額に立てて見せた。
角が生えるほどにジョアナが怒っていると伝えたいのだろう。これはつまり、口に出すのもはばかられるほどの怒気だと暗に伝えているわけである。
ガストンは顔をしかめてピシャリと自らの額を叩いた。
「まあ、そこは頭を案じて奥方も心を痛めとりましたから」
「そら分かるわ。だから俺も手紙を書いてタイヨン家中のマソンさんという従士に託したのよ。マソンさんから話は聞かなんだのか?」
「へい、それはもうマソン様は頭のふるまいを褒めとりましたが、それがそのう……それがまずかったわけで」
ドニが言うには、ジョアナはガストンが戦場で行方知れずになったと聞き「またも夫を失ったのか」と身も世もないほどに泣き暮れてすごしていたらしい。
しかし、手紙を携えた従士マソンの話を聞くや「なぜ帰れるのに帰らないのか」「そんなに戦がしたいのか」と怒り狂ったそうだ。その激しさたるやドニやトビーら男衆でも手がつけられないほどの怒気だったと言うから凄まじい。
「はあ……もう帰るのが嫌になった。このままこの城で養ってもらうかのう」
「とんでもねえ! ビゼーの伯爵やバルビエの殿様は頭の働きに大喜びしてます。特に伯爵は裏切り者が出た後のことで『俺の家来が皆ガストンであったら苦労などしないのに』と左右にこぼしとるそうです」
「そ、そうか! そらもったいねえことだわ。レオン様にも心配をかけてもうしわけねえことだ」
「へい、ですから頭も腹をくくって帰らにゃならんわけで」
普通に考えればドニのような陪臣(家来の家来のこと)に伯爵の動向など伝えられるわけはないのだが、これはあえて流された噂話なのだろう。
これから領内の謀反人を対処しなければならないビゼー伯爵は『ビゼーにはこんな忠義の勇士がいるのだぞ』と内外に威勢をしめし景気をつけたのだ。
もちろん名前が上がるのはガストンばかりでなく、数人の――それこそ智謀の騎士ドロンの名前も大いに喧伝されているわけだが、その中でもガストンの功績は分かりやすい。
なにしろ『罪と汚名を着て追放された身でありながら旧主の危機に馳せ参じ、単身で敵陣をくぐり抜け、志願して最も危険な殿軍を務めた』のだ。その忠義と武勇は絶倫だと誇張され、実にヒロイックでいかにも庶民好みの活躍となっている。
こうした噂をビゼー伯爵が流していることから、すでにレオンとの間にもガストンの帰参は申し合わせているのだろう。ガストンがビゼー家に戻る時がきたのだ。
だが、ガストンに政治はわからない。ただ『もったいないことだ』と偉い人の言葉に恐縮しているのだから他愛もない。
「これは大変なことだわ」
「へい、それはもう」
「こうなれば女房ごときを恐れて家出をするわけにもいかん」
「へい、その通り」
「俺を見込んだ殿様の見込み違いでは恥をかかせてしまうわい」
「へい、左様で」
「しかし、ジョアナはあれでかなりキツい気質よ」
「へい」
「この話を聞かせて怒りを飲んでくれんものかのう」
「へい」
「こりゃ、聞いていればお前はへいへいとばかり……俺の話を聞いておるのか」
「や、そりゃ八つ当たりと言うもので」
ガストンは自らよりも遥かに高貴な生まれの女房にすこぶる弱い。
悲しいかなジョアナの怒りを聞けば口数は多くなり、ドニに嫌味をこぼして心の平静を保とうとするのが関の山なのである。




