68話 成り上がれ
その日のうちに従士マソンを送り出したガストンはヌシャテル城の防備を確認し、がく然とした。
(こりゃヒデえ、弱兵とは聞いておったが、へりくだっていたわけでもねえんだなあ)
そこにいたのはロクに組織もされていない素人雑兵まじりの集団である。
幸いにして武具はそろっているが(騎士ドロンが城の備蓄を気前よくバラまいたらしい)、大半の雑兵らは「脱走しないのは飯が食えるから」程度のものでしかない。
まともな隊があるのは元々の衛兵や遠征に参加しなかった留守番の兵士あたりで、かき集められた雑兵などは上司や組頭すらおらず、ダラダラと石拾いや博打に興じているのみだ。
ひと回りも見ぬうちにガストンは『とても戦ができる状態ではない』と絶望した。
「俺が『落城でもともと』と言った意味がわかったか?」
「へい、こりゃダメですわ。俺に副将だかを任せたいって意味がよう分かる」
青ざめるガストンとは対象的に、騎士ドロンは強がっているのか、それとも半ば自棄にでもなっているのかニヤニヤと笑った。
これにはカチンとくるが、さすがのガストンもここで仲間割れしないだけの分別はある。
「さて、この弱兵どもはお前に任せるわけだが、どうするね?」
「鍛え直す時間もねえし、どうにもならんですわな。逃げないように組を作って小頭に任せるしかねえ」
「うむ、それは同意だ。お前が小頭を束ねる大頭になるのだな?」
「バルビエでも多数をまとめる役は務めましたで。やるしかねえですわな」
なにせ、この城には騎士ドロン以外には騎乗の身分すらおらず、従騎士もガストンのみ。
やれなければ、それまでなのである。代わりはいない。
「しっかし、俺がこなかったらどうしたので?」
「お前と同じさ。小頭を作るしかないだろう。ウスノロの中からましそうなのを4〜5人ほども目星をつけていた。小頭にするといい」
どうやら騎士ドロンはすでに取り立てる兵士たちを見繕っていたらしい。
ガストンより数日前に城に入っているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、これから人選に入るガストンの手間が大きく減ったことは間違いない。
(ふん、先回りしとったか。食えんヤツじゃが本気のようだのう)
騎士ドロンはおそらくはガストンがいなくても防戦の目処は立てていたのだろう。
さすがに『勇戦する』と口にするからには攻撃を受けて1日や2日は保たせなければ話にならない。
「雑兵どもには石を集めさせている。投げさせるつもりだ」
「それはええ考えですわ。素人を戦わせるにゃ長い棒を振り回すか石を投げるかしかねえ」
「そうだ。そして素人が従うのは『強い指揮官』ではない。『強そうな指揮官』だ。着いてこい」
ガストンは騎士ドロンに連れられてヌシャテル城の一室に入る。
かなり厳重に施錠されていたそこは倉庫のようだ。武具などもあるが騎士が使うような高級品ばかりで、どちらかと言えば宝物庫に近い。
「好きなのを使え。どうせ落城後は略奪される。俺達の使い放題だ」
「そらそうですな。ならば槍と兜を拝借しますわ」
「どうせなら鎖帷子に剣も使うといい。手入れなどはそこらの従僕にでもさせろ。騎士とはそういうものだ」
「ううむ、鎖帷子ともなれば手入れが難しいモノですが、まあ落城までなら気にしたこともねえですわな」
「くくく、兵の前では言うなよ。身支度を済ませたら厩舎に行き馬を選べ。その間にお前が率いる兵士を集めておく」
騎士ドロンは部屋から退出をしかけたが、何を思ったのか立ち止まり「4日だ」とハッキリ口にした。
「4日間は保たせたい。4日目に降参して時間を稼ぐ。都合で5日も足止めすれば上等だろう?」
「うーん、ま、やってみにゃ何とも言えませんわなぁ」
「……思案はある。ここの衣類をすべて素槍にくくりつけ旗とする。夜はかがり火を倍にする。わかるか、偽兵だ」
「ああ、なるほど。数を誤魔化すわけで。なら俺は兵士に大声を張り上げる稽古をつけときますかい」
「まだ数日は時間があるだろう。頼むぞ」
それだけを言い残し、騎士ドロンは今度は振り返らずに立ち去った。
(おいおい、本当に行っちまったぞ。不用心だのう)
さすがに宝物庫に取り残されたガストンは不安になるが『どうせ落城する』との言葉を信じて装備を物色する。
妻のジョアナが縫った鎧下の上に鎖帷子を着込み、さらに今まで着用していた硬革の鱗鎧を重ね着する。
それに鼻から目の周囲までガードが着いた鉄兜を被り、立派な剣帯で長剣を佩く。
さすがに上着はなかったので荒縄を肩からたすき掛けに締めつけておいた。
槍は柄に鉄環がいくつもかしめられ、穂先には両刃の短剣のような鋭い刃物がついたすごいやつだ。刃渡りはガストンの指先から肘のあたりまでもある。ずっしりと重く、殴られただけで骨が砕けそうだ。
(あっ、ジョアナからもらった魔除けが切れとる。ゲンが悪いのう)
ここでガストンはかつて妻のジョアナからもらった髪を紡いだ魔除け(28話参照)が切れているのに気がついた。どこかで引っ掛けたのだろうか。
(ま、長いこと使ってりゃ切れるわな……いや違うわ、こいつが身代わりになってくれたのか。ジョアナにゃ礼を言わにゃならんわ)
ガストンのような戦士は迷信深い。
今回のような危機に際し、魔除けが壊れたのなら『身代わりになった』と感じるのは自然な心の働きである。
切れた魔除けはふところに押し込み、身支度は整った。
そこらの領主騎士にも引けを取らない重装備である。
ガストンが宝物庫から出ると「へへえ」と慌てて床に両膝をついた男がいる。見れば昨日の前歯がない古参兵だ。
「なんじゃい、何か用か?」
「へへえ、城代様からオマエ様の世話をせいと命じられまして……こんな立派な殿様とはつゆ知らず」
「ははあ、そうかい。いやいや、そこまでせんでええ。俺は元は樵だったガストン・ヴァロンじゃ。名前を教えてくれ」
ガストンが名乗ると、古参兵は「へえ?」と間の抜けた声を出した。心底不思議そうにガストンの顔をまじまじと見ている
「オマエ様は樵だったのかい?」
「ほうじゃ。村におられんくなって兵士になったわ。だから楽にしてくれい」
「ははあ、村で人を殺しなすったね? それで今や騎士様とは偉物(立派な人)だ。威張らねえのがさすがだねえ」
古参兵はしきりに「偉物だ、偉物だ」と感心の声を上げる。
ガストンも持ち上げられるのは嫌いではないが、名前を聞いても返事をしない古参兵には苦笑してしまう。
「偉物はええが、名前と年くらい教えんかい」
「俺は甲虫と呼ばれとる。たぶん50才にゃならねえはずよ。捨て子だったから名前も年も知らねえ」
「ほう、捨て子で年を重ねて生きとるとはしぶといのう。何でスカラベと呼ばれとるのだ?」
「腹減った時に虫ばかり食っとったからの」
これにはガストンも「ぶはっ」と吹き出してしまった。虫を食べていたからスカラベとは何とも珍妙な名前だ。
「スカラベよ、厩舎に行きたい。案内せい」
「ひひ、承知だ。親方は樵だったのに馬にも乗れるのかね?」
「稽古すれば誰でも乗れるわ」
スカラベはなんだかんだ兵士をやりながら生きながらえているし、塩白湯の件もある。これでなかなか曲者なのは間違いない。
痩せて背も低く、ひどく老けて見えるのは荒んだ生活を続けたゆえだろうか。40代半ばを越した老兵など滅多にいるものではない。
「俺は馬のくつわ取りもできるし、煮炊きも得意だ。鎖帷子を磨いたり剣を研ぐのも慣れとるよ。親方の家来にせんかね?」
「悪くねえが、戦が終わらにゃ空手形にしかならんわ。話だけ聞いとくわい」
齢を重ねた老兵はなかなか図々しい。
ガストンはスカラベの売り込みを軽くいなしながら厩舎で馬を選んだ。
斑鹿毛のセン馬――つまり白と茶色のぶち柄、去勢済みの馬である。
軍馬でセン馬は珍しくない。荒い気性を抑えるためであったり、奪われても繁殖で使われぬように、あるいは発情期の抑制であったりと利点は多く、馬術に自信がないガストンも大人しいこれを選んだのだ。
名前は種無し馬、身もふたもない。
この馬にまたがり、城の広場に向かうとすでに集められていた100人ほどの兵士たちがザワついていた。
察するに彼らがガストンの指揮下に入るということだろうか。
「おう、ヴァロン! こっちへ来い!」
目ざとくガストンを見つけた騎士ドロンが大きな声で呼び寄せる。
するとガストンに気がついた兵士たちも口々に騒ぎ出した。
「あれが荒縄ヴァロンか」
「立派な鎧兜じゃねえか」
「さすがに強そうだのう」
「肩から縄を巻いとるぞ」
ガストンは声には反応せず馬を進め、騎士ドロンの横で下馬した。
騎士ドロンは大げさな身振りでいかにも親しげにガストンの肩を叩き、兵士たちに「喜べ! 荒縄ガストンが我らに加勢するぞ!」と言い放った。
兵士たちはワアワアと歓声を上げたが、これは簡単なカラクリで、騎士ドロンが自分の家来たちを仕込みで反応させ、大半の兵士たちが釣られているだけである。
大半は理由もわからぬまま声を出しているだけだが、それはガストンにも分からないことだ。
「ヴァロン、声をかけてやれ。兵士たちが待っているぞ」
騎士ドロンはニヤニヤと笑い、ガストンをグイッと前に進める。
これにはガストンも弱ってしまった。
(こりゃ、話せと言われても……まいったわい)
元来が口下手のガストンである。
演説の機会などはまったくない。
しかし、兵士たちの視線が集まり逃れられないのは理解できた。
幸いというべきか、こうなったときに『どうにでもなれ』と腹をくくる度胸はガストンに備わっている。
「俺はガストン・ヴァロンじゃ! 元は樵で雑兵よおっ!」
さすがにこの言葉には面食らったのか、兵士たちは一様に「えっ」と不思議そうな顔をした。
自ら自分の出自が低いと口にする騎士などいるはずがないのだ。
「だが戦で成り上がりゃ鉄兜に馬にも乗れる! 立派な嫁ももらってデカい屋敷じゃ! 皆の衆も励めえーっ! 声を張り上げんかい! 叫べ! 成り上がれえーっ!!」
ガストンは『大声を出す稽古』くらいの感覚であったが、これが兵士たちの欲望を刺激した。
彼らの中に仕込みではなく『俺も成り上がるのだ』と目を輝かせ、声を張り上げて応じる者がでたのだ。
だが、ガストンは満足しない。
発声の稽古だと思えば雑兵や新兵の訓練は慣れたものだ。
「小せえぞ! 声が小せえぞおっ!! 腹から声だせえ! 成り上がれえーっ!!」
今度はガストンの野太い声に応じ『成り上がれーっ!!』と歓声が上がる。
だがガストンも『まだまだ小せえぞ!』と繰り返し、最後には天を衝くような喧騒となった。
兵士たちは足踏みをし、得物を打ち鳴らし、声を張り上げる。
この士気に騎士ドロンも満足げに頷いていた。
かくして『落ちてもともと』の奇妙な防衛戦の火蓋が切られる――ことはなかった。
不思議なことに、予想された敵の来襲は一向になかったのである。