66話 助けられたのは
半死半生のガストンと従士マソンが発見されたのはヌシャテル城からやや離れた街道でのことだった。
「エイコラァ! なんじゃお前らは!」
「待て待て、敗軍のお味方ではないか? 他家の者であろうよ」
「知ったものかよ、ぶち殺してやらぁ!」
「ほうだわ、殺して転がしときゃ世話がねえ!」
ガストンらを囲んで殺気だつのはヌシャテル城の守兵だろう。
敵地での大負けとなれば次に来るのはダルモン軍の逆撃だ。
そうなればヌシャテル城はリオンクール王国の最前線、勢いづく敵軍を迎え討つ盾とならねばならない。守兵が荒ぶるのも仕方のないことではある。
言葉のアヤなどではなく、他家の敗残兵を殺して略奪くらいはやってのけるだろう。
「……お、俺達はビゼーじゃ! 『山と問えば雲』じゃあ!」
ガストンは疲れ切った体にムチを打ち、必死で言葉を吐き出した。
山と問えば雲は先の戦いで使われたビゼー軍の合言葉である。
本来は片方が『山』と問えば、もう片方が『雲』と答えることで成立するのだが、ガストンは合言葉のやりとりもままならぬほど疲れ果てておりムリヤリ省略した形だ。
「やや、お身内じゃ! おい、しっかりせい! オヌシらどこの家中じゃ!?」
「俺はバルビエの従騎士ヴァロン! こっちはタイヨン家中のマソン! 敵の捕虜となったが逃げてきたぁーっ!!」
もはや従士マソンは衰弱してまともに声も出ない様子だ。
ガストンが残る力をふりしぼり、思いきり声を張り上げた。
「おい、バルビエのヴァロンと言えば荒縄ガストンじゃ、本物か?」
「こんのバカたれめが! 言うに事欠いて荒縄ガストンをかたりおった!」
「バカはオマエじゃ! 合言葉を言ったろうが!」
「こりゃいかん、交代で担いで城に運びこめ!」
この兵士たちの狼狽ぶりもムリはない。
ビゼー伯爵家で『荒縄ガストン』は隠れもなき勇者だ。
しかも雑兵から身を起こしたガストンは下っぱの兵士からすれば『次は俺も』とあこがれうらやむ存在なのである。
成り上がりとさげすまれることもあるガストンではあるが、ビゼー家の兵士からは嫉妬混じりの人気と知名度があった。
「ささ、肩を貸しますで、身を預けられよ」
「こいつはかたじけねえ、頼みますわ」
ガストンが拝むように頭を下げるや兵士たちは恐縮しきりである。
「なんのなんの、陣破りとはご苦労なさいましたなぁ」
「もう心配いらねえですわ。組頭にも話は通しますで」
「我らの兵舎にお運びします。まずは身をお休めくだされい」
もはや兵士たちに先ほどの荒んだ態度はどこにもない。
ガストンらは文字通りに兵舎へかつぎ込まれ、背の低い古参兵から塩が入った白湯をたっぷりと与えられた。
「……うんめえ。白湯がこんなにうめえとはなァ」
「ま、まさに、生き返る心地です」
白湯はひどい脱水症状であったガストンの体に染みわたり、塩味は活力を与えたようだ。
もはや土気色じみていた従士マソンの顔色も血の気がもどる。
(これはスゴいのう。次からは俺も体を悪くした者に塩白湯を飲ませてみるかい)
兵舎に医者はいないが慣れた古参は『疲労で倒れたものには多量の塩白湯を与える』くらいの知識はあるものだ。
亀の甲より年の劫とはよく言ったものである。
「疲れた体に飯を詰めては毒でな、白湯から飲むがええ。塩を入れるのが秘訣でな。麦粥は白湯をたっぷり飲んで小便が出てからのほうがええ」
そう言いながら2人の世話をしていた初老の古参兵は前歯のない口元を奇妙に歪ませた。おそらく笑っているのだろう。
ささいな知恵だが、インターネットはおろかロクな本すらない世界でこうした知恵は貴重な教えであった。
「オマエ様は名うての豪傑だからのう、オマエ様が現れたと聞いたご城代が大喜びでな。今日はしっかり休んで明日にゃ顔を見たいとよ」
この話を聞き、ガストンは『おや』と片眉を上げた。
城代とは、ヌシャテル城の持ち主であるビゼー伯爵に代わって城を管理し防衛する者のことだ。
当然それなりの身分があり、かつ伯爵から信任される騎士や領主に限られる。
そのような身分の知り合いなど、ガストンにはほぼいない。
「へえ、それはひょっとしてリュイソー男爵という殿様ではねえですかい?」
「いいや、大間違いだぁ。大きな声では言えねえが、そんな男爵だのと立派な殿様じゃねえ。今の城代は吹けば飛ぶような端武者だとよ。この城は捨て石にされたわけさ」
古参兵はなかなかの毒舌家らしく、これにはガストンと従士マソンも思わず視線を合わせてしまった。
たしかにヌシャテル城は堅城ではあるが、周囲の村落を軒並み潰して築城された孤城でもある。
捨て石とするのに都合よく、冷酷なビゼー伯爵ならばためらいなく捨てるだろう。
「それはなんとも……それで、その貧乏くじを引いた城代様はどちらさんですかい?」
「ああ、伯爵様に仕えるドロンて騎士さ。もの好きにわざわざ志願したんだとよ」
この言葉にガストンは「うへえ」と心底嫌そうに舌を出した。
騎士ドロンは何度も苦い思いをさせられてきた因縁の相手だ。
(こりゃきな臭えな。あのずる賢い男だ、どんなヒデえ裏切りをするか分からんぞ。いざとなったら俺が刺し殺してやらにゃならん。それがビゼーの殿様のためじゃな)
ガストンの瞳が殺気をはらみ、ぎらりと光る。それを見た古参兵は「ひええっ」と腰を抜かさんばかりに兵舎を飛び出して行った。
ガストンの知り合いに悪口を言ったことで殴りつけられるとでも思ったのだろうか。
まあ、下っぱの兵士はこんなものだと知っているのでガストンも従士マソンも特に驚いたりはしない。
「マソンさん、俺はねえ……バルビエの家来ですが、半分は伯爵様の家来でもあるんですわ。だから行きがかり上、城の窮地を見捨てれませんわ。俺も残るしかねえ」
この言葉はガストンなりの真実である。
ガストンはずる賢い騎士ドロンが城を手土産に寝返るのだと決めつけているのだ。
自分を引き立ててくれた伯爵のために騎士ドロンが怪しい動きをしたら本当に仕留める心づもりである。
ガストンはビゼー伯爵からバルビエ騎士家へ貸し出された客将だ。
まだビゼー伯爵への忠誠心は残っている。
だが、それを知らない従士マソンは「なんと剛毅な」と驚嘆し、二の句も告げぬ様子だ。
命がけの道行きで疲れ果てた体にムチ打ち、休む間もなく次の戦に身を投じる――従士マソンからすれば超人的な闘志、もっと言えば命知らずの戦狂いに見えただろう。
「しかし、ガストンさん……こう言っては心苦しいが、私は城には残れません。主君の亡骸を迎えに行かねば面目がたちません」
「それはまったく道理ですわ。俺を気にすることはねえ。お役目をなさってくだされい」
従士マソンは「もうしわけない」ガストンに小さく頭を下げた。
別に従士マソンが謝る義理はないのだが、彼なりに思うところがあるのだろう。
「いやいや、何にもマソンさんが悪びれることはねえので――そうだ! それならバルビエ家中に俺の無事をお伝え願えませんかい? できれば手紙も届けてもらえりゃ助かります」
「おお、それは気がつきませんでした。間違いなくお伝えしますとも!」
従士マソンも離脱だけではバツが悪かったのだろう。
だが、こうしてガストンが頼ったことで安心したらしい。どこか救われたような表情で薄く笑顔を見せた。
「ドロンって騎士はねえ、とにかく口が上手いんですわ。マソンさんがアイツと会うより先に帰ると決めたのは、まず良かった」
「ほう、お会いしたことはありませんが、なかなかの俊才だと噂は聞いております。この孤城で城代を志願とは胆力もある御仁のようですね」
「それ、それ、それですわ。アイツが腹蔵なく捨て身になるのも怪しい。俺はねえ、アイツを信用していないので」
従士マソンはガストンの言いように苦笑するしかない。
過去に何かあったのは明白だが、そこに触れない思慮深さは従士マソンの美徳であろう。
「ガストンさん、聞いてもらえますか?」
「へえ、なんですかい?」
「私はね。ご先代の亡霊は私を助けるために現れたのだと思うのですよ」
話題をそらすためか、従士マソンは露骨に話題を変えた。
ガストンは「おや?」と不思議に思ったが、特に何も言わない。
「だって、そうじゃありませんか。実の弟が他国で死ぬのです。憐れに思って、亡骸を故郷に帰してやりたかった――そうは思いませんか?」
「ははあ、なるほど……それはたしかに」
「でしょう? でも私には霊感はありません。そこで縁のあるガストンさんを遣わして私を生き長らえさせたのではないでしょうか? 弟の亡骸を他国にうち捨ててはおれなかった、なんとか故郷に戻したかった。そこに私を生かした理由がある」
「お、弟を故郷に戻すため……?」
ガストンは実弟のジョスが他国の洞穴で寂しく死ぬことを想像し、ぶるりと身を震わせた。
(たしかに化けて出ても……助けてやりたいと思うだろうなあ。頼りねえが、たった1人の弟だもの)
なんだか急にしんみりしてしまい、先ほどの騎士ドロンへの怒りはすっかり鎮火した。
これが狙いならば従士マソンの話術もなかなか巧みだ。
「ガストンさんが来なければ私はギユマン殿に討ち取られていたでしょう? そこは疑いありません。命を救われたのは私なのです」
「なるほど、それは納得ですわ。なぜアベル・タイヨン様が恨みのある俺のところに出てきたのか不思議でしたが、それなら筋が通る」
「そうなのですよ。ですから、私は石にかじりついてでも主君の亡骸を迎えに行かねばなりません。できれば私もガストンさんの恩に報いるため当城で戦いたい。しかし、それはなりません……残念なことです」
従士マソンは一気に胸中を吐露し、グイッと目元を拳でぬぐった。
それを見たガストンももらい泣きして鼻水をすすり上げる。
わずかな時間の交流ではあったが、男の友情は時間ではない。2人はすでに親友であった。
――そして、これは少し後のことになるが、従士マソンはタイヨン家に無事戻る。
立て続けに当主が戦死したタイヨン騎士家の家運は大きく傾くが、騎士タイヨンの年下の叔父にあたる人物が引き継ぎ存続した。
従士マソンは亡君の亡骸を無事に取り返し、その功績をもって加増され、従騎士としてタイヨン騎士家の家老のような立場となって主家を支え続けたようだ。
陣破りのマソンといえばタイヨン騎士家秘蔵の大忠臣として知られる存在となるのである。