55話 バルビエ領
結婚式、とはいえさほどの身分でもないガストンのそれはアッサリしたものである。
バルビエ領の教会の戸口に立ち、両人の簡素な祈りと誓いのみ、参列はごく近親者のみという簡素な式であった。
これは新婦のジョアナが未亡人であり、こうした場合は前夫を気づかって華美なことを避けるという風習もあったためだろう。
そして、バルビエ騎士家の婿となったガストンに与えられた待遇は想像を遥かに超えたものだった。
(いや、こりゃ……大変なことになっちまった)
ガストン夫妻に新居として与えられたのは、バルビエ騎士領内の関所である。
渓谷を抜けるには領内の橋を渡る必要があり、これを守る形で造られた堅牢な関所だ。
関所の門と一体化した石造りの二階建て、和風に言えば『多門櫓』に近い構造で、領主の居館であるバルビエ城よりよほど要塞風の建築物である。
これに兵舎や厩舎なども備えており、ドニなどの家来も起居することができた。
この関所の執務室とでも呼ぶべき一室がガストンとジョアナのプライベートスペースとなる。
「義兄上には我が一族として領内の――特に街道の守りを任せたいのです。子細はこのイレール・ジゴーにお尋ねください」
レオンが紹介したのは杖をついた50才前後の男だ。
頭髪が薄いが、それに反して白いものが混じったアゴヒゲが胸のあたりまで伸びている。
年の割に脂っ気のない、不健康そうな印象の顔立ちだ。
このジゴーは少し前まで戦に不慣れなレオンの補佐をしていた従騎士だったらしい(47話)。
だが、戦のさなか腰へ槍を受け右足がまったく動かなくなり、馬に乗ることもかなわなくなった。それゆえに後任としてガストンが招かれた経緯がある。
従騎士を引退した今、ジゴーは領内の相談役といった立場のようだ。
「ジゴーさま、よろしく手ほどきくだされ」
「いやいや、ヴァロンさまは我が君の姉婿。私のことは家人と思いくださいますよう」
「いやいや、先達にそれはとてものことで」
本来ならばバルビエ家の譜代である従騎士ジゴーのほうが格上であるが、ガストンは主君の身内。
双方が遠慮しあう微妙な関係になってしまった。
このやりとりにレオンは苦笑しつつも思うところがあったようで、すぐさまガストンへ自らの替え馬を1頭、馬丁つきで贈った。
これは『ジョアナの婿に恥をかかせるわけにはいかぬ』と馬の飼葉料や馬丁の給金までバルビエ家で負担したのだから力の入りようが違う。
さらに余談ではあるが、ジョアナ自身にも『化粧料(身分のある家は嫁いだ娘が自由に使える資金を渡すことは珍しくない。これで自らの侍女などを揃えることもある)』としてバルビエ家からの支援があるのだから、ガストンの収入が増えずとも、暮らしぶりからすればそこらの従騎士と遜色のないものとなった。
なし崩し的ではあるが、ガストンは馬に乗る身分になったのである。
これもジョアナとの結婚の余録というものであろうか。
さて、話をガストンとジゴーに戻そう。
「このバルビエ領は土地は痩せ、広い牧草地もありません。ですが関所で集める関銭で諸事を賄っております」
「関所が畑の代わりになりますので?」
「いかにも。この渓谷を抜けねば遠回りになりますゆえ、隊商や旅人はわりと通ります。その時に通行料として銭か荷の一部を受けとるのです」
ジゴーの話は経済というものを理解していないガストンにとって衝撃だった。
(待ちかまえて商人の上前をはねるのかい、それはちと話がうますぎやしねえか?)
ガストンにとって、生業とは樵仕事も兵士稼業も等しく過酷なものであった。必死で汗水を垂らし、やっとの思いで生活を維持してきたのだ。
この関銭(通行税)というシステムはいまいち納得がいかないらしい。
「しかし、なんともうしますか……関所でただ銭を寄こせでは上手くいかねえのではないですかい?」
「その通りです。そのために我らは橋や道を整え、盗賊などが現れぬように見回るのです」
「あ、なるほど。道を整える代金ですかい。それなら分かりますわ」
「それだけではありませぬ。我が領からも隊商は出ておりますゆえ、街道を守ることは領民を守ることにもなるのです。大事な役目です」
「なるほど、なるほど、合点しました。それは大事な役目ですわ」
ジゴーの語るところによると、どうやらバルビエ領は関銭と運輸業が主な収入源であるらしい。
バルビエ領の隊商は関所がフリーパスのため利幅も大きく、バルビエ家は意外なほど豊かであった。
ガストンへの好待遇も、これらの利益があってのことである。
「足萎えの私はもはや馬にも乗れず、ものの役にも立ちませんが、関におるのは経験豊かな兵士どもです。遠征や隊商についていけなくなった古参が関を守りますゆえ」
「それはありがたいことで。ジゴーさまともよくよく相談して進めさせていただきやす」
古参兵などと言えば聞こえは良いが、要は戦働きに不安が出てきた老兵の受皿なのだろう。
だが、目上の騎士とのトラブルでビゼー伯爵家を追い出されたガストンは余計なことは言わない。
あくまでもジゴーを先達として敬う態度を崩さず、古参の家臣らを喜ばせた。
「ヴァロンさま、道の整備などは変化もない退屈なものです。盗賊などは滅多に現れるものでもありませぬ。されど毎日のように行い、ささいな変化に気がつかねばなりません。気を長くお持ちください」
「毎日気長に、されど変化に気を配る。肝に銘じやす」
「さすがの心構え、このジゴー感服しました」
「いやいや、まだ始めてもおらぬのに褒められるのはちょっとばかし気の早い話で」
「はっはっは、これはしたり」
ガストンとジゴーはなごやかに笑い、これ以後は「ヴァロンさん」「ジゴーさん」と対等につき合うようになったのだから、ガストンの新たな奉公は幸先の良いスタートといってもよい。
もはやガストンも村の拗ね者ではいられない。貴い身分の女房に恥をかかせぬためにも周囲に馴染み、無用の争いは避けねばならぬ立場となったのだ。
こうした世辞の一つを苦にしてはいられなかった。
「では早速、道や橋を見て廻るといたしやす」
「それでしたら、もの慣れた兵士に案内させましょう」
ジゴーは関所の兵士数人に声をかけた。関所の兵士は総勢で7人、ガストンとドニを含めれば9人である。
小さな関所を守るには十分であろう。
「ドニよ、供をせい。オマエさんにも見廻りを覚えてもらわにゃならんからのう」
「へい、そりゃいいですが……お頭、俺がお供しやすと奥方を守る留守番がおらんのでは?」
「ああそうか、なら留守番を頼むわ。今日のところは交代でやればよかろう」
「へい、心得ました」
何かと荒事の多い時代である。戦時中でないから安心などということはない。
ある程度の財産のあるものは留守番の男手を置くのは当たり前の用心である。夫の外出中に家が強盗にでも襲われれば同情されるよりも不用心を責められるだろう。
「家来を増やしたいとは思っとる。アテはあるのだが、なかなか迎えにいけなくてのう」
「ははあ、なら俺が手紙でも届けるのはどうです?」
「おう、そりゃええ思案だ。ちと悪いがオマエさんに使いを頼んでいいかね?」
「もちろんで。その方はビゼー家中ですかい?」
「いんや、トビー・マロという若者で、俺が少々槍の手ほどきしたのだわ。若いのに真っ白な白髪だからすぐに分かる」
「白髪のトビー・マロ、しっかと覚えました」
「トビーさんはジョアナも見知っとるゆえ、夫婦になったと聞いたら驚くかもしらんなあ」
やや後の話だが、トビー・マロはガストンからの報せを受けとり、すぐにバルビエ領でガストンに仕えるようになった。
余談ではあるが、ガストンとジョアナの結婚はトビーの村でたいへんな評判となったらしい。
それはそうだろう、落城から救われた姫と救い出した勇士が愛を育み結ばれたなど、おとぎ話としてもできすぎである。吟遊詩人がよろこび、詩にするまでに時間はそうかからなかった。
幸いというべきか、その愛の詩がガストンやジョアナの耳に入ることはなかったが、一部地域で『ド・ヴァロン卿』のロマンチックな武勲詩はさまざまな伝承と混同され思わぬ形で後世まで語り継がれたらしい。
ガストンのバルビエ領での生活はダラダラ続きそうだったので、ちょっとダイジェスト気味に切り詰めてあります。