53話 フユナラの老木
バルビエ騎士家は小なりとも領主である。
普段は領地を営み、主君であるビゼー伯爵の陣触れがあれば契約に応じた数の軍を編成して参陣するのだ。
これは他の領主も似たりよったりで、そのビゼー伯爵ですらリオンクール王国で陣触れがあれば駆けつける義務がある。一般的な封建領主の立場といえよう。
他から守ってもらえるかわりに兵士を出すのが、君臣関係の基本である。
ゆえに戦が終わった今、バルビエ家軍も領地に帰還中だ。
まれに逃亡兵や脱落者もいないではないが、小さな領内では皆が大なり小なり地縁血縁で結ばれており、下手なことをすれば身内が迷惑することになる。ゆえに結束は固く、主君への忠誠も強い。
さて、このバルビエ騎士領は山中にあり、領地は主に2つの集落と山道を守る関所で構成されている。
バルビエ軍は関所を抜け、やや小さい方の集落へ向かった。どうやらバルビエ家の居城は防衛の観点からか、より険しい地形の集落にあるようだ。
(……こりゃまた、小ぢんまりとした城だのう)
はじめてバルビエ城を見たガストンは、その小ささに驚きを隠すことができなかった。
サイズ感としてはガストンの故郷である沢の村の村長の屋敷に厩舎や兵舎などを増設すればほぼ同じ――およそ城と呼ぶ規模ではない。
母屋と倉庫は瓦葺きであるが、他の建屋は藁葺き屋根。練った土を用いた木造建築、いわゆる田舎家である。一応の備えとして門扉と木柵はあるが、戦というよりは獣対策かもしれない。
「この戦は皆の働きもあり、私も初めての――」
広場では大将であるレオンが演説をし、解散して家に帰りたい兵士たちをうんざりとさせている。
年若く生真面目な気質のレオンは目下の気持ちよりも形式を優先させたのかもしれない。
ガストンも他の兵士たちと同様にあくびを噛み殺して演説を聞き流す。こうした演説も経験と共に上手くなるのだろう。
「むさ苦しい田舎家ですが、ヴァロンどのは屋敷が整うまで我が家に逗留ください。ご従者は家臣の家に支度があります」
やや長めの演説を終えたレオンは軍を解散し、にこやかにガストンを自らの居城へ迎え入れた。
自らの居城を『田舎家』と称するレオンの言葉は謙遜なのか本音なのか、ガストンには判断がつかない。
「いやぁ、そのう……俺は家来ですで、ドニと同じようにしてもらわにゃ、いや、ドニは又家来(家来の家来のこと)ですで、それも違うんですが」
「まあまあ、ご遠慮なく。母もヴァロンどのとお会いするのを楽しみにしておりますので」
レオンのこうした屈託のなさは育ちの良さからくるものであろうか。
ガストンはまさに『その状況』を恐れているのだが、レオンは意にも介さない。
(まいったのう、どんな面して殿さまの母御に会えばいいのかわからんわ)
別にガストンがまいる必要など全くないのだが、そこはそれ。降って湧いたような縁談先にいきなり訪問するのだ。動揺しない者はまれだろう。
●
バルビエ城に招かれたガストンは客間で旅装を解いた後、レオンとその母ジゼルと対面した。
50才をいくらか越しているであろうジゼルは立派な老女である。顔に深く刻まれたシワと白髪はガストンに『フユナラの老木のようだ』と妙な印象を与えていた。
レオンも同席しているが、ジョアナ・バルビエはいない。
「はじめまして。レオンの母、ジゼルともうします。勇士と名高いヴァロンさまを当家にお迎えできて嬉しく思います」
「いえ、とんでもねえことで。俺なんぞは殿さま――伯爵さまに叱られて途方に暮れとるとこをレオンさまに拾われた半端者ですわ」
「ほほほ、豪傑に謙遜とは似合わぬこと。レオンはヴァロンさまを迎えるために主家にずいぶんとムリを言ったと聞き及んでいますよ」
「いやはや、なんとも……その、とてもとても」
穏やかな口調で優しげに微笑むジゼルではあるが、目に強い光がある。彼女はガストンを厳しく見極めようとしているようだ。
(こりゃ、肚の底まで見すかされそうだのう。おっかねえ婆さんだわ。下手に取りつくろわんほうがええ)
ジゼルから発する高貴な威厳とでも呼ぶべき雰囲気にガストンは勝手に怯み、恐れ入る。
この辺りの出自からくる一種の強迫観念はなかなか克服できるものではない。
居心地の悪さから、大男のガストンがもじもじと身体を揺する。するとジゼルとレオンは何やら目配せをし、揃ってガストンの前に両膝をついた。
「やっ、こ、コイツはいけねえ! ご気分でも悪くなされたか!?」
すわ急病かとガストンが驚いたのもムリはない。
バルビエ騎士家はいわば地生えの土豪階級、爵位はないが立派な領主。ガストンから見れば貴族だ(無爵の領主騎士が貴族かどうかは意見の分かれるところではある)。
領主が両膝をつくなど主君に対してすらめったに行わない。それこそ神への祈りに用いる最敬礼だ。
軽々しく家来であるガストンに行うものではない。
「ヴァロンさま、ルモニエ城より娘をお救いいただき感謝のしようもございません」
「過日のヴァロンどのの高潔なるふるまい、私も母も感じ入っております」
この2人の言葉にガストンは雷に打たれたような衝撃を受け、自らも床に両膝をついた。
「とんでもねえ、家来の俺がお2人にこのようなことをさせては筋が通らねえ。どうかこの無礼者をお打ちくだせえ」
わざわざ人払いをするように3人で対面したのもガストンのような庶民に膝をつく姿を余人に見せないためだろう。
そこに思い至ったガストンは2人の貴人に『恥をかかせた』と慌てたのだ。
だが当のジゼルは立ち上がるでもなく薄く微笑み、ガストンを好ましげに見つめたままだ。
(うっ、見られとる。これも品定めの内かい)
ガストンは背すじにヒヤリとしたものを感じながら2人を支えるようにして立ち上がらせる。
するとジゼルとレオンは再び目配せをし、申し合わせたように頷いた。
「ヴァロンさま、娘が腕をふるって食事を用意しております。どうか召し上がってください」
「へい、頂戴します」
どうやらガストンはジゼルのお眼鏡に叶ったらしく、食堂に通された。
場合によってはジョアナ・バルビエと目通りすることなく追い返されたのだろうか。
(はてさて、この婆さまの吟味を受けながら飯がのどを通るかのう)
やや緊張から開放されたガストンは「ふうー」と鼻から大きく息を吹き出した。
食堂にて控えていたジョアナを見たとき『この人も老いればジゼルのようになるのか』と想像してしまったのもムリからぬことであろう。