52話 さげ女
ダルモン王国からの反撃を退けたビゼー伯爵はヌシャテル城を中心とし、横の国東岸一帯を手中に収めた。
ビゼー伯爵はリオンクール王国の封臣であるが、この戦争は伯爵独力のものである。戦果はすべて伯爵のものだ。だが、これはもちろんダルモン王国の全軍ではなく旧都付近で編成された軍のみである。
今後はリオンクール王国とダルモン王国の戦争へとエスカレートすることは予測された。
伯爵はこれよりリオンクール王国内で『無断で外国と私戦を行ったこと』を中心に『リオンクール北部諸侯と利権の調整』など王国内の政治に忙殺されるだろう。
いざダルモン王国との全面戦争となれば諸侯との連携は欠かすことはできない。これも必要なことではある。
まあ、それらの高度な政治は一介の陪臣(家来の家来のこと)であるガストンには無縁のことだ。
バルビエ勢は必要に応じて招集される領主軍であるため、領地へ引き上げ解散となる。これは常備軍である剣鋒団とは大きく異なるところだ。
これより向かうバルビエ領では、ガストンもレオン・バルビエの家臣として領地経営を補佐をすることになるだろう。
かつて村の樵として小作人と変わらぬ暮らしをしていたガストンにとって、それは全くの未知のことであった。
●
「ヴァロンどの、少し立ち入った話をしてよろしいだろうか?」
ヌシャテル城からの帰路、レオンは馬上からガストンに話しかけた。
バルビエ勢ではレオンが唯一の騎士であり、隊列の中ではたいそう目だつ。
わざわざレオンが『立ち入った話』とことわったことが周囲の興味を引いたらしく、視線が集まるのをガストンは感じた。
「へい、なんでしょうか?」
「ヴァロンどのは当年でお幾つになられましたか?」
「へい、24才になりやす」
「うん……そうか。いや、まだ独身だとは聞き及んでおりますが、ご結婚の予定などはおありですか?」
「はぁ? 結婚ともうしやすと、俺の嫁取りですかい?」
レオンの質問はやや突飛であり、驚いたガストンもおかしな声をだしてしまった。
「そうです。婚約者や恋人、好いた女性などがおるのかと思いまして」
「あいや、舎弟(この場合は弟分くらいの意味)のマルセル――あ、これは分家なのですが、これが先に嫁をもらいまして、まあ、その……俺も身を固めにゃならんと急かされてはおるのですが、なにぶんにも心当たりもなく、この通りの面つきですで、前に故郷に帰っても縁談どころか村衆に怖がられる始末で――」
ガストンの人生に色恋の彩りは極めてとぼしい。
さすがに童貞ではないが、入れ込んだ娼婦もいなければ、かつてほのかに憧れていた故郷のポレットも嫁に出た。
主君からこのような話題を出されて満足に答えるような甲斐性はない。
「そうですか、それならば良縁あれば結婚を望まれていると?」
「それは、まあ、まあ、貰わにゃならんと思っとりますが……縁があればのことで、それが難しいわけですわ」
動転するガストンを見てレオンはなぜか「ほっ」とため息をついた。
もちろんガストンとて家来のドニともども野宿するわけにもいかない。今後はどうしても生活の基盤となる屋敷が必要になる。そうなれば家政を取り仕切る女房が必要なのはガストン自身も理解していた。
そこで問題となるのはガストンの従士としての身分である。
家来を養う分限ともなれば、それを差配する女房にも人を使う貫禄や才覚は必要だ。
自然とそれなりの出自で教育された女――従士、富農、商家あたりの娘をもらうしかない。しかし、悲しいかな成り上がりのガストンには嫁をもらうツテがないのである(マルセルのように本気で探せば見つかるだろうが、ガストンに大して気がないのも問題だ)。
「それならば私の姉上、ジョアナを娶ってはもらえまいか」
「は――? や、そりゃ、そのう、とても、とてものことで」
この言葉にはガストンも動転した。
さすがに戯れではなかろうかとガストンはレオンの顔色をチラリとのぞきこむが、どうにも真剣である。
「姉上は……姉はヴァロンどのと文を交わしておりますし、気心も知れておりましょう。年こそ26才になりますが、姉も間違いなく命を救われたヴァロンどのを憎からず思うておるはず」
「あ、いや、文をね……失礼かとは思っておりやしたが、そのう、レオンさまも読まれましたので?」
手紙などというものは、わりと他人に読まれるものである。ガストンもやましいことを書いた記憶はないが、それでも主君に読まれてたと思えば居心地は悪い。
「レオンさま、からかわれては困りますわ。俺のような成り上がりにゃ、とてもつり合わねえ話で」
「いや、何も冗談のたぐいではない。私はヴァロンどのならばと見込んでお頼みするのです」
レオンのあまりに真剣な様子を見て、ガストンはつい「うかがいましょう」と頷いてしまった。
事情を聞くとはつまり、諾否どちらにせよ答えを出さねばならない立場に自らを追い込んだわけだが、当のガストンは気づいてはいない。
「実は姉上は2度も良人を喪っておるのです。はじめは婚約者だった騎士が、次いではルモニエ男爵の従騎士に嫁ぎましたが……両名とも討ち死にしました」
「うーむ、そりゃ、また……おつらいことですのう」
レオンの話すところによると、子のないジョアナは夫が戦死した後も再婚相手を探す気になれず、城に残りルモニエ男爵の奥方に仕えていたそうだ。
そして、例の落城を経験した(26話)。
(なるほどのう、言い方は悪いが『さげ女』で『石女』の26才では相手も見つからぬのか)
ガストンはここで、なぜ自分のような下賤の出身に騎士であるレオンが姉を勧めたのか理解した。
さげ女とは周囲に悪いめぐり合わせをもたらすとされる女性のことだ。武運を気にする武家に好まれないのは自明の理である。
婚約者や夫に死なれ、仕えていた城まで落ちたとなればジョアナについてまわる不運は並々ならぬものと言えよう。
運というものは戦場ではバカにできない。事実としてガストンも流れ矢に救われたばかりだ。
また、子を産まない石女が好まれないのは身分の上下に関わりはない。
さらに若くもない26才の未亡人ともなれば再婚相手を探すのもひと苦労なのはガストンでも想像ができることだ。
レオンが隠すでもなく口にするということは、少なくとも家中でも知られた話なのだろう。
はじめの婚約者が騎士、次いで嫁いだ先は従騎士、そして3度目が従士のガストンとなるのもムリからぬことなのかもしれない。
(それに加えて、のどに大きな傷跡じゃものなぁ。見目の美しい女人じゃが、難しいとこだわ)
ガストンは美しくも幸薄げなジョアナ・バルビエの姿を思いだし「むごいのう」とため息をついた。
「私も同感です。姉上のめぐり合わせはあまりにむごい」
「いかにも、よう分かりますわ」
「そこで私と母上は考えた。次に姉上を任せる男は戦場で殺しても死なぬような真の豪傑が良いと。身分や家柄ではなく、姉を置いて死なぬ不死身の男を探し出すのだと」
「あいや、いや、俺はそのう、先の戦でも一騎討ちで殺されかけたようなナマクラですわ」
「いや、死ななかった。大軍のしんがりを務める戦士と渡り合い、死ななかった。これが大事なのです。勝って死ぬのではダメなのです」
そこでレオンはじっとガストンに視線を送る。
何かを頼み込むような、あわれっぽい表情だ。
「ははあ、しかし、俺は村で樵をしていたような身分ですぞ」
「武辺と才覚で身を興したのです。誇るべきだ」
ここでレオンは「やはり3度目ともなれば難しいでしょうか?」と辛そうな顔をした。
どうにもガストンはこの手の泣き落としには弱い。
(殿さまのレオンさまからこうまで望まれて断るのも筋ちがいだわ。ありがてえ話ではねえか)
ここでガストンは腹をくくった。
思えば自分に縁談など持ちかけられたのは初めてのことである。それが主君からとは名誉なことではないか。
(それに、レオンさまの姉さまをもらえばバルビエ家中でも悪いようには扱われんじゃろうよ)
突然の話に動転したガストンであったが、落ち着いて考えれば望外の良縁である。
さげ女や石女と言ったところでガストンには守る家などないのだから気にするほどでもない(ガストンも子どもが欲しくないわけでもないが)。
冷静になれば打算が働くのは当然のことでもある。
損得で考えれば受けるべき話だし、ジョアナの姿を思い出せばガストンもまんざらでもない。
「レオンさま、3度目がなんですかい。俺も初陣では負けて、次に籠もった城も落ちましたわ。戦なんてのは勝ったり負けたりするもんです。たまたま続けて負けても、いちいち気にしたことはねえので。2度負けたら3度目に勝てば良いのですわ」
「……それは良い話を聞きました。姉上も3度目に勝ちを得ればよい……うん、良い話です」
レオンはふっと表情をゆるめると、前に向き直り馬の歩を進ませた。話は終わりらしい。
(レオンさまはどうにも本気らしいが……俺が結婚か。それもあの女と)
ガストンは小さく「むう」とうなり声を上げて隊列に従う。
「2つも年上には見えんかったのう」
つい漏らしたひと言も、間違いなくガストンの本音であった。