38話 若い敵兵
伯爵が率いる軍勢は800人。これは横の国の小豪族が『戦ってダルモン王国に義理を通すか』『いち早くビゼー伯爵に降参して鞍替えするか』と迷う絶妙な数だった。
力を合わせれば抵抗できなくもないが、小豪族から見れば驚異的な数である。
すでに伯爵が軍勢を進めている以上、敵対的と判断されかねない日和見はリスクが高すぎる。クード川西岸の小豪族は決断に迫られた――とはいえ、ダルモン王国へ帰順したばかりであり全体としては抗戦を選ぶ者が多いようだ。
中にはドロン男爵(騎士セルジュの実家)のように東岸からも使者を出すものも現れ、戦機は満ちた。
ビゼー伯爵に敵対した軍は500人前後だろうか。小豪族軍はバラチエ城に集結し、伯爵軍を迎え撃つ形だ。
数は伯爵が優勢ではあるが、長引けば勢力圏を侵されたダルモン王国の救援があるのは明白である。
伯爵の軍はリュイソー城を発し、やや北に位置するバラチエ城に向かった。
余談ではあるが、小豪族軍の大将はピエロ・ド・バラチエ。
この一族の出自はなんと盗賊の類であり、一帯を荒らし回った挙げ句に蟠踞(根を張り動かなくなること)して支配者となった経緯がある。以来5代を重ねており、爵位もないのに貴族を気取って名乗りに『ド』を用いていた。
かくも怪しげなルーツではあるが当代のピエロ・ド・バラチエはなかなかの傑物らしく、小戦で戦利をあげては開拓を行い勢力を拡げ続けている。
領地の位置関係としては、以前ガストンが探索した北の村近辺の森(5話)よりさらに北、リュイソー男爵のご近所さんだ。
ガストンとしては故郷の村が近いことだし、折を見つけて母を訪ねたいと考えていたのだが、なかなかそう都合の良い話はない。
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バラチエ城のほど近く、やや開けた平原で両軍はにらみ合うように対峙した。
800対500。ビゼー伯爵が優勢ではあるが、騎士バラチエからすれば『いつ裏切るか分からない』寄せ集めた味方を頼りに籠城するよりは野戦のほうが勝ち目があると踏んだのだろう。
それに数だけ見れば十分に逆転は可能だ。
「それっ、射かけよっ!!」
大将同士の言葉合戦はなく、伯爵の下知により矢石が飛び、そこかしこから悲鳴が漏れ聞こえる。
ビゼー伯爵は後ろに構えるタイプの大将ではない。その姿は先陣にあり、親衛隊である剣鋒団は伯爵を守るように布陣している。
自然、大将の周囲は矢に狙われ、ガストンの組にも容赦なく矢石が降りそそいだ。
「槍を身の前で盾にせい! アゴを引いて兜で石を防げ!」
盾はかさばるのでガストンらのような槍兵はあまり装備していない(輸送のため荷運びをすることもあり盾は邪魔なのだ)。ゆえに槍を盾がわりに構えるのだが……まあ、これは気休めだろう。
矢合わせの次は騎兵の突入が会戦のセオリーだ。
だが、今回はすぐさま「かかれっ! 蹴散らせぇーっ!!」と下知がかかる。いきなりの総がかりだ。
「声だせぇ!! 敵は少ねえぞ、2人がかりで仕留めろぉっ!!」
ガストンは部下を励ましながら走り出す。
するといくらも進まぬうちに部下の一人が「ギャッ」と低い悲鳴をあげてうずくまった。見れば鎖骨のあたりに矢が突き立っている。
(殺られたか――いや、死に傷ではねえ。神よ、光を)
薄情だとは思うが、突撃中に引き返して助けるわけにもいかない。そんなことをすればガストンが後続に突き飛ばされ踏み潰されかねないのだ。口中で短く祈りの聖句をつぶやくのみである。
「声で押せ! 槍でぶっ叩け! 動けなくしてから突き入れろっ!!」
ガストンの声が部下に届いたか、それを確認する余裕はすでにない。
そのまま両軍は激突し、敵味方が入り乱れる乱戦となった。
こうなれば部下を指揮するどころではない。ガストンは目の前の敵に立ち向かった。
線の細い、若い兵士だ。
油断なく槍を構えた姿はなかなかの手練と見える。
「オリャーッ!! この鼻タレめが、ぶち殺すぞっ!!」
「お前がくたばれっ! ひっくり返って死ねっ!!」
ガストンと敵兵は互いに声で威嚇をしながら槍を合わせた。
若い敵兵は俊敏な動きで槍を2度3度と突き入れてきたが、ガストンは巧みに間合いを外す。そして槍を小さく鋭く振りぬいて敵兵を叩きのめした。
何度も槍で殴りつけ、動かなくなった敵兵の股間を穂先で貫く。ガストン得意の戦法が見事に決まった。
敵兵は「ギャアーッ」と甲高い声で悲鳴をあげる。防備の薄い股ぐらは鎧武者の弱点であった。
「ドニっ! トドメじゃ! 殺れいっ!!」
「へいっ、承知!!」
ガストンはトドメを組下のドニに譲り、次の敵を警戒する。このドニは暴れ者だけに度胸は人並み外れており、修羅場でも怯えた様子はまったくない。
乱戦ではトドメの瞬間こそが危険。案の定というべきか、すぐさま次の敵が挑みかかってきた。
「ウワアーッ! 殺してやるぞ! 殺してやるッ!!」
メチャクチャに短槍を振り回す敵兵は先ほどの敵よりもさらに若い。年の頃は10代の半ばか、もはや幼いとすら呼べる若さだ。
戦への昂ぶりか目を血走らせ、口からは泡を吹き飛ばしている。見るからに正気を失いかけている様子だ。
ガストンは弟のジョスを連想し「チッ」と鋭く舌打ちをした。
あまり殺したい相手ではない。
(ガキめが、親からもらった命を粗末にしよって。ちょいと揉んで追い払うしかねえな)
ガストンは若者の短槍を払い飛ばし「やめとけ」と語りかけた。その穂先はピタリと若者の面先に突きつけている。
「お前じゃ俺の相手にならん。見逃してやる、あっちに行け」
「そ、そ、そうはいくかっ! 俺も死んでやるっ!!」
なんと、若者は突きつけられたガストンの槍に武者ぶりつき、綱引きのように引き込み始めた。
この捨て身の行動にはガストンも目を剥いて驚くほかはない。
「エ、エ、エロワは俺の念者だったんだ!!」
「……そうかい、なら仕方ねえな」
念者とは男性同士の恋愛における兄役(聖天教会で同性愛は罪であるが、ないわけではない)のことである。愛する者を殺されれば、このように死に狂いをしても無理からぬことだ。察するにエロワとは先ほど突き倒した敵兵の名であろう。
数秒ほど力比べとなるが、ガストンが槍からパッと手を離すと若者は勢いあまって後ろへたたらを踏んだ。そこをガストンの拳が襲う。
大男のガストンが振り下ろし気味に殴ればただではすまない。
鼻柱への一撃で若者は昏倒し、仰向けに倒れ込む。すかさずその首をガストンが踏みつけた。
グキリと嫌な感触が伝わり、若者の動きが止まる。まだ息はあるが助からないだろう。
「ぺっ、だから言ったんだ」
ガストンは自らの槍を拾い、若者の首に狙いをつける。
その穂先を若者の血で染めると時を同じくし、味方から大きく閧の声があがった。
戦の決着がついたのだろう。
敵勢は大きく崩れ、味方が追撃に入ったようだ。
あっけない結果であるが、これはバラチエ軍の形勢が不利になったことで小豪族が次々に離脱をしたためらしい。
彼らからすれば1戦交えたことで『義理は果たした』ということなのだろう。
「野郎ども遅れるな! 追い首を稼げ!」
ガストンは部下に声をかけ、味方の流れに乗って追撃に身を投じた。
逃げる敵の背を討つ追討ちこそが稼ぎ時なのである。