37話 舌のまわる男
「そうか、オヌシら兄弟で騒ぎを治めたならば良かろう。いちいち兵士のいさかいを咎めてはキリもないことだ」
「へい、お騒がせしました」
やや緊張の面持ちでガストンがケンカ騒動を報告するが、上司である騎士テランスの反応はアッサリしたものだった。
言葉通り、兵士が起こす小さなトラブルなどにはかまってはいられないということだろう。
余談だが、騎士テランスはガストンとマルセルにジョスを含めた『ヴァロン兄弟』を実の3兄弟だと勘違いしている節があるが、ガストンもマルセルもいちいち訂正したりはしない。
「それよりもだ、我が主は近いうちに兵を動かすぞ。出陣に備えよ」
ガストンはこの言葉に眉をひそめつつも「へい」と頭を下げた。
内乱は終わったばかりである。また戦となれば、いくらガストンが戦火を生業とする職業兵士とはいえ良い気はしない。
「昨年はにらみ合いに終わったが緊張はさらに高まりつつある。数年のうちに国同士がぶつかる可能性が高い。それまでに我が主はできる限り横の国を抑えたいのだ」
「へい、左様でしたか」
「うむ。部下を鍛え、装備を整えさせろ。仕事を与えて育ててやることを忘れるな。オヌシならば自分でやるのが簡単だろうが……手抜きをするな。部下を育てるのだ」
騎士テランスは相変わらず口うるさい。
あまり理解できていないガストンは「へい、心得ました」と形ばかり答えて退出した。
(俺が働くことが手抜き? バカぬかせ、俺が汗かいて働くことの何が手抜きか)
ガストンは働き者であり、自らが骨惜しみをしていたような言われようは不本意であった。
騎士テランスはおそらく『不在時に組を任せられるような部下を作れ』と伝えたかったのだろう。
ありふれた言葉の行き違いではある。
(……面白くもねえ、扱けというなら扱いてやるわい)
ぺっ、と胸内のムカつきをツバとともに吐き出し、ガストンは兵舎に向かう。
貸具足の点検を抜き打ちで行い、不備を口実に槍の稽古で部下を叩きのめしてやる腹積もりだ。半ば以上、八つ当たりである。
ガストンは人格者ではないが兵士暮らしに慣れたわりには善良な部類の男であろう。
だが、慣れぬ部下の統率にストレスを溜めこんでいるようだ。これは十人頭となり、慣れ親しんだ相棒のマルセルや実弟のジョスと組が分かれたことも無関係ではあるまい。
今現在、ジョスは他の組下で兵士を勤めており、人当たりのよい古参兵として頼られているらしい。
マルセルやジョスの『うまくやっている』感じがまた、ガストンの神経を逆なでる要因でもあった。
●
1か月後、ビゼー伯爵は800人強ほどの軍を興した。
内乱時に伯弟ジェラルドのシンパだった領主や、日和見だった勢力を主力とし『忠誠を示せ』と負担を強いた意地の悪い編成である。各領主はかなりムリをして兵を出したようだ。
目指すは横の国、クード川の西岸――内乱前の勢力を回復するのが目標である。
総大将はビゼー伯爵。
身内の反乱に悩まされた伯爵は、自ら軍を率いることに執着し、大軍を他人に任せることを極端に嫌う。
軍は現在リュイソー城に入り、兵を休めるとともに周囲の小豪族に圧力を加え始めていた。
「おい兄い、おるか?」
「なんじゃ、ジョスか。おるかとは生意気な口でねえか」
慣れ親しんだリュイソー城内ではなく、城下の集落内でくつろぐガストンのもとを訪ねてきたのは弟のジョスだった。
やや慌てた様子である。
「それどころじゃねえんだ、アイツが来たんだわ。不吉なことだから声を潜めてくれ」
「なんじゃ、アイツじゃ分からんわ。ハッキリ言わんか」
「アレだ、修道院跡で兄いがやり合ったヤツだ、騎士の裏切者だわ」
「む、そりゃ……間違いねえか? 人違いではえらいことになるぞ、どこで見たんだ?」
ジョスの言葉を聞いたガストンはギョッと目を剥いて周囲を見渡した。その言葉が本当ならば陣中に間者が入り込んだということだ。
落城の憂き目を見た彼らにとって、その恐ろしさは笑いごとではない。
「うん、間違いねえ。さっきまで俺の組は見張りの当番だったのさ」
「むう、あれだな……ナントカ男爵の身内だ。ドンドロ、ドロ――」
「ド・ドロンだと思う、名前は……セヴランとか、シメオンだか」
「そう、思い出したわ。セルジュだ、ドロン陣代の騎士セルジュ・ド・ドロン。間違いねえ」
ガストンは「こうしちゃおられん」と立ち上がり、戦支度をはじめた。
ことと次第によっては手ずから討ち果たす心づもりなのだ。
「よし、ジョスは組頭に伝えろ。俺はテランスさまに伝えるわ」
「うん、だけどリュイソーの殿さまとか、えらい人に伝えたほうが話が早いと思うけど」
「バカ言うな。自分の頭を通り越して他家の殿さまに告げ口なんぞ筋ちがいだわ。せめて組頭と共に自分のとこの百人頭に伝えるようにせえ」
ジョスはガストンの言葉に「それもそうか」と素直に頷く。
この兄弟、出自が卑しいゆえか上役を敬う心に厚い。
「でも、どう説明したら……そうだ、兄いも来てくれよ」
「バカたれ、俺も忙しいわ」
「それもそうか、組頭と相談するわ」
こうして、ガストンらはそれぞれの上司に報告に向かったのだが――結果は思わしいものではなかった。
騎士テランスはガストンの懸念を聞き「もっともだ」と頷きながらも「手出しはするな」と、しっかり釘を刺してきたのだ。
「帰順してきた者を罰しては帰順する者はいなくなる」
「小豪族の腰が定まらぬのは国に挟まれておるからだ。処世術よ」
「ドロン男爵家は敵味方に分かれて双方に味方をしているのだ、こちらが優勢ならば敵にはならぬ」
「だがオヌシの情報は大きいぞ。我が君には必ず伝える」
「我が君ならば重く用いず、信用せず、上手くあしらうであろう」
騎士テランスは言葉を尽くしてガストンをなだめにかかる。ここまで言われてはガストンも『理屈では』納得するより他はない。
その説明には大勢力に挟まれた小豪族に同情的(騎士テランスも小豪族だ)な部分もあり『見逃してやれ』との意味が強いが、これに気持ちが納得ができるかは別問題だろう。
(わざわざ俺が注進に来たってのに、なんでテランスさまは裏切者を庇うんだ!? これでは俺が、まるで負けた腹いせに告げ口をしたようでねえか!)
ガストンは心を隠すすべを身につけていない。口に出して逆らうことはないが、下唇を突き出し、眉をひそめて不満を表明した。
「早合点をするな、オヌシの言葉を疑っておるわけではない。剣鋒団きっての勇者の言葉であり、深い忠義ゆえだと良く知っておる」
立場が違えど騎士テランスもガストンには気を使う。
腕っぷしが強く、戦支度も整えたガストンが『軽んじられた』と逆上して騒ぎを起こせば思わぬ事態になりかねない。
騎士テランスからすれば頭ごなしに押さえつけづらい状況であった(つまり騎士テランスからすればガストンは短慮を起こしかねない状態に見えたわけだ)。
「よし、ならばこうしよう。我とオヌシでドロン卿を警戒するのだ。怪しげな素振りを見つければ報告せよ」
「……へい、承知しました」
「組の仕事をおろそかにはするでないぞ。そしてこれは他言無用だ」
騎士テランスからすれば最大限にガストンを気づかった言動である。
彼もまた中間管理職であり、こうして強く部下から突き上げられるのは頭の痛いことであろう。
こうしてガストンは不本意な結果ながらも『上に報告した』ことで心の整理をつけたわけだが……この話は思わぬ方向に展開を見せた。
「やあ」
翌々日、組の手下を引き連れて門番をしていたガストンに気軽に話しかけてきた者がいる。
なんと、騎士セルジュだ。
帯剣こそしているが防具を身に着けず、供も連れぬ無防備な姿である。さすがのガストンもこれには呆気にとられる他はない。
その役者のような顔に親しげな笑みを浮かべ、ニヤニヤとした表情はいっそ不気味なほどだ。
「荒縄ガストン。なるほど、見事に成り上がったな」
騎士セルジュは戦陣で見知った顔を見かけたから声をかけたと言わんばかりの気安さだ。
身構えていた鋭気を逸らされ、ガストンもどうしたらよいのか判断がつかない。
「そう睨むな。恨み言もあろうが戦場のことだ。遺恨を忘れよとはいわんが、今は味方だ」
「……組み討ちでの勝負に心を残しておりませぬが――」
この騎士セルジュの様子にガストンも『つい』会話に応じた。
こうなるといけない。会話をすることでガストンの気力は口から抜け、少なくとも不意打ちを仕掛けるような体勢ではなくなってしまった。
これは騎士セルジュの兵法と呼ぶべきものだろう。心術でガストンの呼吸を乱したのだ。
「裏切りのことは許せ。俺も主家の命を受けてのことだ。お前とて主命に背けぬであろう?」
「それは、まあ……たしかに」
「そうだろうとも! やはりお前は戦士の心がある! 俺とて槍を並べた味方を裏切りたくなかった。これは本当のことだ」
騎士セルジュは大げさな身ぶりで「だが俺はうれしい」とガストンの肩を叩く。
「こたびは紛れもない味方だ。それに俺も主家を離れて伯爵に仕えようかと思っておる。そうなれば我らは同じ主君に仕える仲間だ、そうだろう?」
「……む、む、それはそうですな」
「そうだ! お前の強さは一騎討ちをした俺がよく知っている。また共に戦えてうれしいぞ!」
騎士セルジュはガストンの手下らにも「聞けい!」と声をかける。
もうガストンには何が何やら理解ができない。
「諸君の組頭は騎士に勝るとも劣らぬ武辺者だ! 一騎討ちをした俺が認めるぞ! 後学に戦語りなど聞かせてもらえ!」
この言葉に「おおっ」とか「そりゃすげえ」などと部下が食いついた。
門番などは退屈な任務だ。降って湧いたような面白げな話に食いつかぬはずがない。
「ヴァロンよ、これからは朋輩づきあいといこうじゃないか、見かけたら声の一つもかけてくれよ」
騎士セルジュはポンポンとガストンの二の腕のあたりを叩き、高笑いを残して立ち去っていく。
この奇襲と逃げ足にはガストンも悔しげに「むう」とうなり声を上げるだけである。
(くそ、やられた……なんとも舌の回る男だわ)
かくしてガストンの怒りはうやむやにされたのだ。
口下手な十人頭が舌戦をするには荷が重い相手である。心情的には完敗だ。
(……色んなヤツがおる、と言うことかのう)
ガストンは口をへの字に曲げて騎士セルジュの背中を見送った。
部下の手前、これ以上の追求はできなかったのだ。