36話 十人長
ビゼー伯爵家における内乱も治まり、ガストンは兵士から十人長と呼ばれる身分に出世をした。
十人長とは聞き慣れない役職ではあるが『ビゼーの鋭く長い剣先たち(長いので以後は剣鋒団と略する)』と改称された常備軍の再編にともない新設されたものである。
少々まぎらわしいが実際に10人を統率するわけではなく、4〜6人ほどを率いる小隊長だ。
伯爵の権力の基盤常備軍の維持はあまりに費用がかかりすぎる。実のところ、結成から今までの戦いで莫大な借金を重ねた伯爵は破産状態であった。
そこで伯爵は滅ぼした家臣の領地を没収して直轄領とし、財産の整理や徴税することを決めた。家臣の領地を横領し、財物を強盗したのだから凄まじい無法だが、恐るべき暴君である伯爵に面と向かって異を唱える者は領内に存在しない。
しかしながら伯爵自ら回収することは不可能。そこで分隊――つまり組織が必要になった。
百人長(これは騎士が任命された役職だ。百人を統率するわけではなく実数は30〜50人くらいである)、その下に十人長と簡素ながらも階級が作られたのだ。
十人長の待遇は一般的な衛兵の兵士頭とは明らかに違う。
衣食や武具は自前となるが、年俸は実に2万ダカット(むりやり日本円に換算すると200〜400万円ほどだろうか? 城の厨房で食事を頼むと、カラス麦や芋の粥、燻製肉や漬物にビールなどの簡素な食事が週払いで120〜200ダカット。食料品は季節によっても変動が大きい。ちなみに小麦のパンや上等のソーセージは季節やサイズにもよるが6〜20ダカットくらいが相場である)だ。
これは従士に近い戦士階級としての待遇であり、ガストンはその筆頭格の扱いを受けている。
リュイソー男爵に下っ端として仕えた時は年俸1000ダカットであったのだから、その好待遇ぶりは推して知るべしだろう。
贅沢をしなければ市中に家を借りることができるし、家来として小者を雇うことも可能だ。
立身出世を果たしたガストンは故郷の村へ母を迎えに行きたいと思いつつ、新たな職務の忙しさから年をまたぎ22才となっていた。
いまや『荒縄のガストン』といえば剣鋒団でも名うての荒武者である。
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「やい、ガストン! お前の組はどうなってやがる!?」
城の厨房で朝食をとっていたガストンに怒鳴り込んできたのはマルセルだ。共に十人長として働く同僚である。
「厨房で騒いだらいかんわ。落ち着いて話を――」
「バカたれ、それどころではねえ、早く来んか! ここでは障りがあるから言うとるんだわっ!! 早うせえ!!」
ガストンは給仕の中年女に「すまん」と声をかけ、マルセルに引きずられるように厨房を出た。ガストン同様、貧しい出自のマルセルが食物を粗末にするようなまねをするとは非常事態で間違いない。
「刃傷沙汰じゃ、お前の組下のヤツがウチのとモメてナイフを振り回したのよ」
「なんじゃと! 手負いは出たんか!?」
「幸いにも浅手が1人じゃ。だがアレよ、前にもやらかしたチビだわ」
「またドニか! あの短慮者めが!」
「いそげ、兵舎に閉じこめとる!」
二人は小走りとなり、いそいで現場へと向かう。
兵士になろうかという者は荒くれ者が多く、軍で喧嘩や小さな窃盗などは日常茶飯事である。だが、やはり限度というものはあり、さすがに刃物で味方にケガをさせてはまずい。
今回は気心の知れたマルセルの組下であったのは不幸中の幸いだが、うるさい相手に知られては裁判沙汰になり厳しく罰せられるだろう。そうなれば上役のガストンやマルセルとて叱責や譴責はまぬがれない。
なるべく迅速に、穏便に、ことを治める必要があった。
「マルセルよ、ケンカの種はなんだ?」
「博打だわ。目が出なくてイカサマだと暴れだしたんだとよ」
「くだらねえっ! そんなことで暴れよって!」
マルセルから聞かされた事情は、あまりにもありふれたケンカ騒ぎであった。
兵士の博打は勝負の勘所を鍛えるために必要なモノとされるが、やはりトラブルはつきものだ。そして、このドニという兵士はトラブルメーカーで、いくどもケンカ騒ぎを起こしてはガストンの手を煩わせていた。
(畜生っ、なんでいつもウチの兵士ばかり問題を起こしやがる)
怒り心頭のガストンは目当ての兵舎のドアを「コラァ!! 何しとるかっ!!」と勢いよく蹴破った。
ガストンはかつての上司であり師でもあったペルランに倣って徹底的に部下をしごきあげる鬼隊長である。このひどい登場に室内から軽い悲鳴があがるほどには恐れられていた。
「この慮外者めがっ! ようもマルセルの顔に泥を塗り寄ったなっ!!」
室内には軽い人だかりがあり、中に取り抑えられている人影がある。小柄でギラついた目つき、ガストンの部下であるドニで間違いない。
ケンカ騒ぎだけはあり、すでに袋叩きにされたような形跡はあるが、まさに自業自得というものだろう。同情の余地はあまりない。
ガストンは人垣をかき分けるようにして近づき、ドニを派手に蹴り飛ばした。
「そんなに暴れたいなら俺が相手をしてくれるわ、表に出やがれっ!!」
この剣幕にはマルセル組下の兵士たちもたじろぎ、口出しする者はいない。ガストンは泣き言を漏らすドニの髪を掴み、兵舎の外へと引きずり出す。
「か、頭……ちげえんです。俺はハメられたんだ、アイツら――」
「やかましいっ!! 暴れてから理屈を抜かすなっ!!」
ガストンは何度も平手で殴りつけ、ドニが地面に伏せば首根っこを掴み腕ずくで引きずり回した。
あまりやりすぎて大怪我を負わせては兵士として働けなくなる。しかし、容赦が見えては被害者が納得しないだろう。このさじ加減が実に難しいのだ。ガストンも真剣である。
「まあまあ、ガストンよ。これ以上やると死んじまうぞ」
「こんなクソがきなど死んだらいい。この機に俺がぶち殺してくれるわ」
「いやいや、そらマズいわ。こちらも大した怪我人はおらん、ここらで堪忍したってくれい。この通りだわ」
「ほうか、マルセルほどの男が言うのだ。ここらにしといたるか」
「ああ、騒ぎたてて悪かったのう。この若いのも、これだけ殴られれば十分に了見しただろうさ」
「いや、こちらが悪かった。許してくれい。後でビールをひと樽とどけるで、皆で飲んでくれや」
ここでマルセルがとりなし、ガストンが頭を下げたことで兵士たちの溜飲も下がったのだろう。酒が飲めると聞き「ワッ」と歓声があがる。
こうして二人はガストンがドニに私的制裁で『罰をあたえ』マルセルが『許した』かたちにして治めたのだ。
これは軍内で起きた事件を私的に裁き、もみ消したわけであるから問題がないとはいえない。だが、こうした小さなトラブルで上のほうを煩わせないのが兵士頭の器量であり、それは十人長も同様だ。
(くそったれ、えらく高くついたわい)
水の悪いビゼー城でビールは常飲するものであるから安価(低品質なモノであれば)ではあるが、余計な出費にはちがいない。
ちなみにビールは小麦や大麦以外にもカラス麦やハーブを使うグルートビールであり、現代の日本で見かけるようなホップビールとは異なる。農民でも口にするような安酒であり、上流階級はもっぱらブドウ酒やハチミツ酒を好むようだ。
「すまんが、さすがにテランスさまには報告せにゃならん。俺も行こうか?」
「いや、ありがてえが、ドニは俺の組下だしのう。俺が行くのが筋だわ」
騎士テランスは二人の上役になる百人長であった。口うるさいが話のわからないタイプではなく、今回も大事にはならないだろう。
だが、それはそれとして下げなくてもいい頭を下げねばならないのは腹がたつ。
「そうかい、ビールは樽で兵舎に運んどくぞ」
「ビール1樽だけじゃぞ、こんなつまらんことで2樽も飲まれてたまるか」
「分かってるよ、食いものはこっちで用意するさ」
切り替えの早いマルセルはすでに宴会へと意識を切り替えたようだ。要領の良い男なのである。
ガストンは地べたに座り込むドニをひと睨みして「次は殴るだけでねえぞ、甘えるんじゃねえ」と吐き捨てて騎士テランスの元に向かう。
こうした部下の管理に頭を悩ます新任中間管理職。それが今のガストンの姿であった。