35話 家督争いの結末
伯爵の軍がルラック城を囲み、10日ほどが経った。
その間、橋を巡っての小競り合いや城から軍使の到来などもあったようだが、ガストンは変わらず樵仕事を続けている。
沼地の架橋工事――土木工事とも言えぬ土を盛って細木の丸太を並べただけの雑な作業は進んでいるものの、ガストンが乗れば足元がフワフワと沈むような出来の悪さだ。とても兵が進退するような代物ではない。
「おっ、門が開いたぞ」
ガストンらが陣から離れ木材のきり出し作業をしていると、近くの兵士が間の抜けた声をだした。見れば城門が開かれたようだ。
「おっ、城方もしびれが切れて打って出たか?」
「いや、ありゃ軍使だろう? 頭はどう見ます?」
左右の声を聞き、ガストンは「たしかに元気がねえな」と頷いた。
士気とは形のないものではあるが、案外見て取ることはできる。旗の立てかた、槍の揃えかた、閧の声の張り、指揮官の身ごなし……この辺りは『慣れればなんとなく見える』としか言いようはない。
ちなみに、この兵士の言う『頭』とはガストンのことである。正式に兵士頭に任命されたわけではなく、単純に木材きり出しの統率者くらいの意味合いだ。いちいち訂正するのも面倒くさいし、ガストンも悪い気はしないので放ったらかしてある。
(どうもおかしいわ。あれじゃまるで降参でねえか)
城から出た騎士は鐙に足をかけず、従士たちは槍に鞘まで着け、左手に武器を持ち担いでいる。これは戦意のないサインだ。
ガストンらが首を傾げていると、ほどなくして味方の陣地から『ワッ』と歓声があがった。勝鬨だ。
「おや? 降参みたいだな」
「そんなバカな、まともに槍も合わせとらんぞ?」
兵士らの戸惑いはガストンにも理解できる。わざわざ要害に籠もって数日で降参とはわけがわからない。だが、ガストンはここを取り仕切る者として場を治める必要がある。内心の疑問に蓋をして、ガストンは「声だせえ!」と周囲の兵士を叱りつけた。
「お前ら何しとるか、勝鬨だわ! 応じねば罰せられるぞ、声を出せえっ!!」
この声に兵士らはハッと我に返り、ワアワアとデタラメに勝鬨をあげた。
木材のきり出し現場では音頭を取るような大将はいない。てんでバラバラの間抜けな光景ではあるが、味方の本陣まで声が届けば良いとガストンも割り切って考えた。
(……これで良かろう。手下の前でテランスさまに叱られるのもバツが悪いしのう)
口うるさい上司の小言をかわすために体裁を整える。
村の樵らしからぬ小知恵だが、ガストンもこうした処世術を身に着けねばならぬ中間管理職に差し掛かりつつあるらしい。
(しかし、なぜ降参なんかしたんじゃ? こんなにアッサリ諦めるなら兵など興す必要も、城に籠もる必要もあるまいに)
後に聞けば、伯爵軍の手によって新たにかけられつつある橋を見て『攻めるぞ攻めるぞ』と圧力をかけられた伯弟は恐怖に駆られ家来を残して逃亡したらしい。
しかも夜陰に紛れ小舟で脱出するという無様なもので、ガストンらは大いに呆れたものだ。
しかしながら当然、ここに至るまでには軍使が行き交いし、下交渉があるのだが……事情を知らないガストンらからすれば突然の逃亡劇にしか見えないのは無理からぬことではある。
実情は何のことはない。互いの利益が一致し、休戦開城しただけのことだ。
伯爵は伯弟を殺したくなかった。
これは兄弟の情というわけではなく、聖天教会の教えにおいて親族殺しは大罪だからだ。
ただでさえ家臣からの支持が薄い中、教会勢力まで敵に回して背教者になろうものなら領内の運営が立ちいかなくなる。伯爵は伯弟を殺せない事情があったのだ。また、率いる軍も遠征帰りであり、無理を避けたのも一因だろう。
あくまでも実利だけで伯爵は伯弟を見逃した。らしいといえばらしい情の薄い判断であった。
一方の伯弟もこれ以上戦うことは不可能だった。
伯爵の留守を狙い挙兵したものの兵の集まりが悪い。さらには国境線の隘路で伯爵軍を釘づけにする予定だった足止めの軍もアッサリと撃破された。苦肉の策で籠城したものの『追い詰められている』との印象はぬぐえず、日和見の中立派はどんどん伯爵に流れていく。
要するに伯弟は戦下手であった。
しかしながら伯弟の強みは『継承順位の高さ』であり、これは『生きていれば』有効である。
伯爵領外へ亡命できれば再起の目が残り、何としても難を逃れ生き延びる必要があった。
ここで互いの利益が『ここらが潮時か』と納得できる程度には一致したのである。伯弟は近臣らと領外へと逃亡し、伯爵は城を占拠するかわりに一切の追撃は行わなかった(それでも夜間に舟で脱出したところを見るに、伯弟は追撃を恐れていたようだ。伯爵は約束を守らないと思われているらしい)。
ただ、伯爵は腹いせとばかりに『卑怯にも伯弟ジェラルドは一合も槍を合わせずに家来を見捨てて逃げ出した』と領内で喧伝し、これを信じきったガストンら兵士は『なんと情けないヤツだ』『武人の風上にも置けぬ卑劣漢』と伯弟を大いに蔑んだ。
一方の伯弟もまた、亡命先で伯爵の悪行を盛りに盛って吹聴したのだから本質的には似たもの兄弟なのかもしれない。
ともあれ、ビゼー伯爵家の家督争いは一応の決着をむかえた。
それはガストンにとって、あまりに不可解で急な結末であったが、下の者から見た政局の動きなどはこのようなモノかもしれない。