32話 なまり
ガストンは慎重に敵陣から身を隠すように離れ、水を探した。
ほどなくして水の流れる音を見つけ、かなり歩いてから沢を下る。
十分に用心をした行動だった。慎重を重ねた行動だったといえるだろう。
だが、世の中というのはひどく理不尽な偶然が起こり得るものだ。
「あっ、何やつだ!?」
小川が流れる沢に下りた瞬間、不意に声をかけられた。
二人組の男だ。恐らくは兵士だが、魚籠のようなものと先の割れた槍のようなもの――これは恐らく川用の銛だろうか、これを持っているところを見るに食料の調達でもしていたのだろう。この辺りの土地では川エビや川魚は好まれる食材だ。
(……畜生め、岩陰にひそんでおったか)
岩場に潜む魚を狙い、漁をしていたのだろうか。流れる水音もありガストンはまったく気づけなかった。
(逃げるか、戦うか、いや……騒がれて人を集められても厄介じゃ。やり過ごしたい所だわ)
水もなしで多数に追いかけ回されるのは想像するだにツラい。
ガストンは『マルセルであれば口からでまかせでやり過ごせるだろうか』と考えた。
「飯の確保か、ご苦労さん」
落ち着いて見れば雑兵とはいかずとも身なりの悪い下っ端兵士である。
鉄兜のガストンが鷹揚に声をかけるや、兵士たちは明らかに怯んだ。
「お前さまは誰だね?」
兵士からの誰何、それはあまりにも当然の問いだった。
だが、ガストンは問われるとは考えてもなかったらしい。
「む、俺だわ。ガストンだ」
「お前、ダルモンなまりだな? うちにゃダルモンはいねえ! どこの家中か言ってみろ!」
あわれ、ガストンの企ては一言の間に崩れ去った。
同情の余地があるとすれば、横の国はダルモンと近く口語になまりがあったことだろうか。語尾に『わ』とつけるのが典型的なそれである。
(よし、殺す!)
ガストンも戦場往来の猛者である。命のやりとりを決断するのに時間は必要なかった。
無言のまま声をかけてきた兵士に体当たりを食らわせ、もう1人の方に突き飛ばす。兵士たちは小さく悲鳴をあげ重なるように尻もちをついた。
「うわっ!? 曲者――」
我に返り、騒ごうとした兵士の顔をガストンの大きな手が鷲掴みにする。そのままガストンが短剣を引き抜くと、兵士の両目が恐怖で大きく見開いた。
「お前ら、大人しくするなら――」
「ヒィーッ! 助け、誰か助けてくれっ!!」
パニックになった兵士にガストンの言葉は届かない。
ガストンは小さく舌打ちをし、短剣で兵士の首を突き刺した。
(慣れねえことはするもんじゃねえな。うまくいかんわ)
ガストンはしっかりとトドメを刺した後、もう残りの兵士に顔を向けた。こちらの兵士は腰が抜けたようで、尻を地面につけたまま「殺さねえでくれ」と命乞いを口にして後退っている。
それを、もはや誤魔化す必要がなくなったガストンが短剣を構え、冷ややかに眺めていた。
●
翌朝未明、セザールを引き連れ帰還したガストンは伯爵の元に呼び出された。
セザールはなかなか義理堅いところがあるらしく、ガストンが戻るまで見張りを続けていたらしい。慣れたガストンとは違い、セザールは伯爵や重臣の前で緊張の面持ちである。
早朝だというのに騎士や従士までもがズラリと並び、この物見が重視されていることを物語っていた。
「ふむ、たしかに『どこの家中か』と問いただされたのだな?」
「へい、たしかに問いただされました」
伯爵は「なるほど」と納得顔を見せているが、当のガストンは理解できない。
その様子を見て伯爵は「分からぬか?」と得意げにアゴを上げた。
「まず黄と白の片身替に鳥の紋章、これはジェラルドに仕える阿呆のエストレであろう。あやつに200もの兵を集める力はない」
「へいっ、左様でしたか」
「次に兵士が『どこの家中か』と確認したということは、その者ら以外にも他家の者がいたのであろう。重ねて考えれば寄り合い所帯だと予想はつく」
「へい、得心しました」
「そうか、どう得心したのか申してみよ」
「……へい、敵陣は寄り合い所帯、大将は阿呆のエストレであると」
ガストンは聞いたままオウム返しに答えたのだが、なぜは伯爵は「そうか、エストレは阿呆か!」と笑い声をあげた。
「だが、敵を侮るのはいかん。これは身内の争いよ、我が陣中にもエストレに血縁地縁のある者もおる。つまらん失言を恨まれてはお前のためにはならんぞ」
「へい、恐れ入りました」
自分のことを棚に上げる伯爵の言葉はガストンも『どの口が言うのか』と呆れるしかない。
良くも悪しくも伯爵は貴族らしい身勝手さ傲慢さがあり、目下の者への発言など気にも止めていない節がある。
いまも「そうか、恐れ入ったか!」と上機嫌だ。
「しかし、森の隘路に200人か。これは手こずるであろうな……いや、時間稼ぎと見るのが妥当か」
伯爵の率いる遠征軍は1000〜1100人ほどだが、狭い地形で戦えば数の利は活かせない。
しかも、こちらは遠征で疲労した軍である。堅陣を構えた敵に遅れをとることも十分に考えられた。
「ガストン、同じ場所へ兵を案内できるか? 道を使わずにだ」
「へい、森には目印をつけとります」
ガストンの言葉を聞くや、伯爵は「でかした!」と手を打って喜んだ。お気に入りの家来であるガストンの働きが嬉しいのだろう。感情の起伏が大きい伯爵は喜ぶときも激しい。
このような人格も家臣たちが嫌う一因ではあるのだが(常に落ち着いて公正であることが貴族の美徳である)、ガストンは自らの働きを屈託なく褒めてくれる伯爵の気質を好んでいた。
今も立派な身分の者らがそろう軍議で面目を施し、大いに自己肯定感を高め『殿さまのためにもっと働こう』と伯爵に対して恩すら感じているところだ。
「追って沙汰をする。ガストン、セザール、下がれ」
ここからは重臣たちの軍議だ。
ガストンらは「へい」と頭を下げて下がろうとし、そこで「ヴァロン、まて」と声をかけられた。振り返れば騎士テランスだ。
「物見に出てうかつに戦うとは話にならん。敵に囲まれなかったのは運が良かっただけだ。自らの武を過信するな」
「……へい、相すいません」
この口うるさい上役の後ろでは伯爵が大げさに手のひらを上に向け肩をすくめた。そこに不快げな様子はなく口うるさい騎士テランスをからかうような雰囲気だ。
この騎士テランスも、なぜか伯爵の寵臣なのである。