31話 偵察任務
横の国への遠征より帰還中、ビゼー伯爵の軍を待っていたのは伯弟ジェラルド挙兵の報せであった。
「おのれ、あの恥知らずどもめがっ!!」
ビゼー伯爵のかん高い怒声が陣中に響く。予想されていた展開ではあるが、やはり耳にすれば怒りは湧き出るものらしい。
凶報は続々と知らされ、その数が反乱は事実であると物語っていた。敵の総勢などは不明であるものの、留守の兵では鎮圧できない数なのは間違いない。
(しっかし、さっき聞いた名前……ラポーとやらは砦の留守を任された騎士の1人じゃろう? ここまで不義理をするとは殿さまでなくとも怒るわな)
留守番が砦や兵力ごと寝返るなどガストンも呆れる他ないが、伯爵の嫌われようもただごとではない。それだけ伯爵の家来殺しや謀略を憎む者が多いということだろう。
貴族や騎士は封建的な契約によって成り立っている。それを平気で反古にする伯爵はまぎれもない悪人だった。
「おい、ヴァロン」
怒り狂う伯爵からやや離れてぼんやりとするガストンに(感情の起伏が激しい伯爵の側にはボディーガード以外はあまりいない。これでも目だつ位置である)声をかけたのは騎士テランスだ。
「聞いたな? ここから先は敵地に等しい。先に敵勢が潜んでおらぬか物見に出ろ」
「へい、承知しました」
「主の心に添うのは臣下の美徳であろうが、怒りに流されず冷静にことを運べ」
「へい、冷静に」
顔つきのいかめしいガストンは昔から黙っているだけで不機嫌だと誤解を受けがちであった。
騎士テランスも勘違いをしたようではあるが、ガストンもいちいち訂正したりはしない。
「2〜3人も引き連れて行け。オヌシが差配せよ。何事か起きても報せを持ち帰ることを上とするのだ」
「へい、報せを持ち帰ることが上」
「良し、行けぃ!」
「へいっ!」
命令を受けるやガストンはすぐに駆け出す。
これを見て、伯爵の機嫌がやや持ち直したのを騎士テランスは目ざとく確認した。計算ずくであったとすれば、この男もかなりの曲者である。
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「どうじゃ、何か見えるか?」
「うん、人が集まっとるのは見て取れるが、兵士かどうかは……数は少なくとも100以上はおるな」
しばらく後、ガストンは弟のジョスとセザール・セザールという奇妙な名前の同僚と物見に出ていた。
ちょうどよい塩梅の高台の木に登り、目の良いセザールに周囲を確認させたところ遠く森あいの村落に人が集まっているのを発見したらしい。
ちなみにガストンやジョスにはまったく判別ができない距離である。
「100人か……大した数でもねえが行軍中に噛みつかれたらややこしいかもしれん。他に何か見えるか?」
「うーん、なんとも言えん。煙は炊事だろう。数はもっといるかもしれんが――200は、どうだろうな。少なく見て100人かそのへんだ」
このセザールはガストンらと同じく小作階級の出身で年頃は20代の半ば。常備軍の古参なのだが『姓くらいなければ侮られるが、思いつかないから名前と同じで良い』と自分で姓を決めたらしい。これで侮られないと考えたあたり相当な変わり者といえるだろう。
異様に額が狭く、眉毛のすぐ上に頭髪の生え際が来る異相の持ち主でもある。その顔つきと目が良いことから『鷹の目セザール』などと呼ばれる勇士だ。
「物見は報せを持ち帰るが上だわ。ジョスは本陣に帰って村に人が集まっとることを報せろ」
「兄いはどうするんだ?」
「ここからじゃ分からんわ。近くまで寄って様子を見てこにゃなるまい。セザールはここから四方を見張ってくれい」
セザールが木の上から「道は分かるのか?」と訊ねてくるが、ガストンは目星をつけていた。方角を違えなければ迷わないだろう。
「おう、道を避けて森を通って行けば見つからずに近づけるはずだわ。目印で木に傷をつけていけば帰りも平気だしな。俺は樵だし、森歩きは慣れたもんだわ」
「そうか、この物見の頭はお前だ。報せを持ち帰るが上、いい采配だ」
急に褒められたガストンは驚きながらも無愛想に「ありがとよ」とそっぽを向いた。報せを持ち帰ることはガストンのアイデアではなく、先ほど聞いたばかりの命令である。それを褒められたことで気恥ずかしくなったらしい。
「ジョス、槍を預けとくわ。森の中じゃ邪魔になる」
「ええけど、槍なしで大丈夫かい?」
「見つかりゃ逃げるしかないわ。槍など振れるかよ」
「たしかに兄いでも100人は無理か。預かるわ」
森の中を走ることを考え、ガストンは槍をジョスに預けることにした。そして脛のあたりを縄で固く縛る。どういう理屈かは分からないが、脛を縛ると長く走れるのは経験則で知られていた。
「セザールも気いつけろよ、高台を囲まれたら逃げ場がねえ」
「これでも目には自信があるんだ。危なくなりゃ適当に引きあげるさ」
三人は互いに軽く手を上げ、行動を開始した。
森に入ったガストンは意識して枝を折り、ナイフで立ち木に傷をつけて進む。樹皮を剥がし、白くなった立ち木は夜でも目だつだろう。これは日が暮れた時の用心である。
(下草が高いな。あまり人手が入っとる森じゃねえ、好都合だわ)
人が入らないということは見つかりづらいと考えて良いだろう。
獣道を短剣で切り拓くうちに『クマやイノシシと出くわすかもしれん』と心配になったが、幸いキツネやシカを見かけたのみだった。本来ならば音をたてて獣を遠ざけるものだが物見の最中だけに難しいところである。
日の傾きを意識し、時に木に登りながら村の位置を確認する。これを何度か繰り返すうち、ついに村の様子を確認することができた。
村ではなく陣だ。それもかなり念入りに造られており、簡素ではあるが建屋と陣幕が整備され、馬のいななく声も聞こえる。浅い溝(さすがに堀とは呼べない)に粗末な柵まで備えていた。セザールが遠目に村に見えたのも納得の陣容だ。
(こりゃ敵だわな。明らかに迎え討つためのものだもの)
ガストンは立派な建屋に立てかけてある盾を見て『地は左黄と右白の片身替(左右で色違い)に鳥の紋章』と記憶した。これで指揮官が誰なのか判別するのだ。
本来なら鳥のポーズやくわえるものなどで細かく分かれているのだが、紋章官でもないガストンはそこまで詳しくはない。
(数は……よう分からなんな。数える前に散ってしまうし、建屋の中にもおるだろうしな)
ガストンは指を折りながら兵士をカウントしていたが、ついに諦めたらしい。セザールが見当をつけた『200人足らず』で納得をした。
ロクな教育を受けてないガストンは、ごく直感的な加算減算以外の計算を知らず数字にはめっぽう弱い。
(戻るころには日が暮れるか……暗くなる前には水がほしいとこだが、どうしたもんか)
ガストンは空になった水袋を振って少し悩む。
常識として陣屋の周囲には水場がある。だが、当然そこには敵の姿もあるだろう。
(陣屋から離れた場所に水場があるかのう? ニレやシロヤナギが生えとるからには小川くらいはありそうだが)
見知らぬ森で夜歩きは不可能。日が暮れれば夜明かしをすることになるだろう。わずかな携帯食はあるが、水なしでひと晩すごすのは問題だった。
ガストンは敵陣をそっと離れ、森の植生を頼りに水場を探る。
樵の知識が物見で活きるとは、人生の不思議さというものだろう。