25話 マルセルの焦り
「鬨をつくれ! 城へかかれえーっ!!」
伯爵のかん高いが良く通る声に応え、本陣の兵が『オッ!! オッ!! オッ!!』と武者押しの声をあげて歩を進める。
本陣はガストンら常備軍のみならず、伯爵家の兵や集められた雑兵、さらには騎士や従士と彼らの従者など700人に近い。
兵は戦利品ほしさに『強い主君』の元に集まるものだ。伯爵の戦力は2年前とは比べものにならぬほどに増強されていた。
「我に続けや! 進め、進めーっ!!」
伯爵は先頭で馬を走らせ、兵を鼓舞し続ける。ガストンら護衛は必死で追いかけるが、さすがに馬には追いつけない。
無謀としか思えない行動ではあるが、不思議なことに伯爵はこれまでの戦でかすり傷ひとつ負ったことはなかった。どうしたことか敵の矢がどれほど集まろうとも伯爵には当たらないのだ。
(殿さまには神さまがついとるだわ)
ガストンのみならず、常備軍の中では伯爵には神の加護があると信じて疑わない者は多い。それは一種の信仰であり、常備軍の強さの一因であった。
皆が伯爵に遅れまいと必死に駆ける。
「マルセルよ、そら出すぎだ! 足並みを揃えろ!」
「いいや、揃えねえ! 俺はやる! この戦で当ててやるわ!」
中でも本陣の先頭に近いガストンの、さらに前をマルセルが走る。さすがに危険だと諌めてもマルセルは聞く耳を持たない。
ガストンから見てもマルセルは焦っているようだ。
それはそうだろう、彼は当年で25才になる。
令和の日本人が25才と聞けば『大卒3年目』程度のことであり、そろそろ社会に慣れてきた若者だ。だが、この世界、時代に生きる者は違う。
16才前後で成人とみなされ、50才まで生きれば老人なのだ。マルセルは決して若くはない。
ガストンは確かに伯爵の側近くに仕える寵臣だ。大きなしくじりをしなければ引き立てられて出世をすることもあるだろう。
だが、自分はどうだ、伯爵の元で戦に出ても目だつ活躍をしたわけではない。このままでは埋もれてしまう――こうした焦りにマルセルは取り憑かれているようだった。
そうした複雑な心情はガストンにもかすかに理解ができる。
ゆえに強く制止もできず、2人はどんどんと前に進む。
すでにジョスは遅れを取り、いつの間にかはぐれたようだ。
「城にかかれえっ! かかれえーっ!!」
伯爵の号令と共に崩れかけていた家臣の部隊も盛り返し、攻撃を再開した。
伯爵の動きがもう少し遅ければ後続を巻きこんで瓦解しただろうギリギリのタイミングだ。こうした戦機は理屈では判じ難い。まぐれでないならば伯爵は類まれな勝負勘の持ち主と言えよう。
「あれじゃ! 槌の担ぎ手に混ざるぞ!!」
「えい、もう知らんわ! ヤケクソじゃ! 行くぞっ!」
マルセルはスルスルと味方の中をくぐり抜け、破城槌の担ぎ手に紛れ込んだ。
城門を破壊する破城槌は守勢から狙われやすく、担ぎ手はバタバタと倒れる。極めて危険な場所だ。
だが、寄せ手の最前列であるため門を破れば真っ先に城へと飛び込める。上手くすれば大きな手柄が立てられるだろう。
ハイリスクハイリターン、賭け金は自らの命だ。ガストンは破れかぶれになりながら破城槌に取りついた。
担ぎ手たちは「おーれぃっ!! おーれぃっ!!」と呼吸を合わせて破城槌を振るう。
巨大な丸太と城門は何度も衝突し、ついにバキィンとひときわ高い金属音と共に城門が歪みはじめた。閂を支える金具が吹き飛んだのだ。
(しめたわ! もう一息、あと一撃じゃ!!)
歪んだ城門を見てガストンは突入の覚悟を固めた――その瞬間、ガツンと頭に衝撃を受け、がくりとヒザが崩れた。
投石だ。城内から放たれた石がガストンの頭部を直撃したのだ。
幸いなことに兜があるために出血もなく、首も折れてはいない。
しかし、意思に反して足がガクガクと震えて動かなかった。
(やられたっ!? ここでうずくまったら矢の的にされる、後続の味方に踏まれる! こらまずい!!)
ガストンは破城槌から離れ、槍を杖がわりに城門へと向かう。
こうした戦の切所では背を向けて逃げては危険が増す。それをガストンは経験から学んでいた。
ここで二の矢、三の矢がガストンに当たらなかったのは幸運だったという他はない。
その数秒後、バキィッともドカンともつかない大音とともに城門が突き破られた。破壊された城門に真っ先に飛びこむ兵士たち、その先頭の姿を見てガストンは「アッ」と声を上げた。
マルセルだ。マルセルが真っ先に敵城へと乗り込んだのだ。
(やった! やりおったな、マルセル!)
矢の雨、槍の林をくぐり抜けての敵城への一番乗り、これは真の勇者にしか成し得ない。まさにマルセル一世一代の大手柄といえよう。
しかし、一番乗りで最も危険なのはこの後である。
「オオォーッ!! マルセル・ヴァロン、一番乗りぃーっ!!」
マルセルが名乗りをあげると同時に、待ち構えていた騎士が石火の鋭さで槍を繰り出した。
これを顔面にまともに食らい、マルセルは天を仰いでどうっと倒れ込む。
「マルセルーッ!? や、や、やりやがったな、この畜生めがーっ!!」
ガストンは頭にカッと血がのぼり、一気に駆け出した。
前にいた味方を突き飛ばし、槍を構えたまま一気にマルセルを刺した騎士へと突っ込む。足の震えなど怒りが吹き飛ばしたようだった。
槍は騎士に打ち払われたが、ガストンはそのまま槍を手放し感情に任せて体当たり気味に飛びかかる。
「うおっ!? コイツ!!」
「死ねっ、死にやがれっ!! クソったれめがっ!!」
勢い余った両者はもつれ合いながら地面を転がり、激しく上下を入れ替えながら格闘戦へと移行した。
ガストンが上から殴りつければ、お返しとばかりに騎士が下から蹴り上げる。
今度は騎士が上になりガストンの首を締めた。しかしガストンが思い切り騎士の鼻の穴に指を突き刺し、またも上下が入れ替わる。
この激しい戦いは敵味方ともに手を出すことができない。もつれ合っているところを下手に槍でも突き入れれば誤って味方を刺しかねないのだ。
戦いは一騎討ちの様相をなしていた。
上になったガストンは左手で騎士の肩を抑えつけ、右の拳骨を何度も顔面に叩きつける。ここで勝負が決まるかと思った瞬間、ガストンの左腿に鋭い痛みが走った。
騎士が下から短剣を抜き、突き刺してきたのだ。
あまりにも不自然な体勢ゆえに深くはないが、騎士も必死だ。細かく何度も突き刺してくる。
「このっ! しつけえぞっ!!」
ガストンは両手で騎士の胸ぐらを掴み、そのまま顔面に頭突きを入れた。3度、4度と繰り返すうちに抵抗は薄くなってくる。
いつの間にか騎士は短剣も手放し、ぐったりとガストンにされるがままになっていた。
「マルセルの仇じゃ!! くたばれえっ!!」
怒りに燃えるガストンがトドメとばかりに騎士の首を締めつけると、後方から「たぶん、もう死んどるぞ」と声をかけられた。
ガストンは聞き覚えのある声に驚き、ふり返る。
そこには自らの血で顔面を真っ赤に染めたマルセルがいた。
「やいやい、俺を勝手に殺すなよ」
「マルセル! お前、生きとったんか!?」
「おう、運良く槍が歯で止まったんだわ」
マルセルは指で口を押し広げ、ガストンに口中を見せつけた。
そこには槍を受けたであろう箇所の歯が、上下対になってにきれいに折れている。唇も裂けているが大したことはなさそうだ。
「歯も折れたが、後続の味方に腹を踏まれてのう……それで息を吹き返したはいいが、アバラも折れたみてえだわ。ひどく痛む」
「ほうか、俺も足をずいぶんとやられた。少しばかし重い傷だ」
「互いにボロボロじゃのう」
「ああ、ボロボロよ」
気づけば戦の趨勢は決まり、周囲は味方だけになっていた。
ガストンはマルセルの手を借りて傷の手当をし、次いで討ち取った騎士の身ぐるみを剥いでいく。勝者としての権利だ。
やや余談となるが、この騎士はアベル・タイヨンといい、ルモニエ男爵に仕え、剛の者と知られた騎士であった。ガストンも後に手柄首と聞き、大いに驚くこととなる。
「やったな、ガストン……俺はやったぞ」
「ああ、やった。大手柄じゃ」
落城する主塔を眺めながら、ガストンとマルセルはにんまりと笑い、互いの健闘を称え合った。