24話 荒縄ガストン
それは見事な城であった。
防備や規模は大したことはない。ただ、巧みに丘陵の稜線に配置された複数の小砦が連携し、常に寄せ手を挟撃する構造である。
(すげえ城だのう、味方が全く取りつけんぞ)
寄せ手の一員として伯爵の側で戦況を見守っていたガストンも呆れるほどの堅城だ。
味方は盛んに城へと攻め寄せるが、そのたびに敵は巧みに矢石を集中させ、常に横槍を入れる形で兵を進退させている。敵将もかなりの戦上手だ。
季節はめぐり、ガストンがビゼー伯爵に仕えてよりすでに2年、数々の戦に参加したガストンでもこれほど地の利を活かした山城というのは記憶にない。
「何だあの弱腰は!? 臆病風に吹かれたかっ!」
馬上では伯爵が青筋を立てて怒鳴り散らしている。この殿さまは酷く怒りっぽく口が悪い。
「怯者(臆病な人のこと)どもめがっ! 威勢の良いことを申すゆえに先陣を任せたが口ほどにもないっ! 不愉快だっ!」
伯爵に抵抗的な勢力が籠もるルモニエ男爵の居城をビゼー伯爵の大軍が包囲したのは、4日前のことだ。
初めは虎の子の常備軍を温存するために家臣の軍勢を差し向けた伯爵であったが、好転しない戦況にいらだちを隠しきれていない。
(あーあ、殿さまもそんな言いかたをしたらいかんわ……リュイソーの殿さまも他の殿さまも頑張っとるでねえか)
ガストンは口にこそしないが、下唇を突き出して不満を表明する。叱られ慣れている身としては、部下の働きが悪いと怒り狂う伯爵よりも前線で苦戦を続ける家臣らに同情してしまうのだ。
(優しい殿さまではあるけど、下の都合とか気持ちが分からねえトコがあるんだよなぁ。偉い人だから仕方ねえのだろうけどよ)
ガストンは『だから家臣に叛かれ続けるのだ』と心の内で伯爵を諌め、小さくため息をついた。
当の伯爵は「おのれ、おのれ!」と乗馬ムチを振り回しながら怒声を撒き散らしている。
現在、ガストンが憂慮するように謀反人に対するビゼー伯爵の逆襲は家臣らの激しい抵抗に遭い長期化していた。
遡ること約1年半。騎士パンをだまし討ちした伯爵の次なる手は、伯爵の元に抗議に来たモーロワ男爵(パン家の本家筋だ)を拘束。それを人質にして居城を攻略することだった。
当主を人質にされ、兵を集める間もなく常備軍に急襲されたモーロワ家は抵抗すらできずに降参。実に鮮やかな犯行である。
この悪辣な手口にビゼー家中の反応は割れた。
まず、伯爵の攻撃性に恐怖し、その気狂いじみた怒りの矛先が自らに向いてはたまらないと伯爵に忠誠を誓う者たち――これは元々伯爵の親派だった者も含まれる。
彼らには伯爵も鷹揚に接し、いままで反抗的な態度を取っていた者も「一度の過ちは許そう」と不問にした。
この勢力にはガストンの旧主リュイソー男爵の姿もある。
次は恐るべき暴君と化した伯爵に反発し、露骨に反逆する勢力。
彼らは伯弟ジェラルド・ド・ビゼーを旗印にし、伯爵の退位を要求している。つまり腹をくくって全面対決をする勢力だ。
この世界、この時代において伯爵の行いは常識では考えられない悪行であり、それと対立する勢力は理解しやすい正義である。
謀反人を成敗するという伯爵の言い分にも一理あるが、やり方がいかにも陰謀めいており過激なのだ。
ゆえに、この反抗勢力が最も数が多い。
最後は両者に属さない者。これは主に横の国の領主たちであり、混乱した伯爵家を見限ってダルモン王国に鞍替えした勢力だ。
これにより、ダルモン王国はクード川を越えて東岸まで版図を拡げている。
本来ならば王国全土に関わる危機ではあるが、安定しない横の国に対してリオンクール王国は『国土』といった意識は薄く、あまり問題視されていない。風になびく草と同じように、軍を進めればまた返ってくるモノなのである。
幸いなことにダルモン王国は攻勢に転じる気配はなく、小康状態だ。
ちなみに伯爵領の内紛には完全な中立勢力はない。いずれの領主も程度の差はあれど旗幟は明らかにしていた。
中立となれば両者と対抗できるだけの戦力がなければ第3勢力にはなり難い。どちらからも攻められる可能性がある中立路線は小領主にはリスクが高すぎるのだ。
当然、リオンクール王国内にも影響はあり、諸侯は兵こそ出さぬものの両陣営に恩を売るべく影に日向に援助を差しのべる。
この内乱は長期化し、数で勝る伯弟派が陣触れを発せば伯爵は常備軍の機動力と士気の高さで対抗し、各個撃破を続ける。
こうした展開が続き、情勢の天秤は伯爵にやや傾いた。
そして今、伯爵は反抗派の要であるルモニエ男爵の居城を包囲している真最中だ。親派の兵も結集し、総勢は実に1600人。
対する守勢はおよそ400人強といったところか。近くの村落が丸ごと城へと避難しているので、女子供も含めれば数は膨れ上がるだろう。
地の利と堅城を含めれば戦力は拮抗している。
「これ、ガストン」
怒り狂う伯爵から突然に声をかけられたガストンは「ほへ?」と間抜けな返答をしてしまった。
「そう不満気な顔をするな」
「へい、あいすいません」
内心の不満を読まれたかとガストンはドキリとしたが、伯爵の様子からは自分に向けた怒気は感じられない。ガストンは小さくホッと息を吐いた。
「戦えぬ不満が顔に出ておるぞ。剽悍(猛々しく強いこと)な男よの」
「へ、へい……そのう、お恥ずかしいことで」
「ふっふ、それでこそ戦士よ。我が家臣が皆『荒縄ガストン』であれば、ルモニエごとき一蹴したであろうな」
「そら……その、もったいねえ」
どうやら伯爵、ガストンのふくれっ面を見て『後方に下げられて拗ねている』と勘違いしたらしい。
この貴人は感情の起伏が激しく好悪がハッキリとしている。その分、ガストンのような寵臣には採点が甘いようだ。
ちなみに『荒縄ガストン』とは少々変わっているが、ガストンについた異名だ。
ガストンは折れた矢柄や鉄片などのガラクタを集める奇妙な癖があった。そして、集めたそれらは脛や鎧に荒縄で巻きつけて即席の防具とするのだ。
少々おかしな姿であり、時には物笑いの種にもなったが、ガストン本人は『ケガをするよりずっとマシだ』と意にも介さない。事実として脛を槍先で払われた時も縄はちぎれたが刃はガストンの身に届かなかった。
「ガストン、ここで味方が退くようなら本陣を前に出して押し留める。功名せよ」
「へい、承知!」
ガストンは伯爵に最も近い轡取りとか盾持ちと呼ばれる立場にある。
轡取りとは本来は主君の馬番、盾持ちは非戦闘時に盾を持つ従者のことだが、ガストンの場合は伯爵がお気に入りの兵士を護衛として側に置いているだけだ。
つまり、伯爵がガストンに『功名せよ』と伝えるのは『前に出るぞ』の意味である。
伯爵は勇敢な気質なのか、馬を前に前にと進めるので護衛のガストンも敵と槍を合わせることが多い。
「マルセル、ジョス、殿さまが前に出るぞ。遅れをとるなよ」
ガストンは振り向き、少し離れていた2人の仲間に声をかける。
マルセルは「おう」と嬉しげにニヤつき、ジョスはやや緊張の面持ちで軽く手を上げて応じた。