22話 伯爵との出会い
ビゼー伯爵の居城はガストンにとって見たこともない、石造りの城壁に囲まれた城塞都市だった。人口にして9千人は下らないだろう。大きな湖を背負い、水利と守りに活かした要害として古くより城が築かれた土地だ。
現代の日本人が人口9千人と聞けば『小さいな』と感じるだろうが、城壁の内側には驚くほどに都市機能は集中しており、外からも多くの人の出入りがある。ここは間違いなく『都市』であった。
リオンクール王国北西部の要衝だが、元々はダルモン王国の一部であった歴史があり、文化的にも物流的にも独特の発展を遂げつつある過渡期独特の活気がある。
(……コイツは、いやはや伯爵家はとんでもない威勢じゃのう)
ひっきりなしに行き交う人々を見たガストンの受けたカルチャーショックは大きい。
なにしろガストンは故郷を除けば似たような隣村や、吹けば飛ぶようなリュイソー城しか知らなかったのだ。彼の驚きたるや筆舌に尽くしがたいものであったろう。
この都市の一角は城塞となっており、そこが伯爵の居城となっているようだ。
このビゼー伯爵の本拠地は地名から城塞部と市街部ともに『ビゼー』とのみ呼ばれているが、伯爵家とも相まってたいへんに紛らわしい。今後は城塞部をビゼー城、都市部をビゼー市と記載したい。
ともあれ、ガストンは城門にて用件を告げ、ビゼー城へと案内された。
城塞部は独立した防壁の中に広場があり、兵たちが訓練に励んでいるようだ。鍛冶屋、大工、厩舎、兵舎などを備えており、都市部から切り離されても単独で籠城戦が行える構造である。
(……すげえ城だ。まるで岩山のようじゃ。人が造ったとは思えん)
ガストンのみならずマルセルとジョスもポカンと口を開け、落ち着きなくキョロキョロと周囲の様子をうかがっていた。
こうした大規模建造物は見る者を圧倒する目的もあるので、彼らの反応は建造者の狙い通りである。
「ここで待たれよ」
見るからに堅牢な石造りの主塔、その玄関ホールに通される。
案内の兵が立ち去ると、ガストンは緊張から「ふうーっ」と大きく息を吐き出した。
「うへえっ、すげえとこに来ちまったな。見ろよあの飾り、何だありゃ」
「こりゃ兄い、大出世だわ……村の衆に伝えたらひっくり返るわ」
マルセルとジョスは左右に飾られた豪奢なタペストリーに感心した様子だが、恐らくは物陰に兵を潜ませるためのものだろう。無礼を働けばタペストリーの裏側から警護の兵士が飛び出してくることを彼らは知らない。
(思い出すのう、男爵に仕えた日は外で待たされたのだったか……今回は主塔の内側じゃ、ジョスの言うとおり出世したのかのう)
それはそうだろう。
村から出てきた樵と男爵が推挙した武者の扱いが同じなはずはない。
すでにガストンは軽輩なれど、名字もあるひとかどの男であった。
ガストンは感慨にふけりながら両膝を床につき、伯爵を待った。慌ててマルセルとジョスも両膝をつく。
これはかなりへりくだった作法である。気位の高い武人であれば嫌がる者もいようが、小作人階級出身の彼らには抵抗感はない。
どのくらい待たされただろうか。
底冷えのする石畳の床がガストンらの体温を奪うころ、ドカドカと複数の足音がホールに響き渡る。
ガストンは視線を下げたまま足音を迎えた。
「なんじがヴァロンか?」
「へい、左様です」
声がかかり、ガストンは視線を上げた。
目の前にいたのは若い男だ。伯爵だろう。後に知ったが、ガストンより1才年上の20才らしい。
名をジェルマン・ド・ビゼーという。
(……小さいな)
これがガストンの伯爵への第一印象であった。背が低いのだ。
短く癖のある栗色の髪がくるくると巻いており、甲高い声も相まって若いというより幼く見える。
家臣に侮られるのも、さもありなんと納得するような容姿であった。
「ガストン・ヴァロン、後ろの2人は推挙状にあった弟に相違ないか?」
この言葉を聞いてガストンは「おや?」と感じた。
伯爵の口ぶりではマルセルまで弟であると思い違いをしているようだ。
「へい、こちらは弟のジョス。こちらは分家のマルセルでございます」
「へへえっ、ガストンらとは親同士が兄弟でした。親父が早うに死にまして、このように兄弟としてすごしております」
このマルセルの言葉にガストンは思わず『さすがマルセルだ』とうなった。とっさのウソとしては満点であろう。
近い親戚が兄弟として扱われることはよくあることだ。その場合は年上であっても分家のマルセルが弟として扱われる。伯爵も「そうか」と頷いて疑った様子はない。
マルセルの経歴詐称はここに成ったのである。
「両膝をついて我を待った心がけ、さらには一門をあげて仕えようとは殊勝(よい心がけの意)である」
「ははあっ、恐れ入ります」
「先の戦ではアテニャン家の騎士や従士を討ち取ったそうだな?」
「へい、仲間と共に」
「なかなか正直な心根だ。ムダに誇らぬのが良い」
どうやらガストン、伯爵には好印象のようだ。家臣に侮られている中、ガストンのへりくだった態度に自尊心が満たされたのかもしれない。
ちなみにアテニャン家とは先の戦いでの敵勢力だった横の国の男爵家である(より正確に言えば数家の連合軍だった)。あきれたことにガストンは今の今まで誰と戦っていたのか知らなかった。
下っ端兵士とはこの程度のものだが、その中でもガストンの意識は低めだろう。
「立て、ガストン」
「へい」
ガストンが立ち上がると、伯爵をかなり見下ろす形となった。
大柄なガストンと小男の伯爵が並ぶと大人と子供のようだ。
「大きいな、気に入ったぞ。若くして面魂がいい。戦士の顔だ」
「恐れ入ります」
「体力衆に秀で、勇気絶倫――男爵の書状を読んだときは何を大げさなと疑った。許せ」
「へい、何も怒っておりませんで」
「ふっふ、怒ってはおらぬか、これは良い」
身分も身長もまるでちぐはぐな2人ではあるが、この瞬間、妙に心通じるものを感じた。
理屈ではない。互いに『いいヤツそうだな』と初対面ながら好意をもったのだ。
無理に理由を考えるのならば、伯爵が自身に対しての侮りをガストンから感じなかったことだろうか。
この若者は家臣からの侮蔑に近い感情にさらされ続け、過敏になっていたのだろう。そして、それはガストンの出自の卑しさ、貴族に対しての心に染みついた畏怖と絶妙に噛み合った。偽りのない敬意を感じとったのだ。
一方のガストンも伯爵の柔らかな感情に触れ『優しそうな殿さまだ』と尊敬の念を抱いたのである。
「案内をさせる、今日は兵舎で休むがいい」
「へいっ、かたじけのうございます」
ガストンが深々と頭を下げると伯爵は満足気にうなずき、きびすを返した。護衛と思わしき家来たちもそれに続く。
「やったな、ガストン!」
「兄いはすげえわ、俺は誇らしいわ」
静まり返ったホールに、快哉を叫ぶ声が響く。
案内のために残った騎士が呆れたように肩をすくめた。