105話 ガストン卿
『ダルモン王国の大軍がエペ城に攻め入るも、剣鋒団はこれを破る』
『ガストン・ヴァロンは一騎討ちにて敵の将たる騎士アテニャンを討ち取る』
現地のみでなくリュイソー男爵や騎士ドロンからも続々ともたらされた勝報を聞き、ビゼー伯爵はまさしく狂喜したと伝わる。
自らが考案し、選抜し、鍛えた剣鋒団なのだ。
特にガストン・ヴァロンはビゼー伯爵自身が取り立てた最古参の団員である(途中で追放されているが)。
それが自らの意を汲み、小生意気なアテニャン家を叩き潰した――ちなみに、ビゼー伯爵はガストンら剣鋒団は自身の命令により周辺領主と交戦していると信じているので、ここには誤解があるが、とにかく嬉しくないはずがない。
「ガストンに城をくれてやろうか」
ビゼー伯爵はこう口にしたとされるが、所領のないガストンが城の維持などできるはずがない。
つまり、それほど上機嫌だったということだろう。ムリもない。
そして、ビゼー伯爵は褒賞として剣鋒団には銀貨を、百人長らには特別に盾を贈った。
ガストンらが使う無地の盾ではない、紋章入りの盾である。
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(盾に紋章、ねえ)
ビゼー伯爵から贈られた盾を眺め、ガストンは首を傾げた。
立派な盾である。
上は丸く下部は尖ったアーモンド型、いわゆるカイトシールドだ。この細長い形は騎乗で騎士の足を守るのに適している。
そして表面には濃緑の下地に黒く塗られた大木と斧がならんだ意匠が描かれていた。おそらくガストンの出自が樵であることに由来するのだろう。
本来、紋章とは貴族のモノだ。庶人であるガストンにはピンとこないが、自らのルーツ、領地、地位などを表す権威の象徴といえる。
それゆえにリオンクール王国では紋章院によって管理され、新しく作成する場合も紋章学の厳格な規則に基づいて作られ、紋章院によって承認された。
しかし、今回はビゼー伯爵が勝手に作成し、部下に配ったのである。
明らかに権威への反逆であり、ルール違反だ。
ビゼー伯爵は明らかに王国から独立した動きをアピールしていた。これもその一環なのだろうか。
とはいえ現状のリオンクール王国にはビゼー伯爵を罰することなどできないのが現実であるが……
それはさておき、盾である。
ガストン以外にも、ミュラには交差する剣と麦穂が、バイイには三角に配置された3つの塔が描かれた盾が与えられた。下地はすべて濃緑だが、これはビゼー伯爵が考える剣鋒団のイメージカラーなのかもしれない。
ちなみにマルセルはガストンと同じだ。ヴァロン家の家紋ということなのだろう。
「これは、大変なモノをいただきましたな……この紋章は絶家した我が一族本家のものです」
ミュラは感慨深げに盾を見つめ、声を震わせた。
紋章というものにピンとこないガストンやマルセルとは違い、ミュラもバイイも感じるものがあるらしい。
これを届けた伯爵の従騎士も満足げである。
育ちの差、というものだろうか。
人は初めから関わりないものにはさして執着はしない。
たとえば猿から「尻尾がなくてツラいか?」と問われて悲しくなる人は稀だろう。
ガストンやマルセルはそれだ。
だが、従騎士の家に生まれ、ルーツとして紋章は伝えられても公式の場では使えない――そんな微妙な身分で育ったミュラやバイイからすれば、これ以上ない褒賞になったようだ。
しかし、ガストンやマルセルもまた、使者が言葉を継いだ瞬間、目の色が変わった。
「我が主はヴァロン卿の活躍に大変な喜ばれようでした。今後はその武威でドロン卿を助けよと仰せでございます」
「……! こ、これはこれは立派なものをいただき、まっことかたじけのうございます。これよりも骨身を惜しまず働きまする」
伯爵の使者とガストンは如才なく挨拶をしたが、ガストンの内心は飛び上がらんばかりに驚いていた。
(卿、卿? ヴァロン卿!? 俺が、卿だと!?)
そう、ガストンは生まれて初めて『卿』という敬称で呼ばれたのだ。
この使者とてガストンと同じくビゼー伯爵に仕える従騎士。序列の差こそあれど、身分としてはガストンと同格である。
それがガストンを持ち上げて『卿』と呼んだのである。ある意味でこれが紋章のもつ権威というものだろう。
今後、ガストンらこの場の百人長は領地こそないが半ば貴族のような立場だと認識されるのだ。
紋章とは貴族のものだからである。
その後、ガストンが使者にどのような受け答えをしたか、自分でもよく覚えていない。
フワフワとした、どこか現実味のない心持ちであったのだ。そしてそれは、他の百人長も同様だったろう。
その夜、ガストンとマルセルは珍しく2人で酒盛りをした。
義兄弟2人の小さな酒宴である。
「やっ、これは酒杯が空いておりますぞガストン卿」
「マルセル卿、これはかたじけなし。さ、マルセル卿も早く酒杯を空けられよ」
「ガストン卿に酌をしてもらえるとは出世はしてみるものでござるなあ!」
「まさによ、出世はしてみるものでござる。さすがマルセル卿は良いことを言う」
「ひっひっひ、さて、またまた乾杯と参ろうかガストン卿」
「うむ、ではマルセル卿に」
「ああ、ガストン卿に」
余人が見れば呆れるような酔体だ。
酔っ払い同士の、他愛のない子供じみた遊びである。
だが、立身を夢見た2人の志は成ったのである。
領地もない、俸給が増えたわけでもない。
ただ手に入れたのは紋章という権威と名誉だ。
2人は夜が更けても盾を肴に酒杯を傾けた。
この美酒の味は生涯でも忘れ得ぬものになったに違いない。
今回の更新はここまでとなります。
やっとタイトル回収できました…