103話 密使
「いやあ、あのアンドレはすごいのう! ええのを雇い入れた! さすがはガストンじゃ!」
こう喜ぶのは在庫管理で苦しんでいたマルセルである。
なんでも新しくガストンに仕えたアンドレがマルセルを補佐し、管理の現場に驚くべきブレイクスルーをもたらしたのだそうだ。
とはいえアンドレが行ったことで特別なことは何もない。
簡単な帳面を作り、帳面上で在庫を足し引きして数を把握できるようにしただけである。
あとは資材、食材、消耗品などメチャクチャに並んでいた物資を整理したくらいか。
だが、今までガストンやマルセルは混在する物資を指差し数えていたのだ。しかも面倒になれば「この山が10、山が3つと半分。残りの在庫は山3つ」という粗雑さである。
これでは『炊事の薪はあと何日分』などと予想できるはずもなく、常に何らかの物資は在庫過剰か不足という体たらくであった。
こんな状況にあって、品目ごとに整理し、帳面をつけて管理するアンドレの効率の良さは比べものにならない。
アンドレから「薪はあと7日分ですね。もう少し備蓄しますか?」と訊ねられた時のマルセルの衝撃たるや、火の扱いを知った原始人に等しいだろう。
なぜマルセルが帳面程度のことに気づかなかったのか?
そもそもマルセルは満足に読み書きができなかったのだ(多少はできるらしい)。
これはおかしなことではなく、豪族領主でも『読めるのは自分の名前だけ』という者も少なくない。
さらに足し算引き算などは石を並べて計算できれば御の字だ。
読み書きのできるガストンですら「帳面のう、気づかなんだわ」と感心する始末である(そもそもアンドレが帳面として用いているワックス板をガストンらは持っていない)。
この反応に隊商で鍛えられてきたアンドレは苦笑する他はない。
「これからは学のある家来がいると思い知ったわ。今じゃウチの若い衆をアンドレの下で働かせて学ばせとる」
「そりゃええな。マルセルの家中でも算術ができる者が増えりゃ頼もしいわ」
「しかし戦に商いの技が使えるとは気づかなんだな。なんでも経験してみるもんだ」
アンドレを紹介した後、ジョスは「工事の邪魔したら悪いから」とすぐに帰ったのだが、それ以来2人はずっとこの調子だ。
末弟のジョスから推挙された人材というのも2人の琴線に触れたのかもしれない。
そんな中でも突貫工事は続く。
エペ城は建屋や造り替えられた城門などが完成し、城としての輪郭は完成の目処がついた。
あとは少しずつ壁を石造りとしたり、屋根を瓦葺きにしたりと改善を加えていくのみである。
工事の進捗に伴い大工や人足、それに輸送専門の輜重隊も数を減らしはじめた。
逆に礼拝堂を管理する助祭や、雇われの鍛冶屋が鍛冶場に入る。
城が機能し始めたのだ。
定住者たちの集落も徐々に拡がり続けた。
スパイを用心してダルモン王国側からの流民は受け入れていないが、ビゼー側から逃散した貧民が紛れ込んでいるのは間違いない。
いつの間にか現状で32戸にもなり、小規模な城下町とでも言うべき村落を形成しはじめた。
これを防衛するために住民たちは浅いながらも堀を切り、木柵、門、見張り櫓を立てる。
簡素な守りだが、これは敵の攻撃を防ぐと言うよりは住民が避難するまでの時間稼ぎという意味も大きい。
戦になれば住民は城へ逃げる。城下町とはそういうものだ。
農地からはまだ満足に収穫はないが、川漁や周辺での狩猟採集で生活は安定しつつある。
そして、相変わらずビゼー伯爵からの気まぐれな攻撃指示は続くが、これは百人長で話し合った結果『黙殺』と結論づけた。
とはいえ無視や虚偽の報告はできないので、実際に起きたことを派手に記すのである。
このあたりもミュラやバイイが上手いことやってくれた。
たとえばミュラが警戒の網を広げ、少し遠出をした時は『当方よりアテニャン側へ兵を出し大物見(威力偵察)を行った』といった具合だ。
まさに針小棒大ではあるが、今までガストンが真面目に報告していたこともあり、意外なほど信用されているらしい。
真に受けた騎士テランスから『バイイがおりながらなんたる軽挙か』『すぐさま軍を止め、城の守りに専念せよ』と繰り返し連絡がきたほどである(これも百人長たちから黙殺されたようだが仕方ないだろう)。
そして、城の完成まで順調に運ぶかと思われたころ、思わぬ密使が現れた。
ニコラ・ギユマンである(51話、63話)。
「やあヴァロン、久しいな。オマエが城主とは驚いた。立派な城だ、これは力攻めでは落とせんなァ」
密使とはいうものの、ギユマンの態度は堂々たるもの。ガストンら百人長が並ぶ前で怯んだ様子はまるでない。
今日は角兜は被ってないが、相変わらず大きな肩幅で樽のような印象の体つきだ。
城では他の兵士に姿を見られているはずだが、ギユマンを見て怪しむ者はいないだろう。
まるで密使というイメージにはそぐわない男だ。
「いや、城主ではねえ。築城を任されただけだわ」
「そんなものは外からは分からん。オマエが城主だと聞いて我が主はワシを使わしたのだ。オマエが城主でなければワシは困る。まずは城主として聞いてくれるか」
「うん、困らせちゃ悪いし聞こうか」
ガストンは知り合いを困らすのは本意ではないため、ギユマンの話を聞くことにした。
だが、これは外部に向かって城主を僭称したのであるから、ミュラやバイイが眉をひそめるのもムリからぬことではある。
「実はな、我が主プチボン男爵にこの城を攻めよと命が下された。ダルモン王からだ」
この言葉には皆が色めきだった。
ダルモン王国からの攻撃となれば何千人もの軍勢が――プチボン男爵が率いる周辺領主の混成軍だとしても1000人は下ることはない寄せ手がエペ城を囲むだろう。
ガストンもそう予想したのだが、ギユマンの言葉はまるで違った。
「バカげておるとは思わんか。ダルモン王国は内乱(69話)でボロボロ。戦など誰もしたくない。金も兵もない」
「なるほど、ダルモンが揉めとったのは俺も知っとるわ」
「そうだろう。なのにバカ王はドロンの家令やアテニャンやらオータンやらの小領主にせっつかれて、ビゼー伯爵の侵攻を信じ込んだ。もしくは信じたフリをした」
ちなみにオータンとは、アテニャン家の隣にある騎士家である。
ガストンは知らぬ間にオータン家の偵察隊とも戦っていたようだ。
「ギユマン、バカはまずかろう。自分のとこの王様じゃろう?」
「ふん、ワシの主君はプチボン男爵のみだ。ダルモン王など知ったことか。話の腰を折るな」
「いやスマン。ついな」
「うむ謝罪は受け入れよう。とにかく、ダルモン王がこの城を攻めようにも兵がまともに集まらん」
「ふうん、難しいとこじゃのう」
「そこで、この周辺の旗頭たるプチボン男爵家にこの城を攻めよと命を下したのだ」
ガストンは「はて?」と首を傾げた。
ダルモン王ですら兵が集まらぬのにプチボン男爵に『兵を集めて攻めろ』というのは不自然である。
だが、それを指摘するとギユマンは「それだ」と吐き捨て鋭く舌打ちした。
「我が主は当代の王を見限っておる。ゆえにジャン2世王(ジャン・ド・ダルモン。69話参照)を支持しておった。これは意趣返しなのだ。我が主がビゼー伯爵と戦いすりつぶされるのを望んでおる。今の王は油虫のようなヤツだ。嫌われ者のくせにしぶとい。ウンザリだ」
話しているうちにギユマンも熱くなってきたらしく、ダルモン王への舌鋒は鋭さを増す。
しかし、さきほど『話の腰を折るな』と言われた手前、ガストンら百人長は視線を合わせて肩をすくませるのみだ。
「そこでだ、ヴァロンよ。我らと馴れ合い戦をしてくれんか?」
「馴れ合い戦?」
「そうだ。我らは周囲の領主と力を合わせて兵を出す。まあ棒切れを持った百姓だ」
「うん、それで?」
「それでな、城に臨んで『エイエイ』と鬨の声をあげるから、城からも応じてくれ。矢なども射るやもしれんが、まあ馴れ合いのうちだ。そのうち帰るから見逃してほしい」
「ああ、分かった。馴れ合いとはそういうことかい。それならやったこともあるわ」
合戦とは何も血を流して干戈を交えるばかりではない。
テリトリーの誇示や、武威をしめすために兵を集め、互いににらみ合うだけの政治的なパフォーマンスとしての出兵も多いものだ。
これはガストンも経験済み(30話)である。
「我らばかりでもなく、オマエさんたちにも利があるだろう? ダルモンの軍勢を撃退するのだ。武功になる」
「ま、そりゃ確かにな。ちょっと待ってくれ、相談したい」
ガストンは振り返り、他の百人長らと向かい合った。
「ま、いいんじゃねえか? 俺たちに損はねえ」
マルセルは簡単に答えるが、ミュラとバイイは思案顔だ。
「悪くはない。だが、これが我らを油断させる策略であることも想定せねばならん。すぐに戦支度を整え、ビゼー城にも『大規模攻撃の前兆あり』と報せるべきだ」
ミュラは慎重ではあるが反対というほどでもないらしい。
「……その要求を飲む場合、プチボン男爵はドロン男爵領の家督争いに手を出さぬと要求するのはどうだろうか?」
バイイは無言のままじっと考え込んでいたが、口にしたのは大胆な要求である。
もちろんギユマンにも聞こえているので「むむっ」と小さく唸り声をあげた。
「どうだギユマン。ドロン男爵領は今、幼子が家を継いだから揉めておるのだわ。そこにビゼーの殿様がちょっかいをかけておるのだが、これをプチボン様は見逃してくれるかい」
「ふうむ、なるほどなァ。オマエさんらもさすがに強かだなァ」
ガストンからの要求に、ギユマンは「困ったなァ」と首の後ろをペチペチと叩く。
「我が主はドロンの争いに興味は無さげだから、まァ、大丈夫だろうが……ワシがここでは返事はできん。ひとまずは持ち帰るが、大丈夫だとは思うぞ。損をする話ではないからな」
「そうだな。こっちも損はねえ」
「ふっふ、なるほど。互いにいいとこ取りだ。こりゃ参った、参った」
ギユマンは不思議なおかしみを感じたらしく「また連絡する」と上機嫌で帰っていった。
ミュラが「不思議な御仁ですな。ガストン殿の顔なじみですか?」と首を傾げるのもムリはない。
密使というには、あまりにもあけすけなギユマンである。
「うんまあ、馴染みというか、アイツとは一騎討ちもしたし、捕虜にもなったこともありましてな。不思議の縁なのですわ」
「ははあ、なるほど?」
ミュラはイマイチ理解が及ばない様子だが、この関係に名前をつけるなら『腐れ縁』であろうか。