101話 騎士の病
それからしばらく経ち、ガストンのいら立ちもピークに達するころ、ようやく後続の軍勢が到着した。
剣鋒団の百人隊が3つ、輜重隊や各隊士の家来なども含めて300人に近い軍勢である。
「ヴァロン殿、お迎えかたじけない」
「いやいや、そちらもドロン領への遠征は骨折りでしたのう」
如才なくガストンへ挨拶したのはレノー・ミュラ。
ちなみにローラン・バイイとは無言で会釈を交わしたのみだが、これはガストンに隔意あってのことではなく、口数が少ない人柄によるものである。
2人ともガストンやマルセルと似た年頃のはずだが、ミュラは落ち着いた黒髪と整えた口ヒゲの印象で年上に見え、逆にバイイは明るい髪色と薄いヒゲで若々しい印象だ。
(おや、マルセルがずいぶんと大人しいじゃねえか)
見ればマルセルは遠慮をして後ろで控えているようだ。
ガストンとは身内であるが、ここで前に出てきては先輩格のミュラとバイイに対して角が立つ。これはマルセルの配慮だろうか。
「ミュラ殿、バイイ殿、互いの近況をすり合わせたいところですが、まずは旅の荷をお解きくだされい」
「助かります。兵も足を使い続け疲れておるでしょう」
「お二人には塔を用意しとりますで、そこを家来衆とお使いくだされ。団員は兵舎に案内いたす」
塔とはいえば聞こえは良いが、これは大きな見張り櫓に壁を張り、それに土を塗った程度の急普請である。
しかし、未完成の城にあって重要施設を1棟まるまる預けるというのはかなりの厚遇であり、これは主塔を預かるガストンなりの誠意というものであった。
ここにミュラとバイイを配置すれば自然と見張りも兼任するため城の防衛にも具合がよい。
「やい、ガストン。俺には塔がねえのか」
ミュラとバイイに案内を立て見送ったのち、ガストンにマルセルが話しかけてきた。
軽口は相変わらずだが、見るからに顔色が悪く、槍を杖のように突いている。
「どうした、手傷を負ったか?」
「いや、そうでねえ」
「なら病か?」
「病、うーむ、病といえば病だな」
「なんじゃい、もったいぶるな。お前の体が悪けりゃ俺も働きようが変わるというもんだわ。重いのか?」
「いやな、長いこと馬に乗っとる間に尻を痛めたんじゃ。もう痛くてたまらねえ」
これは痔である。
意外に思われる向きもあるだろうが痔を患う騎士は多い。
革張りの馬鞍は硬く、長時間の騎乗により血流が悪化するためであろう。
医療が不十分な世界では、たかが痔と侮ることはできない。
腫れ物が裂ければ激しい痛みや出血が伴い、悪化を放置すれば感染症や出血多量で死に至るケースもある恐ろしい病であった。
「よくねえな。そんなに痛むか」
「まあな、鞍に布を重ねて柔らかくしたけどなぁ。変わらんわ」
「そりゃ気の毒じゃが、戦はできるのかい」
「うん、まあ、目や口はなんともねえしな。城で指揮するのは問題ねえが、踏ん張りが利かねえし、駆けたり跳ねたりはキツい。できりゃ力仕事は勘弁してくれるか」
「はは、そりゃ夜道に松明。倉の仕事をしてくれるかい。力仕事は若い衆にさせりゃええ。食い物や材料の数をな、数えてほしいのよ」
「倉かぁ、倉ねえ。ま、仕方ねえな。痛む尻にゃ代えられん」
こうしてガストンはマルセルの痔病のおかげで物資の管理から半分くらいは逃れたのである(さすがに城の責任者としてすべて放棄はできないが)。
マルセルの算術はガストンを超えるモノではないが、単純に人手が増えれば仕事は減る。
ちなみに『夜道に松明』とは、何か問題がある時にちょうど良い助けが来た時の慣用句だ。
日本風に言えば『渡りに舟』であろうか。
「しかし、お前さんも要領がよくなったのう。俺の尻にかこつけて倉を任すのかい」
「まあのう。俺1人じゃなかなか手が足らんし、最近はなるべく仕事は任せるようにしとる」
「ええことだわ。なんでも自分でやるのが楽だが、そうもいかんしな。体は1つしかねえ」
ガストンはマルセルの体調を考え、倉庫に近い兵舎をマルセル主従に明け渡すことにした。
エペ城では炎症止めのハーブを煮出して飲む以上の治療はできない。なるべく安静にして医者に診てもらう他ないだろう。
(それにマルセルの家中は粘り強えからのう。倉の守りにゃピッタリかもしれん)
マルセル流のヴァロン家は故郷である沢の村の出身者か、女房の血縁者でガッチリと固めているのが特徴だ。
こうした集団は味方を見捨てることはしない。なぜなら1人で逃げようものなら『あいつは俺の親父を見殺しにした』『弟が死んだのはあいつが命令違反をしたからだ』などと後々まで身内から恨まれることになるからである。
現代日本人から見れば息苦しい人間関係ではあるが、こうした『裏切らない身内』というのは実に頼もしいものでもある。
マルセルの家来衆は倉庫が戦闘や火災に巻き込まれても粘り強く抗うだろう(皆で逃げるとなれば、この限りではないが)。
こうして何となく城の守りは担当が決まっていく。
次々に団員や兵士たちも兵舎があてがわれ、手狭ながらも露天で野宿するような者はいない。
これはガストンが優先的に兵舎や厨房を直し続けた成果である。
「今は手狭だがのう、ここから輜重隊はリュイソーのお城と往復するわけだ。そうなりゃ少しはましになる。気にするほどでもねえ」
ガストンが誰に聞かせるでもなくつぶやくと、傍に控えていたスカラベが「まったくだ」とわけ知り顔で頷いた。
この老人、何をするでもないが年だけは重ねているのでいつの間にか『ヴァロン家の長老』のような顔をしてガストンの傍にいることが増えた。
他家や剣鋒団員からすれば『ガストンの知恵袋』のように見えているらしい。
これもヴァロン家が大きくなり役割が増えたことで、ドニも従士長として忙しく働くことが増えたためだ。
こうした振る舞いをするスカラベの世渡りや要領の良さはなかなかのものである(もっとも、こうした小ズルさのせいでドニとは折り合いが悪い様子だ)。
「親方は兵舎を急いでこしらえてたけど正解だったねえ」
「まあのう。やっとの思いで城に着いたのに野宿じゃガッカリしちまう。そうなりゃ肝心の戦働きにも障りがでるからのう」
下情に通じるガストンだからこそ、衣食住がいかに人として必要不可欠なものかは熟知していた。
現在は400人以上も寝泊まりしている城内だが、これは輜重隊、人足、大工などの非戦闘員を含む数だ。
剣鋒団やその家来に限れば250人を超えるくらいか。城がある程度完成すれば人の数も落ち着くだろう。
「スカラベよう、ヒマをしとるならミュラ殿とバイイ殿、あとマルセルもな『落ち着いたら主塔で会議をする』と伝えてきてくれい」
「あいよう。時間は適当でいいのかい?」
「ま、あまり急かすのも悪いわ。飯時にでもするかい。厨房にも伝えてくれ」
スカラベは「それじゃあ行ってくるよ」と、もたもたと向かう。
思えば乞食として育ち、貧しい老兵だったスカラベが晩年に従士となったのだ。そして腕っぷしではなく、才覚のみで働いている。
彼もまた、下っ端の兵士たちが憧れる成り上がり者の1人には違いない。
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「それじゃあ、ドロン様は不首尾でしたかい」
「いや、そうとも言い切れんが……切り崩しには時間がかかるゆえ、すぐには難しいだろう」
ミュラが言うには騎士ドロンの乗っ取りはスムーズに進んでいないらしい。
ごく一部には賛同者がいるそうだが、ドロン男爵にはレルレという支族があり、これが幼君派として頑張っているようだ。
「レルレ……レルレねえ、そう言えばレルレって使者が来たことありましたわ」
「うむ、一族の者であろうな。こちらの戦力を探っておるのだろう」
ガストンはミュラやバイイを迎えて食事をしながら会議を行なっていた。
マルセルは椅子に何枚も布を敷いているが、なかなかにツラそうである。
「む、美味い」
無口なバイイが汁をすすり、思わずといった風情で声を上げた。
食事内容は陣中でこさえた汁物に堅焼きパン。これに野菜の漬物か干し肉が添えられる程度だ。
だが、この汁物はなかなか凝っていてクード川の魚や近隣で穫れる鳥獣香草が、具材が足りない時には乾燥豆、野菜の漬物、干し肉も使われている。
ようはごった煮なのだが、見た目はともかく複雑な味わいでポトフやカスレの原形のような料理だ。
ランヌ城では山の獣、エペ城では川の魚、調理法は同じでも具材が違えば料理は変わる。
「お口に合えば何よりですわ。向こう岸で育った俺は魚は慣れとりますが、ダメな者もおるようですでな」
ガストンの言葉にバイイは無言で頷く。愛想と言うものがまるでない男だ。
マルセルが「村にいちゃ、こんな良いもんは食えんがのう」とボヤいたが、これは事実でもある。
「いや話が逸れましたが、こちらも上手くねえのですわ」
「と、申されると築城に問題でも?」
バイイが無口であり、身内のマルセルが控えているとなると、会話は自然とガストンとミュラで交わされる。
「たしかに築城は遅れておるのですが、それは邪魔されておるからなのです。実はアテニャンという領主とこじれましてな――」
ガストンがこれまでの経緯を説明すると、ミュラが「それはまずい」と小さく唸った。
「下手をすればドロン男爵とアテニャン家に挟撃されかねん。とはいえ、こちらから手出しをしてはダルモン王国も黙ってはおらんだろう」
「そう、難しいところで。アテニャン家とはビゼーの殿さまが交渉しとりますが、工事の邪魔は続いておるのですわ。どうにも他の家からも手出しされとるようで」
ここで珍しくバイイが「ならば警備を厚くするべきだ」と発言した。
「ミュラ殿が工事の警備を、私がリュイソー男爵領との補給路を守ろう。ヴァロン殿は――いや、ヴァロン殿が2人いては紛らわしいが……」
そう、この会議にヴァロン殿は2人いるのだ。
このバイイの発言には全員が吹き出して笑った。
本人は冗談を言ったつもりはないだろうが、3人は普段無口なバイイからの言葉に不意を突かれたのだ。
「いや、失礼しました。俺らのことはガストン、マルセルとお呼びくだせえ」
「……承知した。ガストン殿とマルセル殿が城を築く、ミュラ殿と私が守りに着く」
照れ隠しか、珍しくバイイが多弁になり、ガストンはなんとなく『なんとかなりそうだ』と胸をなでおろした。
今回の連続投稿期間は短いです。