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青と白のラブオール  作者: ぼんじり
8/12

7 回りはじめて、回りつづける

 宿泊所の部屋には二段ベッドが左右壁際に二台ずつ設置されてあり、部員数八人の芦田之卓球部は、一部屋におさまった。


「来ました! SSランク!!」


 二段ベッドの上で龍平は歓喜の声をあげた。二段ベッドの下の拓真は、「うっせえ」と上段を蹴り上げた。


「まじかよ、岡! ちょっと貸せ」


 隣のベッドの上で、杉崎は言った。ふたりは夕食中スマホゲームの話題で盛り上がり、入浴後、部屋に戻ってもその熱は冷めなかった。

 拓真は対角のベッド上段に目をやった。村田はこちらに背を向けて横になっていた。眠っているのか定かではないが、ひとりおとなしかった。残りの四人はベッドを出、部屋の中央でトランプに興じていた。

 スマホのゲームにもトランプにも、拓真は参加する気になれなかった。


「おれ洗濯物見てくる」


 誰に言うでもなく告げると、ベッドから降り、拓真は部屋を出た。ペタペタとスリッパを鳴らしながら、洗面所に併設されている洗濯場へ行く。唸りを上げ、洗濯機は小刻みに震えていた。電光表示を見ると、残り五分だった。

 拓真は並ぶ洗濯機に寄りかかり、洗濯が終わるのを待った。洗濯機と洗濯機の隙間に、蜘蛛の巣がはっており、洗濯機の振動とともに揺れていた。案外丈夫なものだと思った。いくら揺さぶられても、蜘蛛の糸は柔軟に耐え得るのだ。

 練習が終わってから、村田の疑問はずっと拓真のなかで渦巻いていた。

 ふと、龍平ならどう答えるだろうと思った。単純な彼のことだから、さほど考えもせずに、世界チャンピオンと大言壮語でも吐くかもしれない。

 拓真は親指の爪を噛んだ。どうあがいても叶わない目標など、冗談だとしても口にできない。ある意味で、それが龍平との実力差にあらわれているように思えた。


「おつかれ」と、洗面所に村田があらわれた。


「お疲れ様です!」


 とっさに拓真は口元から手を離した。いくぶん居たたまれなくなった。休憩中の一件から、村田に接しづらくなっていた。電光表示はあと二分だった。

 あくびをすると、村田は歯を磨きはじめた。ぼんやりとした表情を浮かべ、鏡を見ていた。流れるのは、洗濯機と村田の歯を磨く音だけだった。

 手持ち無沙汰のあまり、拓真はジャージのポケットに手を突っ込んだ。当然ポケットは空だった。スマホを持ってくるべきだったと後悔した。残り一分ほどになって、部屋に戻る気にもなれなかった。

 拓真は村田を盗み見た。今なら訊けるかもしれない。


「あ、あの、村田さんっ」


 思い切って声をかけた。「ん?」と歯ブラシをくわえたまま、村田は振り向いた。

タイミングを誤ってしまった、と拓真は続く言葉が出てこない。「え、えーと……」間をつなぐように目を泳がせた。


「ん」と、村田は口から泡をはみ出しながら、顎で洗濯機を指し示した。何かと思って見やれば、洗濯が終了していた。「あっ」、とあわてて拓真は洗濯機の蓋を開け、上部に取り付けてある乾燥機に中身を移した。合宿中の洗濯は、その日の練習終了後に部員らから洗濯物を集め、一年生が行う。練習着やらタオルやら下着やら、今日は初日だからある程度の量で済んでいるが、明日はもっと増えるだろう。湿った衣類を押し込んで、スイッチを入れると、重々しく乾燥機は回りはじめた。

 再び村田の様子をうかがい、うがいし終えたのを見計らうと、拓真はあらためて訊いた。


「村田さんは、卓球どこまでやるつもりなんですか」


 正直いまだに、どこまで、の意味をきちんと理解していなかったが、村田に見本回答を出してもらえれば、自ずと自分の答えも見えてくるはずだ。


「俺? あー」


 村田はいったん拓真から視線を外し、またすぐに戻して言った。


「普通に来年引退したら辞めようと思ってる。受験で忙しいだろうし」


 そう言うと、村田はあくびをした。


「そ、そうなんですか……」


 村田の返事は思いのほか単純だった。拓真は難しく考えていた自分が馬鹿らしくなった。


「それはそうと、浦野、なんで戦型変えた?」


 おもわず「え」と、口からこぼれた。これはまた思いがけない質問だった。


「総体が終わってから、島田先生に変えないかって言われて……それで変えました」


「ふぅん、それだけ?」


 村田は探るような、見透かすような視線を向けてきた。どこまで話すべきか、拓真は逡巡した。相手の質問の意図が読めないぶん、返答にためらう。


「左のカットじゃ、この先厳しいと思ったんです。ドライブのほうが、左を活かせるんじゃないかって」


 これで理由の三割くらいだろうか。村田に戦型転向の是非を相談したことはないが、いったいどう思っているのだろう。訊いてみたい反面、答えを聞くのが怖い。


「それさ、今さらじゃない? 本当に左利きなのが理由なら、とっくに変えてるでしょ」


「中学までは、ほんとになんとも感じませんでした」


「感じないっていうか、なにも考えてなかっただけじゃなくて? 普通に試合に出られて、普通にそこそこやれて、それなりに勝てたら、俺は十分だと思うけど」


 どうして先輩は意地の悪い言葉ばかり投げかけてくるのだろう、と拓真は思った。


「村田さんは、戦型転向は反対でしたか?」


 まったく今さらである。しかしこのまま曖昧にして、もやもやとした想いをかかえたくなかった。


「俺は賛成だよ。自分が左なら絶対ドライブだね」


 村田はあっさりと言った。それならば、なぜこんな後輩が不安になるような話を振ってきたのか。


「浦野は知ってるかもしれないけど、俺、中学まで仙台のクラブチームでやってたんだ」


 拓真は小さくうなずいた。憶えている、小学生のころ仙台での大会に出場していた村田の姿を。そのころの村田と試合をしたことは――たぶんないと思う。


「面倒なことに、園日ヶ丘の澤村も同じチームだった。まぁ、やりはじめたのは向こうのが断然早かったけど」


 澤村は、小学生のころから県内ではスター選手だった。両親が元実業団の選手で、幼いうちから英才教育をほどこされていたという。幾度も県代表として全国大会に出場し、ランキング入りしている。拓真も卓球をはじめて間もないころから、大会ではもちろん、しばしば卓球専門誌で澤村を目にしてきた。


「同い年なのにめちゃくちゃ上手くて、俺も全国に出たい、澤村に勝てるようになりたいって、練習した。けどそれもせいぜい一年くらい」


 村田は足下に視線を落とし、小さく笑った。遠い過去を眺め、自分を憐れんでいるようだった。


「たとえ同じように四六時中卓球のことを考えていても、あっちはコーチや練習相手と暮らしていて、いつでも家で練習できて、本人にセンスだってある。卓球のためなら、すべてが許される、そんな家だ。逆に卓球でちょっとでも手を抜いたらジ・エンド。まるで自分が選手みたいに親が気合い入ってた。息子はそれを上回ってたけど。まさにリアル巨人の星」


 と言って村田は、あっ巨人の星ってわかる? と言い加えた。


「クラブのゲーム練習で試合するたびに、差が縮むどころか自分が弱くなったような気がしてた。なんど自分のラケットをへし折りたいと思ったことか」


 くくく、と村田は肩を揺らして笑った。拓真は笑えなかった。村田の言い分を肯定したくなかったが、かといって否定もできない。拓真には、村田の語る経験や気持ちに、なんとなく思い当たる節があった。


「おまえならわかると思ったんだけどな。中学から岡とやってきたのなら」


「どういうことですか?」


 きちんと踏み込んでみたくて、素知らぬ振りをした。


「世の中には、もってるヤツともってないヤツがいる。これは俺の持論な。おまえがどう思おうと関係ない。澤村はもってて、俺はもってなかった」


「もってるっていうのは、才能をですか?」


 それならば、大切なのは才能ではなく努力だと真っ向から否定するつもりだった。


「才能っていうか、いろいろ。才能じゃなかったりもする。うーん、浦野にはまだちょっと難しい話だったか。わるい、やっぱり忘れてくれ」


 と、村田は顔の前で手のひらを立てた。ここまで話をしておいて忘れろはないだろう。拓真はズボンをぎゅっと握った。馬鹿にしやがって、と思った。


「おれ、忘れませんよ」


 村田はいっしゅん虚を突かれたふうな顔をすると、目を細め広角を上げた。歪んだ笑みだった。


「ちなみに、俺の見立てでは岡はもってるヤツだ。さて浦野、おまえはどうだろうな」


 拓真はどきりとした。話の流れからして、村田は自分をもってない側だと踏んでいるにちがいない。もってます、と胸を張って言えたら良いのだが、性格上、反論できないのが情けなかった。


「ドライブに転向したのは良い。けど、本当の意味で岡に勝てるのは何年後だ? 二年? 五年? 十年? それとも何十年後? もしもよぼよぼの今にも死にそうなじいさんになってから岡に勝ったとして、それでおまえの気は晴れるの?」


 そんなもん知るかよ、と拓真は胸中で叫んだ。実力で村田に負けている以上、うかつに反論はできない。


「俺、浦野はもっと利口だと思ってた。こう見えて、おまえのために言ってるんだけど」


 黙り込む拓真に嫌気がさしたのか、「まぁいいや」と村田は頭をかいた。背を向けると去り際、


「とりあえず、割り切るなら早いほうがおすすめってこと」


 そう言い残して部屋に戻った。

 乾燥機は回り続けていた。残り三十分だった。

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