3 強さを求めて
トレーの上に、山のごとく盛られたポテトが、次々と龍平の口に放りこまれていく。
「どんだけ食べるんだよ……」
アメリカ人のような食べっぷりだった。大量のポテトを見、拓真は呆然とした。
「練習したあとは腹が減るんだ。今日は母さん、仕事で遅いし」
「なるほど、それは夕飯がわりか」
龍平が小学六年生のとき、彼の両親は離婚した。母親に引き取られた龍平は、東京から母の実家のある宮城に引っ越してきた。はじめは祖父と母との三人で暮らしていたが、中学二年生の終わりに祖父が他界し、それ以来は母と二人暮らしだった。
「いや、母ちゃんが夕飯してくれてるから、帰ったらそれを食う」
「まだ食べんの? セットふたつも頼んでおいて?」
「だから、練習のあとは腹が減るんだって。拓真こそなんでポテトとコーラだけなんだよ、女子か」
と、龍平はハンバーガーにかぶりついた。口の周りがてりやきソースにまみれていた。
「人から借りた金でセットふたつ頼んだやつに言われたくない」
「大丈夫だって、ちゃんと返すから」
なにが大丈夫なんだといツッコミを、拓真はコーラといっしょに飲み込んだ。
スマホが鳴った。涼花からのラインだった。
「リュウ、涼花にマックにいるってラインしたろ?
「したした、部活終わりにラインきたから」
「無視すればいいのに、面倒くさい。あいつポテト買ってこいってよ」
小ぶりのポテトを口に入れると、ポテトの堅い部分が奥歯に挟まった。
「俺が買って持っていこうか? どうせ通り道だから」
龍平のポテトを奪い、拓真は中身をすべて自分のトレーの上にあけると、空になった容器を龍平に返した。
「あっ、なにすんだ」
という龍平の手を振り払い、拓真はポテトを口にかきこんだ。
「なにが通り道だ、今日は車だから二ケツさせろって言ったのはどこのどいつだ」
本人いわく自転車のタイヤがパンクしており、今朝は母の車に乗せられて登校したらしいが、親の帰りが遅いと知っていてそれなのだから、ハナから拓真に便乗して帰る気満々だったにちがいない。
「それで、スガさんなんだって?」
話題を逸らすふうに龍平はとたんに神妙な顔つきになる。まったく調子のいいやつだ。拓真は話を戻す気にはなれなかった。
「気持ちはわかるって。あと、あせらずよく考えろってさ」
拓真は頬杖をつき、国道を走る過ぎ行く車を眺めた。信号待ちをしていた車の運転手と目があって、さりげなく視線を前に戻した。龍平の不満そうな顔が目に入った。
「うそつけ。それだけのはずねえだろ」
「要約するとってこと。一字一句伝えられるか。だいたいいちちリュウに報告する義務はない」
棘のある言い方をしてしまった。しかしこのくらい言わないと、龍平には効果がない。
「そりゃ彼女の弟ですから、本当の弟みたいなもんでしょ」
拓真はおもわず目をまるくした。
「リュウ、おまえ涼花と結婚する気か?」
「さぁ、知らね」と、龍平は拓真のトレーのポテトをつまんだ。
「てかさ、なんで戦型変えんの? 俺はカットでいいと思うけど」
理屈を知らないくせ、よく戦型を変えるなと言えたものだ。フィーリングで生きる男。こんな知識ゼロのようなやつに、劣る自分が拓真は許せなかった。
「圧倒的に不利なんだ、左のカットは」
「へえ、そうなんだ。めずらしいしかっこよくね?」
物珍しさや見た目で勝てるのなら苦労はしない。
「右利きのドライブマンのフォアドライブはバックに集まりやすい。右対右ならどちらもフォアだけど、左だとバックだ。でもって、バックカットはフォアにくらべて守備範囲が狭い。相手にシュート回転の入ったサイドへ逃げるようなドライブをされたら返すのに一苦労だ。攻撃するにしても、カットマンの攻撃はフォアハンドが中心になる。打球をバックに集められると、攻めに転じづらい。だから大半の指導者は、左利きにカットマンはやらせない、以上」
言いながら、自らを否定していることに拓真は気づいていた。
ふぅん、と龍平はスマホをいじりながら空返事をした。涼花とラインでもしているのだろう。
「けどさ、やっぱり俺はそのままでいいと思うけどな。拓真はカットがあってるって絶対」
「その理由は」
「うーん、勘?」
でた。己の勘をまったく疑っていないのがよけいにおそろしい。
「不利ってことだけが問題じゃない。たぶんこのままだと島田先生はおれを団体メンバーにはいれない。ダブルスも林と組ませられる」
「林と? まさか」
林彩人は一年生で、春の部内リーグで最下位の部員だった。卓球をはじめたのは中学からで、真面目に練習してはいるが、お世辞にも強いとはいえない。実力でみれば、自分と組むには不相応だと拓真は思っていた。
「おれは、シングルもダブルスも団体も、全部出たい。そのためなら――」
この先もベンチでただ眺めているのは御免だった。
祖父が教えてくれたプレースタイルだ、カットマンに未練はある。だがもっと試合に出て、もっと強くなりたい。そのためなら、スタイルの変更もやむを得まい。
「戦型変えたらメンバーになれて、試合に勝てるってか。甘いっすねぇ」
「べつにそういうわけじゃ」
聞き捨てがならない。たとえテクニックで劣ろうとも、拓真は卓球という競技を龍平より理解し知っているつもりだった。それだけに、卓球を甘く考えていると思われたくない。とりわけ龍平には。
「難しいのはわかってる。今日だって、カットを使わないで杉崎さんと試合したけど勝てなかった」
戦術的に理解していても、実行できるわけではないと痛感した。身体に染み着いている戦い方を上書きするには、今日の試合とは比較にならないほどの時間とストレスを要するだろう。
「だけど島田先生は典型的なドライブ型だから、カットマン、なおさら左となるとなかなか目に留めてすらもらえない。リュウにはわからないだろうけど、まずは見てもらえなきゃ団体メンバーにはなれないんだ」
島田先生はドライブマンを優遇する。菅原さんこそ、キャプテンでよく声をかけられているが、団体メンバー枠は四人。カットマンはひとりで十分だと、先生は考えているにちがいなかった。ならば、カットマンとしての実力を示せば良いのかもしれない。すこし前の拓真なら、そう思っただろう。
「それに、強いのはけっきょく守備より攻撃だろ……トップにいるのは、ドライブだ」
半ばくずれるふうに拓真はイスの背にもたれた。廣田のプレーを思い出す。同じサウスポーとして、あの強さを自分も掴み得られる可能性があるなら、手を伸ばさずにはいられなかった。
「拓真ってやたら難しく考えるよな。スガさんだって、カットがいいって言ってたじゃねえか」
「聞いてたのか」
「ちょろっとな」と、龍平は笑った。
「ほんと他人って勝手だよ。左でカットはやめとけみたいなこと、昔から何度か言われたけど、いざ戦型転向しようとすると、カットがいいって言ってさ」
中学のころの拓真は、周囲の雑音などさほど気にしていなかったのだが。
「俺はやめとけなんて言ったことない」
「ばか、そういうことじゃないよ」
ばか、と言われたのが気に障ったのか、龍平はカップのなかの氷を呷り、がりがりとかみ砕いた。
「拓真は裏裏(フォアバックの両面裏ソフトラバー)だし、攻撃でもいけるんだろうけど、俺は認めない。おまえはカットマンだ」
しつこく言われると、どうしてもドライブマンは無理だと否定されているように思える。他人に自分の能力を決めつけられたくはない。くわえて対抗意識があるぶん、拓真は龍平の思い通りになるのが癪だった。
「とにかく、このままじゃダメだと思ったんだ。なにか変えないといけないって」
自分ならできる、と拓真は信じていた。しかし、
「いまから変えるなら、新人戦には間に合わないだろうけど」
一転して力無げにつぶやく。新人戦は駄目でも、春のインハイ予選には、ちゃんと戦えるようになりたい。
「新人かぁ、この間は園日ヶ丘にやられたからなぁ」
と言うと、みる間に龍平の表情がくもった。「廣田との試合、思い出すだけでイライラしてきた」獣のふうに唸り、頭をかきむしった。
「まあ廣田はシングル二位だから。そんなの相手によくやったって」
龍平と廣田の熱戦のたかだか数時間後に、あっさりと廣田に敗れた自分の弱さが歯がゆかった。
「ちがう、俺はあの試合勝てた! 勝てたのに負けたんだ、自分のせいで」
ありありと記憶がよみがえってきたらしい。たちまち龍平はうなだれ消沈した。と思えば、
「つぎは絶対勝つ」
そう宣言した。有言実行してしまうのが、龍平だった。勝利を公言して龍平が負けたのを拓真は見たことがない。感覚で行動する人間だが、むやみやたらに言っているのではなく、彼なりの根拠があって勝てると見込んでいるのだろう。
拓真はうらやましかった。勝てる自信がいくらあったとしても、自分には龍平の真似はできない。たぶん、勝率が百パーセントであっても「勝つ」とは言えない。口にしたとたん、勝利が逃げていきそうでこわいのである。
「あれだけガンガンドライブが振れて、サウスポー、台上も上手い。あーむかつく」
「おまけにサーブもキレっキレっ」
「まじでそれ」と、龍平は拓真を指さした。「あのフォアサーブ、まじでわからん。拓真、こんどレシーブ練習つきあってくれ」
「それはいいけど、おれバックサーブメインだから、あのレベルのフォアサーブはムリ」
というより、全国レベルのサーブを要求されては、フォアバック関係なく厳しい。
「ムリじゃない、おまえならできるっ」
得意の勘である。
「試合で使えたらプラスにはなるか……いちおう練習しとく」
「さっすが、期待してるぜ松下浩二」
戦型を変える相手に向かってそれはないだろうと、拓真はため息をついた。
スマホがしつこく鳴る。涼花からのポテトの催促で画面が埋め尽くされた。
「涼花がうるさい。そろそろ帰るぞ」
レジの前で財布を開けると、二百円しか入っていなかった。
腹がいっぱいだから、という説得力の微塵もない理由で、帰りも拓真は渋々ペダルを踏んだ。信号が青に変わる。片側二車線の国道を、多くのライトに照らされながら、ふたりは渡った。渡る途中で、龍平がなにか騒いでいたが、車と風の音で、拓真は聞き取れなかった。帰路を進んでほどなく、肩をたたかれた。
「なあ、ブックオフで立ち読みしてこうぜ」
古本屋の店内の明かりが、誘うように白々と輝いていた。
「ムリ、涼花がうるさい。読みたいならひとりで読んでけよ、おろしてやる」
「じゃあさ、拓真んちで練習しよう、それならいいだろ。俺んち、母ちゃん遅いしさ」
「立ち読みの代わりが練習かよ」
拓真はちいさく笑った。
龍平は卓球バカである。それでいて強い。ことあるごとに自分と龍平を比べては、拓真は自己嫌悪の闇におそわれる。
「わかった。そのかわり、明日ちゃんと金返せよ」
龍平以上の卓球バカであることが、闇から抜け出す唯一の方法だった。