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青と白のラブオール  作者: ぼんじり
2/12

1 戦型転向

「えっ、B?」


 汗のにおいの残る部室で、龍平は目をまるくした。


「うん。しかもドライブに転向しないかだってさ」


 拓真が窓を開けると、グラウンドから乾いた風が部室内へと吹き入った。窓際に手をついて見やれば、日は沈みかけ空にはひとつ星が浮かんでいた。明日も晴れるだろうか、と考えながら拓真は椅子に腰掛け靴下を履き替える。テーブルの上の無造作に広げられた漫画雑誌が、風でぱらぱらとめくれた。

 二週間前に行われた県総体、芦田野高校は団体四位に終わった。公立校では唯一のベスト4入りだったが、シングルスとダブルスでは一様に園日ヶ丘の連中に阻まれ、全国大会への道は断たれた。

 その後、一週間におよぶ前期中間考査をのりこえ、ようやく練習に打ち込めると意気込んでいた拓真をまっていたのは、卓球部の監督であり顧問である島田教諭からの思いがけない提案だった。めずらしく呼ばれたと思ったらこれだ。龍平に気づかれないよう、拓真はため息をついた。テスト休みあけの体は怠く、今日の練習はいつも以上に疲れた。もっとも、練習のせいだけではないかもしれないが。


「ドライブ? 拓真が?」


 龍平はいささか演技めいた調子で言った。拓真が? という一言がいくぶん鼻についた。カットマン以外の拓真は想像がつかないという意味なのか、それともおまえがいまさらドライブマンなんぞになれやしない、という意味なのか。しかし、じつのところは疑うまでもない。龍平とは中学からの付き合いなのである。きっと前者にちがいない。


「で、なんて答えた? 変えんのか?」


 矢継ぎ早に龍平は訊いた。慌てるな、と拓真はワイシャツのボタンをすべて留め終えてから言った。


「なにも。すこし考えろって。とりあえず、これからおれはB」


 戦型の転向以上にBチームだと告げられたことのほうが受け入れ難かった。龍平には劣るものの、入部して早々に行われた部内リーグの戦績は悪くなかった。何人かの上級生にも勝利した。まして三年生の抜けたいま、部員は八人しかいない。団体戦は一チームで四人。さすがに二分の一に入る力はあると自負している。


「Aチームには菅原さんがいるし、これ以上カットマンはいらないんだろう」


 本当に実力基準ならば、戦型の被りはたいした問題にならないのだが。


「けどサウスポーはいないじゃん」


 龍平は不服そうに口をとがらせた。拓真は顔を伏せ眉根を寄せる。


「だから先生は、なおさらおれにドライブになれって言ってるんだろ。そっちのほうが左の練習相手になるし、ダブルスだっって組みやすい」


 単なる左利きなら優遇されるが、カットマンとなると状況は変わってくる。

 カットマンというプレーススタイル自体は悪くない。カットマンと左利きの組み合わせに問題があるのだ。

 なにげなしに話を切り出したが、この場でいくら龍平と口論しようとも埒があかない。それじゃお先、と拓真は踵を返す。


「おまえはそれでいいのかよ」


 ふいに問われ、拓真は顔だけで振り向いた。真剣な面持ちで龍平は拓真を見つめていた。当然のごとく否定したかったが、拓真は躊躇った。躍起になって否定するのは、龍平に負けを認めるのと同じような気がしたのである。


「マジになるなよ。おれは変えるなんて一言も言ってない」


 いいわけあるかと、言下に返したかった。地域のスポーツ少年団で指導していた祖父に倣い、ずっとカットマン一筋でやってきた。いまさら容易く戦型を変えられない。それは技術的な部分よりも、拓真の気持ちの問題が大きかった。


「だと思った。俺さ、拓真のカット、打ちづらいんだぜ?」


 と、一転して龍平は相好をくずすと、バッグから取り出したゼリー状の補給食を勢いよく吸った。


「嫌みかこのやろう」


 龍平とは幾度も試合をしてきた。今日までの戦績は拓真の三勝。ただし負けた試合は数えしれない。


「ほんとほんと。スガさんのほうがやりやすいもん俺」


 菅原すがわら幸太郎こうたろうは二年生の新キャプテンだった。同じカットマンとして、拓真は自分が菅原に優っていると言い切れる自信はないが、だからといって劣っているつもりもなかった。


「菅原さんのが粒高でやりにくいはずなんだけどな。おれ裏だし」


「うーん、なんでだろ、拓真のほうが松下浩二っぽい?」


 腕組みしながら龍平は言う。ふざけているつもりはないらしい。


「松下浩二はバック粒だろ」


「えっと……じゃあ朱世赫」


「残念、朱世赫も粒高」


 まじかぁ、と大仰に両手で顔をおさえ、龍平は天を仰いだ。


「リュウは適当なこと言いすぎ。なんのフォローにもなってねぇから」


 とはいえ、世界トップレベルのカットマンに例えられて悪い気はしない。


「いやいや、フォローとかじゃなくて」と食い下がる龍平を、「はいはい」と拓真はかるくあしらった。


「それじゃ、朱世赫さんは練習につきあってくれないみたいなんで、今日もマシン君と練習しますか」


 空になった補給食をゴミ箱に投げ捨てると、龍平は大きく身を伸ばした。


「おれはテストで疲れてんの。リュウとちがって体力バカじゃないんで」


 面倒くさそうに手を振って、拓真は部室をあとにした。体育館前に停めた自転車にまたがり、帰路につく。

 県立芦田野高校は、仙台から車で約四十分ほど北上した芦田野市にある。拓真は同市にある自宅から、毎日自転車で通学していた。

 住宅街を抜けて国道を横断すると、ほどなくして田畑が広がり民家はまばらになる。舗装された歩道は、草花がたくましくアスファルトを貫いて生い茂っていた。すっかり日は落ち、あたりからはカエルの鳴き声しかしない。つま先で前輪のスイッチをいじると、自転車のライトが点灯した。灯された箇所だけが、ぽつりと小島のふうに浮かび上がる。


 ――それでいいのかよ。


 ひとりになると、ふとよみがえる。

 いいわけない。絶対に良くない。

 それでも――はっきり否定できない自分がいて、拓真は自転車のハンドルを握りしめた。


「うるさい、なにも知らないくせに」


 走りながら不満を吐き捨てた。

 龍平とは中学からいっしょだった。

 拓真の両親は共働きで、私立などとんでもないと、息子の進路先を公立校しかゆるさなかった。拓真だって、園日ヶ丘のような強豪の私立にいくことをまるで考えなかったわけではない。だがその想いを口にする前に、親は自分らの母校である芦田野高校に息子が進学すると決め込んでいた。学業成績が少々足りなかったが、背伸びをすれば届かないレベルでなかったし、なにより芦田野の卓球部は県の上位のチームだったから、べつだん異を唱える気は起こらなかった。私立への進学は、見栄えが良いように思えてちょっとだけ憧れただけだ。

「大会であたったらよろしくな」中学三年の冬、拓真は龍平にそう言った。本人から直接伝えられてはいなかったが、龍平に園日ヶ丘から誘いがきていると耳にしていた。中学時代の龍平はエースであり、私立高校から声がかかっていてもおかしくなかった。当然の選択として、龍平は私立に進むと拓真は思っていた。


「あ、言ってなかったけど俺も芦田野」


 耳を疑った。理由を訊ねても、家から近くて通いやすいからとしか、龍平は答えてくれなかった。

 周りの人間から見れば、自分たちの関係は親友に値するのだろうと、拓真は思う。そして自分とちがい龍平の性格なら、本気でそういうふうに信じているだけでなく、平気でそれを当人に向かって口にしそうで怖い。

 中学一年生の春に、龍平は東京から宮城に引っ越してきた。以来の三年間、学校や部活で毎日といっていいほど顔を合わせてきたのである。今日は断ったが、互いにもっとも自主練習につきあってくれる相手だ。中学の部活では、拓真はキャプテンで、龍平はエースだった。

 気心のしれた仲間が同じ高校と知って安心したのはたしかだ。しかし同時に、また三年のあいだ、龍平の影に被われながら過ごさなければいけないのかと思うと憂鬱だった。


「ただいまー」


 帰宅すると、ひとつ年上の姉の涼花すずかが居間から顔を出した。「リュウちゃんは?」

 涼花は一年前から龍平と交際している。彼氏のほうが大事らしく、弟にはおかえりの一言すらなかった。姉にとって弟は彼氏の付き人もしくはオマケ程度の存在にちがいない。

 ふたりがつきあいはじめて間もないころ、告白しただかされただかと、どちらからか拓真は聞かされたような気がするが、興味がないからおぼえていない。


「自主練でまだ学校」居間の戸のところから、素っ気なく返した。


「やっぱり、どおりでラインしても全然既読しないと思った」


 畳の上にうつ伏せになりながら、涼花は足をぶらつかせた。太ももまでのショートパンツとだらしなく胸元の空いたTシャツ。姉の姿を撮影して龍平に送りつけようかと思いついたが、なんとなくやめた。


「で、あんたはリュウちゃんをおいて、ずけずけ帰ってきたんだ」


「なんだよその言い方。おれだってこれから練習すんの」


 やはり姉にとって自分は彼氏の付き人なのだと、拓真は確信した。「涼花、夕飯あとで食べるって母さんに言っといて」


 涼花の返事を待たずに、拓真は再び外に出た。家に隣接された作業場へ行く。ドアを開けると靴を脱いで細い階段をあがった。拓真が卓球をはじめて間もないころ、いまは亡き祖父が作業場の二階を改築して卓球場にしてくれたのである。

 フローリングの部屋の中央には、一台の卓球台が設置されている。部屋は後陣を主戦場とするカットマンがかろうじてプレーできるほどの広さだった。天井は低く、ロビングしようと高くあげようものなら打球は天板にぶつかって跳ね返された。

 用具の準備を済ませると、拓真は雑巾で卓球台を拭いた。手元にボールのいっぱいに入ったカゴを置き、拓真は一本ずつ確かめるようにバックサーブを放った。

 サービスは第一の攻撃球ともいわれる。手を抜くことは許されず、けっして惰性でサーブ練習を行ってはならないと、祖父は口を酸っぱくして拓真に教えたものだった。

 練習は常に相手がいることを想定する。右の手のひらにボールをのせ、静止する。ネットの向こうに目をやると、サーブを待つ龍平の姿があった。それだけでいくぶん緊張する。

 緊張すると、重たい気持ちが、靄のごとく胸のなかにたちこめた。ふたたび前を見ると、龍平の影は消え、廣田圭吾があらわれる。たちまち靄は濃い霧となり、拓真を包み込む。

 嫌な記憶だ。忘れられるなら、忘れたい。己の弱さを、これでもかと突きつけられた。相手が強いほど甘いサーブは許されない。それがことさら拓真を追いつめた。

 拓真のサーブはコートに入らず、大きくオーバーした。

 廣田との一戦、拓真は地に足がつかぬまま終わり、団体戦の龍平のように、強き敵に胸を躍らせる余裕などまるでなかった。ましてや、自分で満足できるプレーはひとつとしてない。県大会から、廣田の強さと龍平の目の輝きを思い出すたび、感情は霧のように視界を閉ざし、振り払おうとするほど如実に実体をあらわした。海の底深く沈められたふうに、拓真は黒々とした感情の水圧で押しつぶされそうになるのである。暗い海の底で、息が続くようこらえるのが精一杯だった。

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